北京滞在記12月 その5

12月21日

 くたびれて朝寝。散歩は省略。楊先生の論文の訳文をチェックする。元がやってくれたので読みやすくなったが、中文と対照すると問題な部分があるので、午後からHQさんに来てもらって確認してもらう。

 元はHQさんとメモリースティックなどの買い物に出かけた。CDRなどは買えたが、スティックは意外に高かったので買わないで帰ってきた。

 夜は、九頭鷹で食事。HQさんは、農村部出身だが、その地方では初めて女性で大学に進学したという。積極的で日本語が上手な院生だ。

 

12月22日

 風邪気味で元気が出ない。元は午前中にセンターに出かけて、引用文献の確認をしてから訳文を澤山さんに送ってくれた。恵子はカルフールに一人で買いだし。食パンとバゲットを買ってきた。昼は、久しぶりにサンドイッチ。なかなか美味しかった。

 2時に張先生が中共中央党校国際戦略研究所の孫仲濤先生を連れてきてくださった。前から社会主義市場経済について話を伺いたいとお願いしていたところ、孫先生を紹介してくださった。共同利用室で話を聞く。社会主義時代の計画経済は、市場経済に置き換えられ、現在では計画目標値の表示程度で、生産指令は行われず、資源・資金・労働力の強制割当も行われていない。公定価格や補助金もなくなった。所有関係では、国有企業が基軸ではあるが、基幹産業部門で国有を継続するものの、民有企業の発達を進めている。結局、基幹部門に国有企業が存在する市場経済が社会主義市場経済ということになる。

 社会主義初級段階は100年は続く段階で、ケ小平は、生産倍増計画の1980-90年、小康社会の1990-2000年、文化的繁栄と民主の全面的小康社会の2000-2050年の3つの歩みを提唱していた。

 最近の住宅ブームには、投資向け需要が50%くらいある。購入して賃貸にすると利益が出るし、値上がりを期待する向きもある。バブルかもしれない。

 所得格差に対しては、累進所得税や相続税の新設で対応するが難しい問題だ。5つの協調、都市と農村、地域間、所得間、人間と自然、国内と国外の協調を目指している。

 農村については、地方中小都市への吸収が進められている。合作社を続けて成功している村もある。農地は集団所有だから売買は自由でない。配分地を他の農民に耕作委託するケースはある。都市には社会保障があるが、農村にはなく、医療保険制度の普及が図られている。

 孫先生は中堅の教授で、国際経済を、党校に入ってきた地方幹部に教えている。経験豊富な幹部たちで、厳しい質問も寄せられるそうだ。

 夜は、外国専家局の招待で、保利ホールの歌舞公演に行く予定だったが、パス。恵子達が出かけた。2時間半の公演で、二胡演奏が良かったようだ。

 

12月23日

 朝、送迎車に乗り遅れてタクシーでセンターへ。2年生に「日本人は幸福か」を話す。一般的な幸福についての考え方の変遷をたどってから、日本人の前近代、近代、戦後、現在の幸福感あるいはアイデンティティ担保の仕方をまとめてみた。熱っぽいので、あまりすっきりした話にはならなかった。明日が恵子の誕生日と前に話したことがあったので、社会コースの皆さんが、アヒルの縫いぐるみをプレゼントしてくれた。子アヒルが2羽付いた可愛い黄色いアヒル。別に2年生がクリスマスカードもくれた。気配りの良い連中だ。話が長くなってタクシーで帰宅。

 スパゲッティで昼食後、昼寝。

 新聞は来年の憲法改正記事をトップ。1982年憲法はこれまで、3回改正された。1988年には私企業部門を社会主義経済の補完的部門と位置づけ、1993年改正では計画経済ではなく市場経済を実践するとし、1999年には、私企業を補完的部門からひとつの重要な構成要因と位置づけなおした。今度はさらに積極的に私的所有を保証する改正を行うようだ。3つの代表も書き込まれる。党支配の正当性を強化しながら私的部門を拡大する方向だ。政治と経済の難問、上手く解けるか。

 恵子がカルフールで仕入れた牛肉をトースターでローストしたら、大変美味しいローストビーフになった。こういう肉もあるのだ。

 

12月24日

 まだ風邪気味で寝たり起きたりしながら、たまっていた日記を書く。

 恵子たちは城郷スーパーに買い物。昼はそこで包んでもらった餃子を焼く。なかなか美味しい。

 

12月25日

 まだ風邪が抜けないが、木曜日最後の授業。1年生と3年生がクリスマスカードをくれた。市場原理主義の行方をテーマに、日本経済の行方、市場の失敗、市場原理主義、限界を超えてと話す。これまでおりにふれて問題にしてきた論点をまとめた。低成長提案については、どの程度のレベルかとの質問、日本の1960年頃の生活水準と答えるが、元も、とても無理なことと言う。馬場がいう一人当たりGDP5000ドルの過剰富裕化基準の半分以下だろうから厳しすぎるかもしれないが、あのころの日本人は結構満足した生活を楽しんでいたような気がする。まあ比較基準が戦後の耐乏生活だから、今の若者にはとても無理な水準だろう。5000ドル基準なら1970年頃ということになるが、この時点では資源消費は大きくなりすぎている。先進国の消費を引き下げるよりも、後発国の消費上昇をどこかで止める方が易しそうだが、これでは不公平を固定化してしまう。難しい問題だ。

 昼食に戻って、午後再びセンターへ。日本学総合講座の最終回を担当して「日本経済はどこに行くのか」を話す。失われた13年にいたる戦後の歩みを日本経済の失敗として概観し、グローバリゼーションの時代について市場原理主義は当てになるかと問い、最後に、資本主義の失敗として、成長に成功するがゆえの失敗の可能性を語り、これを、人類の失敗にしないためには、新しい経済社会の構築と、個人が賢い消費者、知足人・共生人・共苦人になることが必要と結んだ。社会コースの1年生が次々に立って、堂々とした質問をする。授業の時とは違って、理路整然とした内容の深い質問で、感心した。聴衆がいるので気張っているらしい。日本的経営、国民国家と世界政府、経済政策の可能性などについて補足説明ができた。在職修士コースの院生は、日本の為替レートと人民元の引き上げ問題の質問。周先生は産業空洞化について、司会の徐先生も東アジア共同体の可能性について質問してくださった。アメリカとの関係が深すぎる日本ではなく、成長する中国が、高い理念を掲げてアジアをまとめることへの期待を述べた。

 引き続いて社会コースの集中講義に来られた東京農工大の若林敬子先生の研究会。現代中国における人口政策と2010年への展望というテーマで、学士会報に書かれたエッセイを中心に報告。毛沢東の人口資本説を否定して、彼の没後、1979年から採用された一人っ子政策は、大躍進期の大失敗がもたらした1960年の人口減少のあとの大ベビーブーム世代が成人したときに生じたであろう2次的出産ブームを回避する政策として成功した。今後、2010年までは、一人っ子政策は維持される。最近の政策修正は、マスコミが報道するような政策転換ではない。イスラム人口の爆発的増加が21世紀前半の大問題などなど。

 研究会のあと会食があったが、風邪気味でご遠慮。元だけが参加。

 カレーライスで夕食。元は、北京外大の東西キャンパスを結ぶ地下道で切り絵と花を買って帰宅。院生研究室でレポートを読んできて、日本語が上手いのに感心している。

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