早稲田大学三和ゼミ総会

出席者全員

1987年卒業生

1988年卒業生

1989年卒業生

1990年卒業生

1991年卒業生

1992年卒業生

1993年卒業生

1994&95年卒業生

パーティー時配布文章

早稲田三和ゼミ卒業生の皆さま

本日は、お忙しい中、またなかには、はるか遠方から、この会にご出席いただきまして、ほんとうに有り難うございました。
 早稲田大学の政治経済学部で現代日本経済史の講義をはじめて担当したのは、1983年でしたが、ゼミナールを開いたのは1986年つまり1987年卒業の皆さんからでした。それから1996年卒業の皆さんまで、ちょうど10年間、ゼミを続けまして、170名のゼミナリステンとお付き合いしたわけです。たまたま、1993年から青山学院大学で経済学部長になったために、残念でしたが、早稲田の講義とゼミを続けられなかったのです。じつは、1994年度からは大学院へも出講していたのですが、その年に体調を崩してしまったので、大学院は1年間だけで終わりました。

体調不調の時期に、結婚披露宴へのお招きを頂いたこともありましたが、出席をお断りせざるを得ず、失礼してしまいました。幸いに、数年間のブランクののちに、健康を回復して、論文も書けるようになり、今年3月に、無事に青山学院大学を定年退職することができました。青山学院大学に助手として勤めたのが1963年でしたから、この3月で、まるまる40年間、在職したことになります。

一期一会といいますが、ご卒業後もいろいろなかたちで、お付き合いが続いている方もいらっしゃれば、また卒業以来、お会いするのは今日が始めての方もおられます。過ぎていった時間は、皆さんをそれぞれに磨き上げて、内面は外見と同じく大きく変わられたことでしょう。しかし、学舎でのお若い時のことは、それぞれの方々について、懐かしく思いおこすことができます。
 もちろん、私も家内も、そして息子も、時の流れとともに、たぶん、磨かれました。私については、退職に際して、卒業論文のつもりで、『日本近代の経済政策史的研究』(日本経済評論社、2002年)・『戦間期日本の経済政策史的研究』(東京大学出版会、2003年)・『日本占領の経済政策史的研究』(日本経済評論社、2002年)の3冊を刊行しました。大げさにいえば、40年間の研究の集大成ですが、経済史・経済政策史の方法論とその応用論文は、第4冊目に残してあります。
 家内は、この間に、伊地知の両親と三和の両親を、看護し、看取ってくれることに忙殺され、ようやくここ10年ほど自由な時間を持てるようになりました。海外への安上がりな旅のプランナーとして経験を積んでいるところです。
 元は、イリノイ州のユーリカ大学に在学中で、経済・経営系を専攻し、意外な才能をちらつかせています。留学生に電子メールは必需品ですが、日本経済についてのメール交換が、一冊の本に仕上がりました。『父と子が語る日本経済』(ビジネス社、2002年)がそれで、若者らしい視点で、私に切り込んでいます。今年うまく卒業できれば、帰国して、秋から、大学院に進学する予定です。
 退職すると研究室がなくなって不便だろうということで、元が、ホームページを創ってくれました。
 URLは、右の通りですhttp://www.econ.aoyama.ac.jp/~rmiwa
 最近の論文や3月の中国への旅、5月のアメリカへの旅、それから、6月の韓国への旅の日記などを載せてありますので、お読みになってみてください。
 たしかに、都内に、研究室といいますか、立ち寄り処がないと、少し不便です。そこで、昔から理事を務め、いまは専務理事をしている()日本経営史研究所に、机を持ちました。国立劇場の向かい側あたりで、住所等は、下記です。1週に1日くらいは、そこで、パソコンに向かう予定です。
    1020093 千代田区平河町2-12-4 ふじビル3F
         : 03-3262-1090
 基本的には、悠々自適の生活を楽しむつもりですが、日本と中国の間で、文化的な交流を進める仕事は続けようと思っています。青山在職中に、中国の天津市にある南開大学との交流を重ねたことが実を結んで、両大学間の学術交流協定が締結され、2004年度から留学生の交換が始まることになりました。私自身も、今年から南開大学客員教授に任命されましたので、1年に1回ほど、南開大学でセミナーを持つことになりましょう。
 これとはべつに、今年9月からは、約5ヶ月間、北京市にある北京日本学研究センターに、国際交流基金からの派遣教員として出かけます。日本語堪能な大学院生を相手に、日本社会論を語ります。21世紀の大国中国を担う若者たちと、深い交流ができることと楽しみにしています。この時期に北京にお出かけの節は、メールでご一報ください。一献汲むに適当な店を探しておきますから。もっとも、SARSが再現しなければのことですが。
 中国については、改革開放いらいの経済成長のスピードには本当に驚きます。しかし、それと同時に、人口13億の中国の経済成長、特に、急速なモータリゼーションには、地球環境や資源の点から、大きな問題を感じています。そこで、すこし前に、南開大学日本研究中心の紀要に、市場経済化批判の論文を寄稿したことがあります。この論文の日本語版「資本主義は何故速く成長するのか」は、ホームページの「公開論文」に入っています。
 よかれ悪しかれ、21世紀には、中国が超大国の仲間入りをして、国際関係は大きく変化することでしょう。中国との交流を仕事のひとつにするのも、過去の贖罪ではなく、未来へ向けての良好な両国間関係の展開を願ってのことです。
 社会主義に勝ってユーフォリア気味の資本主義も、1980年前後から新しい時代に入った様子です。『概説日本経済史』(東京大学出版会、1993年)では、ここのところの判断を留保していましたが、その後の歴史は、新しい時代の到来を示していますので、『概説日本経済史』第2版(東京大学出版会、2002年)では、資本主義の「第3変質期」を書き込みました。とはいえ、この新しい変質が、人類を幸せな時代へ誘ってくれるとは思えません。むしろ、さらなる成長路線を資本主義が走り続けて、地球の資源的環境的限界を突き破ってしまう可能性の方が大きそうです。
 今の私の気持ちを、青山学院大学の学生向けのブレティン『ともしび』の卒業記念号に寄せましたので、最後にこれをお読みいただきたく思います。


 
人類史の危機にのぞんでともに知的営為を卒業おめでとうございます。まなびやでの4年間に、ずいぶん知的に成長されたことでしょう。皆さんのこれからの社会生活が、一層充実したものになることを期待します。
 じつは、私も皆さんと一緒に卒業します。皆さんの10倍、つまり、40年間、経済学部に在職して日本経済史などの講義を続けてきましたが、3月に68歳となりますので定年退職します。ずいぶんたくさんの学生諸君を送り出してきましたが、皆さんが最後の学生です。
 はたしてどれほど皆さんの知的成長のお役にたてたか、ふりかえると、いささか自信がなくなります。私の講義やゼミは、歴史的事実を覚えてもらうのではなく、皆さんが今どのような歴史時間を生きているかを考えてもらうことを目標にしてきました。なにしろ変化の速い時代ですから、まごまごしていると、つい時代に流されてしまいますからね。
 1970年代後半の講義からは、現代が人類史の危機の時代であることをお話しし、人類が資源の濫費と環境の破壊の結果、この地球に生存できなくなるというような結末にいたらない道を一緒に考えようとしてきました。しかし、危機は去らないどころか、ますます深刻になってきたようです。
 ヘッジファンドで大儲けをしたジョージ・ソロスですら「市場原理主義」と呼んで、それを規制することを提唱するほどの市場中心型経済が、グローバル・スタンダードになってきました。20世紀を特徴づけた「福祉国家」の影はどんどん薄くなっています。
 有限な資源や環境を、利益追求を至上の目標とする私企業の市場での自由な活動に委ねておくとすれば、その涸渇や破壊のスピードは、ますます速くなりそうです。
 人類は「甘口ワイン」型でほろびるか、「辛口ワイン」型でほろびるか、というブラック・ユーモアが、現実味をおびてきます。つまり、糖分を食べてアルコール分を排泄するアルコール酵母は、@糖分(資源)がなくなって死滅するか、Aアルコール分(環境)が強くなりすぎて死滅するかのどちらかです。@のケースならば「辛口」、Aのケースなら「甘口」のお酒ができるわけです。
 地球の限りある資源と環境のわくのなかで、人類がながくしあわせに暮らせるような経済社会を、新しく創らなければいけませんよね。
 青山学院大学で、知的な成長をとげた皆さんとは、卒業してからも、この人類史の危機を回避できるような社会創りをめざした、知的営為を一緒に続けていきたいと願っています。さあ、一緒に!

 相変わらずのことをしゃべっているとお思いでしょうが、ここらが、私が、教職に就いてから40年間の知的営為で辿り着いた地平です。
 いまの心境はといえば、「旅はまだ終わらない」というところでしょう。
「行く先を照らすのは、まだ咲かぬ、見果てぬ夢」というわけです。
 中島みゆきにすべてを表現してもらうのも、ちょっと気が引けます。
 されば、ジョン・レノンではどうでしょう。

     
You may say I'm a dreamer,
     but I'm not the only one.
     I hope someday you'll join us,
     and the world will be as one.
    
 今日は、本当に有り難うございました。
 皆さんの、これからのご活躍とご健勝を、 心から祈念申し上げます。

2003年7月13日

三和 良一・恵子