2005年5月 天津旅日記 2

4月21日

6時に正門から出て運河沿いを歩く。公園のように整備されて、桃、山吹、リラ、バラなどが美しい。釣糸をたれる人もいるが、釣れる様子はない。遊覧船の埠頭があるが、人気がないので運航されていない。船が通れるようにわざわざ橋を架け替えたりしたのに無駄な話だった。この市には、見事な老樹や椰子の木があるとおもったら造り物だったりで、ちょっと首を傾げさせる都市開発がある。

西南村で、中国クレープ(0.6元)、卵焼き挟み焼き餅(1.5元)を仕入れて朝食。クレープは美味しくなかった。

9時に研究院へ。メールとニュースをチェック。10時、「経済とは?」を話すが、やはりやや分かりにくかったようだ。鄭先生と温先生が通訳。温先生は、神戸学院大学の博士で、地租改正の研究者。フランス映画で主役を演じられそうな才媛。

昼は、宋・李・趙先生と天津百餃子園で、各種餃子を食べる。トウガンの餃子は珍しい。細かく切ったトウガンに味を付けた餃子だが、意外に美味しかった。名物のカニの餃子は、カニのバラ肉が一杯入っていて味が濃い。目方で注文するが1両(=1/10斤)が5個くらいだ。水餃子だが、焼き餃子も出来るらしい。

帰路、中国銀行で1500元引きおろして今夜の軍資金にする。ATM一回の引きだし額は1500元が限度。

日本研究院に戻って、博士課程の院生の論文の相談にのる。日本の不動産産業、エネルギー政策をテーマとする金、尹両院生と話す。日本の土地の商品としての特殊性から考えること、省エネルギー政策からアプローチすることなどをアドバイス。すでに教職にあってさらに博士課程に在籍する劉さんは沖縄返還問題がテーマ。FRUSの活用を奨める。法学院の教授、張さんは特許制度の経済効果がテーマ。人民大学の?先生の本を紹介したが、?先生の名前を思い出せず、後日メールとする。張さんの著書「専利法理論」をいただく。知的所有権法制の専門家だ。

夜は、日本研究院の諸先生を招待して会食。楊、米、王、宋、李、趙、劉の古手先生に、温、鄭、喬、張、周の若手が加わって、にぎやかな宴席。故郷に帰られた蒙先生と風邪の劉先生だけが欠席。楊先生の体調が気遣われたが、大きな声で話されるので安心。いろいろな話題に、若手も積極的に自分の意見を述べるあたりは、自由な雰囲気で好ましい。

楊先生の日本商品ボイコットへの批判的意見に付いて、妥当な意見だが、さらに、中国の成長が外資に依存していること自体への評価が必要だと述べる。過度の外資依存は、中国の自立性を損なう可能性があることに眼を向けるべきだが、このあたりは、あまり議論されていないから、そろそろ、研究者が取り組むべき時期だろう。10時ころ散会。楽しい夜だった。李先生から著書「中日家族制度比較研究」をいただく。

 

4月22日

6時前に天津大学村に向けて歩く。南開大学の中央の池では釣人が糸を垂れている。見ていたらクチボソのような小魚が釣れた。体育館の脇を通って天津大学構内に入る。ここの池には釣人はいない。魚ははねていたから、管理が厳しいのだろう。

村の屋台で焼餅2種(1.2元)とペチトマト(1元)を購入。朝食はだんだん安くなる傾向にある。

村の中を見当をつけて南開大学に向かうと、壁に壊れた穴が空いていて学生寮の脇に抜けられた。立派な学生寮で、まだ増築が進んでいる。ドラム缶をゴロゴロ転がしながら建築現場に向かう労働者たちと一緒に学内を歩く。出稼ぎの若者達だが、大学生との格差をどのように感じているのか。

第1回が伸びてしまったので、9時からセミナー開始。第3回の経済政策史の方法を1時間で済ませ、第4回の現代の経済政策ー小泉内閣批判ーに進む。今日も温先生と鄭先生が通訳。日本研究院の経済系院生で開発区キャンパスで1年を過ごしている2名も参加したが、まだ日本語は出来ないので、通訳は必要だ。今日の話は良く分かってもらえたようだ。

セミナー終了に際して楊先生から感謝のご挨拶と白酒・新茶のお土産をいただく。

昼食は、明珠園で院生を招待しての懇親会。20数名で楽しく過ごす。女性達が、博士号取得に危惧を持っているのには驚いた。結婚相手が見つけ難くなるという。人間には男と女と女博士の3種類があるとのジョークまで飛び出した。中国男性は自分より上位の女性は敬遠するらしい。まあ、日本でもその傾向はあるが。

散会後、王さんの論文について部屋で相談にのる。日本の医療保険制度がテーマなので、史的変遷の概略を説明する。一緒にきた何君は、日本文化論をやりたいとのことだが、テーマは未定。中国の将来については明るい見通しを持っているようだが、格差などの問題点は感じている。

ひと風呂浴びて休憩。

6時半、劉先生が迎えに来てくださる。専家楼の食堂で楊・米・王・宋・劉先生と新任の劉岳兵先生との会食。劉先生は、近現代の日本儒学の研究者で、テーマがユニーク。日本に同学者は少ない。近現代の儒者といわれれば、安岡正篤くらいしか思い浮かばないが、他にもいるらしい。

部屋で雲君とおしゃべりして早寝。

 

4月23日

散歩はやめて朝風呂に入るがお湯がぬるい。愛大会館で朝食(10元)。ご飯やパンもあって日本人向けになっている。

9時、雲君と博物館に出発。運転手は、土曜日だが反日デモはない、もう落ち着いたと言う。反日デモを通して、社会を混乱させようという意図に警戒すべきだとも話し、こんな時期に訪中してくれるのは友好を強めるためだろうと感謝された。中国のタクシー運転手は情報通と聞くが、なかなかの見解を持っている。

博物館は新築開業したばかりで、半球型の天井全面ガラス張り。前庭の池をはさんで鉄塔と対峙し、太陽と月をかたどる設計と運転手は説明してくれた。設計は日本人だという。古硯室は見事なコレクション。陶器室はいくつか良いものがあるがさほどとは思えない。青銅器など見たかったが宝物室は閉鎖中。モンゴル美術展は、モンゴル画家の作品を展示し、美意識やテーマ選択に現代モンゴル人の姿が見えて面白かった。書室は、拓本から近代書家まで、かなりな内容だ。

3階は天津の歴史2室で、近代100年の展示室に力が入れられている。西欧の侵略、近代化への努力、日清戦争、義和団事件、租界の拡大、5・4運動、中日戦争、革命戦争、新中国誕生までを歴史資料、ジオラマ、人形で説明している。日本の侵略を強調するような展示ではなく、むしろ控えめな表現だ。愛国教育基地の再現ではないようだが、客観的な展示は、それ自体が日本侵略の事実を語っている。

閻さんと天津外国語学院で会う。租界地で西欧風の建築が並ぶなか、天津財経大学に隣接している。学内の外人向け食堂で昼食。ブロッコリー煮物、牛肉の竹ざる挟み揚げ、手羽揚げ、スープ、チャーハン。竹ざるに長ねぎを敷きその上に薄切り肉をならべ、長ねぎで覆って竹ざるを重ね、竹串で留めて揚げた料理は初めてだ。長ねぎの無い部分の肉が竹ざるにくっついて取りにくいが味は良い。スープはほうれん草の緑のなかに白い素材を流した美しい仕上がり。この食堂のシェフは高級料理店にスカウトされたほどの腕前で、彼が残した味がまだ生きているとのこと。

日本語を学ぶ学生の意識をたずねると、「外国から学ぶことによって外国を越える」という言葉を中国語で示して、このような気持ちで日本語を選ぶ学生が多いとのこと。日本に対する感情は悪いが、手段としての日本語学習には熱心だという。閻さんも、日本語を通して日本文化に触れることの大切さを語っても、日本への反感は根深いことに戸惑っているようだ。日本語人気の高さと日本人気の低さは、奇妙なねじれ現象だ。やはり、歴史問題への対処が出来ていない日本に対しては厳しい眼が向けられる。

閻さんにご馳走になってしまって恐縮。租界地を散歩して帰室、一休みする。

6時前、楊先生ご夫妻がお別れのご挨拶に来てくださる。朝鮮人参をいただく。明日は日本研究院の遠足で早発ちとのことで、5月の来日時の再会を約してお別れ。

6時、許さんたちが迎えに来てくれて、青葉火鍋店へ。日本留学中にご馳走したことへのお返しのご招待。博士課程の許、王、劉、連、若手教員の喬、張さんたち。赤と白のスープが分かれた鍋の上に焼き鍋も乗っている。火鍋と焼肉の合いの子だ。赤スープは四川のほどは辛くない。牛肉、羊肉、あひるの腸、牛の胃、エビ、野菜など。濃い胡麻だれに香菜、唐辛子を入れて食べる。食談義など楽しむ。連君は天津社会科学院日本研究所に就職とのこと。許さん、張君、連君は博士論文執筆中。10万字以上という規定のところ、皆さん、15万字以上書くようだ。中文は日文より短く書けるから、日本語なら20万字、400字詰め500枚程度か。

原稿を急ぐ皆さんと分かれて、王、劉、雲3君と洋菓子を食べに行く。Kieslingというドイツ系の店。パイ焼菓子は良かったが、ケーキはやはり植物油脂でおいしくない。ロシアコーヒーという普通のコーヒーを飲みながら11時過ぎまで話す。15年戦争は、中国が勝ったことをもっと自覚すべきだと話すが、やはり連合国の勝利で中国の勝利とは考えていないようだ。国共合作以後の抗日戦線の役割をもっと大きく評価すれば、日本への感情も少し変わるはずなのだが。

 

4月24日

散歩に出ようとしたら雨がパラ付いてきたので中止。CCTVでは、日中首脳会見のニュースが流れる。侵略謝罪は言葉だけでなく行動でという胡主席の発言をどう受け止めたのかは分からないが、一応、事態の悪化は避けられたかもしれない。

愛大会館で朝食。ヨーグルトをとったら1.5元追加させられた。9時、雲君が来てパッキングを手伝ってくれる。海南島の海産物をお土産にいただく。9時半、張君が迎えに来て、南開大学の車まで送ってくれる。感謝してお別れ。雲君と空港に向かう。案外、道は空いていて12時前に着く。機場高速の両側は、桃かカイドウの花が美しい。コーヒーを飲みながらしばらく話し、餃子とピザで昼食。コーヒーは35元と高い。雲君のご馳走になる。お嬢ちゃんは今年6月に中学受験、海口市一番の中学が目標で、将来は北京大学を目指しているとのこと。全寮制で、入ると寄宿舎生活。成長が楽しみだ。

チェックイン、出国審査してから所持品検査で日本研究院のお土産の酒が持ちこみ禁止といわれた。そう言えば、この国は駄目だった。別口でパスポートを預けて外に出て酒箱に紐掛けしてもらい(10元)、追加荷物にする。別口から入って所持品検査をやり直して出発ロビーに。

本屋では「裕仁天皇与日華戦争」「日華戦争秘録」のような本が目立つところに並んでいる。今時、売れ筋なのか。

MU271は、出発が1時間遅れる。乗り継ぎ便が延着したためのようだ。半分くらいが日本人で、団体客も多い。2時間40分で成田安着。京成、JR、東上線で11時帰宅。

2005年天津への旅無事終了。