『日本占領の経済政策史的研究』
【書評の書評】5

 

石井晋氏の【書評の書評】4について

三和良一

【三和の石井晋氏への手紙 200378日付け】

メール、有り難うございました。
石井さんが、1950年代前半の日本再軍備問題を意識なさりながら、占領期の「非軍事化」目的の「特権」化に違和感を感じられたのでしたら、第8章への批判は、完全に理解できます。
「朝鮮戦争で『特需』にわき返った日本が、停戦気運のなかで『特需』の継続を期待して『日米経済協力』の実現を画策し、アジアの小型武器供給基地化まで構想したときが、戦後、最も『軍事化』に近づいた時期であった。」(293頁)と書いてはおいたのですが、この時期と占領初期改革の時期との連続・非連続を分析はしませんでした。
書評でご指摘のように、戦後足かけ8年におよぶ占領期を、日本の近代史のなかで位置づけようとすれば、当然、1950年前後の数年間の慎重な分析が必要です。日米経済協力についての中村隆英先生のお仕事をはじめ、最近の浅井良夫さんの精力的な取り組みなどで、かなりの程度まで解明は進みつつありますが、やはり、まだ占領初期分析の精度との落差は大きいです。
いま、「経済政策史のケース・スタディ」というシリーズ論文で、松方財政・井上財政の次に、ドッジ・ラインを書こうと準備中ですが、そのなかで、石井さんの問題関心に多少なりと対応できれば良いと思っています。
少し話が変わりますが、「平和国家」なり「軽武装国家」といわれるので、戦後日本の軍需産業への関心は低いのが現状と思われますが、これはいかがなものでしょう。
たしかに数量的には平和産業が圧倒的多数で、経団連の防衛生産委員会も霞んではいましたが、質的側面からすると、戦後工業技術史上の軍需産業の位置は、意外に大きいのではないでしょうか。かつて三菱重工業の社史編纂を手伝った経験からすると、アメリカからのライセンス生産のなかで得た技術が、日本の非軍需生産部門へ移転するケースが少なからず目に付きました。
あるいは、日本の軍事技術のレベルの高さにも驚きました。アメリカの反対で実現していませんが、戦闘爆撃機の純国産化はとっくに可能で、しかも、国産Fの行動性能は世界最高となるそうです。ところが、アメリカ機とのドッグ・ファイトでは勝つ自信はないとのこと。それは、ミサイルなど火器管制を含めてのソフト面でのノウハウが無いためだそうです。朝鮮戦争・ベトナム戦争にはじまって第2次大戦後、最も多くの戦争経験を持つアメリカは、戦争ソフトではダントツの蓄積があるのですね。
参議院の審議も簡単に終わるでしょうから、そろそろ自衛隊が戦争初経験をするときが近づきました。抜群のハード生産力に経験の蓄積が加われば、局地通常戦での戦力は、すぐに日本帝国軍隊なみになることでしょう。第9条との落差は、もう解釈改憲では済まないほど大きくなりそうです。
戦後改革の歴史的意味が現実的に問い直される時は、遠くはなさそうです。その時にこそ、歴史研究者の姿勢が問われるのでしょう。
書評にはじまって、石井さんから大きな知的な刺激をいただいたことに、あらためて感謝いたします。
スタンフォードでのご研究のご進展を祈念いたします。