北京滞在記11月 その2

11月6日

 バゲットで朝食。通勤バスは篠崎先生と元と3人だけ。和栗先生はご帰国、清水先生は広東・香港にご出張。お嬢ちゃんたちも風邪気味。

 2・3年生に日本的経営・日本的生産方式の話をする。元が時折補足してくれる。メインバンク制についての質問、金融資本についての質問、ビッグバンについての質問など、なかなかレベルが高い。さすがに選ばれてきた院生だけに、日本語能力以外の点でも優れている。メインバンクやビッグバンは元にも説明できる。金融資本は無理で、ドイツ・アメリカの歴史的特殊性を話す。この国のマルクス主義教育は、かなり型にはまっているらしく、基準教科書の記述が、広く共有されている。原典を読むわけではないから、ステレオタイプになる。日本マルクス主義の常識を話すだけで、視野が拡がるようだ。

 授業が終わってからは、蔵書目録OPACを検索しながら、購入すべき書籍の選書を元とする。とりあえず、経済史関係の基本文献を選ぶ方針だが、かなり時間がかかって終わらない。さらに、最近の社会科学系新刊を選ぶ予定。予算は社会系で80万円はあるから、基本書は買えるだろう。

 送迎車で帰室。スパゲッティで昼食。車でセンターへ。守屋先生の日本学総合講座「配慮表現から見た日本語」を拝聴。普通使っている敬語やポライトネス表現、配慮表現を、文法論・語用論・社会言語論と観点を変えながら解析する講義は明解。自分の身体化した部分を、レントゲン写真で見せられたような、つまり、裸にされたような感じがした。

 先生は、語用論の立場らしい。引用された誤用例は、日本人でも間違えかねない表現の微妙さを含んでいて、中国の人は戸惑う様子。たとえば、目上に席をすすめるとき、@「よろしかったら、おすわりになりませんか」と、A「よろしかったら、おすわりになってくれませんか」の選択では、実験例では130人中40%がAを誤選択。スピーチ原稿のチェックを頼んだひとが、次の日に、先生に話すとき、@「先生、昨日の原稿、もう、お読みになりましたか」と、A「先生、昨日の原稿、もう、読んでいただけましたか」のどちらが正しいかとの設問では、日本語教師でも69人中38人が@を誤選択、全体で誤回答率は85%に及ぶとのこと。日本留学経験があって上手な日本語をしゃべる社会系の院生KSさんも、席の発話については、どっちが正答か聞きに来るほど。

 院生の質問が途絶えたときに、また、一言おたずねしてみた。守屋先生が、「これは上品な女性の発話」をおっしゃったので、ポライトネスと上品の関係をうかがう。国語審議会の中島みゆきの歌詞は上品ではないと付け加えて。お答えは、上品・下品と価値評価することは、語用論も文法論も避けているとのこと。ただし、中島みゆきは、上品とは言えないところに人気の秘密があるのではとも。

 言語学者も、立場はいろいろらしい。人権論からして発話の差別化は肯定しないし、対等なコミュニケーション機能を言語に求めるのが普通のようだが、そうすると、敬語をタテの敬語からヨコの敬語に直そうなど、かなり無理な提案をする羽目になる。そんなことをしたら、B.ショウは「ピグマリオン」を書けないし、「マイ・フェア・レディ」の可憐なヘップバーンも観られなくなってしまう。

 ひと思いに、言語の支配機能を認めたうえで、そこから抜け出せる語用法を創造しては如何とも思う。

 帰室してメールを開いて驚愕。南開大学の武先生招聘の件で、問題発生とのこと。書類不備でビザ発行が躓いたようだ。電話で連絡しようとするが、なぜか話し中が続く。とりあえず、メールで連絡して返事を待つ。

 カツ丼の夕食。見ると雪が降っている。先月12日に長城付近では降雪があったが、北京市内では初雪だ。道路まで白くなりかけている。初雪の写真をと思ってバルコニーに出る。うっかり、ロックを解除しないでドアを閉めたので、部屋に戻れなくなった。ドアを叩いて、恵子に開けてもらう。ヘタをすれば、初雪の「北京に死す」だ。

 

11月7日

 雪は3cmくらいつもって止んだ。散歩に出ると、まだ葉を落としていなかった白楊、柳、槐が、湿った雪の重さに耐えかねて、かなり大きな枝を折られている。賓館内の松も一本倒れている。雪が早く来すぎたのだろう。3環を越える歩道橋は、まだ一部しか雪かきしておらず、すこし滑る。気温はさほど低くはないので、札幌市内のように降雪が凍ってツルツルという状態ではないが、転んでいる通行人もいる。降雪地帯ではないから、雪に慣れていないのだろう。昨日から、あのツルツルタイヤのタクシーが、どれほどスリップ事故を起こしたことか。

 24時間営業の永和大王で、小包子を買う。6個で6元だが、味の割には高かった。

 5日朝刊トップは、穀物価格上昇、6日は田舎から出てきた子供たちの教育問題、今日は、ザンビアとの関係強化の記事。

 穀物価格は、1997年以来低落傾向にあったが、この10月中旬から上昇に転じた。これは、農家所得を上昇させるから歓迎すべきだが、失業者や低所得者には配慮が必要。世界価格からすると高値だから、中間階層が困るほど価格は上昇しないだろうとのこと。

 田舎から都市に出た家族が連れてきた子供たちの教育環境調査では、82%の子供が「満足」している。都市戸籍がない場合にも、特別納入金を支払えば義務教育機関に入学できるようだ。ただ、その納入金が大都市では高い。北京市のそれは吉林市の40倍。その結果、中小都市の方が出稼ぎ家庭の通学率は高くなっている。政府は、納入金を安くして、教育機会の平等化を図りつつあるとのこと。都市戸籍が無い場合の大きな問題点は子女の教育機会の問題であったから、これが解決すれば、戸籍による差別はかなり緩和されるだろう。

 このところ、経済成長についての楽観的見通し記事が多い。しかし、財政金融政策の調整を求める意見も目立つ。今年前半期のGDP総額中で、60%以上が投資(多分、固定資本形成)だというから、これはかなり異常だ。1998年には投資は26.5%で、これは普通の数値。去年は1.5兆元、今年も1.4兆元の国債が発行されているから、まだ国家主導型の固定資本形成が大きく、民間分野を拡大する必要性が主張される。そのためには、外資導入が不可欠ということになり、所有権法を含めて法制度の整備が緊急の課題とされる。昨日から珠海で開かれている世界経済発展宣言会議に出席した呉儀副主席は、国有企業改革にも外資が参加できると語っている。

 社会欄では、人口政策の変化やセクハラ訴訟が取り上げられている。急速な高齢社会化に対処するために、一人っ子政策の緩和が進められている。上海では、これまで、農村部の夫婦のいずれかが労働能力に影響するほどの障害を持つ場合には、第2子出産が認められていたが、それを、都市部にも拡張する規則改正が提案されている。あるいは、再婚の場合、これまで夫婦いずれかが子供を連れていない場合に、出産が認められたが、新規則では、ともに子持ちである場合にも1人を出産できる。また、第2子は第1子誕生から4年後でないと許されなかったが、この制限も廃止される。一人っ子政策の基本線は変わらないが、ゆっくりとそれを緩和する方向が出てきたようだ

 セクハラ訴訟は、これまで4件に判決が出ていて、西安の女性教員を原告とする事件だけが、加害者有罪として公的謝罪の判決を下している。ほかは証拠不十分で原告敗訴。昨日の北京市での第1号判決も、上司を訴えた原告の敗訴。ただし、上司の名誉毀損上訴も棄却されている。どうやら、セクハラについての根拠法が未制定らしく、女性協会からはその制定が強く求められている。働く女性が多い国だが、女性の人権面に対する配慮は十分でないようだ。

 炒飯の昼食。平澤さんから電話で、招聘問題は解決しそうとのことで安心した。

 澤山さんから、「青山経済論集」の締め切りが近づいたとのメールなので、書いた分を読み返して、続きを書く準備をする。

 ポークシチューで夕食。雲南紅という雲南ワインを開ける。ブドウの味が残るフルーティなワインだが、52元はやや強気な価格設定だ。

 沈先生から電話で、新しいマンションを購入して内装の選定に忙しかったとのこと。南開大学経済学院での講演を約束。

 張淑英先生からの電話で、明日、香山公園に連れていってくださることになる。

 

11月8日

 成都小吃の包子で朝食。7:30、張先生から電話で、あわてて出かける。中国銀行にお勤めのご主人とご一緒にタクシーで来てくださる。904バスの通る魏公村路で香山行きのバスに乗り換える。頤和園の横を通って香山へ。2000年の時には、道路工事中で大混雑した道だが、いまはもうすっかり出来上がっている。終点からややのぼりの道を歩いて公園入口へ。雪で途中の樹木の枝が折れている。ここのほうが、雪は深いようだ。

 入り口からは、雪の残る石畳と石段の道を登る。滑るので、場所によっては登山道脇の山道を選ぶ。新しい建物があって茶屋になっている。登るとともに北京市街の雪景色がよく見える。周りの木々は、黄葉は残るが、紅葉はもうない。ご主人の話では、先週の土曜日にお友達と来たときには、紅葉していたとのこと。ただ、紅葉を採って、売っている連中がいたから、無くなった可能性があるとも。たしかに、後で下りたときに、紅葉売りが、紅葉を束ねて売っていたから、むしられた分もあるに違いない。香山の紅葉は見損なったが、雪景色は満喫できた。

 セーターを脱いでも汗だくで登る。恵子は、気圧が変わるのが判るから、かなり高い山だという。膝をだましだまし、一歩ずつ登る。ようやく、香炉峰頂上に着く。海抜は570mくらいで、恵子が思ったほどではない。さすがに空気は冷たく、上空は抜けるような青天。一望できる北京市街は、ところどころに高層アパート団地、西にテレビ塔が見えるが、少し霞んでいる。一種のスモッグのようだ。頤和園の昆明湖が近くに見えて、その手前に先日完成した5環路が走る。西の方には火力発電所の太い煙突が煙を吐いている。潭柘寺の山も見える。裏山との境には、公園を囲む塀が尾根筋に続いていて、長城ミニアチュアのようだ。北側は低い山並みが続く。

 下りは、リフトのかかる斜面の石段を降りる。結構急な石段で、途中に凍っているところもあるから、脚への負荷は大きい。2000年にはリフトで上下したから楽だったが、今日は近来にないハードワークだ。また汗をかきながら眼鏡湖に到着。途中にクジャク養殖園があって、200羽以上のクジャクがいた。

 タクシーで臥仏寺へ。北京植物園の奥に伽藍があって、文物局管理の文化財になっている。奥まではかなり遠いので電気自動車で行く。回廊部分は修理中で、縦に並ぶ一番奥の堂に涅槃仏がある。元代の鋳造だが、修理が施されていて輝いている。

 904バスで白石橋まで戻って上海人家に行くが、2時過ぎで閉店している。タクシーで北京飯店近くまで行って張先生ご存じの店に入ろうとしたらここは休み。並びの重慶料理店に入って料理を注文したが、料理人が午後の休みを取っていて、結局、ウドンとビールだけの昼食になってしまった。額に「知足常楽」とある。香山にも数え歌のような人生訓の看板に、「一重知足」とあった。今日の昼食にはふさわしい言葉だ。

 タクシーで頤園まで送っていただく。ご夫妻にすっかりお世話になった一日だった。

 風呂に入って脚をマッサージして昼寝。夕食は、久しぶりに専家食堂で取る。料理5品とビール2本で50元。専家は半額だから経済的だ。

 

11月9日

 朝は双楡樹早市へ。雪はまだ残っているし、折れた枝も積まれている。新聞では、北京市内で5000本が倒れ、2万本が折れたと報道されている。途中のアパート団地、社区の入口に糖尿病の講話の掲示がある。糖尿病は染色体病だが、有効な漢方薬が開発されたとのこと。野菜のストックが無くなったので、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、タロ芋、ドジョウインゲン、カリフラワーを買う。外に馬車で小型の西瓜を売っていた。試食すると甘いので2kg1つ3.5元で購入。成都小吃で餃子と包子。

 西瓜は、思ったより甘くなく、ポンチに加工。朝風呂でくつろぐ。11時にNHK昼のニュースを見ると、投票率は悪いとのことで、自民党有利か?

 焼きうどんの昼食。恵子たちは買い物に。昼寝をしてから、授業のレジュメを作る。

 新聞は週末版で大気汚染グラフが出ている。11月第1週では、最高値で北京がワーストワンになっている。昨日の香山からの眺めでも、市街部はスモッギーだった。

 世界経済発展宣言会議の特集版には、国有企業の改革への海外企業の参加を奨励する記事。合弁企業による共同株式会社化を進めるべく法制度などを改正するという。2002年の数値で159000の国有企業が4681万人の労働者を雇用しているが、政府は、業績の悪い国有企業には市場からの退場を求め、多国籍企業の参加などで競争力を付けた企業を援助する方針。

 私企業は、2002年末までに243万社、他に自営業的な小規模私企業2377万に達して、GDP23%を占めるにいたったという。全面的な小康社会a well-off society in an all-round wayを目指す中国では、今後も、民間企業の発展の機会が拡がるとの見通し。張先生にうかがった限りでは、「全面的な小康社会」とは、以前に目標とされた「温飽社会」、つまり、衣食が足りている社会よりも一歩進んで、国民生活を支える消費財があらゆる階層に十分に供給される社会を指す言葉で、10年くらい前から使われているらしい。

 新聞報道の数値は、断片的だから、そのうちに全体像を確認する必要がある。

 利客隆スーパーで売っていたヒラメの煮付け、中華総菜、インゲン胡麻よごし、芋煮で夕食。ヒラメは皮の感じが少し違うが、結構美味しい。タロ芋は、やはり水っぽい。

 選挙速報をネットで見る。投票率が低かった割には民主党が伸びている。山崎拓、土井たか子の小選挙区落選は、自民伸び悩み、社民凋落の象徴だ。

 

11月10日

 朝、理工大へ散歩。北門から3環沿いを歩く。美容院の看板は、減肥と美白。スリムな女性が多いだけに、多少でも肥ると気になるのかもしれない。美白は、アジア女性の願望か?理工大北門の隣に北京新干線学校という学校がある。看板では補習学校、学習塾だ。中国の学習塾通いは、日本を上まわるほどに盛んらしい。構内に入ると、バスケットボール部が、What is impossible We can make everything possible! という赤い垂れ幕を出している。スポーツのことだろうが、今の中国の若者の意気込みを示すようだ。いつもの焼き餅、豆乳、キャベツを買う。

 人民大学の易先生の大学院クラスで、「日本の社会―過去と現在」を講義。古代から近世までを概観して、明治維新後の近代日本社会の特質、戦後改革によるその変質、現代日本社会の抱える問題点を話す。日本の若者が、自分の能力について自信を持たず、将来への希望を失っているというが、それは何故かとの質問。アメリカを目標に、モノの豊かさを追求して大衆消費社会を実現したところで、目的を見失ったこと。受験競争が、早い時期に能力の格付けをするので、将来への諦めが早くなることなどを答えとしたが、そうかなと自問。元は、夢を無くした大人を見ていると若者もやる気をなくすと発言。日本人は非武装平和国家という憲法理念を世界に広めることを夢、目標に掲げるべき時だが、昨日の選挙は、改憲の自民党が支持されて、護憲の社民党が大敗したので、これは現実性を持たないとも語る。

 大学進学率が12%ほどの中国では、大学生はエリートとして将来に希望を持てるのは当然で、進学率50%を越える日本の大学生とは違うとの指摘には、納得したようだ。大学院生の希望は、大学の教員になることだが、修士課程だけでは一流大学には職は得られなくなったとのこと。最近は、大学教員も、業績主義評価が厳しくなってきて、かつてのようなゆとりは無くなってきている。それを見ていると、日系企業に就職した方が良いかと考える院生もいるようだ。

 易先生と4人で、燕山ホテル横の食爲先酒家で昼食。餃子大王と同じ経営で、餃子も食べられる。人民大学構内は建築工事が盛んだが、まだ、立ち退きが済んでいない地域もあるとのこと。文化大革命中に、校地内に工場や宿舎が建てられてしまって、その立ち退きには、大学が補償金を払うことになる。まだ、軍関係の宿舎が残っているが、居住者は、1平方米につき2000元でも立ち退かず、2500元でも承知しないそうだ。この国の権利関係も結構複雑だ。

午後は、論文の続きを書くべく資料を読むが、ついうたた寝。澤山さんからは、121日締め切りとのメールが来ているのに。

夕食は、自家製豆腐、カボチャ炒め、ポークピカタなど。BS2で、吉永さゆりと高橋英樹の伊豆の踊り子を観る。高橋英樹の若い頃を見るのは初めてで、最初は誰か判らなかった。ハンサムであるが、上手いとはいえない。そのまま、スペイン紀行を観て、スペインは世界遺産が一番多い国であることを知った。よく考えてみると、あの国の歴史からすると当然だ。

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