2006年2・3月
天津・北京滞在記

2月24日(金)

 早寝したので4時に目覚めて日記を書く。浜海学院授業用レジュメも作成。

 6時半に散歩。天津大を目ざすと、連絡通路あたりは、古い煉瓦造り平屋の住居が立ち退き取り壊し中で、古着や古家具が煉瓦屑と一緒に散乱している。作業員住宅や簡易食堂があり、屋台も出ていた場所だが、再開発するらしい。

 天津大専家楼のわきから西門を抜ける。池は氷結していて、釣り人は居ない。四季村の市場へ向かうが、見あたらない。来すぎたかと引き返すと、昔の横町の脇に大きな建物がある。中を覗くと、常設市場だ。横町に並んだ古い店々は取り壊されて、ここに集中したらしい。豆乳、焼き餅2種、饅頭を購入。簡易食堂や野菜露天商、鉄板焼き餅屋が軒を連ねていた昔の活気はない。ありきたりの集合店舗になってしまって面白くない。

 帰路、煉瓦廃墟を撮ろうとカメラを構えたら、饅頭を落とし、拾うときに豆乳のビニール袋がなにかに刺さって小穴が開いてしまった。豆乳をしたたらせながら、日本研究院近くまで歩き、減った袋の位置を変えて漏れを止めて帰室。

 朝食後、日本研究院で宋先生と話し。今夜の夜行寝台で上海の会議に出張の由、昼間の飛行機で飛ぶ時間的余裕もないようだ。日本研究院裏には中国大学一の体育センターができる。国際競技標準のプールと屋内体育場を備える設計で、かなり工事は進んでいる。大学予算の半分は国庫負担だが、残りは自己調達で、銀行からの借入で建築を進めているとのこと。体育センターも、貸料収入を見込んでいる。

 元は、教室へ。帰室してレジュメ作り。昼食は、チャーハン。

 2時から外国語学院で講演。中規模の階段教室が満席。王先生が紹介してくださって話し始める。元が、もっとゆっくりとのサインを送ってくるのでテンポを変える。「社員」の意味から、会社の歴史、5つの資本主義、日本の会社の特徴、日本文化と日本会社、日本の将来と話す。レジュメは配ってあるが、板書を併用。通訳無しだが、反応からすると理解度は高い。全学年だが、2年生・3年生が主力のようだった。

 質問は、「和」の精神とはなにか?日本企業は、中国でも日本的経営、終身雇用などを適用するか?男女差別はあるのか?小説は経済と関係するのか?など、上手な日本語。元も、知見を披露。日本文化と中国文化の差異など補足して講演は終了。さすが、南開大学の学生の日本語能力は高い。信州から外国専家として来ておられる片町先生も聴いてくださり恐縮。日本語科の先生も数人来ておられた。王学院長に挨拶して帰る。

 日本研究院に寄って、来週のセミナーのレジュメと図表を周さんに渡し、宋先生と立ち話。上海は寒いからお大事にといって別れる。

 浜海学院講義のレジュメを作る。元が留守中の2回分、独占禁止と労働関係法がテーマ。

 夜は、南開大学と浜海学院の若手の皆さんと会食。周さんの可愛い奥さんも一緒。中学からの同級生で中学校の歴史の先生をしている。富山さんは「筒井筒」という日本語を紹介。許さんは、ヘアスタイルを変えてあか抜けてきた。天津師範大での待遇は、博士になっても変わらないとのこと。博士論文は出版準備中。喬さん、張さん、それに、昨年9月赴任の王玲さん、それぞれの博士論文も、出版助成金を申請して刊行予定。王さんは、北京大学博士で、お茶の水大で小風さんの指導を受けた女性。サンフランシスコ講和がテーマ。浜海からはゴンさん。「龍」の下に「共」を付けた「龔」という珍しい名前。日本語読みはキョウさん。日本研究院修士を終わって、今年9月から専任になる女性。

 マルクス主義研究所の拡大強化については、あまり期待していないようだ。大学でもマルクス主義は必修だが、内容が興味をそそるモノではないのだろう。マルクスの原典もあまり読まれていない。さすが王湧さんは、資本論を読んでいるが。キリスト教概論と同じように、必修となると、若者の姿勢は、形だけの勉強になる。毛沢東の原典も流行っていない。マルクス主義再考も、形だけにならないことを祈ろう。 

 

2月25日(土)

 朝5時、予約のハイヤーで元が北京空港に行くのを見送る。7時まで寝て、105号室から元の201号室へ引っ越し。

  11時、閻さん来室、甘栗とサンザシ飴・ムカゴ飴をくださる。サンザシの間に餡を挟んで串に刺し、飴でくるんだ食べ物。良く見かけるが食べるのは初めて。ムカゴも茹でたのを串刺しして飴でくるんだもの。これは初めて見たが、案外美味しい。栗は品質にばらつきがある。北京の甘栗の方が良かったが、時期によるのかもしれない。いずれにしろ、天津甘栗とは称していない。

 日本商務の原稿にルビを振る作業を見てもらって意見を聞くと、2年生向きでも少し細かすぎるようだ。未完成の分をメールで送って、ルビ振りを頼むことにした。

 ノースウエスト12便が成田に無事到着したのをネットで確認してから、専家楼食堂で昼食。食堂のテレビでは、トリノの金メダル表彰式。男子エアリアルで優勝とはすごい。スポーツとしてのスキーが普及していない中国だが、なにしろ才能のある人物は、日本の10倍はいるはずだから、訓練の場さえあればすごい結果が出る。

 2人は閻さんの案内で市内見物にでかける。元から、無事到着のメール。

 4時半、散歩。東門から出て天津大の前を歩く。堀の水は氷結しているが、場所によっては波立っている。温水でも流れ込むのか。釣り人も数人居るが、釣れている様子はない。天津大の角を曲がる。大路の反対側にも学生寮があり歩道橋がかかっている。広大な敷地に博士寮を建築中だ。かっての総合商店ビルがガラスが割れたままに放置されている。隣接する小商店が集まった市場も閉鎖途上で古本屋、アクセサリー屋などがまばらに店を開いている。この一角は、いずれ再開発されるのだろう。

 古本屋を含めて本屋が多いのは大学前で当然だが、理容・美容室が目立つのは、現代中国の特徴だ。痩身、減肥、美白の看板も多い。美しくなりたい願望は、基礎的な欲望のひとつだから、所得上昇とともに、この種の産業は拡大するだろう。今は防寒服だから街中で振り返りたくなるスタイル美人はいないが、日本人より足長体型の人種が、お洒落に熱中したら見応えがあることだろう。

 天津大のキャンパスに沿って道を曲がる。古い住宅群がならぶ小区は、新しいマンション群とは対照的だ。鉄格子を付けて部屋に改造したベランダが並ぶ4、5階建てアパートは、かつてのモダン住宅だ。1階の住人は、庭側に進出して小店を開いている。服の修理屋、雑貨屋、食品店、食堂など雑多。日本でも住宅地内の戸建て小住宅の1階を飲み屋やコーヒー店に改装する家を見かけるのと同じような姿。小商いは、それなりに商売になるのだろう。

 朝の散歩コースに出て、天津大構内から南開大構内へ戻り、帰室。市内観光の2人は帰ってきていて、古文化街の麻花屋で買ったという中国菓子でお茶。甘栗の一口羊羹、ゴマ餅など、結構美味しい。天津外語学院周辺の居留地洋館街から、古文化街へ回ったそうで、風の寒さには参ったようだ。

 昼食の残りを持ち帰ったのをリメイクしたチャーハンと冷凍餃子の湯で夕食。中国茶道を習おうという話など。中国にはコウロギを入れて持ち歩く陶器壺があるそうで、似たものを道具屋が水差しに使うべく、さる大宗匠に箱書きまでさせた話は面白かった。丸い小球になっている中国茶の製法は、富山さんも知らない。研究を依頼した。茶の本場だから、富山さんの研究課題はたくさんありそうだ。

 久しぶりにローヤルゼリーを飲んで早寝。 

 

2月26日(日)

 朝は西南村に買い出し、日曜の早朝なのに学生が入っていく建物が多い。勤勉な人種だ。市場には、肉挟み餅屋が店開きしている。前回なかったのはたまたまのことだったらしい。2個購入(@1.7元)。他の焼き餅も1個、豆乳0.6元分、梨・リンゴ各1個、殻付落花生1斤(4元)を仕入れる。アップルパイの美味しいパン屋があるとの話で数軒のぞいたが、それらしいものはなかった。

 村内には房屋交易市場の立て看板がある。南開関係者の間ではアパート売買が自由だから大学村の中の不動産仲介業があるようだ。各所に○○公司の事務所もあり、学内企業を統括する株式会社もある。予算の半分は自己調達だから、大学も営利事業をやらざるをえない。特許を持っている自動販売機販売事業は、かなり儲かっているらしい。

 帰室して朝食。梨は外見は見事だが、中が痛んでいた。落花生は素煎りかと思ったら、塩煎りで、ニンニクの臭いもする。今朝の買い物は失敗。

 恵子が風邪気味なので、喬さんに電話して午後の市中見物はキャンセルする。おばさん2人の案内よりも、冠華ちゃんと一緒に過ごした方が良いだろうし。

 ルルを飲んで恵子は寝ているので、昼食は冷蔵庫のシチューとパンで済ます。もともと自活力は弱いし、元の食材ストックのあふれる台所では、何がなんだか判らない。

 夕方、八里台市場に買いだし。幼稚園の裏、総合実験棟の前の庭園に古樹珍樹「龍爪棗」が2本あるのを発見した。雲竜柳のようにくねった枝のナツメで、高さは3m程度の風格のある古樹だ。低い柵で保護されている。どんなナツメが生るのだろう。

 東門の交差点で青信号待ちをしていると、物乞いが来た。杖をついた老人で、私よりも若そうだが、1元を喜捨。戸籍地での公的扶助制度はあるが、無戸籍の都市貧民は、働けなければ乞食をするしかない。北京で多く見かけたが、天津では初めてだ。セーフティ・ネットがない格差社会は、どうなることか。

 街中の求人広告では、写字職で1000字で3元、ホステスが身長170cm以上なら月収30005000元。外国人相手のバーが多いそうだから水商売は稼げるようだ。

市場は大のにぎわい。羊肉店では、薄切り肉をパピヨットのように巻いたものを売っている。しゃぶしゃぶ用だろう。ここには、しっぽのついたロバ肉や頭のついたイヌ肉は売っていない。狗肉料理店の看板は見ないが、驢肉料理の看板はある。あまり一般的な肉ではないようだ。魚屋では、上海蟹を売っていた。

 南のはずれでは、シートの上に少しばかりの商品を並べる露天商が店開きしている。大工道具の中古品もある。カンナは引き削り型のようだ。竹製の靴べらを2元で買う。専家楼は、靴べらを備えていないので不便だった。

 タマネギ、青首大根、椎茸、ピーナッツ、うどんなどを仕入れ、焼き鶏1羽を14.7元で買う。学内では、四角く薄型の背負い袋とプラスティックの道具箱を持った若者が、門に向かって歩く姿が目立つ。絵画教室でもあったのだろうか。

 買い出し散歩は、お昼に富山さんからいただいた万歩計で2300歩。2km足らずということか。ボタンを押すと5.6gの数値。脂肪燃焼値らしい。痩せるのも大変だ。

 富山さんが用意してくださった鶏の水炊きで夕食。青首大根のオロシは、辛みもあって良い。ワインと思ったがストックがない。紹興酒は1985年古酒で、飲んでしまうと元がガッカリするだろう。中国ブランディで我慢する。といってもワイン技術よりも蒸留技術が進んでいて、ブランディは価格が安い割には美味しい。よく寝たので恵子も回復して、ブランディも飲んだ。

 

2月27日(月)

 西南村に買い出し。小麦粉に卵を入れた生地にニンジンやニラを混ぜて焼くチジミ風の餅を2種購入(@1)。今流行っているのは、電気自転車だ。沈先生も乗っているが、充電式のモーター車で、日本のものとは違って、漕がなくても結構スピードがでる。日本ならバイク扱いになるような製品だ。1500元くらいで買えるようで、専家楼の掃除のおばさんも乗ってくる。頑丈なチェーン鍵をかけたうえに、蓄電池を外して駐輪している。自転車盗難は日常茶飯事だから、沈先生のも、いつまで大丈夫なものか。

 小型犬も流行。今朝は7匹と出会ったが、うち4匹は狆、ペキニーズだ。大小があり色も違っているが、顔立ちは一緒。国犬ということか。

 北京のカクさんからのメールに返事したら、さっそく電話をくれた。就職活動で忙しい様子。北京での再会を約束。

 10時から日本研究院セミナー第2回目。「敗戦から高度成長まで」を話す。4月から日本に留学する孫君が通訳してくれる。対日援助の役割についての質問に答える。喬さんが、中国の重化学工業化の前途を質問。19世紀の重工業、20世紀の重工業と変化し、21世紀には、ITが基軸になるが、自動車も、エネルギー転換などで新しい姿となって重要な役割を果たす。しかし、外資依存の現状は、早急に改める必要があると答える。

 日本研究院の門にあった大理石製の門標がなくなって、代わりに金属製のものになっている。なぜか劉先生に尋ねると、風水の見方で、良くないと言われたとのこと。范曹先生の揮毫だから、石の方が堂々として良かったと思うが。「気」を殺ぐというなら、周恩来像の前のTEDAビルのほうが強烈だ。

 うどんで昼食。昨夜の水炊きの残りを使おうとしたら、もう酸っぱくなっている。北京でも感じたが、中国は室温が高いせいか、はたまた腐敗菌が強力なせいか、食品の傷みが早い。卵うどんになる。

 昼寝をしてから、西南村へ。昼の西南村市場は朝とは姿が変わる。焼き餅などの屋台の場所は、本、雑貨、服、靴などの店になっている。西南村門でタクシーを拾ってカルフール家楽福の白堤路店に行く。9.5元。2階建てで、繁盛している。オーブントースターを探したが、大型しかないのであきらめる。ワイン8本と野菜・ミカン、リンゴ、洗剤、ピーナッツバター、あんパン、菓子などを買って帰る。フランス独資の天津ワイナリー物赤、特売中で2本45.8元と3本71.6元、知らないブランドの白、39.6元、38.5元、長城白35元。恵子は、海光寺店の方が品揃えが多く、パンも焼き方が上手だという。リンゴも安いが、傷、打ち身も多く、日本では売り物にならないレベルだ。

 部屋に、元の学生から電話。卒論指導をする8人の4年生のひとり。3/11に帰ってから指導することで王学院長と了解済みの由を伝える。先日の講演は聴き損なったようなので、日本研究院のセミナー聴講を勧めておいた。

 昨日買った焼き鶏で夕食。3本組みの赤を飲んだが、ボディがしっかりしていて、なかなか結構。富山さんが、井伏鱒二の「さよならだけが人生さ」の原詩を忘れたというので、ネットで検索して発見。はやく、持参のパソコンをネットに繋ぐと良い。

すこし風邪気味なので早寝。

 

2月28日(火)

 起きると外はうっすらと雪化粧。まだちらほら雪片が舞っている。このところ寒いわけだ。オートミールで朝食。ニュースは、民主党のドジ振りを報道している。ダボハゼよろしく何にでも食いつくあたり、野合野党の浅ましさだ。それにしても、幸運の女神はまだ小泉政権を見放してはいないらしい。

 藤本隆宏らの『ビジネス・アーキテクチャ』を読む。面白い考え方ではあるが、アーキテクチャ概念が、まだ明確に規定されておらず、曖昧なところが残る。部分と部分、部分と全体の関係を示す仮説だから、鍛え上げれば、社会科学の広い範囲でも活用できる可能性がある。システム論の新しいヴァージョンだ。

 おじやの昼食を早めに食べて、昼過ぎ、迎えに来てくれた劉さんと西南村バス乗り場に向かう。また小雪が舞ってきて風が冷たい。12時半のバスが少し遅れて来た。ここからは、開発区にある南開大学の別キャンパス行きのバスも出る。1時間ほどで南開大学浜海学院に着く。

龔さんが迎えてくれて、外国語学院日語科の教員室に行く。4階だがもちろんエレベータはない。主任の藩先生にご挨拶。見事な日本語なので驚くと、15歳まで日本で育たれたとのこと。南開大学外国語学院教授を退任後、浜海学院の日語科立ち上げ役になられた。言語、文化、文学系は南開大学にまかせて、浜海学院ではビジネス日本語系を特色とする方針。2004年に現2年生70数名が入学、昨年は人気が高く定員の倍近い130数名を受け入れた。

藩先生、独自の教育方針を持っておられ、学期毎に成績順にクラス分けをする。英語科ではしていない方式とのこと。新大学では、初期卒業生の能力は社会的評価に係わるから、これもひとつの方法だ。こぢんまりしているから学生の顔は全員覚えて、気軽に声を掛けて忠告したり励ますことができる。手作りの教育に近いから、成績別クラスも、ただ差別化と競争を意図したものにはならない。

 別棟の教室で、2年生全員を対象に授業。元のスケジュールに乗って、独占禁止法と知財法を話す。日本の法学部でも3年生くらいで取る講義科目だから、もちろん、大筋だけを分かり易く話す。龔さんが通訳してくれるが、2530%くらいの学生は通訳なしでも聞き取っている反応だ。話への集中力は高い。初年度学生で、大学入試の共通試験でトップクラスの学生も入学しているとのことだが、たしかに、しまりのあるクラスになっている。

 100分ほどで終わり、質疑に移るが、みなもじもじしている。藩先生が質問の手本を示して、あとに1人が綺麗な日本語で質問。不当な取引制限と不公正な取引方法の違いという、高級な質問だ。とりあえず、複数企業による共謀行為と単独企業による規制行為のちがいとして説明。法文的にも判りにくいところだから、質問者の理解度はかなり高いことが判る。浜海学院の学生に対する元の評価が高いのもうなずける。

 藩先生の部屋で帰りのバスを待つ。去年訪問したときからみると、実験棟や学生活動館の建設などが進められている。2010年に、キャンパス・プランを完成させ、29学部8000余人収容の大学になる。国庫補助なしの独立採算制で独立大学とよばれるもので、すでに全国に200校以上が開学している。進学率上昇の受け皿だが、授業料負担は重いから、独立大学間競争で上位校にならないと良い学生は来ない。

 バスでは、藩先生と並んでいろいろお話。3歳年下の方だから共通の話題は多い。中国現代史について、忌憚のない話をうかがえた。正門で下車、日本研究院に自転車を置いている劉さんと別れて帰室。

 富山さん手作りのちらし寿司で夕食。和食のおいしさを味わう。留守中、片町先生に甘酒をご馳走になった由。まだ風邪気味なので早寝。

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