中国旅日記3 

3.22

 
 静安公園へ散歩。文革期に破壊された静安寺の再建は着々と進み、鼓楼と鐘楼は完成していた。まだ、本堂・山門・脇堂などが建設中で、門前には本尊を製作するための喜捨の呼びかけが張ってある。純金2トンをつかう金仏を作るようだ。門前を通る老人は膝まづいて礼拝している。読経する老婆もいる。

朝食用の物売りを探すがどこにもない。コンビニで万頭(3こ、3.4元)を買う羽目になった。ここが都市化したためだろうが、いささか不便だ。地元の皆さんはどうしているのだろう。

8:00小蒋が来てくれた。電話で問い合わせてもらうと、上海駅で南京からの切符が買えるというので、駅にタクシーで行く。残念ながら席は売りきれで、次の選択にする。上海から北京へ直行の寝台、硬臥が取れた。南京に途中下車して記念館を訪ねる計画は断念。

一安心してタクシーで体育館近くの観光バスターミナルへ。10:10発の周庄行きがあったので、切符を買ってから、免税店を見て歩く。ゴディヴァの小さい板チョコが珍しいので買おうとしたら空港渡しというのでやめる。定時出発、環状線を西へ走って、虹橋区近くを通って郊外へ。1時間半ほどで目的地に到着、まさに水郷。

バス停からは、歩くか三輪車に乗る。3人で2台で8元に乗る。ゲートを通って旧町に入る。水路が四通していて太鼓橋がかかり、櫓でこぐ遊覧船が行きかう。川岸にはさまざまな売店が立ち並ぶ。昼食を魚料理店で取る。蝦のオドリ(酒びたし)、3種類の魚を3通りで調理、野菜、かなり美味しい。部屋に、二胡を弾く男性がきたので、2曲を聴く。小生も楽器を奏でるが、良い音は出ない。10元渡す。料理は、240元。淡水真珠と絹ネクタイの店で買い物。似顔絵描きの店で、小蒋を描いてもらう。なかなかうまい。50元。3か所ほど、寺院と旧邸宅を見て、蹄料理の真空パックを買う。さらに外に出てから、木製の鶏たちが動く玩具も。また三輪車に二人を載せて、歩きながら写真を取る。運転手の歳をきくと67歳。こっちは今日で68だというと、同年だと喜んでいた。最後に、小生が運転の格好で写真に収まる、10元。

バスでターミナルへ。小蒋は、携帯でママに連絡して、落ちあうレストランを決めたらしい。ターミナルからレストランへ行くと、結婚宴が1階で開かれている。2階にママが待っていてくれた。相変わらず若くて綺麗な人で、上海テレビの経理副責任者。造船技師のパパは地方出張で来られなかったのは残念。今日が誕生日と話したので、ママがケーキを用意していてくれた。別に兵馬傭出土の馬車のモデルをくださった。気働きの良い親子だ。料理は最高に美味しい。上海蟹、酔っ払い鶏(小蒋の好物)、淡水の魚、田うなぎの千切りのから揚げ、18種の野菜炒めという名の料理、蟹みそと豆腐の煮物、中国豆腐の肉炒めなどの上海料理、Dynasty白ワインで、172元。これはかなり安い!最後は、ケーキに蝋燭を灯して、ハッピ・バースデイを歌ってくれた。なかなか良い誕生日だった。

結婚宴をレストランで開くのが、当今のファッションらしい。

小蒋の20歳記念の出来たてのアルバムを見せてもらってびっくり。プロの写真家に頼んだ作品は、とびきり美人に仕上がっている。もともと可愛いが、アルバムではまるでグラビア誌のアイドルかモデルのよう。

部屋に戻るとイラク攻撃の現地司令官の記者会見。今日の楽しそうな中国の人たちの世界との落差は、なんということだ。

 

3・23

 
 朝、テレビのチャンネルを探っていったら、NHKBSがあった。案内には書いてなかったので、CNNを見ていたのだが、やはりこの方が良い。アメリカが考えていたほどイラク軍は甘くはなかったようだ。文芸春秋のイラク国王継承者へのインタビューでは、フセインは逃げると断言されていたが、これもはずれだ。勝敗は明らかだが、過程の如何は、持つ意味が大きい。フセインが偉大な殉教者になったら、事後処理は難しいものになるだろう。

静安公園に散歩。太極拳や踊り風の体操をする年長者がたくさんいる。中国風ファストフードの店で朝食。豆花、豆乳、小包子、焼き餃子、おかゆで25元。ホテル裏の不動産屋の貼り出しを見ると、このあたりのマンションは1平方米が1万元前後。天津では、7000元くらいが高いほうで、楊先生のあたりが6000元というから、上海は高いようだ。婦人服店では、日本生糸と掲げた製品や韓国製品がある。服の値段はかなり安いと恵子はいう。これが、日本のデフレのルーツのひとつだろう。

11:00、小蒋がきて上海城市歴史陳列館へ向かったが、元の場所は事務所だけ。引っ越した東方明珠塔の1階へ行く。上海市の歴史を、パノラマと実物大模型で展示してあって、大変面白い。人物が実に巧みに作られている。アヘン戦争後、各国の租界がつくられてバンドが発達する。共同法廷が在ったとは知らなかった。領事裁判権よりはましかもしれない。昔の街角茶房そっくりにつくられた店でお茶を飲む。ダイヤルを回すと名優の声が聴ける電話や、チャンネルを合わせると各大学・高校・中学の校歌が聞こえてくるラジオ。レーザー画像を浮かび上がらせて、昔の生活を見せるパノラマなどがあり、江戸博物館よりも出来が良いようだ。ただ、機織りの模型は、機のおさの部分が間違っていた。

外に出て向かい側に4ヶ月前にオープンしたタイ企業経営のスーパー・モールの食堂街へ上がる。回転寿司・鉄板焼きなど日本料理店もある。タイ料理店に決めて、トム・ヤン・クン、薩摩揚げ、カレーチャーハン、パパイヤサラダ、春巻。かなり辛いが、美味。ビール、ミルクティーなどで127元。

余園に行く。相変わらずの繁盛振りだ。ところが、5時で庭園は閉めてしまうので入場できなかった。ホテルに戻って休憩。赤ちゃんのズボンのことを聞くと、上海では割れたものは使わないとのこと。地方での習慣とすると、特別市天津は地方?

6:30、待ち合わせのレストランへ。待つことしばらく、上海社会科学院の王少普先生たちが現れた。日本語の上手な郭先生、上海師範大学の粛先生、都立大名誉教授岡部先生、日本からきたレストランのオーナ−、若い中国人。辻(獨協大教授、高校同期)に、飛び入りですまないというと、この国は、いつでも飛び入りとか。美味しい上海料理、特に時魚が良かった。長江の淡水魚で、マス科の魚。ダックのスープ、バナナの揚げ物は中に蓮の実の餡が入っている。大きな海蟹、ダック、水晶蝦、レンコンの甘煮、チョロギの漬物、酔っ払い鶏など。王先生は、明後日からの国際会議で多忙。

郭先生は小蒋を小生たちの娘と勘違いした。朝鮮人にくらべて日本人は中国人とよく似ていると弁明。その上で、上海小姐は、結婚するとがらりと変わるとも発言。小蒋は、私は変わらないと抗弁。上海小姐については、よくこの手の話を聞く。楊さんも上海女性は気が強いといって、東北女性を誉める。本当なのだろうか?

 

3.24


 昨夜、ホテルで外貨両替を頼んだら紙幣が無いというし、100元を小さくしようとしたらこれもだめ。ここ西楼は、タオルもすりきれていて、静安ホテルチェーンの中では、冷遇されている感じだ。小銭が無いので朝食は、小蒋がくれた青団(草もち)で済ます。周庄名物だが食べそこなったので、小蒋が、似たものを昨日買ってきてくれた。草もちといってもヨモギではなく、郭先生にきいても分からなかった。

10:00、小蒋が来てくれる。3:00からクラスがあるが、それまで付きあってくれる。伊勢丹に行くが土産コーナーがないので、もうひとつの伊勢丹に行って、ローヤルゼリーとタイガーバームを購入。ロシア料理をと思って店に入ると清掃のため臨時休業。中華店に入る。小包子4種、コバトのロースト、蝦炒め、福建チャーハン、湯で151元。

車で華東師範大学へ。公園のように美しいキャンパスで、2流の河が流れ、柳の緑、ボケの赤、えにしだの黄が鮮やか。ひとつの河は、麗人河という名前。毛沢東立像がある。ふく旦大学にも在るとのこと。図書館でマルクスのドイツ語版を検索したが1冊も無いので驚いた。学部が20ある一流大学にしてはと思うが、中国のマルクス学の特徴かも知れない。川岸のあずまやでしばらく話してから、秋の再会を約束してお別れ。昨日のお茶のせいか、恵子は眠れなかったのでくたびれ気味。小蒋が気遣ってくれた。優しい娘だ。

静安賓館に戻って、本館のバーで休む。ビール小びん30元、椰子ジュース1缶30元で、サービス料15%が付くからすごく高値。西館で預けた荷物を受け取って上海駅へ。硬臥なので硬座待合室に入る。改札が始まるとわれ先に入る。硬座は指定席ではないかららしい。3段ベッドの上と中。軟臥よりかなり狭い。18人のベトナムからのグル−プの間に入った。英語で話を聞くと、お医者さんが多いらしい。さっさと寝てしまった恵子を心配してくれた。イラクの最新情報を聞かれたが、こっちも知らない。どっちに味方するかと聞かれたので、どっちも嫌いだというと、彼らはイラク派。ベトナム戦争の記憶がよみがえるという。もっともな話だ。

7:00定時発車。静安賓館の裏道のパン屋で買ったカレーパン・ハムサンドで夕食。文芸春秋を読む。中国農村の記事は面白かった。いったん分配した土地を再度集団所有化して成功した村や、土地を提供して株主になる仕組みで耕作規模の拡大を図るケースが増えているようだ。農民一人あたり平均0.24ヘクタールでは、過小農もいいところだ。農産物の国際競争力は無くて当然。下のベトナムご一行は、賑やかだ。10:00消灯、枕許灯は無いから本も読めない。しかたなく早寝。

 

3.25


 明け方トイレに行くとどこも鍵がかかっていて使えない。これは非人道的だ。7:00点灯。9:00北京着。ベトナムのドクターたちとお別れの挨拶を交わして下車。駅内のホテルブッキングで400元以内と言うと、大万酒店を予約してくれた。タクシーを拾うが運転手が場所を知らない。途中3回ほど尋ねながらようやくホテルを発見。東四の甘雨胡同の角で、分かってみれば簡単な場所。運転手がまだ北京の地理を良く知らないらしい。ぐるぐるまわったので23元になってしまった。

しばらく休憩して、王府井へ歩く。相変わらずの賑わいぶり。食材売り場を見ようとしたが、生鮮食料品は見つからなかった。東安市場の6階で、米粉炒面と牛肉面の昼食、40元。6階の美食街には関東煮があり、吉野屋も出ていて、結構流行っている。天津に出来る前に、南開大学の学生が、食べにきたというのはここだろうか。照り焼き丼もやっている。少し丼が小さいような気がしたが。

食後、中国美術館まで歩くが、改修中なので、明日の空港バス乗り場だけ確認してバス(@1元)で王府井まで乗って、部屋に戻る。ホテルの回りには、一部に胡同の住居が残っているが、どんどん建て替えられて、アパート・マンションに変わっている。部屋の窓からも、金魚胡同の北側が大規模に再開発中の様子が見える。オリンピックまでにはすっかり変わってしまうのだろう。土地私有権が認められていないことは、再開発には都合が良い。中国の人は、「これが社会主義です」と苦笑いしながら、半分誇らしそうに語る。

昼寝後、畔上さんに電話してそごうの場所を聞いて見学に行く。宣武門近くで、地下のスーパーは、日本的食材が豊富だ。みそ、のり、米、パン粉、薄切り肉など。魚はまったく魅力的でない。マグロもあるが、食欲はそそらない。秋からしばらくは魚を諦めるしかなさそうだ。

王府井へ戻って、全衆徳の焼鴨パックを買う。夜市にずらりと並んだ立食店をながめると、肉や内臓はもとより、いちご、さなぎ、さそり、ひとで、むかで、バッタ、なんでも串ざしにして焼いたり揚げたりして売っている。さすが、中国人は食の天才だ。東来順飯店で、中国しゃぶしゃぶを食べる。鍋代が19元、ゴマだれが@5元、おしぼりと箸@2元が基本で、牛肉28元、羊肉12元、白きのこ18元、豆苗8元、米粉6元、特製にんにくの甘漬5元で、ビールともで120元。鍋は、真中にコークス豆炭が詰まっていて火力はとても強い。ゴマだれが、いまいちだが、この火力でのしゃぶしゃぶは、調理法としては優れている。

NHKは入らないのでCCTVを見る。番組の区切りのところで、爆撃の煙、泣く子供、傷ついた子供、子を抱きしめる母親、病院で横たわる老人、反戦デモの映像を、効果的なBGMを付けて放映している。反戦の訴求力が強いスポットだ。中国政府の立場を良く示している。イラクの予想外の抵抗に、株価は嫌気をさしたようだ。

夜、電話が鳴るとマッサージのお勧め。断っても、美人ですとかしつこいので、電話線をはずして寝る。

 

3.26

 
  5:00起床、パッキング。チェックアウトしてタクシーで美術館前のバス乗り場へ。6:15頃なのに、修築中の美術館にはぞくぞくと工人が働きに来る。手にはシャベルやセメント鏝、金槌を持っているが、あれは自前なのだろうか。なかにはセメント車を押してくる人もいるが。コンクリートミキサー車も構内に入っていく。中学卒くらいの、童顔の工人も。でも、決して暗さはない。この生き生きしている民は! 門の前では、老人たちが太極拳や体操。

肝心のバスは、6:30のを待っても来ないし、7:00のも来ない。しかたなくタクシーを拾う。空港へのバスルートが変わったのをホテルが知らなかったのだろうか、ちょっと不思議。高速料金を含めて74元。

上海に比べて北京のタクシーはおとなしい運転だ。軽業のような割り込み・追いぬきはしない。それでも、飛び出してくる自転車や人間をうまく避けながらの運転は見事なもの。道がすいてくればすいてくるで、反対車線に入っての追い越しは、対向車のスピードを計りながらのチキンゲームさながら。この国では、とても運転は出来そうにない。

空港の荷物のチェックは厳重で、機内持ちこみのボトルは開封して臭いをかぐし、バッグに入れた白酒は没収されてしまった。火がつくとでもいうのだろうか?昨年9月11日直後のカナダのときは乾電池を取られたが、どうも空港のチェックには分からないところがある。空港施設料は@90元。

10:05離陸。恵子が機上からの富士山を見たことがないというので、テレビ航路図で見当をつけて、機後部の小窓から二人で見る。駿河湾上空からの富士は小さいが真っ白で美しい。14:05成田着。17:00帰宅。

2003年3月の中国への旅は無事終了。

《中国日記》