戦間期日本の経済政策史的研究
A5判 384ページ 本体価格7200円
東京大学出版会 ISBN 4-13-040195-5
2つの世界大戦、世界恐慌という歴史的変動のなか、日本の現代経済社会形成の画期となった時代の動態を「経済政策史」の視点から丹念に検証する。現代の大きな経済構造変容を考察する際に求められる精緻な資本主義分析への重要な示唆を与える。 |
主要目次
第1章 現代資本主義への接近 第2章 日本現代資本主義(戦前期)の研究史 第3章 重化学工業化と経済政策 第4章 第一次大戦後の物価問題 第5章 1926年の関税改正 第6章 第一次大戦後の経済構造と金解禁政策 第7章 金解禁政策決定過程における利害意識 第8章 労働組合法制定問題 第9章 高橋財政期の経済政策 第10章 高橋財政の位置 第11章 戦時期へ |
はしがき 現代を歴史の座標のどこに位置づけることができるかは、誰でも関心を持つ問題に違いない。とはいえ、そもそも歴史にどのような座標軸を設定するかは、かなりの難問である。歴史が、ある理想の状態に向かって、曲折を経ながらも、線型に進んでいると考えると、一本の座標軸を想定することができる。G.ヘーゲルは、世界精神の実現過程として歴史の軸を見たし、F.フクヤマは、リベラルな民主主義の完成を目標とすれば、現代でひとつの歴史は終焉したと断言できた。 線型的な座標軸に沿って進む歴史は、ひとまず、人類は進歩しているという言説を支持する。しかし、かつて、『歴史の進歩とはなにか』(岩波新書、一九七一年)と問いかけた市井三郎は、既往の歴史が人類に「幸福」をもたらしたとは判定できず、「苦痛」が減少する点にしか、「進歩」を評価する基準を見いだせないと結論した。はたして、現代、「苦痛」は減りつつあるのかと考えてみたとき、確信を持って「然り」と答えられる人物は、かなりオメデタイ部類の人ではなかろうか。J.スティグリッツでさえ、グロ−バリゼーションに不満の意を表さざるを得ない時代である。 「苦痛」の極を戦争と考えれば、ふたつの世界大戦を起こした二〇世紀が、パックス・ブリタニカの一九世紀よりも「進歩」したとはとても言えない。リベラルな民主主義がひとつの終点に達した時に、われわれが見るものが、人類を瞬時に絶滅させる核兵器の過剰な蓄積であれば、潜在的な「苦痛」の大きさは、極限に達している。 核兵器が永久に封印されると仮定しても、「苦痛」は軽くはならない。東西冷戦が終わってからも、地域紛争はあとを絶たないし、リベラルな民主主義の守護国役を自らかってでたアメリカの軍事行動は、冷戦終焉後、湾岸戦争からアフガン戦争まで、すでに五回を数えている。 大衆消費社会の「幸福」の拡大に歴史の「進歩」を見ることは、かなり広く受け入れられている考え方かもしれない。ひとびとが消費するモノとサービスの量を縦の座標軸にした時系列図に、右上がりのカーブを描くことはできるから、線型的な歴史の進歩が感じられる。しかし、この図に、地球資源の残存量や環境破壊の累積量(の逆数)を描き込んだら、感じられるものは「進歩」と呼べる歴史ではなくなるであろう。産業革命の時期から変化が大きくなるこれらのカーブは、どこかで交錯して、鋏状格差・シザーズ現象を呈し、人類史の暗い未来を予感させるに違いない。 歴史研究のひとつの分野である経済史研究に関わる者としては、この図を無視して、現代を論ずることはできない。未来の暗さを払拭する道を見つけられるという確信を持つことはできないが、すくなくとも、この図に描き出された歴史が、なぜこのように進行したのかを検討する作業は、試みなければならないであろう。 この図の、おそらく、長い期間ほとんど平行していたカーブが、急速にシザーズ状に変動しはじめたのは、資本主義の登場以降であろう。資本主義の歴史的特性、高度経済成長体質の分析が、まずは必要である。その特性が、資本主義の歴史のなかで、どのように顕在化したかを、時期あるいは段階を区分しながら確定する作業が、資本主義の史的研究の重要な課題である。さしあたりは、宇野弘蔵が切り開いた発展段階論とその後の宇野理論の批判的継承の諸成果から学ぶべきところが多い。 社会主義の歴史実験の第一ステージは失敗に終わり、市場原理主義とも呼ばれる資本主義が、グローバル・スタンダードであると自己主張する時代は、資本主義が新しい時期に入ったことを示しているようである。この新しい資本主義が、構造的に安定するか否かは、まだ分からない。ただ、さきに描いた図のカーブを、逆方向に転換させるものではなさそうである。むしろ、カーブの上下への変化を加速するおそれも、決して小さくはない。 「歴史の終焉」と評価される時代が、「人類史の終焉」の始まりではないという保証はどこにもない以上、やはり、歴史家は、資本主義の解剖を徹底的に押し進めるべきではなかろうか。 本書は、おそらく、すでに過去のものとなった資本主義のひとつの時期・段階を、現代資本主義あるいは国家独占資本主義と名付けて、日本の戦間期にその姿を探る試みである。 ネーミングは、いずれ変更する必要があろうが、旧稿の時代被制約性を考慮して、本書では現代資本主義の用語のままにした。 資本主義の史的分析が、おおくの研究者の共同作業によって、さらに一層進められることに、人類史の未来への希望を託しながら、つたない論文集を刊行した次第である。 2002年11月 (戦間期日本の経済政策史的研究はしがきより)
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あとがき 明治期の経済政策史研究を手掛けながら、戦間期に対象時期を広げたのは、一九六七年の社会経済史学会大会からである。学部演習以来ご指導いただいていた故安藤良雄先生が、社会経済史学会としては初めて、明治期以後を対象とした共通論題「第一次大戦後における経済史の諸問題」を組織されたときに、故松島春海、柴垣和夫、故岡本友孝諸氏と共に、「経済政策と経済団体」の表題で報告者に加わったのが、戦間期研究の最初である。故山口和雄先生のもとで行っていた、明治期の商業会議所の政策建議を対象とした作業(『日本近代の経済政策史的研究』日本経済評論社、二〇〇二年、参照)を、第一次大戦後に延長して、日本経済連盟会・日本工業倶楽部・全国商業会議所連合会の活動を取り上げたが、まず、第一次大戦後の日本経済をどのような視角から分析するかに戸惑った。 日本経済史の研究史は、明治期までは蓄積が豊富であったが、大正期・昭和期は、安藤先生が分析対象として開拓中の領域で、頼るべき先行研究は多くなかった。楫西光速・大島清・加藤俊彦・大内力四先生の『日本における資本主義の発達』双書、中村隆英先生の「戦間期日本経済の一考察」(大河内一男編『日本の経済−戦前・戦後−』所収)や、高橋亀吉氏の『大正昭和財界変動史』などから学びながら、経済過程のイメージをつくり、経済政策としては物価問題への対応を検討した。この共通論題報告を補充した「経済政策と経済団体」(一九六八年)が、戦間期の第一作である(本書、第四章)。 安藤先生が主宰された共同研究「日本経済政策史の総合的研究」(一九七〇・七一年、東京大学経済学部付属日本産業経済研究施設)に参加して、井上洋一郎・伊牟田敏充・小野征一郎・高橋衞・寺谷武明・長岡新吉・原朗・星野誉夫・松島春海・山本弘文の諸先輩・学友と、実りある討議を重ね、成果が『日本経済政策史論』上下二卷となって公刊されたときには、「第一次大戦後の経済構造と金解禁政策」(本書第六章)を書いた。この共同研究では、経済政策史という、経済史研究のなかでは新しい分野を対象としたので、課題と方法をめぐっての議論が交わされることが多く、前掲書下巻に、安藤先生と長岡氏の手でその総括が書かれた。経済過程と政治過程の交錯するところに関わる分野だけに、分析方法はなかなか確定し難かった。 経済政策史の方法については、その後、「金解禁政策決定過程における利害意識」(『青山経済論集』二六卷一・二・三合併号、一九七四年、本書第七章)を書いたときに、利害関係・利害意識を政策決定過程分析に導入する方法を着想した。この着想は、青山学院大学の田島恵児先生との共同研究で、ハミルトン財政と松方財政を対比する目的で、「経済政策の比較史的研究の方法について」(『青山経済論集』二九卷一号、一九七七年)を共同執筆した際に、ある程度体系化した仮説として提示した。この共同研究で、政策史の方法に多少の見通しを持つことができた。また、この共同論文を補充するかたちで、「経済政策史の可能性」(『経済政策と産業』年報 近代日本研究一三、山川出版社、一九九一年)を書いた。 政策史研究の方法論とは別に、戦間期研究のもう一つの方法論問題があった。戦間期が資本主義の発展段階としてはどのように位置づけられるかという問題である。レーニン以来、国家独占資本主義概念を使いながら第一次大戦後の段階を規定する仮説が、いろいろなかたちで提起されていた(本書第二章参照)。社会経済史学会が再度、戦間期を大会共通論題(「両大戦間の社会と経済−特にファシズムを中心として−」)に選んだ一九七五年大会では、「重化学工業化と経済政策」(本書第三章)を報告したが、このときには、大内力先生の国家独占資本主義論をベースに、ファシズムとの関係を考えていた。この頃、大学院同期の中西洋、加藤榮一、兵藤サの三氏が、労働問題から国家独占資本主義に接近する視角を、それぞれ独自の観点から提起した。特に、加藤氏の同権化論・階級宥和論は、大内理論の強力な補強仮説であった。これに刺激されて、安藤先生の研究会の成果である『両大戦間の日本資本主義』(一九七九年)に、「労働組合法制定問題の歴史的位置」(本書第八章)を書いたが、このときに、国家独占資本主義について、大内・加藤理論を補正する着想を得て、論文末に注記した。資本蓄積維持を目的とする政策として、フィスカル・ポリシーを軸とする利潤保証政策に加えて、生産力保証政策が存在することを指摘したのである。この仮説は、社会経済史学会が、みたび戦間期を大会共通論題(「一九三〇年代の経済史的分析−日本を中心として−」)に選んだ一九八〇年大会の報告「経済政策体系」で、ひとまず体系化した(本書第一章の一部)。 生産力保証政策を国家独占資本主義の政策体系に加えたことによって、それまでうまく位置づけられなかった井上財政の評価ができるようになった。前記の「第一次大戦後の経済構造と金解禁政策」や安藤先生の還暦記念論文集『日本資本主義−展開と論理−』(一九七八年)に寄せた「一九二六年関税改正の歴史的位置」(本書第五章)では、一九二〇年代の日本資本主義が向かっていた重化学工業化の方向との整合性を軸に二〇年代の経済政策を評価していた。しかし、生産力保証政策仮説を導入すると、一見古典的政策に見える井上財政は、日本経済の国際競争力の強化を意図した生産力保証政策であり、その限りでは、井上財政期も、日本の国家独占資本主義化のなかの、ひとつの階梯と評価できることになる。この井上財政評価は、あまり評判が良くないが、筆者としてはいささか自信のあるところである。 生産力保証政策に関しては、橋本寿朗さんからキツイ批判をいただいた。一九八〇年の社会経済史学会大会の共通論題報告でご一緒していらい、『大恐慌期の日本資本主義』(東京大学出版会、一九八四年)などの橋本作品へ書評を書き、議論を交えてきたが、二〇〇二年一月に、突然の訃報に接した。経済史分析の方法をめぐっての橋本さんとの対話が、永遠の中断にいたったことは、痛恨の極みである。橋本さんへの哀悼の意を込めて、生産力保証政策批判への反批判と橋本さんの現代資本主義論の推転を、本書第一章と第二章に記した。 生産力保証政策を含む国家独占資本主義仮説を前提にして、高橋財政期を検討したのが、東京大学社会科学研究所の全体研究「ファシズム期の国家と社会」に参加して発表した「高橋財政期の経済政策」(本書第九章)である。発展段階仮説を前提したと言っても、この論文は、その検証を目的としたわけではなく、高橋財政を経済軍事化に途を開いた政策と評価する見方が誤りであることを論証することをおもな課題としている。この論証には、軍事費支出が日本経済に与えた影響の量的分析が必要で、「大蔵省年報」・「陸軍省所管経費決算報告書」・「海軍省所管経費決算報告書」などから数値を収集して、推計作業を重ねた。高級な統計手法は使う能力がないから、電卓を叩いての算術計算であったが、軍事費の経済効果は、昭和恐慌からの回復に一時的には強く働いたももの、効果が持続して経済軍事化を進めたとは言えないことを確認した。高橋財政期には、なお日本経済が平和的方向に向かう可能性があったという結論が得られたが、これは、経済過程から見ての判断で、政治過程からの検討は未済である。 国家独占資本主義仮説からの高橋財政評価は、前出の社会経済史学会一九八〇年大会報告で試みた(本書第一〇章)。その後は、占領期にも対象時期を拡張して、『昭和財政史−終戦から講和まで− 2独占禁止』(東洋経済新報社、一九八二年)、『占領期の日本海運』(日本経済評論社、一九九二年)、『通商産業政策史 1』(共著、通商産業調査会、一九九四年)、『通商産業政策史 2』(共著、通商産業調査会、一九九一年)などの作業に追われたので、戦間期分析は中断した。一九九三年の社会経済史学会大会は、青山学院大学を主催校として開催され、共通論題には「第二次大戦期の企業と労働」が設定された。経済学部長を務めていた筆者も、共通論題の問題提起者として参加して、第二次大戦の位置づけについての私見を紹介した(本書第一一章)。この後、還暦年齢を越える際に、いささか息切れしてしまい、数年間、研究活動からは遠ざかる破目になった。幸いに、辛い時期を乗り越えて再開した研究活動は、占領期分析(『日本占領の経済政策史的研究』日本経済評論社、二〇〇二年)と経済史・経済政策史方法論に向かったので、筆者の戦間期研究は、以上で止まっている。 このような筆者の研究歴から本書が生まれた。国家独占資本主義(その後、現代資本主義と呼ぶ)の方法論が後からの着想なので、旧稿をそれに沿って書き改めることも考えたが、すでに、ある程度、認知された論文もあるので、すべて、ほぼ、もとのかたちで収録した。井上財政評価が、前後で大きく異なっているが、これも、そのままにした。論文初出は次の通りである。
四〇年勤務した青山学院大学を定年退職するに際して、「卒業論文」のつもりで本書を刊行することとした。本書は、東京大学出版会の大江治一郎氏とのお約束で、『概説日本経済史−近現代』(一九九三年)に続いて出すはずであった戦間期論文集に近い構成になっている。ただ、一〇年近く遅延した結果、初期構想から、経済史方法論を落としたかたちになった。経済政策史論文を、明治期・戦間期・占領期の三冊に分けることとし、方法論は、その後の論文と合わせて別に一書にまとめたいと思ったからである。 本書は、安藤先生と先生に繋がる先輩・学友、そして上記の先学・同期の諸氏をはじめ、多くの研究者の方々との対話と研究業績のお陰で誕生することができた。 ここで、皆さまに厚く御礼申し上げたい。とりわけ、学部演習以来、安藤先生から受けた学恩には計り知れないものがある。 本書は、安藤良雄先生の御霊前にお捧げしたい。 刊行に当たっては、お世話になった東京大学出版会の黒田拓也氏に感謝申し上げ、また、大江氏に遅延のお詫びを申し上げなければならない。ワープロ以前の論文を、スキャンして一太郎文書としてファイルに整理して下さった、大谷有貴子さんと相山めぐみさんにも、心からありがとう。 2002年11月 三 和 良 一(戦間期日本の経済政策史的研究はしがきより) |