北京滞在記 9月 その4

9月16日

  早めにセンターに出かけて図書館で古代史関係の図録を探す。かなり古いものしかなかったが帯出して2年院生講義で見せる。日本史は、センター受験に際して勉強した程度で、知識は深くないようなので、ごく初歩的に話す。こっちも専門的な話は出来ないのだからちょうどいい。奴隷制の時代だったのかという質問には、一般的・総体的奴隷制といえるが、貢納制という用語を使っていると答える。

 濱先生と一緒に帰室。電動カートの台湾製バッテリー不調で日本製を取り寄せる由。トラブルも公刊予定の滞在記の良いトピックと言っておられる。

 いそいで昼食をとり、1:40の迎え車でセンターへ。2年院生の修士論文について相談に乗るが、テーマが社会学的で、参考文献については皆目分からない。「初期高齢者のパーソナル・ネットワーク」「高等教育機関進学の不平等要因」のふたつについて3時間近くコメント。残る2人は来週にする。新しい建物のコンピュータ関連が未完成のために、参考文献が検索できないでいるのははなはだ不都合だ。少し手助けをすることにした。

 5:00、バスで出発。宿舎に回って先生・家族を乗せて、騰格里塔拉劇院酒楼へ。海淀区万寿路にあるモンゴル料理と舞踊の店。小劇場にテーブルが並び、飲食物はビュッフェ。北京外大の学長が歓迎の挨拶。20数カ国60人を越える外国人教師とその家族が招待され、教育部、北京公安局などの来賓も見えている。

 羊の丸焼きをはじめ、いろいろな料理がならぶ部屋から皿を運ぶ。生ビールと葡萄酒1本を取ってくる。羊と豚の焼いた皮も取ってきて賞味した。羊はかなり大きく、焼くのには時間がかかったようで、皮は堅い煎餅状だった。ハム状の塊から切り出した豚皮はパリパリではなかった。

 専属ダンサーによるモンゴル舞踊は絢爛で美しいが、かなり現代風にアレンジしてあるようで、伝統芸能という感じはしなかった。

 陳学長と高齢の外国人教授の席に挨拶に伺う。学長挨拶の中で、外大の外国語教育の基礎をつくった教授達という紹介があった女性教授の皆さんで、それぞれに風格がある。

 バスで帰室、熟睡。

 

9月17日

 朝から雨。降り込められて、明日の講義準備をしてから、10月の中華日本学会報告のレジュメ素案を作った。

 China Dailyのトップ記事は、フォーブスが人民元のフロートは望ましくないと発言した話。このところこの話題で持ちきりだ。毛沢東の珍しい写真が載っていた。1945827日に米軍のジープにP.ハーレー駐中米大使と乗っている。重慶での蒋介石との会談のために延安から出かける時の写真だ。蒋介石側代表の張将軍と米大使が延安まで迎えにきたようだ。90歳になった黄華元外相の写真集が出版された記事の写真で黄華もジープの後ろに乗っている。

 都市の水不足と河川汚染問題の記事がある。北京は汚水の半分を未処理のままで河川に流しているのが現状で、改善のために、2008年までに30の汚水処理施設を建設して、汚水の90%を処理する予定。上海では、2010年までに処理率を80%まで高める計画をつくっている。また、672都市のうちで400市以上が水不足で、160市で給水制限が行われている。90%以上の表面水と50%以上の地下水が劣化しつつあり、大連・青島・寧波など沿岸都市では地下水位が下がって、海水の浸入で地下水が汚染されているという。

 急速な都市化にともなうインフラ整備の遅れがこの国の大きな問題だ。水不足は、南水北通でも根本的な解決にはならないだろう。

 都市ゴミ問題はどうなっているのだろう。友誼賓館前の道路には、紙類・缶ビン類をリサイクル回収するゴミ箱が置いてあるが、家庭ゴミを分別して出している様子はない。今後の調査課題だ。

 夕方、雨が上がったので双安商場前の超市に夕食の買い物に行く。コンビーフのようなもの、昆布サラダ、卵、ニガウリ、長ネギ、青菜、冷凍ワンタン、豆腐、白いパートレット、人参果で35.6元。人参果は中が空洞で瓜に似た5cmくらいの長い球形の果物、種子がないのが不思議だ。

 道で杖をついた若者が物乞いをしている。手にはたぶん「残疾人証」と書かれたものを持っていた。障害者手帳のようなものだろうが、これがあれば物乞いが認められるのか?障害者の物乞いはときどき見かけるが、この国の福祉制度はどうなっているのか。今日の若者にも老婦人が小紙幣を渡して話しかけていたから、物乞いの収入も案外あるのかもしれない。コナン・ドイルの短編にも物乞いで稼ぐクラークの話があったように。

 東大出版会の池田さんからメール。まだ原稿が集まっていないとのことで、ちょっと心配だが、皆さんの精進に期待するしかない。

 夜、BSで「バラの名前」を見る。エーコの原作は読んでいないが、面白かった。ショーン・コネリーは歳取ってからのほうが良い役者になった。

 

9月18日

  講義の前に、今日は何の日か訊ねると、Cさん1人だけが満州侵略の日と知っていた。若い人への歴史教育が徹底しているわけでもなさそうだ。戦後の政治・社会改革がテーマの授業で、近代日本が戦争を続けた理由と最後に敗北した理由をはなして、憲法改正・民法改正などの説明をした。帝国憲法と新憲法の比較はみな勉強していた。

 基本的人権を自由権・社会権・参政権・受益権の4つと説明したのにたいして、人間にとってどれが一番重要な権利かという質問。自由権が基本で、近代初期からそれが形成され、20世紀に入って社会権が承認され、参政権と受益権は前2者を保証するための権利だと説明した。もちろん、中国の現状をふまえての質問だから、さらに、自由権と社会権の二者択一という状況もあり得るが、たとえ個人の立場からは自由権を優先させたくても、社会の立場からは社会権特に生存権を優先させる選択肢もありうると発言した。べつに中国政府に迎合したわけではない。人類史の危機的現状を憂慮すると、人類の生存を保証するために個人の自由を規制することは必要だと考えているからのこと。これは、ファシズムに繋がる可能性のあるかなり危険な発想とは思うが、自由を守って人類が破滅するという未来図は滑稽至極だ。

 日本の憲法改正の可能性は? 自殺の自由はあるのか? せん民差別はまだあるのか?など、なかなか難しい質問が続いて、時間をオーバーしてしまった。

 午後、代田先生の日本学総合講座があるが、日本との電話連絡のため欠席。新聞を読む。

 人民元問題では、中国の銀行の不良債権比率は以前の50%超から最近は20%前後に減りはしたものの、なお極めて脆弱だから、元の切り上げ、変動相場制移行は時期尚早との論調。中国東北3省は、かつて重工業基地として国家資金が集中的に投入され、それぞれの省は、北京、上海、天津に次ぐGDP(一人当たり)を誇っていたが、現在では、遼寧省が8位、黒竜江省が10位、吉林省が14位に低迷している。2002年に1990年代水準の技術を装備しているのは工業企業中で15%にすぎず、設備の老朽化が目立っている。国営企業が中心で、市場経済への対応が遅れているためだ。まだ企業は国家の政策を期待しているが、自力で改革を進めるしか道はないとの論調もある。

 社会面では、アルツハイマー病が取り上げられていた。平均寿命の伸びと一人っ子政策で老齢人口は増え続けているが、85歳以上老人の3分の1はアルツハイマー症と推定される。初期の治療が有効だが、一般的な老人ボケと見なされて発見される可能性が低い。3世代家族が減りつつあるものの、まだ家族のケアを受ける老人が多く、加齢に伴うボケと判断する家族が多い。アルツハイマー症の中国語が、個人の尊厳を傷つける響きを持つので、当人も家族もアルツハイマーと認定されるのを嫌う傾向もある。用語を変えるのも一つの案だとのこと。

 アルツハイマー症はなんというのか日中辞典で調べたが出ていない。フロントで聞いてみたが知らない。China Dailyの中国語版はない。ケ小平が巾白(1字)金森綜合症だったと教えてくれたが、これはパーキンソン氏病だ。

 夕食は餃子大王。守屋先生ご推薦の店で、美味しいと評価された豚肉トマト餃子と、三鮮餃子、牛肉しいたけ餃子を2両(8〜10個)ずつ頼む。前ふたつは焼き餃子であとのひとつは茹で餃子で注文。なかなかの味だった。生ビール2杯で、合計32.2元。半畝園前のパン屋で、月餅を買う。他では売っていなくなったもので、ここも売れ残りを@2元で売っている。パンは若者達のお気に入りらしく、この店も繁盛している。串刺しのパンもあってさすが中国。

 当代商城をひやかしに行く。狭い道の歩道には車が並んで駐車しているので、人間は車道を歩く。燕山飯店のそばの果物屋で蟠桃を2つ4元で購入。平べったい桃だ。当代商城は中級のデパートという感じで、ルフトハンザの商城にくらべると低い価格の商品が並んでいる。パンダの両面刺繍の4折の飾り物は良かった。

 帰路、3区分のゴミ箱の蓋が開いているのでのぞくと、中には3個の箱があるが中身は空。蓋をあけて紙類を大きな袋に入れて自転車で持っていく人がいる。私的な回収・リサイクルが行われるらしい。

 夜、楊先生がくれた白酒「劉伶酔」を開ける。度数42%で、なかなか美味しい白酒だ。

 

9月19日

 朝、恵子と双楡樹早市に買い物。キャベツ(小2元)、桃(大2個7.9元)、ほーれん草(1.5元)、枝豆(1.5元)、トマト(4個2元)、いんげん(2元)、カリフラワー(小0.7元)、なつめ(1元)、豆乳(0.5元)。パン屋でトースト用食パン(厚切り4枚7.9元)。生なつめははじめて囓ったが、林檎と梨のアイノコのような味。トマトはそろそろシーズンが終わる味だ。トーストパンは甘くてダメ。まだ朝食用パンが発見できない。

 新聞は、1面下段に「日本の戦争責任はまだ歴史の頁に残っている」との見出しで、昨日上海で開かれた日本の侵略責任シンポジウムの記事を載せた。昨日今日の紙面で9・18関連はこれだけで、China Dailyを見るかぎりでは、歴史問題を追求する姿勢は弱い感じだ。

 ほかは、不動産ブームが加熱していることへの警戒記事、政府の開発規制強化の記事、炭鉱事故の記事など。今年、9月17日までに炭鉱事故の死者が4150人とは驚いた。事故件数は2452で、小規模の炭鉱での事故が多いようだ。地方政府の監督責任を問う記事もあり、去年6月に山西省で起こった事故では、事故隠しをした役人と炭鉱関係者が裁判で有罪になったという。

 昼食は宏状元まで歩いてお粥。守屋先生ご推薦の店で、農業科学院南門前通りにある。入ると丁度昼時で、満員。数字の書いてある札をもらって少し待ってからテーブルへ。効用が書いてある菜単で、守屋情報にあったお勧め品を探しながら、粥2種、手抓餅、常家拌菜、煎餃を注文。菠菜鶏茸粥はほうれん草と何か白い細片のお粥。状元粥は、刻んだクルミやアーモンドなどが入った少し甘い白粥。手抓餅は、2cm巾に巻かれた塩味の中国パイ。常家拌菜は、白菜の千切りと細い乾し豆腐のサラダ。煎餃は、肉野菜餡をパイ皮でつつんで揚げたイチジク型のもの。合計29元で、美味しかった。

 池内先生ご推薦の五塔寺まで歩く。大慧寺路を左折した小路は古い感じの町でさまざまな小さな店が並んでいる。米豆店で、ポークビーンズ用のウズラ豆を買う(2.5元)。近くの鉄鋼研究院の住宅もあるが、胡同のような家並みでトイレは外の共用。用をたしにはいると、床にいくつか穴があって境はないのが大用。古い北京の下級住居が残っている一帯だ。いずれは取り壊されるのだろう。

 五塔寺らしい塔は見えるが門はまだ遠い。動物園の北側の川に出た。象の声が聞こえる。北京石刻芸術博物館がある。門で訊ねるとここが五塔寺だった。10元払って入ると、回廊に墓蓋・碑などの石文がはめ込まれ、周りの建物には北京の石像・石碑・石仏などの展示、庭に大小の石碑、そして中央に金剛宝座があり、その向かいに塔の基壇遺跡。

 金剛宝座は周りの壁に座仏のレリーフを5段重ねで数多く並べた石像建物の上に大小5つの石塔が建つ建造物。座仏のレリーフはほぼ全部が原型のままで破壊されていない。池内先生の話では、文化大革命中にはほとんどの寺院が紅衛兵に攻撃されたがこの五塔寺だけは原型を留めた珍しいケースとのことだった。李平さんに尋ねると、紅衛兵が見つけ損なったのだろうと笑っていた。「地球の歩き方 北京」にも「北京ウオーカー」最新号の古寺案内にも紹介されていない旧寺で、興味深かった。

 歩き疲れてタクシーで帰室。

 枝豆、インゲン煮物、ニガウリと鶏炒め、ほーれん草のごまよごし、ノリで夕食。「誰がために鐘は鳴る」を観る。バーグマンが若い。ストックホルムで買った18歳ころのブロマイドに近い。現在使われていない用語を使ったとのお断りが出たが、「ジプシー」のことか。

 

9月20日

 ホテル北門を出ると三環の車道分離帯の植樹が始まるところだった。小灌木を満載したトラックと20人ほどの労働者を乗せたトラックが着いて、道路に交通標識を並べはじめた。今は土があるだけの分離帯は、今日中に緑の分離帯に変わることだろう。人海作戦だから、歩道舗装なども速い。昨日まで溝が掘られドロだらけだった歩道が、次の日には、きれいなコンクリートブロック舗装に変わっていることもしばしばだ。

 人民大学西門から構内を散歩。北西側にあった古い建物を壊した後には、経済系と法学系の合同棟が新築中だ。財政経済学院は、今年から、金融・保険を専攻する学科を設けたらしく、正門には新入学生歓迎の幕が張られている。いま一番必要な学科だ。

 構内のガラス付き掲示板には、大学の書画クラブの作品が展示されている。画材は、奔馬・鷲・虎、牛に乗る児童、山水・花鳥などかなり古典的なものが多い。書体は各種で、なかに日ロ戦争地図を見ての感想を表現した自作の詩もあった。多分、どれほどの村々が灰燼に帰したのだろうというような内容だ。以前に見た社会主義礼賛文はなかった。

 正門近くの大改修で白楊の並木道ができたが、既存の白楊に続いてコンクリート枠だけの植栽予定箇所が並んでいる。既存のはかなりの大木だが、あのクラスの樹を植えるつもりなのだろうか。

 ホテル本館でATMから引き出す。昨日は円が高かったようなので。引きだし限度は2500元で、手数料は1回2元。

 インゲン、トマト、パン、コーヒーの朝食。コーヒー豆はかなり割高なので、持参したストックが無くなった時の対策を考える必要がある。

 新聞1面トップは今日も人民元問題。アジア開銀の担当者が、まだ流動性回復の条件は半分程度しか満たされていないと発言したことを大きく報道している。朝陽公園の池で水と光のショウをやっているようだ。今年は、金王朝が北京を首都としてから850年なので、いろいろなイベントがある。

 カメラの電池を買いに行ったが、単3が@2.57.5元と高め。充電式にしようかと探したが、1.2vはあるが1.5vのは無い。ちょっと不思議だ。@2.5元のを買ったがアルカリとは書いてないから長持ちはしそうにない。たしかに電池は日本から持ってくるべきだった。

 炒飯で昼食。午睡後、センターへ。新楼開幕記念講演会がある。開幕式は、陳学長、宮家公使、呉教育部国際交流処長、若松国際交流基金常務理事の挨拶。公使ははじめは中国語、次が英語と日本語で挨拶。ちょっと不思議。センターの院生はあまり英語は使わないのだから。

 講演は、山折哲雄国際日本文化センター所長と王暁秋北京大学歴史系教授。山折さんは、「宗教と戦争―非暴力への道と日本」を講演。3年先輩だけあって、話は上手。体験的宗教論から説きはじめて、竹内好の毛沢東論、トインビーの明治維新無血革命論、ハンチントンの文明の衝突論、ネルソン・マンデラによるガンジー非暴力主義の継承、さらには、天安門事件の際の学生の非暴力行為、そして、キング牧師の夢が美空ひばりの東京キッドのポケットの夢と通底する話。平安時代の350年の平和、徳川時代の250年の平和を、日本の神仏共存、祭政一致(とは語らなかったが)で説明する山折仮説の提起。

 日本での話ならこれでも良い。ここ中国で、日本が平和伝統国家と語っても、説得力はないことが判らないあたりが、山折さんの限界だ。

 王教授は「梁啓超と近代中日文化交流」を講演。1898年に、戊戌変法の失敗後、日本に亡命した中国知識人の歩みを、淡々と史実に沿って語る。はじめてマルクスを中国に紹介したのも梁だと。英語を解しない梁は、日本語に翻訳された西洋思想を学び、それを中国に伝えたようだ。日本で親交を結んだ日本人の名前を挙げながらの講演。この徹底した実証主義が、北京大学の歴史学の伝統かと感心させられた。

 帰室してダイナスティのシャンペンで乾杯。ガス圧が低いがドライタイプで結構飲める。ポークビーンズの夕食。きつめのスモークのベーコンがとても良い味を出した。

 虫の音が聞こえるので外に出ると、代田・清水両先生がお帰り。コオロギとクサヒバリらしい鳴き声だ。先日、クツワムシの遺体をみたが、今夜は鳴いていない。秋の夜長だが、早寝。

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