【附録】北京日本学研究センター『センター通信』寄稿の離任挨拶「北京の140日」

 3回目の中国訪問に、140日にわたる滞在の機会を得たことは幸せであった。北京市内や郊外の散策、国慶節休暇中の敦煌旅行で、中国の分厚い文化遺産の蓄積に接する喜びは大きかった。とはいえ、歴史を学ぶ者の性として、中国の文化遺産が、いわゆる先進国の軍隊や個人の手で、略奪されたり破壊されたりした跡を目の当たりにすると、歴史的先進性に潜む野蛮さ、近代を歴史の進歩の時代と唱えることの虚妄さを感じることが多かった。日本を含む列強諸国が、中国でおこなった蛮行を正当化できる論理はありえない。赴任に際しての自己紹介では書かなかったが、日本の行為にたいするささやかな贖罪の気持ちを持ちながら、北京日本学研究センターの授業を担当した。

 とはいえ、近代日本の蛮行をただ詫びるだけでは歴史家としての贖罪にはなるまい。日本を中国侵略へ駆り立てた動因を明らかにする歴史分析がなされなければならない。政治史、外交史からの戦争原因論は数多いが、経済史からの原因分析はまだ十分進められてはいない。私も『日本占領の経済政策史的研究』(2002年刊)で、連合国による日本非軍事化政策の歴史的合理性を検討したが、経済史的戦争原因論が未解明な学界現状では、暫定的な結論しか出せなかった。贖罪にはまだ遠い。

 本道を進むには時間がかかる。センターの授業に未熟ながら戦争原因論を組み込むにしても、すこし別の方向からの贖罪を考えてみようと思った。それは、近代の経済システム、資本主義の限界を語ることである。資本主義は、これまでの人類史に登場した、最も経済成長促進型のシステムである。それは、最初に宇宙空間に人間を送り込んだソ連社会主義が、その後の経済成長競争で、資本主義に敗れ、無惨にも解体してしまった事実によって証明されている。中国も、改革開放路線に転じて社会主義市場経済を採用し、急速な経済成長に成功した。2000年の初訪問からわずか3年後の北京滞在でも、中国が達成した変貌の大きさには、まさに桑海の変を見る驚きを覚えた。もちろんこれは慶賀すべき変化ではあるが、この変化の向かう先になにがあるかについては、いささかの危惧を感じざるを得ない。

 市場経済社会として成長するなかで、モノの豊かさの代償として失ったココロの豊かさの大切さを、いま日本人は、あらためて悔恨の念とともに認識し始めている。あるいは資源を蕩尽し環境を破壊して得られたモノの豊かさが、これから先、何十年何百年と享受し続けられるものではないことも理解し始めている。そもそも市場経済は、資源を最適配分する合理的なシステムと評価されているが、同時に、市場の失敗も指摘されてきた。資源配分が最適化しても、所得配分は差別化が激しくなることや、石油のような再生不能資源に関しては、現在の世代と将来の世代の間での配分の最適化を実現する機能は持たないことは明白である。

 社会主義下の市場経済とはいえ、グローバリズムの時代であれば、市場経済が持つ本来の特性が、中国で顕在化しないという保証はなかろう。現実に、所得格差の拡大、自然環境の破壊、資源の過剰消費などは、日々の新聞で問題視される新しい難題になっている。このような時代に、日本の経験を踏まえながら、資本主義市場経済の限界性を、中国の若い人々に理解してもらうことは、中国の将来を設計していく上で、たぶん、有用ではないかと考えて、日本社会論のふたつの講義を構成してみた。

 市場経済は、経済成長を実現する面では大成功をおさめるであろうが、その成功は、資源枯渇と環境破壊を極限にまで推し進めて、最後には失敗すると見通して、市場経済の失敗が、人類史の致命的な失敗となることを避けるために、市場経済とは異なった新しい経済社会システムを構築するべきであるというのが、講義のライトモティーフであった。

 中国の社会主義市場経済は、今はその後段の「市場経済」に力点が置かれてきているが、それは「成功が失敗のもと」となる危険な方向でもあることをあらかじめ考慮すれば、前段の「社会主義」による「市場経済」の制御システムを巧妙に導入することで、新しい経済社会システムを構築する可能性があると思われる。

 経済成長をエンジョイし始めた中国の若者に、市場経済の前途についての暗い予言を語ることは、いささか罪作りなことだと感じはするが、経済成長のユーフォリア、モノの豊かさの魔力に囚われてしまう前に、選ばれた若者達が、歴史の真実を学ぶことによって、中国の将来を正しい方向に導いてくれることを期待しての講義であった。これが、私の贖罪のひとつの仕方と認めていただければ、これに勝る慰めはない。

                                  (2003.12.28

 

北京日本学研究センター引継報告会

 200423日午後4時から、国際交流基金の日米センター大会議室で、引継報告会が開かれた。中国側から徐主任、日本側年間派遣の代田主任、清水副主任、篠崎先生と2003年秋学期派遣教員の皆さん、事務の畔上さんが参加して、2004年派遣教員の皆さんと引継をおこなった。社会コースでは、東京大学大学院教育学研究科の広田照幸先生が2004年春学期に赴任されるので、19期院生4名について、研究課題と研究進捗状況をお話しした。懇親の席では、新しく赴任される方々へ北京生活のノウハウをお伝えしながら、北京の思い出話しに花が咲き、あっという間に時間が過ぎ、またの再会を約してお別れした。これで、中国派遣の仕事は、公式には終了。