資本主義経済は何故速く成長するのか
――「資本主義は何なのか」

三和良一

1 前言

 新しい100年紀、新しい1000年紀を迎えて、人類は、画家ゴーギャンが19世紀末に絵画のかたちで提起した、古くからの深刻な疑問を、改めて問い直している。

    我々はどこから来たのか。我々は何なのか。我々はどこへ行くのか。

 この疑問への答えを得るために、多くの宗教が生まれ、数多くの思想が展開され、そして無数の科学的思考が積み重ねられてきた。しかし、まだ、我々は納得できる答えを得ることは出来ていない。

 20世紀は、人類の科学的知見が、画期的に拡大した世紀であった。1905年のアインシュタインによる相対性原理仮説の提起は、人間の外的環境を構成する要素、物質・エネルギー・時間・空間を統一的に理解する途を拓き、1953年のワトソンとクリックによる遺伝子のDNA2重螺旋構造仮説の提唱は、人間の内的構造を解明する的確な方向を示した。以来、人類は、原子を操作してエネルギーを開放し、それを戦争と発電に利用することを開始し、遺伝子を操作して新しい生物を創りだし、それを農業と医薬に活用することに着手した。しかし、生命の外的環境と内的構造を、これほどまでに知るにいたった20世紀を送るに際して、我々は、まだ、先の疑問への答えを得たとは思えないばかりか、さらに一層深く、この疑問にこだわるようになってさえいる。これは何故なのか?

 1961年に、ガガーリンが、初めて、宇宙空間に浮かぶ青い地球を見つめた時から、人類は、自らを、宇宙時空のなかの存在として実感しはじめるようになった。8年後に、アームストロングとオルドリンが、外の天体から地球を見たことで、この実感は一層強まり、宇宙船地球号の乗員として、人類の連帯感は深まった。とはいえ、20世紀の後半に入ってからも、人と人とが殺戮し合う紛争の数は減るどころか、むしろ増えてさえいる。人の持つ排他性と攻撃性は、人類の連帯を可能にするには、あまりに強すぎるのであろうか?

 1917年のロシアで始まった社会主義は、20世紀末には破綻しはじめ、レーニンの努力はもちろんのこと、マルクスの着想も、そして、毛沢東の実践さえも、近代の遺物に数えられそうな状況が訪れて、人々の新しい社会への夢ははかなく消えつつある。かわって力を盛り返した資本主義は、グローバル・スタンダードとなって、人々に豊かさの夢を与えながら、利潤追求へ、経済成長へと駆り立てる。ものの豊かさと経済成長は、はたして、人間に幸せをもたらしてくれるのであろうか?

 1908年に、フォードが、T型車を作り出してから、モータリゼーションが始まり、人々の移動の自由は飛躍的に高まった。1914年に始まる定期旅客航空は、その発達とともに、地球上の距離をますます短縮させ、人々の行動空間を拡大させた。とはいえ、内燃機関の普及とともに、化石燃料の消費量は加速度的に増加してエネルギー資源枯渇の危機を招き、そのうえに、排気ガスのもたらす地球環境への影響が気温の上昇として実感されるまでに至った。はたして、経済は、地球の限界を超えてまで成長し続けることが出来るのであろうか?

 このような疑問を新たに生み出した20世紀の経験が、先の古くからの疑問を、ますます、答え難い疑問、しかし、一層答えを出さねばならない疑問にしたといえよう。この疑問への答えを探す作業は、当然、学際的な共同作業でなければならない。一人の経済史研究者としては、とりあえず、この疑問を、次のように読み替えて、それを解くための手がかりを探ってみよう。なにしろ、現在の人類の大きな部分は、好むと好まざるとに関わりなく、その生存の経済的基礎を、資本主義というシステムの手に委ねなければならないのだから。

  資本主義はどこから来たのか。資本主義は何なのか。資本主義はどこへ行くのか。

 

2 速い経済成長

 資本主義の際だった歴史的特質は、経済成長が、他の歴史社会に較べて、格別に速いと言うことである。経済成長率を用いる比較はできないから、人口増加率から類推することにしよう[1]。紀元前1万年の世界人口は400万人で、その5000年後には500万人と、この5000年間の人口増加率は、年率にして、0.005%に過ぎなかった。その後、紀元1年には人口は1億7000万人となったから、この5000年間は年率0.07%と人口増加率は急上昇した。この人口推計は、紀元前5000年頃から農耕社会が登場してそれ以前の狩猟採集社会に較べて生産力が格段に上昇したと仮定している数値である。現在では、農耕の開始は、紀元前1万年あるいはそれよりも早い時期と推定されるから、この人口推計は修正する必要があるかもしれない。

 紀元1年からの第1千年紀の1000年間には、9500万人増加して、世界人口は2億6500万人になった。年率0.045%程度である。第2千年紀の前半には、年率0.1%で増加して人口は4億2500万人になった。紀元1500年から1700年までの200年間は、増加年率0.18%で、人口は61000万人となった。農耕社会の人口増加率は、かなり低いのである。

 ここらあたりから資本主義社会に入るが、1700年から1800年までの1世紀は、増加率は0.39%になり、さらに、19世紀前半には、増加率は0.58%に上昇して1850年の世界人口は12億人となった。その後の100年間では、人口増加率0.74%で、人口は25億人に達した。さらにそれからの50年は、増加年率1.8%で、2000年に世界人口は61億人を超えるに至ったと推計される。

 明らかに、資本主義が登場してから人口増加率は急上昇している。この人口増加率上昇は、もちろん、医療技術や栄養摂取の水準が高まったり、家族の構造が変化した結果でもあって、直ちに経済成長率を反映するわけではない。むしろ、数値としては、経済成長率の方が、人口増加率以上に速く上昇したとも考えることができる[2]。ともあれ、長い歴史のなかで見れば、近代に入ってからのこの人口増加は、資本主義がもたらした生産力の急上昇を基礎として出現したことは間違いなかろう。資本主義は、歴史社会としては、特別に、高度経済成長型の構造を持っているのである。

 「資本主義は何なのか」という疑問への答えは、「資本主義は何故速く成長するのか」という問題を解くことから得ることができそうである。

 

3 技術革新と経済成長

 資本主義が早く成長する原因としては、技術革新を挙げるのが普通である。たしかに、技術革新は、成長率を上昇させる。人類史の大部分を占める狩猟採集社会の時代には、包犧氏が作ったと周易「繋辞伝・下」が伝えるような狩猟・漁労の道具が用いられていたが、生産活動の対象となる動植物は、自然の法則に従って生命活動を営む存在であり、その賦存量は、基本的には人間にとっての外生変数であった。乱獲を自制して、賦存量の減少を避ける工夫はなされていたにしても、気象条件の変化などによる賦存量変化によって、獲得=生産できる消費財量は変動し、定常的に生産量を維持したり、継続的に生産量を増加させることは、ほとんど不可能であったと推測できる。

 周易で神農氏の手によると記されている農耕用具を用いて生産を行う農耕社会が、紀元前1万年頃から発達し始めると、生産力は画期的に上昇した。なお自然法則の下にではあったが、農耕・牧畜は、生産活動の対象となる動植物の存在量を、人間が制御するようになったからである。外生変数であった動植物量を対象とする労働よりも、半ば内生変数となった動植物量を対象とする労働のほうが、生産効率が高いのは当然と言えよう。この農耕・牧畜技術の開発は、人類史における最初の大きな技術革新であった。地球の自然に及ぼす影響の差に着目して、狩猟採取時代の人類は、まだ生物圏の中の1つの種に過ぎなかったが、農耕・牧畜を始めた人類は、生物圏から分化した「人間圏」を地球システムの中に創り出したという仮説も提起されている[3]

 耕地・牧地の開発が可能な限り、動植物の存在量=生産量を増加させることができるようになり、消費可能量の拡大にともなって人口は増加した。限られた土地面積のなかでの生産量の増加も、栽培種の選択と改良、栽培用具の改革、栽培技術の改善などによって、徐々に進められた。とはいえ、なお、自然法則の支配の下での生産活動であるため、生産性向上は緩慢で、生産量は、気象条件による影響を大きく受けていた。手工業生産では、すでに狩猟採取社会で開発されていた土器・衣類・住居・その他の用具の製造技術が改良され、金属・ガラス・紙・火薬が素材に加わり、車輪・馬具・帆船・時計・羅針盤・水車・風車・印刷器などが開発された。手工業技術の改良と革新は、織物・陶器・鉄製農具などのような人々の生活を向上させる財をもたらした。とはいえ、鉄器の使用は、民生用具の効率を高めるよりも、武器の殺傷力を高めた点で歴史的意味が大きいとも考えられるように、技術革新の二面的性格、「光」と「陰」は、すでに現れていた。

 農耕・牧畜時代の手工業は、対象物を加工する作業機部分は人間の熟練を必要とする「道具」であり、動力は、人力・畜力・風力・水力であって、生産性の上昇は緩やかにしか進まなかった。農耕・牧畜・手工業による生産活動の時代は、おおむね、経済成長率は低位で、気象条件による変動が大きかったと言えよう。また、古代文明の興亡の歴史が示すように、その盛隆を支えた自然条件、特に、耕地や森林が、人間活動の結果として、塩分堆積や濫伐によって破壊されると、文明それ自体が崩壊するという、いわば、「資源と環境の限界」が、経済成長はおろか経済的再生産さえも不可能にする事態が発生していることにも注目しておく必要がある。

 じつは、工業社会の時代への移行も、この「資源限界」を突破しようとする技術革新によって推進された[4]。西欧中世社会の人口は、ペスト流行による中断を経ながら緩やかに拡大し、それとともに、熱エネルギー源であった薪・木炭の消費が増加した。その供給源である森林の再生スピードを超えた薪炭消費は、農耕地と放牧地の拡大も相まって、森林=エネルギー資源を減少させ、中世のエネルギー危機を発生させた。この「資源限界」は、石炭の利用で切り抜けるしかなかったから、深度の深い地層に眠る石炭を採掘するための技術が求められ、排水・換気・運搬の機器を動かす動力源として蒸気機関が発明された。薪炭の供給地はいわば「面」として各地に広がっていたのに較べると、「点」として存在する炭坑が産出する石炭は、遠距離の地上輸送が必要で、輸送手段の革新が求められ、馬に代わる汽車・汽船が発明された。クランク機構の採用で回転運動の動力源となった蒸気機関は、それまで水力・風力・畜力を利用していた道具(作業機)と結合されて、機械が誕生した。

 東洋特産の上質な衣料品として人気を集め、イギリスでの国産化が始められていた綿織物の生産過程では、綿紡機・織機の改良と蒸気機関の採用が進められて、機械制綿工業が発達した。機械を作る機械である工作機械の改良も進められ、中ぐり盤・旋盤・フライス盤などが開発された。素材としての鉄鋼の生産も、木炭に代わってコークスを使用する製銑法、パドル法から転炉・平炉に至る製鋼法の開発で、需要の急速な拡大に対応できるようになった。

 機械を使用する工業生産は、道具を使用する生産に較べて、飛躍的に生産性が高くなった。さらに、機械は、道具よりも、それを操作する人間の熟練度に制約される度合いが低いことから、機械の改良・改善ははるかに容易におこなわれるようになり、生産性を、恒常的に上昇させることが可能になった。

 これら一連の技術革新は、産業革命とよばれ、この産業革命が、資本主義という経済システムを確立させたのである。その後も、蒸気機関は、電力を使用する電動機や石油を使用する内燃機関に置き換えられ、新しい機械として、乗用車、家庭用電気機器などのいわゆる耐久消費財や航空機が登場し、さらに、第2次大戦後には、石油化学製品として合成繊維・合成樹脂・合成ゴム、エレクトロニクス製品として通信機器・カラーテレビ・テープレコーダ・ビデオレコーダそしてコンピュータが開発されるなど、技術革新は、持続的に進行した。同時に、兵器の種類・性能は、飛躍的に高まり、究極の兵器、人類を絶滅させる力を持った核爆弾も開発され、それを運ぶミサイルも登場して、技術の二面性は、その姿を完全に明らかにした。

 この様に、人類が開発した生産技術の歴史を見てくると、機械を使用する工業社会として登場した資本主義は、技術基盤自体が、急速な経済成長を可能にする性質を持っていると言うことができる。とはいえ、この近代の機械技術は、資本主義の速い経済成長を可能にする条件ではあるが、経済システムとしての資本主義それ自体が持っている高度経済成長体質とは別のものである。むしろ、経済システムとしての資本主義が、技術革新を促進したのであるから、資本主義の内部に埋め込まれている特質こそが、速い経済成長をもたらしたと見るべきなのである。では、その特質とは何であろうか?

 

4 平等原則と競争原則

 資本主義も経済システムのひとつであるから、他の経済システムとは区別される特質を持っている。その特質を確定するには、経済システムの特質を検出する方法を特定しておく必要がある。ドイツ歴史学派の方法、マルクスの方法、近代経済学の方法などが提起されているが、筆者としては、マルクスの方法を選びたい。といっても、公式的な史的唯物論では、ほとんど何も見えてこないから、マルクスの遺した方法群から、3つを選び出して使用することにする。

 第1は、『資本制生産に先行する諸形態』から選び取れる「共同体」概念である。第2は、『賃労働と資本』が明確にした「搾取」概念である。そして、第3は、『資本論』が解析した「商品経済」概念である。まず、「共同体」から見ていこう。

  マルクスは、資本制的生産の歴史的前提となる自由な労働が出現するためには、小土地所有と共同体的土地所有が解体されることが必要であるとして、共同体的土地所有の歴史に目を向ける。そして、アジア的形態、古典古代的形態、ゲルマン的形態という3つの共同体的土地所有形態が存在することを指摘した。『資本制生産に先行する諸形態』[5]とほぼ同時期に執筆された『経済学批判』[6]の序言と結びつけると、マルクスは、アジア的共同体に基礎を置くアジア的生産様式、古典古代的共同体に基礎を置く古典古代的生産様式、ゲルマン的共同体に基礎を置く封建的生産様式という3段階の共同体を含む経済的社会構成をへてから、共同体の解体のうえに形成される近代ブルジョア的生産様式、つまり資本制社会が登場したという構想を持っていたと考えられる。

 このマルクスの考え方に、M.ヴェーバーの考え方を合わせて、独自の共同体論を展開した大塚久雄[7]によれば、共同体とは、種族・氏族関係、血縁・地縁関係などで結びついた人々が、生産手段、特に大地(耕地・放牧地・原野・森林・河川・海面など)を、何らかのかたちで共有する状態である。共同体構成員は、生活資材・生産用具・住居・宅地・耕地などの一部を私的に所有しているが、彼らの生活は、共有する大地の共同使用を抜きにしては成り立たない。人類は、はじめには、生産手段の全てを共有する原始共同態の中で生活していたが、農耕社会に入ると農業共同体を構成した。生産手段は、構成員の私的所有部分と構成員間の共有部分とに別れ、古い時代には、後者、共同体的所有が大きな割合を占めていたが、次第に私的所有が拡大する。農業共同体は、アジア的、古典古代的、ゲルマン的の3つの基本形態に分けられる。アジア的形態では、私的所有は、宅地と庭畑程度で、主要な耕地は共同体的所有であったが、ゲルマン的形態にいたると、耕地も私的所有となり、共同体的所有である放牧地・森林に対しても、私的占有権が発生している[8]

 このような共同体という尺度を用いて測定すると、資本主義は、共同体が解体した社会であるという特質を検出することができる。では、この特質と速い経済成長とは、どのような関係があるのであろうか?

 大塚は、ヴェーバーに依りながら、共同体は、その内部では、共同態的平等の法則にしたがって再生産を行い、その外部に対しては、土地などの排他的な独占を主張して封鎖されているという、構造的二重性を持つと規定している。共同体の構成員は、内部的には、私的活動の恣意性を共同体によって抑制されており、外部に対しては、封鎖的に振る舞い、激しい縄張り争いや皆殺し的戦闘を展開する。

 この構造的二重性は、経済成長を抑制する効果を持つのではなかろうか。内部的に、構成員の間の平等を重視するという規範、「平等原則」が働いていて、構成員の私的で恣意的な行為が抑制されているとすれば、構成員間の較差が広がるような動きは発生しにくい。西欧中世の耕地強制[9]や、日本近世の水利規制[10]などの共同体規制が存在する場合には、構成員のなかに、新しい耕種の栽培や新しい耕作技術の採用を試みようとする人物が居ても、彼の試みは、実行し難いし、歓迎されもしないであろう。これでは、農業技術の革新は、なかなか起こりにくいのである。また、共同体的所有の下にある林野の利用は、平等原則によって厳しく規制されるから、必要以上の木材・薪炭を生産し、それを販売して貨幣を蓄積することなどは出来ない。日本近世では、水田の土壌品質保持に欠かせない刈敷[11]の採取も、共同体規制の下にあったから、耕地の質にも平等原則が作用していたことになる。

 古い慣習や伝統に対して異議申し立てをする人々の行為のなかから、新しい品種、新しい耕作法が創り出されて、農業の生産性を上昇させ、経済成長を可能にするのであるから、この平等原則が作用している限り、経済成長は抑制されることになる。あるいは、平等原則が、所得格差の発生を抑制するとすれば、富が一部の人々の手に蓄積されて、それが投資に向けられて経済が成長するという具合にもならない。

 また、構造的二重性のもう一つの側面である外部に対する封鎖性は、共同体と外部との様々な関係の進展を阻害する要因になる。人の交流、物の流通、そして知識の交流が自由に行われる中で、新しい試みをする人間、新しい生産物、新しい技術が育てられ、それが経済成長を促進することを考えれば、封鎖的な共同体は、旧来の慣習・秩序・価値観を守るには適していても、経済成長には馴染まない。

 このように、平等原則と封鎖性を特質とする共同体が、何らかの程度で経済活動に影響を与える限り、それは、経済成長を抑制する作用を及ぼすと言えるであろう。とすれば、共同体の解体の上に成立した資本主義は、そのような経済成長抑制機構を持ってはいない。平等原則は、人格の平等、人権の平等、経済活動への参加機会の平等などの形では近代社会でも存続すると言って良いが、それらは、経済成長を抑制する作用を持たないばかりか、むしろ、それを促進する役割すら果たすことになる。資本家と労働者は、平等な人格を持つ主体同士として労働力商品を売買すると仮定され、まさにその結果として利潤が資本家の手に入る仕組みが資本主義なのである。また、地域的な封鎖性が解体され、市場が外延的に拡大し、労働力・商品・情報が自由に流動することこそ資本主義の成長を保証する条件なのである。

 さらに、平等原則の後退は、それに替わる社会原則として、「競争原則」を前面に押し出す。「競争」は、自己と子孫の存続を目的とする生命体としては、その活動の根源にある原則と言えるから、人類も、その歴史が始まった当初から「競争」を一つの重要な行動原則としてきた。共同体も、その外部に対しては、この「競争原則」で対応したと言えるが、その内部では、「競争原則」を抑制する「平等原則」を採用した。「競争」が、共同体の構成員間に較差を発生させ、それが共同体の解体をもたらすことを避けるためである。この「平等原則」が作用力を弱めるに従って「競争原則」が表に出てくるのは当然で、共同体の内部における私的所有が拡大するにつれて、「競争原則」の作用力は大きくなった。そして、共同体が解体して「平等原則」が衰退した資本主義社会では、「競争原則」が、歴史的には初めて、全面的に、その社会の構成員の普遍的な行動原則となったのである。「競争」は、市場における自由競争であれ、高等教育を目指しての受験競争であれ、オリンピックのメダル競争であれ、競争の規則、ゲームのルールに従う限りは、「良きもの」として認知され、推奨される。経済活動が、規制されることのない競争を原則として展開されれば、それは経済成長に帰結せざるを得ないであろう。

 共同体が解体した社会であるという資本主義の第1の特質は、こうして、速い経済成長をもたらすのである。

 

5 社会的余剰の収奪=搾取

 マルクスは、『賃労働と資本』[12]で、資本家による労働者の搾取を、初めて経済学として解明した。まだ、剰余価値の概念は形成していないが、労働者が、労働(のちの労働力)に対して支払われた価値よりも多くの価値を自ら行う労働で創り出すことによって、資本家が利潤を獲得することを明らかにしたのである。労働する人間が、自らの生活を維持するための労働より以上の労働をすることによって、自らにとっては余剰な生産物あるいは価値物を創り出し、その余剰分を他の人間が手に入れるという、かなり古い時代から行われてきた「搾取」が、近代社会でも続いて行われていることを、マルクスは、一部に不完全なところを残しながら、経済学的に証明したと言える[13]

 無階級社会では、このような余剰分は、あまり多くは生産されなかったであろうし、生産されたとしても、平等に分配されて、特定の個人・家族の手に集中することはなかったと推定される。社会全体が余剰を恒常的に生産するようになると、その社会的余剰は、特定の社会階層に集中するようになり、つまり労働する人々が搾取されることとなり、ここに階級社会が現れる。搾取階級は、様々な方法で、被搾取階級に余剰な労働を強制し、その労働生産物に依って自らの生活と権力を維持する。

古代文明の経済的基礎となった貢納制社会あるいは総体的奴隷制社会では、農民達の余剰な労働の生産物が、王・貴族・神官の倉に貢納物として運び込まれた。ギリシャ・ローマの奴隷制社会では、家父長制家族の下の奴隷達が、家長の所有物となる生産物を作り、そのなかから、奴隷生活を維持するのに必要な消費財を支給された。その差額分が、奴隷所有者の取り分になるわけである。西欧中世封建制の初期には、農奴は、自らの保有地での労働で自らを養い、同時に、領主直営地へ出向いて余剰な労働を無償で提供した。西欧中世後期や日本の江戸時代には、農民は、所有地からの生産物の一部(4060%)を、封建地代として領主に納めた。

このような、社会的余剰の収奪つまり搾取という点では、資本主義は、それ以前の社会と変わりはない。では、どのような差異が、資本主義を際だった速い経済成長に駆りたてる特質なのであろうか。

その特質は、ふたつの点で見いだすことができる。まず第1は、搾取が実現される仕組みである。前近代社会では、社会的余剰の収奪は、被搾取階級にたいする搾取階級の人格的支配によって実現されていた。暴力を前提とした隷従の強制、伝統のなかに正統性を求めた服従の強制、慣習として規範化した上下の身分秩序に基づく従順の強制など、さまざまな根拠による人格的支配の継続のなかで、被搾取階級は余剰な労働を強制され、その成果は、搾取階級の所有に帰する。しかしながら、人格的支配の下での労働強制は、労働する人間の労働忌避を招くことはあっても、自発的な労働への熱中や自主的な労働の強化をもたらすことはまず無い。従って、余剰な労働を、理論的に考えられる限度まで強制することは極めて難しい。余剰な労働の効率を高めようと思えば、労働する人間を労働に駆りたてる監督役の人間が必要になる。また、生産された余剰な生産物を100%収奪しようとすれば強力な徴収組織が必要になる。つまり、余剰を収奪するための人件費などの費用が、無視できない大きさになるのである。そのうえに、人格的支配そのものを維持するための行政組織や暴力装置(警察・軍隊)にも費用がかかる。

近代の資本主義の場合には、搾取に、人格的支配は必要ない。そもそも、前近代的な人格的支配の体系が解体したところから近代は始まる。身分制度の時代から、対等な人格同士の契約の時代へと移るのである。身分関係から自由な、そして、生産手段の所有からも自由な、つまり「二重の意味で自由な」人間が、労働力の売り手として登場することで資本主義は成立しうるのである。

資本主義の搾取は、近代的な契約関係を通して実現する。労働者は、労働力商品を、その再生産が可能な金額で販売する。資本家は、購入した労働力商品を、生産過程に投入して、契約通りの労働を行わせ、購入金額以上の価値物を生産させて、その差額を利潤として獲得する。労働力商品の価値と、その労働力商品が行う労働の価値との差、つまり剰余価値が、利潤の源泉となる。

ここでは、何らの人格的強制も作用しない。契約に反して労働しない労働者は、解雇されるだけである。しかし、労働力を売る以外に生活を維持する方法を持たない労働者にとっては、解雇による労働機会の喪失は、究極的には、自らの生存の否定=死を意味するから、労働者は、解雇されないためには契約通り労働せざるを得ない。つまり、「飢えの恐怖」から労働力を販売した労働者を、「失業の恐怖」が、自発的な労働へと駆りたてるのである。もちろん、契約で規定された労働時間の中で、出来るだけ多くの価値を生産させるためには、労働者に密度の高い労働を強制する必要がある。基本的には、道具を用いる労働から、機械の下での労働に変わった時から、労働の強度は機械の運転速度によって調整可能になった。その上に、テーラー・システムを始めとする様々な労務管理の技法が開発され、最小の費用で最大の剰余価値を生産する仕組みが採用されてきた。

労働時間の延長による絶対的剰余価値生産には限界があるが、労働者の生活物資の価格引下げをもたらすような生産性上昇による相対的剰余価値生産は、労働力の供給制約に基づく賃金上昇が発生するまでは、経済成長の結果として、いわば自動的に拡大する。

このように、資本主義は、歴史的に見て、最も効率よく社会的余剰を創り出すシステムであり、また、最も抵抗の少ない仕方、費用の小さい仕方で、その余剰を搾取階級が収奪=搾取できるシステムなのである。とはいえ、この搾取の高い効率性は、ただちに経済の速い成長をもたらすわけではない。そこには、もう一つの特質が加わる必要がある。

資本主義における搾取の第2の特質は、搾取階級が、同時に、生産主体であるということである。資本主義以前の社会では、搾取階級は、ギリシヤ・ローマの奴隷主を除くと、古代帝国の王・神官・貴族、封建社会の領主など、いずれも、直接に生産活動にたずさわる主体ではなかった。日本の封建領主階級を例に取れば、かれらの本質は、戦闘を目的とする武装集団で、江戸時代に入って戦闘がおこなわれなくなっても、その本質に変わりはない。農民から搾取した余剰生産物は、もっぱら、領主とその家臣団の生活と武力を維持するために消費された。余剰生産物の一部は、水利潅漑施設の新設・維持や新しい田畑の開墾に投資されることもあるが、大部分は、領主階級の消費に向けられた。つまり、領主階級は、生産主体ではなく、消費主体であった。

経済成長、つまり、経済の規模の拡大は、どのような経済社会であっても、生産された社会的余剰が、貯蓄され、そして、投資されることによって可能になる。比喩的に言えば、今年生産された穀物の中から、消費しないで貯蓄した分(今年と同じ播種量の種子を越える余剰分)を、翌年、播種すれば、今年よりも多くの収穫が得られるのと同じである。

搾取階級が、消費主体である場合には、社会的余剰は、まず第1に搾取階級の消費に当てられ、凶作に備えての貯蓄は行われても、生産拡大投資に備えての貯蓄が行われることは例外的であると言って良かろう。そのようであれば、経済成長は、内発的には起こりにくい。

資本主義では、社会的余剰の取得者は、資本家あるいは企業である。彼等は、生産活動に携わる主体、生産主体であり、資本主義社会での生産の大部分は、彼等の意思決定に基づいて行われる。社会的余剰を利潤として獲得した資本家・企業は、それを資本家の消費に向けはするが、総てを消費することは出来ない。資本家・企業は、厳しい競争の中でより多くの利潤を獲得しようとしているのであるから、常に、競争力を強化しなければならない。その為には、新しい技術を使用し、より大規模な生産設備を装備することが不可欠で、それを実現する投資、そして、それを可能にする貯蓄=蓄積を行わなければならない。利潤の総てを消費してしまう資本家・企業は、ほどなく、競争に敗れて、破産する運命に見舞われる。「蓄積せよ!投資せよ!」が、資本家・企業に対する至上命令になるのである。搾取階級がこのような生産主体であれば、社会的余剰の多くは、貯蓄され、投資に向けられて、経済成長は内生的に促進されることになる。

第1の特質からして、社会的余剰は効率的に最大限度まで生産され、第2の特質からして、その余剰は恒常的に投資に向けられるのであるから、資本主義経済は、速く成長せざるを得ないシステムとなっているのである。

 

6 商品経済社会 −市場による再生産の調整−

 マルクスは、『資本論』の冒頭で、資本主義社会の富は、「膨大な商品の集積」として現れるのであり、商品の分析から資本主義経済の研究が始まると書いて、資本主義の歴史的特質を、商品経済と規定した。これは、資本主義では、社会的再生産が、商品経済の形で行われていることの指摘である。どのような経済社会であっても、その社会が経済的に再生産されるためには、何らかの形でその再生産を調整する仕組みを持っているはずである。社会が再生産されるには、その社会の構成員が必要とする財・サーヴィスが、適正な量だけ供給されなければならない。これには、根源的には、それぞれの財・サーヴィスの生産のために、適正な量の労働が投入されること、あるいは、適正な労働人口が社会的に配置されることを必要としている。財・サーヴィスの適正量を供給するための、適正な労働配分は、歴史的には、様々な仕組みによって実現されてきた。

 近代以前の社会では、大なり小なり自給的生産が行われていたから、再生産の調整の仕組みの中では、農家などの自給的経営が、一定の役割を果たしていた。自給的経営が経済的に再生産されるためには、構成員全体が生活を維持するのに必要な消費財と、その生産に必要な生産財が適正な種類と量だけ生産されなければならない。必要な消費財と生産財の種類と量は、あらかじめ予測することが出来るから、それらを生産するために、構成員達に適当な労働を割り振れば良いのである。つまり、自給的経営は、一種の計画経済を営むことで、自らを再生産するのである。

 この自給的経営は、前述の共同体の中で存続しているのであるから、当然、共同体の規制の下で、自給的生産を行う。たとえば、共有林で薪炭を生産するに際しては、共同体が、数量を割り当てたり、労働する期日を設定したり、使用する用具や運搬手段を限定したりする。この場合には、共同体が、生産つまり労働配分を規制して、再生産を調整する役割を果たしているのである。生産手段の共有部分が多く、共同体の力が強ければ、それだけ、共同体の再生産調整機能は大きいことになる。

 また、社会的余剰の収奪=搾取が発生すると、搾取階級が、自らの再生産のために必要な消費財やサーヴィスを調達するために、被搾取階級に、各種の労働を強制する。たとえば、始皇帝は、長城の大増築のために、農民に過酷な土木労働を強制したし、日本の江戸時代の領主階級は、一定量の米穀を年貢米として生産することを農民に強制した。つまり、搾取階級は、自らを維持するために、社会的労働の配分を規制したのである。社会の再生産とは、この様な搾取階級を含めての全構成員の再生産であるから、搾取階級も、再生産を調整する役割を果たしていたといって良い。

 近代以前の社会でも、農民の自給的生産には限界があり、自ら生産することが出来ない消費財や生産財は、交換によって入手していた。塩や鉄はその代表的な例である。農民の生産物が、塩や鉄、手工業製品などと交換される方法は、物々交換から始まって貨幣を媒介しての売買に至るまで様々であるが、これらを、ひとまず市場における交換と呼んでおこう。搾取階級は、必要とする消費財などを、被搾取階級から直接に現物で調達することは難しい場合が多いから、被搾取階級から収奪した財を販売して、必要な財を購入することになる。搾取階級の再生産には、古い時代から、市場が不可欠なのである。搾取階級が、貨幣の形で被搾取階級に貢納を要求すれば、被搾取階級は、生産物を貨幣に替えるために、市場を必要とするようになる。このように、近代以前に於いても、市場は、再生産のために必要な機構であった。そこでは、財の交換比率が定まり、財の交換を媒介する貨幣も登場して、人間の生産物は、市場価格を持つ商品となる。市場における商品の価格が、需要と供給を反映しながら変動し、価格の変動が、供給量つまり生産量の変動をもたらす。市場は、価格の変動を通じて、生産つまり労働の社会的配分に影響を及ぼす。市場も、古くから、社会の再生産を調整する役割を果たしてきたのである。

 このように、自給的経営、共同体、搾取階級、市場などが、社会の再生産を調整する役割を果たしてきた。それぞれが、どの程度その役割を果たしているかは、時代や地域によって異なる。この組合せ方によって、ある社会の、再生産の調整の仕組みを特徴づけることが出来るわけである。

 資本主義は、このなかで、市場が最大の調整機構となった経済社会である。自給的経営は例外的な存在となり、農家の生産に占める自給部分は極めて少なくなった。共同体は、基本的には解体してしまった。搾取階級は、資本家となるが、かれらは、もはや自らの必要とする消費財を獲得するために、労働を強制して労働の社会的配分を規制することはしない。資本家・企業は、可変資本部分への投資量を変化させることによって雇用量を決定するが、その投資量は、期待利潤率の関数であり、期待利潤率は、市場における製品価格と賃金率・利子率の変動によって決定される。資本家・企業は、労働配分の直接的な決定者ではあるが、その決定は、基本的には市場によって規定されているのである。社会全体としては、市場を介しての生産量変動の結果として、社会的な労働配置が決定される。こうして、資本主義社会では、市場が、社会的再生産を調整する仕組みの中心となる。

 この市場の他に再生産調整機能を持つのは、政府である。近代以前の社会で、搾取階級が、主として自らの存在を維持するために行っていた行政的行為、つまり、軍備・外交・警察・司法・公共土木事業などは、近代になってからは、国を頂点とする各級の政府の仕事となった。政府は、これらの行政行為を実行するために、直接に労働を配置(雇用・徴発)したり、必要な財の購入によって間接的に社会的労働配分に影響を及ぼす。さらに、政府は、関税政策や財政金融政策・産業政策などによって再生産に影響を及ぼすことが出来る。この政府による再生産の調整が、どの程度まで行われるかは、時代と地域によって変異があり、その分析は、資本主義の発展段階や国別の特徴を明らかにする一つの鍵となる。

 さて、市場が、社会的再生産調整の仕組みの中心となるには、二つの前提条件が満たされる必要がある。第1は、マルクスが指摘したように社会の富が商品として現れ、それが市場で自由に流通することである。商品が富の基本形態として現れるということは、あらゆる物が商品となることを意味している。土地はもちろん、貨幣や資本、さらに労働力も商品として売買されることが第1の前提条件である。第2は、市場への商品の供給は、利潤を目的として行動する主体によって行われるということである。需要と供給の関係(商品の過不足)が、市場価格を変化させて利潤変化を引き起こしても、その利潤変化に敏感に対応して投資量が変化し、結果として供給量を変化させるのでなければ、需給調整は行われない。そこでは、利潤変化に反応して投資量を変化させる主体が存在しなければならない。つまり、市場に登場する経済主体は、利潤を目的に行動する資本家・資本主義的企業でなければならない。あらゆるものが商品となり、その商品は、利潤目当ての供給者によって供給されるのが、マルクスの言う「商品経済」である。市場は、商品経済社会で、歴史上はじめて、再生産の調整の主役になったのである。では、このことと、速い経済成長は、どのような関連にあるのであろうか?

 商品は、「使用価値」と「価値(交換価値)」の2要因をもつが、その生産者にとって関心があるのは、もっぱら「価値」であって、「使用価値」ではない。生産者は、「使用価値」を目当てに生産を行うのではなく、市場で販売されることによって「価値」がもたらすところの貨幣を目的に生産する。使用を目的にしてではなく、市場目当てに生産が行われる。市場を前提としない自給的生産では、たとえば、自ら綿花を栽培し、自ら綿糸を撚り、自ら綿布を織ることになるが、市場を前提にすれば、栽培した綿花を販売して得た貨幣で綿布を購入して使用すればよいことになる。自給的生産では、農家の内部の労働配分によって行われた綿作・綿紡糸・綿織りの作業が、商品生産では、綿作農民・綿紡績業者・綿織り業者の3者によって行われることになる。つまり、社会的分業関係が形成され、それぞれの労働の場にどれほどの労働力を配置するかは、基本的には市場が調整することになる。

 社会的分業は、アダム・スミスが指摘した作業場内分業と同じように、生産の効率を高める。特定の生産物を作り出すための生産過程の分化・専門化・特殊化は、技術水準の上昇・熟練度の上昇・使用原材料の節約など、生産性を上昇させる効果をもたらす。男女間の分業や農業と工業の間の分業は、古い起源を持つが、社会的分業が急速に展開するのは、農業社会から工業社会に移ってからであり、資本主義の発達とともに進行した事態である。市場目当ての生産の拡大は、社会的分業の拡大をもたらし、生産性を高めることによって経済成長を促進させるのである。

 商品経済と経済成長との関係は、もう一つの見方からも説明できる。「使用価値」が生産の目的である場合には、必要な種類と量の消費財や生産財を生産すれば、それ以上に生産を継続する必要はなくなるから、そこまでで当面の生産活動は終了する。生産物の交換が行われる場合でも、交換が、自ら生産することが出来ない消費財や生産財を手に入れる目的で行われる場合には、その交換に必要な等価物を生産したところまでで、生産活動を終了してかまわない。しかし、市場での販売が、貨幣を目的とするようになると、状況は変わる。あらゆる富との交換が可能な貨幣は、それを獲得しようとする人間の欲求を決して充足させることがない。貨幣を得るための行為には、限界が存在しないのである。したがって、「価値」の実現=貨幣の獲得を目的とした生産は、主観的には、無限に拡大し続けて、終わりは無い。生産主体が、人間である資本家の場合には、あるいは、一定量の貨幣を獲得して満足することがあるかもしれないが、それが、人格を持たない企業ともなれば、貨幣の獲得が純粋に企業活動の目的となって、最大の利潤を求める運動が永久に続くことになる。商品経済は、このような無限の衝動に突き動かされる生産主体によって担われているのであるから、客観的条件さえ充たされれば、速い経済成長がもたらされるのは当然なのである。

 この客観的条件のひとつは、労働力の継続的な供給である。労働力は、土地と同じように、資本主義的に生産可能な商品ではない。商品生産の外部、つまり人間の生活そのものの中からしか生産されてこない労働力を、商品として購入しないと資本は利潤を獲得できないというところが、資本主義経済の最大の弱点である。しかし、この弱点は、相対的過剰人口、つまり、労働生産性の上昇をもたらす技術革新で生み出される過剰人口の「生産」によってある程度までは補われるというのが、マルクスの発見した「資本主義の人口法則」であり、これによって、資本主義の速い経済成長が保証される。

 もう一つの客観的条件は、マルクスが「命がけの飛躍 salto mortale[14]と呼んだ、商品の貨幣への転化が可能なこと、つまり、商品が売れることである。商品は、その生産者にとっては、「価値」の担い手としてしか関心が持たれないが、その買い手にとっては「使用価値」こそが関心の的になる。商品は、「価値」実現=貨幣獲得を目指す無限の運動のなかに置かれると言っても、決してその「使用価値」要因が軽視されることはない。商品の「使用価値」が、「命がけの飛躍」の決め手になる。「使用価値」が問題になる限りにおいては、商品の販売可能量には限界がある。社会の構成員が必要とする消費財の総量とそれを生産するのに必要な生産財の総量とが、商品の販売限界となる。もし、構成員が必要とする消費財の一人当たりの平均量が一定であると仮定すると、構成員の数、つまり人口の増加に応じてしか商品の販売可能量は増加せず、経済成長もそれに規定されることになる。これでは、速い経済成長は実現しない。

 この商品の「命がけの飛躍」の壁をうち破る一つの方法は、その社会の外部に、商品の販路を求めることである。たしかに、資本主義には対外膨張傾向が内在していると言って良かろう。しかし、外部への膨張で、速い経済成長を説明するのでは、その外部が消失した時、いわば、外部が内部化された時には、経済成長が停止するということになり、資本主義に内在する経済成長の特質を説明することにはならない。

 資本主義は、社会の構成員が必要とする消費財の平均量をますます増大させ、さらに、常に新しい消費財を創り出すことによって、商品の販売限界を拡大する仕組みを備えている。資本主義は、商品の貨幣への転化の前提になる「使用価値」への人々の欲求を、いわば、無限に拡大させることが出来るのである。

 人間は、他の動物とは異なって、自らが必要とする消費財の種類や量、つまり欲求の内容を変化させたり拡大させる特質を備えている。しかし、人類史の中には、これまで、この欲求の拡大を抑制する、いくつかの要因が存在していた。第1は、消費財の生産量を規制する要因である。狩猟採取社会から農耕牧畜社会への移行は格段に生産量の拡大を可能にしたが、それでも、自然の法則に規制されて、栽培植物・飼育動物の生産量には限界があった。工業社会に移ると、前述の通り、機械を用いた生産が行われるようになり、化石燃料のような地球にストックされた資源に手を着けたから、生産量は、自然法則の関数ではなく、資本投下量の関数となって、これまでのところは、拡大の一途を辿るようになった。欲求の拡大を抑制する生産技術的制約は、資本主義が依って立つ工業社会では、それ以前の社会に較べて極めて小さくなったのである。

 欲求拡大を抑制する第2の要因は、共同体の存在である。すでに見たように、共同体の平等原則は、構成員が他の構成員と異なる水準で欲求を充足させることを禁止する。あるいは、共同体は、生産量を自然の法則が許容する限度内に抑えて、過剰な生産=資源の濫獲を防止するような規制を行ってきた。共同体が解体した資本主義社会では、このような規制力は消滅するから、欲求は解放されて無限に拡大する。

 欲求抑制の第3の要因は、搾取関係のあり方である。近代以前の階級社会では、搾取階級は、被搾取階級の消費量を抑制することによって、自らが収奪する社会的余剰分を増加させようとしてきた。日本の江戸時代には、法令で、農民の衣食住を規制して、消費を抑制する工夫さえ行われた。搾取階級は、社会的余剰の収奪を強化して自らの欲求を拡大させようとしたが、それは、それが成功する分だけ、被搾取階級の欲求を抑制することになったのである。

 資本主義では、この状況が変わる。社会的余剰の拡大は、労働者の生活水準を引き下げることによってではなく、生活を維持するための消費財の市場価格を引き下げて、相対的剰余価値生産を行うことによって実現される。労働者の生活水準は上昇しても、消費財価格の引き下げ、つまり労働生産性の引き上げが出来さえすれば、社会的余剰は拡大する。それどころか、むしろ、労働者の消費が拡大することこそ、商品の貨幣への転化を可能にする条件になるのである。生産性の上昇がもたらす新しい価値を、資本家が取るか、労働者が取るかは、もちろん厳しい争点ではあるが、労働者の消費拡大なしには、資本主義の成長は無いのである。

 これは、20世紀に入ってからのアメリカに始まる乗用車の普及過程を見るとはっきり判る。フォードは、T型車の市場を拡大するために、一方では、労働生産性を上げて製品価格を引き下げ、販売量を伸ばして大量生産を行ない、量産効果によってさらに価格を引き下げて販路を拡大する戦略をとった。そして他方では、労働生産性が上昇すれば、労働者の賃金を引き上げ、労働者をT型車の購買者にして、大量販売を実現することも図った。つまり、製品価格引下げと購買力付与によって、金持ちのスポーツ用品であった自動車を、労働者が必要とする「使用価値」にしたのである。耐久消費財としての乗用車が、資本主義の成長を促進したことは、極めて明白である。

 近代以前の社会で作用していた欲求抑制要因は、このように、資本主義社会では、ほぼ消滅している。欲求はもはや抑制の対象ではなくなり、むしろ、その昂進こそが商品の販路を保証する条件として望ましいものとなる。欲求の抑制はなかなか難しいが、欲求を昂進させることは簡単である。新製品の開発と製品の差別化、マスメディアを介しての広告宣伝、デモンストレーション効果[15]の刺激や記号論的消費[16]の勧奨などなど、マーケッティング技術は、繊細の上にも繊細となり、消費者の欲求を次々に開発し拡大させることができる。欲求の拡大の上に、速い経済成長を実現させるのが、資本主義なのである。

 

7 結語 −資本主義はどこへ行くのか−

 「資本主義経済は何故速く成長するか」という設問を通して「資本主義は何なのか」という疑問への答えを探ってみた。つぎには「資本主義はどこから来たのか」という疑問を取り上げなければならないが、それは、別の機会に譲ることにしよう[17]。「資本主義はどこへ行くのか」という疑問は、厳密には、「資本主義はどこから来たのか」を検討してからでないと解明は出来ない。この疑問の本格的解明も、また別の機会に譲らざるを得ないが、小論で検討した「資本主義は何なのか」という疑問への答えの中から見えてくる限りで、「資本主義はどこへ行くのか」を考えてみよう。

 資本主義が、近代以前の経済社会と較べて、速く経済成長する特質を持つことはほぼ明らかになった。資本主義の将来を考えるには、この速い経済成長が、人類に何をもたらしたかを、まず検討する必要がある。明らかな事実は、資本主義の下で生きる人々の、物質的生活が豊かになったことである。人々の間に、所得格差が存在することは事実であり、最近は、その格差が拡大する傾向にあることも指摘されているが、たとえば、19世紀の生活に較べて、20世紀の生活が、消費財の種類と数量の点で、豊富になったことは間違いない。問題は、この物質的豊かさが、人間に「幸せ」をもたらしたか否かである。

 この問題には、「幸せ」という価値が究極的には主観的なものであることからして、正確に答えることは出来ない。しかしながら、「幸せ」の前提条件を、「平和」に求めると、戦争と紛争の世紀とも言える20世紀は、人間が「幸せ」になる条件に欠けていたといえるであろう。資本主義と戦争の関係については、慎重な研究が必要であるが、少なくとも、人間の欲求を昂進させるシステムとしての資本主義は、解放された欲求と現実に充たされた欲求の落差が、社会的な対外膨張衝動を発生させることに、責任がないとは言えないであろう。

 また、この解放された欲求と現実に充たされる欲求の落差、つまり欲求の不充足状態は、人々をより一層の所得獲得行為へと駆り立て、人々に労働を強制する。「幸せ」の前提条件のひとつが、生活時間を睡眠時間・労働時間・自由時間に分けたときに、労働時間を短縮して自由時間を拡大することであるとすると、資本主義は「幸せ」の実現を難しくしているようである。たしかに、資本主義初期に急増した労働時間は、特に第2次大戦後、短縮の方向に向かってはいる。しかし、1990年の資本主義5カ国(米・英・独・仏・日)の製造業の年間労働時間は平均で1861時間であるのに対して、20世紀後半の、オセアニアの島嶼で採取・漁労・農耕生活を営むいわゆる未開の人々の年間労働時間は1000時間程度であるという事実を紹介して、近代文明のあり方に疑義を提出する文化人類学者[18]の発想には、考えさせられるものがある。物質的消費量の拡大のために、自由な時間を犠牲にしている状態を、「幸せ」と言えるかどうかは大きな問題である。

 また、その物質的消費が充たしてくれる欲求が、人間の真に望むところの欲求であるかについても、古くから疑問が呈されている。すでに、マルクスは、『経済学・哲学草稿』で、資本主義はいかに物質的富を拡大させても人間の粗野な欲求を「豊かな人間的欲求」に変えることは出来ないと述べて、物質的富で充たされる欲求と「豊かな人間」の欲求は異なることを主張している[19]。マルクスが、「豊かな人間」をどのように構想していたかは別の問題として、現代の商品の膨大な集積のなかには、はたしてその「使用価値」が人間を「幸せ」にするのに役立つかどうか疑わしい物も多いことは事実である。そもそも、資本主義は、人間の欲求を操作する力を持っているし、生産者は、製品の「使用価値」にではなく「価値」にしか関心を持たないのであるから、本来は人間の欲求対象ではない商品を生産して、それを新たな欲求の対象に創りあげて「価値」を実現することも、決して難しくはない。創り出された欲求の充足のために自由時間を失うとすれば、「幸せ」からは遠いのではなかろうか。

 では、この物質的な豊かさは、今後、さらに拡大し、持続するであろうか。この疑問への答えは、すでに、かなり明確になっている。1972年に、ローマ・クラブの報告書として、MITプロジェクトチームが発表した『成長の限界』[20]は、地球の資源と環境の制約の下では、経済成長には限界があることを警告した。そして、その20年後に同じ著者たちは、『限界を超えて』[21]で、経済成長傾向が改まらないままに時間が経過したので、多くの資源や汚染が持続可能性の限界を超えてしまったことを指摘した。これ以外にも、数多くの研究が、地球の資源の有限性と環境破壊の悪影響によって、経済成長には遠からず限界が来ることを明らかにしている。宇宙物理学者の松井孝典は、太陽エネルギーをフローとして利用して生活していた農耕社会にくらべて、化石エネルギーなどのストックを利用するようになった工業社会は、生産量を飛躍的に拡大することが可能になったが、やはり、ストックの限界によって成長を制約されざるを得ないことを指摘している[22]。地球システムを食いつぶしながら拡大を続ける人間圏は、やがて、地球システムから負のフィードバック作用を受けて、強制的に成長が停止するというのである。

 これらの観点は、基本的には、すでに、経済学者ジョージェスク=レーゲンが、1971年の『エントロピー法則と経済過程』[23]で、経済学にエントロピー法則の観点を導入して説いていたものである。しかし、その後も、経済学の主流は、その主要な関心を、経済成長に向け続けているし[24]、各国・地域の経済政策の担い手達は、経済成長をその目的から外そうとはしていない。地球温暖化防止国際会議は、1997年の京都議定書を具体化するために開催した2000年のハーグ会議で、合意を形成することが出来なかった。経済成長の抑制はおろか、環境破壊への対応すら出来ない現状は、経済成長が、地球の限界に突き当たるまで継続し、そこで人類史は、すでに予想されているような極めて悲惨な結末を迎えるという近未来像に、かなりの現実感を与えている。かつて、5つの古代文明が崩壊したときには、別の地点から、新しい文明が登場して人類史を前に進めた。しかし、グローバル化した資本主義が崩壊すれば、それは、人類の終末を意味する可能性が高い。

 「資本主義はどこへ行くのか」という疑問への答えは、「人類を幸せへと導く」ではなさそうであるし、「限りなく経済成長を続ける」でもないようである。最悪の場合には、「人類を破滅に導く」が答えになりかねない。この答えが正しいとすれば、「破滅」を避けるために、人類は、資本主義を変えるか、もしくは、それを捨てなければならない。

 では、資本主義をどのように変えるべきか、あるいは、資本主義に代わるどのような経済社会を選ぶべきであろうか。新しい経済システムが備えるべき最も重要な特徴は、経済成長の抑制である。地球の資源と環境条件の限界の中で、人類の再生産を維持するには、少なくとも先進国と呼ばれる国々は、これ以上の経済成長は抑制して、むしろ消費量を縮小させる必要がある。経済成長を抑制する特質を内部に埋め込んでいる経済システムを構築しなければならない。

 経済成長を抑制するような特質とは、さしあたり、小論で明らかにした資本主義の経済成長を促進させる特質とは反対の内容ということになる。第1に、「競争原則」ではなく「平等原則」を機能させて、「競争」を抑制することが必要である。あるいは、これは、新しい「共同体」を形成することによって実現されるものかもしれない。それは、生産手段の「私的所有」を何らかの程度まで否定して、「共同体的所有」を復活させる方向となるであろう。

 第2に、「搾取」=社会的余剰の私的収奪を否定しなければならない。社会的余剰が、貨幣の増殖を目的として行動する経済主体の手に入り、貯蓄・投資・増殖が限りなく繰り返される仕組みを捨てることが必要である。社会的余剰は、私的にではなく、公的に管理され、最終的には、社会的余剰の形成を最小限度にまで縮小させることが望ましい。

 第3に、欲求を昂進させるような仕組みを除去しなければならない。「価値」が目的で、「使用価値」は手段でしかないような生産のあり方、つまり、商品生産は、基本的には否定されるべきであろう。「使用価値」を目的とする生産は、人類史のなかでは、長く続けられていた生産のあり方であり、それを復活させることが基本的方向となる。これは、社会的分業の極度の展開は抑制する方向を含んでいる。

 このような特質を備えた経済システムは、もはや資本主義とは呼べそうにない。どうやら、人類は、資本主義を捨てて、新たな経済社会を構築する途に、進まなければならないようである。この途は、すでに社会主義への途として、20世紀に辿られて、それが誤った途であると評価されつつある途と似ている。20世紀最後の10年に、社会主義が崩壊ないし変質を迫られた原因は、政治的には、民主主義への希求であり、経済的には、経済成長への願望であった。政治的原因についての評価は別として、経済的原因に関しては、はたしてそれを正当なものと評価出来るかどうか疑問である。すでに、経済成長の継続が、人類史の破綻へと繋がる可能性が明らかになりつつある時に、経済成長への願望から、社会主義を否定することは、かなり奇妙な選択に見える。

 マルクスが未来を構想した時には、生産諸力の拡大の桎梏となった資本主義が否定された後に、拡大する生産諸力に支えられた「自由の王国」として社会主義社会・共産主義社会が登場し、そこから人類の本史が始まると考えられていた。マルクスが、生産諸力の拡大に人類の「幸せ」を託したのは、19世紀中頃の科学的認識水準からすれば了解できることである。しかし、21世紀を迎えた我々は、マルクスの生産力への信頼を、無条件で受け継ぐことは出来ない。生産力は、「幸せ」をもたらしはするが、その無制限な拡大は、「破滅」をももたらすことを、20世紀の科学が明らかにしたのである。したがって、生産諸力の拡大の桎梏を取り除くために、社会主義を選択することは、今や不適当である。

 しかしながら、マルクスには誤解があったのではなかろうか。生産力の拡大は、まさに資本主義の下でこそ実現されるのである。そして、資本主義の特質を否定した社会主義は、むしろ、生産力拡大には不適合な特質を備えた経済システムなのである。20世紀の後半に、資本主義が急速な経済成長を実現したのに対して、社会主義が大きく立ち遅れたのは、両者の経済システムとしての特質の違いがもたらした、当然の帰結とも見ることが出来るのである。そうであるならば、我々は、経済成長を抑制するために、社会主義を選択することも出来るはずである。

 ここで検討した新しい経済システムが、社会主義に類似していることは、それを選択することが、失敗の歴史を繰り返すということにはならない。社会主義を捨てる選択こそが、実は失敗であったのかもしれないのである。もちろん、ソ連を中心に行われた社会主義の実践には、慎重に再検討すべき問題点がある。とくに、資源と環境を制約条件としてはほとんど考慮に入れずに生産力拡大を指向したことは、資本主義がそうであるように、大きな誤りである。再生産の調整機構として市場を選ばずに、計画経済を基軸に据えたシステムは、その運営次第では、資源・環境の限度内での再生産を実現させる可能を秘めていたのである。人類史の壮大な実験ともいえる社会主義は、資本主義がもたらした物質的豊かさの招来に立ち遅れたからといって、簡単に捨て去られるべきものではない。

 いまや、新しい社会主義も選択肢に含めて、新しい経済社会を構想し、その実現に努力すべき時である。経済成長の末に、資本主義とともに人類の全史Vollgeschichteが終わるようなことがないよう、資本主義をマルクスが期待したように人類の前史Vorgeschichte[25]と位置づけるための営為が必要なのである。         

                            (2001115日成稿)

     付記

 小稿は、中華人民共和国天津市の南開大学日本研究中心の紀要『日本研究論集』に寄稿したエッセイの日本語版である。中国語版は、『日本研究論集』2001 2001年12月刊に掲載される。
 青山学院大学経済学部は、
2000年度の研究教育環境整備事業の一環として、南開大学との研究者交流を実施した。2000年8月〜9月には、本学から筆者が日本研究中心に出張して、研究者・大学院生対象の日本経済史セミナー(5回)を開催し、11月〜12月には、日本研究中心所長楊棟梁教授が本学に客員研究員として来訪されて、学部教員対象の研究会、総合研究所経済研究センターの研究会、大学院生対象のセミナー、学部学生対象の講演会(1部・2部各1回)を開催した。小稿は、この研究者交流の機会に、日本研究中心から寄稿を依頼されたエッセイである。
 初めての中国訪問で、強く印象づけられたのは、中国経済の市場経済化の急進ぶりであった。市場経済化に伴って発生するであろう負の結果に関しては、さしあたり配慮はせずに、経済成長を最優先することに国民的合意が存在するように見えた。
 
21世紀が、人類の開発した生産力と地球の持つ資源・環境能力との対立の世紀となることを思うと、人口14億を越える大国、中国の経済成長第1主義には、いささかの危惧を感ぜざるを得なかった。市場経済の代表的システムである資本主義の歴史的特性を、改めて確認することも、現代中国にとって有益ではなかろうかと考えて、小稿を執筆した次第である。
 中国の読者を念頭にしたため、日本の読者にとっては自明な箇所もあるが、日本語版のための本文変更は行っていない。日本語版を本論集に公表することについては、日本研究中心の了解をいただい
いる。日本研究中心のご好意に感謝したい。      (2001年6


[1] 馬場宏二が引用しているMcEvedy Jonesの推計を利用する。馬場『新資本主義論』、名古屋大学出版会、1997年、27頁。

[2] 馬場宏二の推定。同上書、28頁。

[3] 松井孝典『1万年目の「人間圏」』、ワック、2000年。

[4] このような見方については、Richard G. Wilkinson, Poverty and Progress, Methuen, 1973.を参照。

[5] K. Marx, Formen, die der kapitalistischen Production vorhergehen, in Grundrisse der Kritik der politischen Ökonomie, Dietz, 1953. 執筆は、18581月頃と推定される。

[6] K. Marx, Zur Kritik der politschen Ökonomie, Moskau, 1934. 序言執筆は、18591月。

[7] 大塚久雄『共同体の基礎理論』、岩波書店、1955年。のちに、『大塚久雄著作集』第7巻「共同体の基礎理論」、岩波書店、1969年、に収録。

[8] 中国における共同体については、古代の井田制が崩れて以後は、祖廟・祠堂を結集点とする村落共同体、あるいは、「同居同財」「累世同居」の家族共同体の存在が指摘されているが、それとマルクス、大塚の共同体類型との対比は難しい問題である。

[9] 耕地強制Flurzwangは、耕地を、馬が牽く重量犁で鋤き起こす日程順序や、休閑地での共同放牧などを規定した慣行である。農道のない開放耕区では、共同体によって決められた犁耕の日程順序に従わずに、蒔き時の異なる耕種を栽培することは不可能に近い。遅く播種しようとするとすでに播種してある他人の耕地を横切らざるを得ないし、速く播種しても定時に犁耕する他人の馬犁が耕地を横切るのを阻止することはできない。休閑地に、播種しても、柵を設けることはできないから、家畜に出芽した植物を食べられてしまう。

[10] 水路を利用する水稲耕作では、春の水田への導水時期が村や水組で決められるから、通常の早稲品種よりも早く田植期を迎える品種を栽培することはできない。

[11] 山林の下枝・下草、原野の柴・草を刈り取って、田植え前の水田に投入して、牛馬や人間が踏み込んで、腐植土にして土壌の肥沃度を維持する。この草木を刈敷と呼ぶのである。刈敷きの投入量は、10アールあたり1000kg前後にも及んだ。

[12] K. Marx, Lohnarbeit und Kapital, 1849.

[13] 搾取の証明は、マルクスの段階では、『資本論』で完成された。なお残された不完全さを補う作業は、宇野弘蔵によってなされた。宇野『経済原論』、上・下、岩波書店、195052年。

[14] K. Marx, Zur Kritik der politschen Ökonomie, S.79. 

[15] ある消費者の消費行動(ある商品の購入など)が、他の消費者に、同じ商品の購入などの消費行動を誘発させる効果。

[16] ヴェブレンが指摘した衒示的消費conspicuous consumptionのように、商品の物としての使用価値(乗用車であれば輸送手段としての性能)を目的としてそれを購入・消費するのではなく、それを所有することが自分の特別な社会的地位を顕示する効果をねらって商品(乗用車であればロールスロイスなど)を購入・消費するような消費者行動。より一般的には、商品の使用価値そのものを消費するためにではなく、その商品が他の商品とは異なる特徴=差異をもつためにそれを消費する行動。そこでは、商品は、有用性を持つ物としてではなく、他者にたいする「記号」として意味を持つことになる。

[17] この疑問に対する筆者の分析は、ひとまず、「経済史の可能性−歴史時間試論−」(『青山経済論集』、第44巻第3号、青山学院大学経済学会、199212月)で試みた。

[18] 山内昶『経済人類学への招待』、ちくま新書、1994年。

[19] K. Marx, Ökonomisch-philosophische Manuskripte, 1844. Drittes Manuskript. 

[20] D. H. Meadows, et al., The Limits to Growth, New York, 1972.

[21] D. H. Meadows, et al., Beyond the Limits, Vermont, 1992.

[22] 松井、前掲書。

[23] N. Georgescu-Roegen, The Entropy Law and the Economic Process, Harvard U.P., 1971.

[24] 馬場宏二は、前掲書を、経済成長の根源的批判の観点から執筆している。経済成長批判の観点を明白にした経済学者は、日本では、馬場のほかに、玉野井芳郎(『エコノミーとエコロジー』、みすず書房、1978年)、室田武(『エネルギーとエントロピーの経済学』、東洋経済新報社、1979年)、渡植彦太郎(『経済合理主義と生活文化』、勁草出版サービスセンター、1991年)など数少ない。

[25] K. Marx, Zur Kritik der politschen Ökonomie, Vorwort.