2006年2・3月
天津・北京滞在記

3月11日(土)

 朝は天津大四季村に買い物。まだ、古い煉瓦住宅は取り壊し中、古着を拾う初老の男性がいる。池の畔は、風が強く、耳が痛くなった。面白くなくなった市場で、紅苔菜を見つけたので1把購入、2元。何も入っていない焼き餅2個(@3.5角)、豆乳5角。太極拳や気功をする老人たちが、そこかしこ。日本研究院裏の大体育館建設作業は、上部の飾りひさし作りにかかっている。頼りない鉄パイプの足場の上で、ひさし状にパイプを組み、その上に割り竹を編んでつくった薄い板を敷いていく。それを足場に、ひさしを作るらしい。作業員は、制服などは着ていない。安全帽はかぶっているが、どうも危なっかしい。

 朝食を取っていると、小雪が舞い始めた。やはり、今日は寒い。

 ネットで成田無事出発を確認してから、家世界へ買い出し。今夜用のワインなどを仕入れる。スパゲッティを探すが、売場が見つからない。果物などを買って帰る。

 白アサリのペンネで昼食。待つ内に、許さんが来てくれる。お土産をいただいた。気配りの優しい女性だ。そのうちに、電話ですぐ着くとのこと。ロビーで待つと、タクシーが着いて、兄貴が到着。

 部屋で、ビールで乾杯。

 6時半、宋先生が来てくださって、嘉園で祝宴。外国語学院の王院長、通訳をしてくださる劉雨珍先生も。日本研究院の皆さま。李先生、趙先生も、シンポジウム終了後、遅れて参加してくださる。津酒の乾杯、異国での日本語の対話。大いに兄貴も喜んでくれた。王振鎖先生が、「頥寿」の扁額を書いてきてくださった。素晴らしい能筆だ。

 卵白をベースにした豆腐状の素材を蟹の内子で味付けた一品や、串に刺して空揚げした蝦を塩盛りの桶の中央に林立させて固形燃料で燃やしながらサービスする火焔山なる一品など、珍しい料理がでる。王健宜先生によれば、学内レストランは顧客層が固定しているので、時々新しい料理を出さないと飽きられてしまうから、コックまで入れ替えるとのこと。中国の大胆なスクラップ・アンド・ビルド政策は、レストラン・メニューにまで及んでいるとは驚きだ。

 沈・石先生の愛娘、シーシーちゃんが残り勉強していたので部屋に来てもらう。すっかり成長して、英語も上手になった。大学受験勉強で忙しいようだ。

 

3月12日(日)

 朝、天津大に向かうが、冷たい風が強く、あの池の端を想うと震え上がって八里台市場に行く先変更。豆乳と目玉焼き挟み餅(@2)を購入。寒風のなか、豆乳の温かさで手と耳の冷たさをかばいながら帰室。やはり、ここは北国、まだ、三寒四温だ。

 恵子が昨日買って置いた小篭包・焼売と挟み餅で朝食。

 兄貴を学内に案内。まだ風が寒い中、主楼前の周恩来像から校鐘、日本研究院、防空壕、事務楼、周恩来レリーフ、龍爪棗と回って帰室。事務楼の前に、古代中国日時計の模型があり、「日新月昇」「惜時如金」と書いてある。Time is Moneyとは、フランクリンの格言。資本主義のモットーを掲げるあたり、さすが市場経済化途上の国かと驚く。

 山城さんが迎えに来てくれて、平壌館へ。郭先生が待っていてくださって、焼き肉で昼食。普通のビルの二階に北朝鮮国営レストランがある。オープンの卓が5席、個室が5室ほどで広くはない。美女軍団から選抜されたような美女が肉を焼いたり薬酒を注いだりと、こまやかにサービスしてくれる。大学を卒業してから中国に来て2年ほどという。中国語と日本語がある程度判る。天津はうるさくて空気が悪いので、はやく国に帰りたいと話す。帰国しても飢えるようなことのないエリートなのか、建前を述べただけなのか。一緒に写真を撮ることは断られた。

 郭先生と兄貴は、旧制高校仲間のように打ち解けて、哲学談義。郭先生が1歳年長で、話は合う。ハイデッガー問題、三木清の獄死、真下信一とマルクス主義等々、あいかわらず郭先生の蘊蓄は深い。

 すこしだけ北朝鮮産の漬け物がでたが、あとは中国産の素材で焼き肉。海鮮鍋、冷麺と食べて満腹。酒類の持ち込みはお断りで、1人80元ほどの支払いはこことしてはかなり高めだ。元の買い整えて来た和書をお渡しして郭先生とお別れ。

 専家楼に戻る。薬酒が効いたのか、美女が効いたのか、眠い。兄貴たちが八里台市場見物に行った間、昼寝。

 6時から、周素華先生の招宴。楊先生からの電話の指示と、奥様は言われる。張さんと王さんが通訳をしてくれて歓談。名古屋に住まれた奥様、兄貴とも共通の話題がある。事務楼前の日時計の文字は、古い中国の格言とのこと。フランクリンかと思ったのは早とちりだった。金は、マネーではなくてゴールドの意味だ。それにしても、現代中国にはピッタリのところがある。竹林の賢人が出る幕ではない。

 周先生に感謝してお別れ。あと20日と、楊先生の帰国を待たれる風情の奥様だ。

 日本商務の打ち合わせをして早寝。

 

3月13日(月)

 朝の散歩は省略。フランスパンで朝食。

 古文化街へ出かける。数年前いらいだが、すっかり変わって、小綺麗なショッピング街になっている。昔のほうが風情があったが、いまの中国は、古いものはお好みでない。天后宮に入って、見物。大きな線香をあげて参詣の人も多い。年画の絵はがきを買ってから、南市食品街へ。お土産に麻花を仕入れて、狗不理の包子を買う。三鮮が10コで20元、豚肉が15元と、やや高めだ。

 2時半、日本研究院に行って兄貴の講演の準備。3時講演開始。趙先生が開講の挨拶と講師紹介。劉雨珍先生の通訳。『「有」と「無」−東西文化の交流』のタイトルだから、かなり難しい内容の話だ。劉先生が、あらかじめ準備してきてくださったので、どうやら噛み砕いて通訳をしてくれているらしい。2時間の講演を終わって、休憩後、質疑。趙先生は、キリスト教の神と中国の天帝の異同を質問。兄貴、やや困るが、「創造者」についての考えが異なる旨回答。臧さんは、東洋の「有る」についての質問。これも難問。「有」「没有」「無」の違いが今日のテーマだが、長年付き合っている私にも良く分からないとか、仲介者的発言をする。

 6時半から、三六三杭州菜で招宴。宋先生はじめ、趙、劉、喬、張先生に王中田先生も参加、院生も1年生中心に8人。王先生は酒豪、乾杯を重ねる。兄貴も院生を桃花になぞらえて、歓談。講演の結び、「後世畏るべし」を楽しむ。

 乾杯を重ねてお別れ。

 

3月14日(火)

 朝、八里台市場に買い物。今日は暖かい。豆乳と小篭包を買う。

 朝食後、王中田先生の案内で哲学院を訪問。各科ごとに研究室があるが、教授の個室はないようだ。教室棟が完成したので、各学院の教室は研究室に改装中で、工事現場のよう。

 王先生と専家楼にもどる。10時、宋副院長、劉、喬、臧、張先生とわざわざ韓先生がお別れに来てくださる。韓先生は、楊柳青の年画オリジナルをくださる。魚龍変化という題で赤ん坊が龍の上に座っている図柄。鯉のぼり同様に、長じて龍になるようにとの願いが込められた絵とのこと。南開大学のビュイックで北京に。

 北京郊外の高層住宅をながめながら、市内に入る。車の混雑はひどくなっている感じだ。何より目立つのは、タクシーが新しいこと。シャリーに代わって、現代のソナタ、エラントラ、VWのパサートが急増した印象がある。シャリーを来年から禁止するというから、その準備だ。日系車は影が薄くなる。やがて、懐かしい四通橋下を左折、友誼賓館に入る。敬賓楼に投宿。ちょっと位置が判らなくなったのは、郵便局がなくなり、テニスコートがなくなり、そこに新しいビルが2棟出来たためだ。スポーツセンターも面目一新。2年間の変化は、ホテルの中でも著しい。6階のツインの部屋2つに入る。

 お腹が空いたので、半畝園に行く。チャジャ麺、ピータン豆腐とビールで昼食。地下鉄4号線の工事で、地区センターが3環と中関村路の角に出来ている。香港上海銀行の支店が開店祝宴の準備中。ビル一階の中国茶屋は元禄回転寿司になっている。結構、客が入っている。

 タクシーで故宮へ。大寺前の畑はそのまま、トラックターが耕している。実験農園にでもなっているのか、ちょっと不思議だ。故宮の北門で下車。ひとり40元を払って入る。いつきても広い宮殿だ。博物館には入らずに、宮殿だけを歩く。各国の観光客で、言葉も多種多様だ。景山の建物は工事中で囲われているから景色は良くない。故宮のなかも修理工事中、最大の建物も鉄パイプのなか。中庭の石舗装も修理中。20cmくらいの深さまで長方形の石を埋めてあることが判った。補修用には特殊な軽量コンクリートブロックを使っているが、本物は石ブロックだ。

 天安門と間違えて端門に上ってしまった。楼門の中はささやかな展示場で、四合院の模型、皇后の馬車、兵馬俑模型などが並んでいる。面白かったのは、革命前の中国の写真展示。阿片吸引者、紙屑拾い、しんこ細工人、飴細工人、街頭の食事風景など、貧しさが直感できる写真だ。単なる歴史写真の展示ではなく、現代との対比を意識化させる意図を感じる。お上りさんが多い場所だから、革命の成果を印象付ける効果は大きそうだ。白塔の遠景は良い。

 天安門をくぐって広場の前に出る。大きな毛沢東肖像は昔のまま。党中央が降ろすか降ろさないか討議したといううわさ話があるということだが、代わりに掲げるべき肖像画も無いだろう。何もないと、統合のシンボル不在感が強くなる。当分、降ろすことは出来ないだろう。

 人民大会堂では、全人代が開かれている。人民広場の警備はいつもより厳しい。凧揚げ風景もない。地下道のなかも物売りはいない。前門に出たが、バス発着所前に並んでいたあの安売り店の店舗群は青い板で封鎖され、開いている店は僅か。閉店につき大安売りの看板。前門大通りの両側もシャッター通りになっている。裏通りには昔の猥雑さが残っているが、そこも閉店大売り出し。ここはどうなってしまうのだろう。景山・故宮・天安門・人民広場・毛沢東記念館・東陽門とならぶ中心線の南端に、あの猥雑さと活気があふれるチェンメンがあることの面白さは、オリンピック開催都市にはふさわしくないと判断されたに違いない。秋水市場はすでになく、中国の面白いところが、ひとつひとつ失われていく。お行儀の良い現代都市になって車が渋滞する北京には、なにがしかの魅力が残るのだろうか。

 タクシーで双安商城の前に来て、九頭鷹酒店で夕食。久しぶりに自分で料理選び。餅米まぶし蒸し肉団子、竹筒入りスペアリブ蒸し、梅干菜バラ肉煮、栗と鶏の炒め、白菜とピータンのスープ、ビール。写真入り菜単だから注文は楽だ。栗と鶏の炒めは恵子の定番料理だが、なぜか本場では食べなかった一品。八角が効いていて、芽にんにくが入っているところが本場の味だが、どっちが美味しいかは問題がある。

可愛い娘がお給仕。田舎からきた純朴な感じで活き活きした振る舞いの美人。NHKの朝の連続ドラマの主人公にピッタリだろう。今度の旅で見かける中国女性については、やや肥り気味になった印象がある。だれかが、中国女性のスレンダーな体型について、単なる栄養不足と分析したそうだが、あるいはそうだったのか。ボディコンシャスなスラックス姿が増えたので、こっちが気にするようになっただけなのか。お給仕の娘は、昔の美形だ。

満月を楽しみながら歩いてホテルへ。ホテルの百貨店でビールを買って帰室。カクさんに電話で明日の夕食を約束。李平先生には人民大学の車をお願いする。

 

3月15日(水)

 朝は、人民大学へ歩く。ホテルの前には机が並び律師たちが消費者問題の相談に乗っている。天気はいいがやや風は強いから、双方、大変ではある。

 人民大学の正門から入って、奥に進む。孔子像は図書館前にある。位置が少し変わったような気がして、学生にきくが、英語が通じない。ともかく、兄貴は写真を撮る。

 タクシーで鼓楼へ。少なくなったシャリーで、1.2元基準。新しいのは1.6元だから、これのほうが経済的。鼓楼の急階段は無理なので、周りを回る。兄貴が小用というので、公共厠へ案内する。ところが、改装前のもので、貴重な経験をさせてしまった。

 胡同を歩いて前海へ。三輪車がしきりに誘うが、「不要」。まだシーズンでないので、閉めているバーが多いし、改造中の飲み屋も目立つ。岸辺の料理店で昼食。ビール中瓶1本35元はやたらに高い。この前来た時を想いだしたが、後の祭り。餃子と焼き茄子とうどんを頼む。食事中に兄貴が孔乙己酒店の話を持ち出し、行ってみたいという。案内書は持ってこなかったので、字を書いてウエイトレスに聞くと、近くだとのこと。行くことにして店を出る。

 前海と北海の間の道は、前に凧の材料を買った店がある。その前の甘栗屋が繁盛していたことを想いだして店に行く。ちょうど焼いているところだったので、5分ほど待って8袋購入(@1斤10元)。タクシーで孔乙己酒店へ。

 后海のほとりに店があった。かなり広い敷地に、平屋の店が立っている。入ると魯迅の胸像。昼飯は済ませたので、紹興酒5年花彫を1斤と、揚げ臭豆腐、白切鶏を頼む。徳利に錫の薬缶から燗をした紹興酒を注ぎ、お湯の入った陶器に入れて、蓋の猪口で飲む。兄貴がすっかり気に入って、3点組の酒器を購入(@15元)。この手の酒器は街で売っているが、孔乙己の名前が入っているのはここでしか買えないから、良いお土産だ。雰囲気はいいが、白切鶏は固くて良くない。

 タクシーで琉璃廠へ。学校の終わる時間で、迎えの自家用車で大混雑。道幅が広がって、石造りの歩道橋は階段を残すだけだ。栄宝斉と中国書店に入る。斉白石の川蝦の図柄を刺繍した額が良かったが、買うのは見合わせ。文庫本のように綴じてある画集絵はがきを買う。8冊買ったから、余生で使うには十分な量だ。猫の絵手本を、姉上のお土産用に購入。

 中国書店では、兄貴は哲学の書棚を見ていろいろ考え込む。経済の書棚は貧弱だ。歴史書は豊富。まあ、日本と同じだが、経済学の衰退は、意味が違いそうだ。マルクスへの関心の衰退と新古典派の衰退は及ぶ影響が異なる。マルクス衰退の方が深刻だから、中国共産党がてこ入れに力を入れるのは当然だ。ことは国家の根幹に係わる。

 歩いて地下鉄の和平門駅へ。兄貴の希望での北京体験だ。若者が席を譲ってくれるあたりが、日本と違う。西直門駅で下車。タクシーで帰室。ホテル百貨店でビールを買ったが、栓抜きを持ってこなかったので、バッグの肩掛け金具でどうにか開栓。

 6時にカクさんが迎えに来てくれて烤鴨店へ。周さん、張さんと再会、やや遅れて魏さんと林さん。他の皆さんはそれぞれに忙しいようだ。皆さん北京での仕事を希望して就職。地方大学なら修士でも教職に就けるが、やはり都会志向が強い。

 兄貴は哲学を語り、みんなは珍しそうに傾聴。それぞれに貴重な交流経験だ。張さんに明日の案内を頼んでお別れ。

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