日本近代の経済政策史的研究

 

22cm   446ページ  本体価格 6000円

日本経済評論社     ISBN: 4-8188-1437-7

 

 概要

日本資本主義の確立期において、どのような利害関係・利害意識が経済政策を決定したのか。1890年恐慌、商法改正、塩専売、海運助成などを対象に実証的に捉え直す。

 主要目次

序章 日本近代への接近
 I 資本家団体と経済政策

第1章 一八八〇年代の資本家団体東京商工会の設立とその活動

第2章 一八九〇年恐慌と資本家団体

第3章 商法制定と東京商業会議所

 II 塩専売制の成立

第4章 塩専売法の制定

第5章 塩専売制の実施

 III 海運と海運政策

第6章 戦前期の海上輸送

第7章 戦前期の海運政策

第8章 ボンベイ航路開設

第9章 生糸輸出二港問題

補章 工芸作物転換と農業経営の動向

    

はしがき

 平成不況が深まるなかで、「坂の上の雲」がなくなったという声を聞く。たしかに、1955年からの高度経済成長の時期には、日本人は目を輝かせながら、より良い明日のために、一心に働いた。ドル・ショックとオイル・ショックで、世界的な高度成長が終わってからは、日本経済も低成長期に入ったが、危機感から合理化に努めた為に、国際競争力は極めて強くなり、「アズ・ナンバーワン」と言われて、いささか舞い上がってしまった感があった。しかし、ついに乗り越えたはずだったアメリカの生産力が、IT革命の掛け声とともに再強化されて、「日米再逆転」となり、バブル崩壊後は、アメリカとの較差は拡大する一方になってしまった。坂の上には再び雲が現れた格好になったが、日本人は、それを、もはや雲とは意識しなくなっている。高度成長の高揚感、日本的生産方式の優越感を味わったのちの挫折感は、あまりにも深いように見える。

 しかし、この挫折感は、直接には戦後日本の経済成長の挫折から来るものではあるが、少し長い目で見れば、幕末開港、明治維新以来の日本の近現代史が、節目ともいうべき屈折点を迎えたことからも来ているのではなかろうか。バブル崩壊後の日本経済の閉塞状態は、いろいろな理由から説明されているが、そのひとつに、消費支出の減退が挙げられるのが普通である。失業率が上昇し、雇用不安が大きいなかでは、当然の現象ともいえるが、消費者がモノを買い控えるのは、従来の消費行動に疑問を抱き始めた為と見られるふしがある。すでに、環境問題への配慮が、大量消費・大量抛棄の生活に警告を発してきたことも影響しているであろうが、より単純に見て、モノに取り憑かれたような消費行動への疑問が生まれたのではなかろうか。シンプル・ライフの勧めや、遊び感覚のケチケチ生活が、一部ではあれ、人々の心をつかんでいるのがそれを示している。

 消費者のモノへの欲望を刺激するなかで成長する経済体制である資本主義を、近代化の柱と選び、先進資本主義の強大な富を、「坂の上の雲」と見て、それへのキャッチ・アップを目指したのが、日本近代であった。この目標が達成されたかに見えたのもつかの間、バブル崩壊が、日本人の自信を打ち砕いた。挫折感と共に、憑きものが落ちるように、モノへの執着が反省されるに至ったとすれば、それは、日本近代の「坂の上の雲」への反省にも繋がる、重大事態である。たとえ、アメリカが日本を抜き返して、新しいモノの豊かさを誇示しても、憑きものを落とした日本人は、それを、新しい「坂の上の雲」と意識しなくて当然である。

 もちろん、これは、日本の一部に現れた新しい状況を、かなり誇大に拡張した言い方である。この状況が、そのまま進展して、今後の日本を動かすとは思えないが、歴史家の目からすれば、見落とすことのできない現象の発生である。人々のなかに、日本近代への、根源的な反省が生まれたとすれば、それは、ただちに、歴史研究の視角と方法にも再検討を迫る、新たな要因となる。

 平成不況の世相の中に、このような新しい要因を感じながら、これまでの、日本近代を対象時期とした研究作業をまとめたのが本書である。もとより、経済政策史的分析が、日本近代への批判と直結するわけではない。いわば、存在するものの存在合理性を検討するのが歴史分析のまず第一の作業であり、その分析をおこなう主体の姿勢として、存在するものへの批判あるいは肯定が背後にあるということである。筆者の日本近代批判の立場は、序章に述べたとおりである。

 歴史研究の流れが、資料による実証研究を重視する方向にむかうことは、一面では、歴史科学の厳密化を進めるものとして歓迎すべきではあるが、他面では、研究者の姿勢が見えにくくなるという不便も生じさせる。研究主体と研究対象との間の、緊張関係が、歴史分析の密度を高めるのであるから、主体が見えないことは、読者からすれば不満である。この不満を思って、敢えて、本書には、新たに執筆した序章を置いた。その適否は、読者諸賢のご判断に待ちたい。

                                2002年5月

(日本近代の経済政策史的研究はしがきより)

 

       あとがき

 大学院終了直後から勤務した青山学院大学を定年退職するにあたって、「卒業論文」のつもりで、これまでの論文をまとめようと思いついて始めた作業の第2作目が、本書である。

経済政策史を研究テーマとしてきたが、40年余の研究活動のなかで、その対象時期は、明治期、戦間期、占領期とかなり広くなってしまったし、経済史・経済政策史の方法に関わる文章も書いてきた。「卒業論文」は、ひとまず、明治期中心の論文集、戦間期の論文集、占領期の論文集、の3冊構成にすることとした。

 明治期を対象とした勉強を始めたのは、大学院時代である。学部時代には、故安藤良雄先生の演習で、日本資本主義発達史を学んで、大学院入学試験論文は、当時、戦後日本資本主義論争のひとつの論点であった「豪農論」をテーマに選んだ。藤田五郎の豪農論を軸に、公刊された佐瀬家文書を使った小論文を提出して、故土屋喬雄先生と安藤先生の審査を受けて、幸い合格した。大学院に進学した1957年に、故山口和雄先生が土屋先生の後任として北海道大学から転任してこられ、指導教授としてご指導頂けることになった。常民文化研究所が収集した漁村文書を読んだり、ご赴任後の仮寓とされた麻布渋沢邸の一角のお住まいにお邪魔したりして、山口先生からお教えいただいたことは多かった。

 修士論文は、明治期の商品経済と農業の関係を対象とした。安藤先生は、日本資本主義論争のなかでは、どちらかといえば新講座派に近い立場におられた。安藤先生の演習を選んだのも、岩波『日本資本主義講座』(1953〜54年)の安藤論文に魅力を感じたためであった。しかし、同じ頃から刊行が始まった、楫西光速・大島清・加藤俊彦・大内力四先生の『日本における資本主義の発達』双書にも強く惹かれた。山口先生も、どちらかといえば新労農派に近い立場をとっておられた。そこで、寄生地主制の歴史的評価を論じるには、実証的な分析が必要であると思い、修士論文のテーマを設定したのである。まだ上野にあった国立国会図書館に通って、府県統計書、郡統計書から数値を手書きでデータ表に写し、そろばんと計算尺を使って比率計算をする作業を、やがて生活を共にする家内の協力を得ながら続ける一方、母方の実家を足場に、栃木市近郊農家の経営史料を採集して修士論文を作成した。商品経済の展開が地主制を促進する事情の一端は分析できたが、資本主義論争に係われるレベルのものではなかった。強いて言えば、そろばん・計算尺との格闘で、それまでブランクになっていた1890年代後半の地域別小作地率を、1897年に関して推計したことが、多少の学界貢献であった。

 修士論文の一部を、故安良城盛昭先生のお勧めで、1960年の社会経済史学会大会で報告したのが、初めての学会報告であった。安良城先生は、安藤門下の兄弟子格で、考え方に違いはあったが、酒食の場も含めて、お教えいただく機会は多かった。この報告は、翌年の『社会経済史学』に掲載されて、初の公刊論文となった。忘れがたい論文なので、経済政策史とは関係がないが、本書に、補章として収録した。

 大学院博士課程では、山口先生のお勧めで、先生が編纂に当たられた『渋沢栄一伝記資料』のなかに関係史料が収録されている、明治期の資本家団体、商業会議所を対象に選んだ。これが、経済政策史を研究対象とした最初である。同じ頃、物書き訓練とアルバイトを兼ねて、経済団体連合会の10年史執筆に参加し、畏友馬場宏二氏や故玉田美治氏と机を並べたことも、経済政策決定過程での資本家団体の役割を考える良い機会となった。また、安藤先生が主宰した研究会の副産物として刊行された新潮ポケット・ライブラリ『日本資本地図』(1963年)の1章として「日本経済を支配する人々」を執筆した時も、財界の影響力を考える作業が必要であった。

 商業会議所の史料を用いて、松方財政前後の時期と1890年恐慌の時期の経済政策と資本家団体活動を分析した2論文(本書第1章・第2章)は、1963年から奉職した青山学院大学経済学部の『青山経済論集』に掲載した。助手からの採用で、1年間は講義負担はなく、自由の身だったので、1963年の社会経済史学会大会に「1880年代の資本家団体」を報告した後、秋の北海道の美しさを満喫する家内との長旅ができたのは楽しい思い出である。その後、商業会議所関連では、山口先生の還暦記念論文集『資本主義の形成と発展』(1968年)に、「商法制定と東京商業会議所」を寄せた(本書第3章)。明治期の商業会議所は、経済官僚が未成熟な時代に、ある意味では手探りで経済政策を進めざるを得なかった政府にとっては、重要な相談相手という役割を果たしていたといって良く、その建議活動の分析作業は面白い。まだ掘るべき宝の山ではあったが、商業会議所を直接の分析対象とする作業は、ここまでになってしまった。その原因のひとつは、対象時期を戦間期に拡張したためである。

 1967年の社会経済史学会大会で、安藤先生が共通論題報告を組織されたときに、大正期の経済政策決定過程における資本家団体の役割を担当して報告したことを機に、関心が、戦間期に広がった(報告論文「経済政策と経済団体」は、『戦間期日本の経済政策史的研究』2002年、東京大学出版会、所収予定)。それ以来、戦間期を日本資本主義の発展段階に位置付ける方法論を含めて、いわゆる「安藤組」のもとでの研究を進めた。さらに、安藤先生と故鈴木武雄先生が『昭和財政史−終戦から講和まで』の編纂事業を始められて、お手伝いを命じられて、財閥解体を分担(『昭和財政史 2独占禁止』1982年、東洋経済新報社)してからは、占領期も対象時期に入った。

 いささか戦線が延びきった感が強くなったが、明治期の分野では、山口先生のお手伝いで、『日本塩業大系』の編纂、安藤先生のお手伝いで、『日本輸送史』刊行と『神奈川県史』編纂に参加して、塩業・海運・貿易を勉強した。『日本塩業大系』(1976〜1982年)は、イオン交換膜製塩への転換で伝統的な塩田製塩が終焉することを機に、日本専売公社が始めた、史料収集・公刊と、塩業史分析の大プロジェクトである。民俗学の故宮本常一先生や中世史の網野善彦氏、塩業史の渡辺則文先生・加茂詮氏などの方々との交流から多くを学びながら、塩専売制の成立過程を政策史的に検討する作業に従事した(本書第4章・第5章)。ここでは、日露戦費調達の為に開始された財政専売が、同時に産業保護政策として機能し、さらに、公益専売へと移行する歴史過程が、経済政策史分析の方法を考えるのに都合の良いモデル・ケースであることを発見した。また、初期専売が含んでいた制度的欠陥が、漸次修正されて、制度的に完成していく過程は、制度分析のモデルとして適していることも確認した。制度の進化過程という点で類似したことは、『郵政百年史』(1971年)で、郵便貯金・郵便為替・簡易保険事業を歴史的に分析したときにも感じた。

 『日本輸送史』(1971年)は、安藤先生と故松好貞夫先生が編集された大部の本で、ここでは近代の海上輸送を分担した(一部本書第6章)。海運は、安藤先生の「昭和経済史への証言」をお手伝いしたときからからご縁があった雑誌『エコノミスト』が企画した近代日本の争点シリーズで、「ボンベイ航路開設」(1967年、本書第8章)を書いた時からレパートリーに入ったテーマである。山川出版社の体系日本史叢書の『交通史』(1970年)でも、「水上交通」を担当したが、『日本輸送史』ほど書き込んだわけではない。海運は、殖産興業政策でも政策対象になり、殖産興業政策の転換後も、継続的に保護政策の対象となってきた産業で、経済政策史としては落とすことのできない分野である。その後、戦前期の海運政策を、政策の進化過程としてやや類型化して捉える見方を提起したり(本書第7章。要約した英文論文は、Maritime policy in Japan: 1868-1937, T.Yui & K.Nakagawa ed., Business History of Shipping, 1985, University of Tokyo Press)、戦後海運政策を、英文論文として発表し(Government and the Japanese shipping industry, 1945-64, The Journal of Transport History, 3rd Series, Vol.9,No.1, 1988)、また、占領期を『占領期の日本海運』(1992年、日本経済評論社)として刊行した。関連して占領期の造船規制を「占領期の日本造船規制の実態」(1999年)として『青山経済論集』に寄せた(『日本占領の経済政策史的研究』2002年、日本経済評論社、所収)。

 『神奈川県史』(1975〜1982年)編纂も大事業であったが、ここでは、貿易を担当した。本史には、戦前期の横浜貿易分析を『神奈川県史 通史編6』(1981年)に、戦後の横浜貿易の分析を『神奈川県史 通史編7』(1982年)に、昭和恐慌期に限定した横浜貿易を『神奈川県史 各論編2』(1983年)に書いた。貿易の分野では、経済政策は、直接には関税政策と国際通商協定のかたちで現れ、間接には、貿易関連産業、貿易金融に対する政策として登場する。貿易金融の実態と政策を知るために、神奈川県史としては、横浜正金銀行史料が欲しかったが、史料へのアクセスに難しい事情があって、実現しなかったのが残念であった。政策関連では、関東大震災後の事件として、神戸港からの生糸輸出問題があり、『神奈川県史研究』(31号、1976年)に小論(本書第9章)を寄せた。

 ここまでが、明治期を対象とした研究のすべてである。かなり年月が経って陳腐化した論文もあろうかと心配ではあるが、敢えて、明治期の経済政策史の研究者、とくに若い方々に、論文が散在しているために生じる不便を解消するだけでも、ささやかながらお役に立てることを願って、本書を刊行した。明治期も対象とした『概説日本経済史−近現代』(1993年、東京大学出版会)でも、日本近代を見る視角は明示しておいたが、研究者としての姿勢を含めて、あらためて、現在の筆者の明治期分析視角を序章に述べた。本書収録論文の初出を一覧表にすると、次の通りである。

序章

日本近代への接近      新稿

第1章

1880年代の資本家団体--東京商工会の設立とその活動 (『青山経済論集』16-1、1964年、)

第2章

1890年恐慌と資本家団体 (『青山経済論集』  16-2、1964年)

第3章

商法制定と東京商業会議所(大塚久雄他編『資本主義の形成と発展』1968年、東京大学出版会)

第4章 

塩専売法の制定 (『日本塩業大系  近代( 稿) 』 1982年 日本専売公社)

第5章

塩専売制の実施 (『日本塩業大系  近代( 稿) 』 1982年 日本専売公社)

第6

戦前期の海上輸送 (松好貞夫・安藤良雄編『日本輸送史』1971年 日本評論社)

第7章

戦前期の海運政策 (「戦前期日本海運政策史の一考察」『青山経済論』36−2,3,4、1985年)

第8章

ボンベイ航路開設 (「インド航路をめぐる日英の争覇」、『近代日本の争点中』1967年 毎日新聞社)

第9章

生糸輸出二港問題 (「関東大震災と横浜貿易−生糸輸出二港体制の経緯」、『神奈川県史研究』31号、1976年)

補 章

工芸作物転換と農業経営の動向 (『社会経済史学』27巻2号、1961年)

 経済政策史研究では、前にお名前を挙げた方々をはじめとして、多くの先輩、学友から教えを受け、また、励まされた。ここで、心から感謝申し上げたい。とりわけ、明治期研究に関して山口先生から、戦間期研究に関して安藤先生から、それぞれに受けた学恩は計り知れない。

 明治期を対象とする本書は、山口和雄先生のご霊前にお捧げしたい。

 刊行に際しては、長年の研究・教育生活の場であった青山学院大学経済学部の経済研究調査室から「青山学院大学経済研究調査室研究叢書」としての助成を受けた。研究生活を支え続けてきてくれた青山学院が、「なかじめ」的な「卒業論文」出版まで援助してくれたことは、筆者の大きな喜びであり、ここで、深く謝意を表したい。また、論文の整理を手伝って下さった大瀧みどりさんにも、お礼を申し上げたい。

 3冊目になる出版をお引き受けいただいた日本経済評論社社長栗原哲也氏と編集をご担当いただいた谷口京延氏には、深く感謝を表したい。

                                2002年5月

                                三 和 良 一

(日本近代の経済政策史的研究あとがきより)