『占領期の日本海運』
19.5cm 246ページ 本体価格2800円
日本経済評論社 ISBN:4-8188-0622-6
目次 第一章 戦争と日本海運
一 日本商船隊の壊滅 第二章 初期対日占領政策と海運 一 占領政策と海運規制 二 占領改革と海運業 第三章 占領政策の転換と海運 一 「非軍事化」から「経済再建」へ 二 船舶公団と計画造船 三 民営還元 第四章 外航海運の再開 一 講和条約の締結 二 外国航路の復活
三 日本海運の復活 参考文献 図表一覧 索引 |
はしがき 二〇世紀最後の一〇年代に入って、われわれが人類史の大きな転換期を迎えつつあることが明白になってきた。産業革命を経て確立した近代資本制社会は、生産力を開発する面では、社会主義に勝ることを実証したが、それが開発してきた生産力は、いまや、地球の資源・環境との適合性が問題とされるほどに巨大化した。経済成長のありかたの反省のうえに、新しい経済社会を構想すべき時代を迎えたといってよかろう。このような時代にこそ、これまでの近代経済社会の歴史を振り返って、その成長メカニズムを解析する作業が大きな意味を持つものと考えられる。日本海運の再建課程を対象とした本書も、ささやかながら、この作業に連なるひとつのケース・スタディと位置付けておきたい。 第二次世界大戦に敗れて連合国の占領下に置かれた戦後日本は、経済はもとより政治・社会さらには文化の分野にいたるまで、大きな変革を経験した。やがては高度経済成長の基盤となる新たな経済社会構造が造られていくが、それは、連合国の対日占領政策という枠組みのなかで進められたものであり、占領政策のあり方によって日本経済の戦後構造の見取図は大きく左右された。日本の主権が厳しく制約されていた占領期を対象とする経済史・経営史研究では、まず、外枠としての占領政策の変遷を確認しておくことが必要になる。さいわい、連合国とくにアメリカとイギリスの政府文書が公開され、その研究もかなり蓄積されてきている。私も、大蔵省の『昭和財政史−終戦から講和まで』と通商産業省の『通商産業政策史』の編纂・執筆に係わって、占領政策についてのイメージを形成することができた。占領期研究の成果を前提に、日本海運業の再建の歩みを跡付けることが、本書の中心課題である。 戦争によって日本の産業はそれぞれ被害を受けたが、なかでも海運業の被った損害は大きく、船腹量は時代を三、四〇年も遡った大正初期の水準にまで縮減した。日本の非軍事化を目的とした占領政策は、日本海運復興を厳しく抑制する方針を示したから、海運業の前途は暗黒であった。やがて冷戦の時代が訪れて占領政策の転換が進むなかで、再建への途がひらけ、計画造船によって船腹は回復に向かった。戦時期に国家管理となり経営体としての実質を喪失した海運企業も、「経済民主化」政策の荒波をくぐり抜け、やがて民営還元で経営主体性を回復した。朝鮮戦争を契機に、外国航路への復帰も進み、英連邦内に根強かった要請を抑えて海運造船規制条項を含まないサンフランシスコ講和条約が成立して、日本海運は、活動の自由を完全に回復した。とはいえ、戦時補償打切りなどで海運企業の財務基盤は脆弱であり、それを補う政府支援は平等主義いわば総花主義に則ったことで戦前の郵船・商船体制が崩れて企業間競争は激化し、日本海運が抱える問題は深刻であった。難問を抱えつつ、やがて世界最大の船主国となるまでの歴史は、本シリーズの他巻での解明を待つとして、本書は、日本海運が再建の途に着くまでの苦難の歴史を描くところで筆を止める。 これまで、脇村義太郎先生、中川敬一郎先生をはじめとして、本シリーズ執筆の諸先生方、海事産業研究所ヒアリングでお話しくださった先輩方、そして、占領期研究の先達から、多くのお教えをいただいた。また、海事産業研究所資料センター部長菊川秀男氏には資料提供のほかに原稿の細部にわたるご指摘までいただいた。多くの方々のご指導にたいして深く感謝申し上げたい。日本経済評論社の谷口京延氏にも大変お世話いただいた。 私事ながら、本書は、叔父三和普に捧げたい。サンフランシスコ講和会議があった年、日本郵船のシアトル在勤として赴任する叔父を、横浜の郵船ビルの二階で送った時から、海運への関心がうまれたように思われる。ボンベイ航路開設のいきさつを、「近代日本の争点」の一節として『エコノミスト』に書いて以来、『日本郵船株式会社百年史』やThe Journal of Transport History, Manchester U.P. への論文 'Government and the Jap-anese shipping industry, 1945-64 'などの執筆の際に、海運そして英文について適切な知識を与えてくれたのは叔父であった。日本郵船と新和海運で戦後海運史のひと節をつくった叔父は、このささやかな本の一番の愛読者になってくれそうだからである。 一九九二年八月 三 和 良 一 |