北京滞在記 9月 その5

9月21日

 悠野くん・お母さんと4人で双楡樹早市へ買いだし。相変わらずの人出。クツワムシを小さな篭に入れて売っている。訊くと1匹2元。はじめての野菜を1本買う。太めの茎の上部に細長い葉がついたもので1.5元。サラダにしたら歯切れが良くて美味しい。白肌のパートレットは大3個で5.7元。まだ堅くて酸味が強いが美味。トマト、インゲン、ほーれん草、栗を買う。

 悠野くんの日本人学校は小中合わせて400人を越える規模。小学生でも英語と中国語が週1回ある。昨日は運動会だったとのこと。2学期には修学旅行で小学生は上海に行く。中学1年生は大連旅行。

 頤和園行きのバスに乗る(@1元)。頤和園正門は大混雑。入園せずに、船着き場まで南に歩く。東側には釣り堀があって、みんなが糸を垂れている。広大な釣り遊園地だ。道をロバや馬がレンガを積んで運んでくる。正門近くが再開発中だから、大量にレンガが必要のようだ。朝市に西瓜や桃を運んでくる馬車が、日中はレンガ運びをしているのだろう。

 南門を過ぎたところに船乗り場があった。昼食をと思ったが、なにもない。やむを得ず、瓶の紅茶(@4元)と焼き芋(中、2.5元)で済ます。焼き芋はひどい味だ。ここの河でも釣り人が多い。ときに釣れている。待つことしばし、船が来た。

 昆明湖から下る船の旅。先日見たよりも大きい船で、下り客は12人ほど。料金は@40元。釣り人たちの浮きを揺らしながら船は進む。途中ですれちがう船には、沢山の客が乗っている。高層アパート群を見たり、シャングリラホテル近くで第3環状線をくぐったりしていると、両側が公園のようなところに入る。ほどなく紫竹院波止場に着く。ここで少し歩いて船を乗り換える。小さな船だが、川幅も狭い。後退しながら少し廣いところでUターンして進みはじめる。やがて左に五塔寺の門を眺めながら進む。水性植物を発泡スチロールに植えたものを牽く船が、先を妨げるが、辛抱強く操船して追い越す。水路が拡がって、池のようなところが終点。近くに西直門駅が見える。

 上陸して北京フィルハーモニー・オーケストラのホールの前を通って大きな道に出た。右に歩くと北京展覧館では国際書籍祭。さらに歩くと動物園。このあたりは、2000年に来たときには小さい飲食店や土産物店とバスの発着所が乱雑に並んでいたところだ。いまや、実に綺麗になっている。中国船舶のビルが見える。カルフールに入るとすごい混雑。充電池はやはり1.2vしかない。1.5v6本入り10元のを2パック買う。花王のシャンプー(6.9)、バゲット(2元)、丸い中国サラミ(2個入り7元)、ソーセージ(5元)、挽肉(5元)、エビ(14.06元)、ザボン(2.28元)、ニンジン(2.95元)、牛乳(9.1元)、鴨胸肉燻製(6.8元)、香磨i3.92元)。

 珍しい茸を買ったつもりの香魔ヘ椎茸のことだった。

 枝豆とサラミでワイン。夕飯は、エビ、さつま芋、ニンジン、タマネギ、香磨Aインゲンの天麩羅と栗ご飯。ダイナスティの「金王朝」は、ほどほどのレベルだ。

 易先生に電話すると、29日に院生に話してほしいとのこと。9:45に人民大正門で待ち合わせることにした。BS2で武蔵の巌流島決闘を見る

 

9月22日

 朝は双楡樹早市にジャガイモ、タマネギ、ナスを買いだしに行く。往復約1時間の散歩になる。ホテル前の広場でよく揚がっていたペンギン型の凧が、ビルの玄関屋根に引っ掛かっている。片側が高いビルだから、風が乱れるのだろう。

 畔上さんに教わった旅行社に電話で敦煌行きの手配を頼む。1012日は満席なので930日午後の飛行機を予約。

 9:30の車でセンターに行く。2年生の修士論文用参考文献をアマゾン・ジャパンで検索。まだ院生用のIT設備が出来ていないので、すこし手伝うことにしたわけ。一時帰国した守屋先生が日・中辞典、会話編が入っているポケット電子辞典を買ってきてくださった。これからの旅に役立つことを期待する。

 帰宅して天麩羅ウドンで昼食。1:40の車でセンターへ戻る。2年生2人の修士論文の相談に乗る。専門外なので、体験論、一般論的なコメント。終わってから宋先生と立ち話で、相談経過を報告。遼寧大学に一緒に行く打ち合わせもする。

 夕食は鴨燻製、ソーセージ、ほうれん草のおひたし、栗ご飯。ダイナスティのカベルネを開けるが、やはり値段に比例して味は落ちていく。60元あたりが限界かもしれない。

 新聞は、G7蔵相中央銀行総裁会議の元問題関与をほとんど無視している。1面トップは新聞・出版物の取扱を国営企業以外の民間企業にも認めるという記事。言論の自由への動きのようだが、その意味するところはあまりよく判らない。大事件ではあるらしい。吉林省ではシベリア虎が動物園から逃げて人に怪我をさせた。絶滅の危機にさらされた虎が、人を危機にさらすとの見出し。中国の野生のシベリア虎は20頭以下と推定されているようだ。ちょっと少なすぎると思うが、そうなのかもしれない。

 WTO加盟が、中国の女性の地位を低下させているという記事は興味深い。市場の原理が働くと、女性は低賃金の職場に押しやられるようだ。政府の対応を求める記事だ。

 夜は雷雨。

 

9月23日

 朝、農業科学院を通り抜けてお粥店の前の道を十字路で左折、第3環状線に出て左折して帰ってきた。ここらは公園がないので、鳥かごを持った人たちは、道沿いの樹木や塀にかごを吊して鳥たちを鳴かせている。

  朝刊は、人民元を切上げ論への中国外国為替管理局スポークスマンの反駁をトップに報道。天津市の水不足への対応として、山東省Weishanゲートから放水を開始した記事。Xiaolangdi貯水池に貯められていた黄河の水は、580kmを流れ下って全国で一番水不足に悩む天津市を給水する。天津市は、水道料金の引き上げ、給水制限、処理水利用などで、水消費量(1日当たり)を一時の220万立方米から150万立方米まで引き下げたが、なお水不足だという。

  次は全国労働組合会議第14回大会開催の記事。労働組合といえば映画鑑賞券を配る組織としか考えられていなかったが、市場経済の時代には、労働者の権利を守る組織に生まれ変わる必要があるとの主張。下部労働組合の数は、1998年の51万から今年は170万に増え、組合加盟者数は、100万以下から1億3400万人に増えた。組合幹部が企業から給料をもらっている現状では、幹部が中立的になる傾向がある点の改善も提案されている。労働組合会議の議長が、「労働組合は労働者の権利と利益を擁護することを第1の課題にしなければいけない」と語ったというから、いささか恐れ入る。

  9:30の車でセンターに。2年生に日本の中世社会を話す。天皇=貴族権力と武士権力のせめぎ合いのなかで、古代権力が衰退する過程を説明。日本の天皇制はなぜ長く続いてきたかの質問。侵略など外部からの天皇否定の可能性が元寇や占領期にはあったが実現しなかったこと、内部から天皇を否定する可能性は将門の東国立国の場合などにはありはしたが、天皇を否定する正統な論理は日本共産党を除くと形成されなかったことが原因と答える。易姓革命の伝統からすると、日本天皇制は理解しにくいのかもしれない。

  帰室してソーメンの昼食。農業科学院前からバスで西直門へ出て、地下鉄で鼓楼外駅へ。2000年の時、インゲン入りの美味しい包子を食べた店はまだあったが、昼過ぎのせいか包子は作っていなかった。竹園賓館もその付近もほぼ前の姿のままだ。このあたりの胡同は、再開発はされていない。3つの胡同の合同掲示板を見ると、合計で、住居戸数は950、人口は2438人、うち60歳以上は409人、残疾人は18人。1戸当たり人数が少ないのは、単婚一人っ子家庭のためだろう。家の前の椅子や車椅子に座る老人が目立つ割には、意外に老齢化は進んでいないようだ。

  鐘楼にまず登る(@10元)。恵子が数えたところでは59段の急な階段。大きな鐘がある。大鐘寺の釣り鐘より大きいと書いてあった。胡同を上から見下ろせるがかなり複雑な家並みでどこが道か家の境か見当が付かない。次に鼓楼(@20元)の急階段に挑戦。段数はこっちの方がすこし多い。3人による太鼓の実演。鼓譜があって曲名が付いている。鼓楼からの見晴らしは素晴らしい。景山、北海公園と白塔、?門などが見える。外人グループを連れてきたガイドが、なぜか3つの代表のことを説明し始めた。中南海を示しながらの説明だが、ちょっと可笑しかった。

  歩いて後海へ出て湖畔でビール。青島中瓶20元は高い。隣のアメリカ人が我々2人の写真を撮ってくれた。夫妻と話すと7月に日本を沖縄から北海道まで旅したようだ。湖で泳いでいる連中がいるので驚くと、彼は、冬でも泳いでいるという。どうやら中国駐在の人らしい。

  通りに出て盆栽奇岩園を覗く。古木ですごいのがあるが、作り方は日本のような繊細さを感じさせない。角の店で凧を発見、入ると糸巻きや竹ヒゴなども売っている。糸巻きと糸1000m、竹・プラスチックのヒゴ・軸、絹布を購入。130元を恵子が85元までまけさせた。土産物屋風で少し高かったかもしれないが、凧専門店を見たのは初めてだったのでここで買った。六角凧を作る予定。

  タクシーで紅橋市場を目指す。目当ては、地下の上海蟹。ところが渋滞でのろのろ。着いたときは6時を過ぎて地下市場は閉店。仕方なくバスで動物園へ(空調車で@5元)。かなり裏道を通りながら走るので街並みを見るには面白い。動物園から歩いてカルフールへ。上海蟹はここにはなく、あきらめて蓮の葉に包んだ鶏(25元)、缶入りレギュラー・コーヒー2種、フランスパンを買ってタクシーで帰室。コーヒーは28030元前後だから、スターバックスの半値だ。鶏は美味しかった。同じ鶏でもいろいろな味に仕立てる料理法には全く感心する。

  今日は、恵子は、和栗先生達の仕立服作りを見学するはずだったが、途中で時間切れになったので失礼してしまった。

 

9月24日

 朝、100元札以外の有り金3.4元を持って双楡樹早市に。柿を売っていたので三個買うと、2.4元。残り1元で枝豆を買って帰る。柿は、小さな熟柿でなく、大きめのくびれがひとつ入っているもので、花落ちが少し黄色くなっている程度の青柿だが、柔らかい食感で、日本の平田種なし柿に似た味だ。枝豆は美味しい。

  午前中は雷雨になった。講義レジュメを作る。国慶節の休日振り替えで28日の日曜日にも授業があるので少し忙しい。元が知らせてくれた本を送ってくれた方々に葉書とメールの礼状を出す。航空便で@4.2元。

  新聞は、トップがSCOメンバー間で自由貿易圏をつくる提案を温首相がした記事。SCOShanghai Co-operation Organizationで、ロシア・カザフスタン・タジキスタン・ウズベキスタン・キルギス・中国の6カ国で構成する経済協力組織。中国の多角的な経済外交の一面だ。毒ガス問題での日本政府の対応を批判する記事もある。中国は国としては賠償請求権を放棄したが個人に対する損害の賠償請求権まで放棄したわけではないとの論調。

  再開発で住宅を壊された農民が、北京に出てきて焼身自殺を図った記事もある。一命は取りとめたようだ。再開発の強行やそれに伴う汚職問題が人民の不満のタネになっていると指摘。王府井開発で当時の北京市長が私腹を肥やして処刑された話は有名だが、この手の話は限りなくあるのだろう。

  恵子が理工大市場に買い出しに行った。ナン風の焼き餅はいける。冷凍餃子と昨夜の鶏ガラスープの水餃子は美味。鶏とニガウリの炒めなどで昼食。また降りかかったが、研究会があるのでセンターに出かける。タクシーに行く先を告げる中国語が通じた。

  研究会報告は集中講義に見えた吉野耕作東大教授の『「英語化」するアジアの高等教育』。マレーシアで欧米大学との提携によるtwinningつまり、2(1)年間マレーシアで学びあとの1(2)年間を海外留学して学位を取るシステムが発展しているが、文化ナショナリズムの観点からは、問題が多いという報告。マレーシアのprivate collegeに入学してから欧米に留学する中国人が増えている。9・11以後は、中近東からの留学生が増えている。日本はどうなるかという問題提起。文化ナショナリズムと言語の問題には直接論及はなかった。

  研究会終了後、院生を交えての会食。周・宋両先生ともお話しできて良かった。

 

9月25日

 朝は、ホテル前の成都小吃から小包子を2篭買ってきて朝食。

  バスでセンターに。1・2年生に江戸時代の経済の担い手達の話。ところが、話し終わってから、学生が今日は演習ではなく講義の日ですと言われて間違いに気づいた。本来は、戦後経済改革を話すべきところ、2年生向けの演習の続きをやってしまった。1年生は喜んでいたが、いつか講義の今日の分を補講する必要が生じた。そのうち、夕方でも補講をしてみんなで夕食を取ることにしよう。

  昼食はスパゲティ・ミートソース。パルメザンは持ってきたがタバスコを忘れていた。

  新聞のトップは、訪中したカスヤノフ・ロシア首相が、中ソ間の石油パイプライン建設に賛成すると発表した記事。ロシアのアンガルスクから中国の大金まで2400kmのパイプライン設置を中国は提案している。これが実現すると、日本が提案しているナホトカまでのパイプラインは当分実現しないことになる。

  1:40のバスで恵子とセンターへ。秦剛センター専任講師の『芥川龍之介「蜘蛛の糸」を読む−その空間設定及び物語構造をめぐって−』を聴く。典拠となった「因果の小車」との異同を検討しながらの見事な分析。極楽と地獄の二項対立を設定した上で、蜘蛛の糸によって地獄の全員が救われれば、地獄に人はいなくなって、二項対立は存在不能になるし、カンダタだけが救われたところで糸が切れたとすると、他を救わなかった仏は無慈悲な仏になって具合が悪いから、結局、この話は、最初から、カンダタが救われることはあり得ないことを前提においた話になっていると指摘。極楽と地獄の二項対立では可能性のない世界を設定するしかないが、2年後1920年の「杜子春」では、人間界と仙界のほかに桃の花咲く泰山の南麓つまり桃源郷を設定することで芥川は可能性のある世界を描いている。しかし、絶筆「西方の人」では、近代が表現した「世界苦」を強調して、「天国はいつか空中に消えてしまった」と書いて、死に向かった。現代でも、大槻ケンジ作詞作曲の「蜘蛛の糸」のように、救いを求めるとき、蜘蛛の糸が下がり降りてくる期待・願望は生き続けていると指摘して講演を締めくくった。

  門外漢として、「蜘蛛の糸」と「杜子春」の間の1919年に5・4運動が起こり、1927年の自殺までに日中関係は極めて悪化していたという時代状況は、芥川の作品にどのような影響を及ぼしたかを質問。多分、芥川は日中関係には関心が薄かったと思うとの回答。本当に「ぼんやりとした不安」には日中関係は関係がなかったのだろうか。

  久しぶりに外食にしようと道を渡ると向かいの建物の33階の香江食府が目についたのでエレベータであがる。メニューを覗いてみよう程度の気持ちで行ったのだが、10%くらい英語の分かる小姐と話しているうちに小さなエレベータでもう一階上の展望レストランに連れて行かれ、席に着くことになってしまった。

  仔豚丸焼きをたのもうとしたらメイヨー(没有)なので、スペアリブにする。貝柱と絲瓜の炒め、ナス・ピーマンのすり身挟み、炒飯、ビール2本で168元。甘めの味付けで香辛料がうっすらとしか効いておらず、中国の中華料理という感じではなかった。炒飯は、インド米のような長粒米で、珍しかった。

  眺望は、3環と白三路の光の帯、点在するランドマーク建物のライトアップを配してなかなか良い。東京や欧米都市なら、もっと街灯やネオンサイン、ビルの窓の灯が明るいだろうが、北京の夜の街は暗い感じがする。エネルギー浪費都市とはちがうところは好感が持てる。

  双安商場にブランディを仕入れに行ったが国産品は置いておらず、輸入品は買う気がしない値段。スーパーで食品を見学、ザボン、タバスコ、干し百合根、雲南産コーヒー(250g26.5元)を購入。

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