アメリカ旅日記 1
5・6 |
15:05定時にアトランタ着。悪天候で、着陸後は激しい雷雨。接続便は延発、16:35が18:15になった。空港内は黒人従業員が目立つ。やはり、ジョージアは南部だ。小型ジェット機でピオリアまで1時間半のフライト。現地時間18:45ピオリア空港着。ローカルな雰囲気だが綺麗。元が休場さんと待っていてくれた。休場さんは東工大工学博士でキャタピラーに勤務する明るい女性。ハーツで三菱ギャランを借りて出発。 東ピオリアのMOTEL6に投宿。ネット予約でツイン/シャワーが@35ドル。朝食はないとのことで、恵子は元と買い物。クーラーボックスと食料を仕入れる。スーパーの会員になって、会員割引を利用したようだ。大きなパルメザンが2本で5ドルなど。
鉄道線路が道路と平面交差する近くなので、列車が通過するときには長く汽笛を鳴らす。最初は何事かと飛び起きてしまった。 |
ポテトサラダ、殻付きピーナッツ、水を購入。 Illinois Central Collegeに寄って、統計学の受講料を払ってから、Eureka Collegeの学生寮へ行く。20平方米くらいの個室で、トイレ・シャワーは隣室と共用。絨毯を敷いてコタツ風の机を置く。冷蔵庫が二つ、テレビ、たんすなど。みな、リサイクル品だそうで、次の引き取り手も大体決まっているらしい。建物は新しいので、綺麗だ。メールをチェックして、数通返信。 ピザ屋で昼食。ビュッフェもあったが終了時間が近かったので、ミックスのラージをひとつ注文。3人とも満腹。 図書館で世話になっている司書、事務所でホスト、構内で指導教授にそれぞれ挨拶しながら、学内見学。在学生500人で、ほんとうにこじんまりした大学だ。由緒ある木造の建物や新築の校舎が点々と配置されて、運動設備・学寮も散在。キャンパスの回りは民間の住宅になっている。小教室が中心で、50人を超えるクラスは、芸術メジャー用の小劇場で開かれるとのこと。中庭には、レーガン大統領の胸像があって、その脇にはベルリンの壁が立っている。レーガン記念館には、個人記録などが簡単に展示されている。リスが走る緑豊かなキャンパスだ。 司書とホストの自宅を訪れて夫人にお土産を渡す。いずれも2人の可愛い子持ち。 ICC留学中の賢二君の家に籐椅子を届けてから、ホームセンターを見る。ドアや階段など大型の建具をはじめ、各種の部品がある。ジェットバスも500ドル前後で売っていた。隣のウオールマートで、明日の朝食などを購入。食品類を大型のカートに山盛りに買う光景は珍しくはない。 賢二君とアメリカン・ビュッフェの夕食。@8.95ドルで、シニアは60セント引き。ソフトドリンク付きだが、アルコールはない。ローストビーフからアイスクリームまで種類は多い。昨日の中華、昼食のピザ屋と、ビュッフェ・スタイルが多いのに少し驚いた。1970年代にはこのようなスタイルはほとんど見かけなかったと思う。ビュッフェは、どうしても過食になりがちだ。アメリカ人の肥満は人口の40%に近いらしいが、それには、ビュッフェが一役買っていることは確かだ。この店でも巨体の男女が、もりもりと肉を食べ、コーラを何杯も飲む風景があちこちで展開している。 ショア女史の「浪費するアメリカ人」の一面は、過食だろう。これには、食料品の価格が、日本に比べて安いことも一因になっているかもしれない。今朝の殻つきピーナッツにしても、1ポンドが1.8ドルだから、中国産の半値以下だ。 今回目に付くことは、星条旗を掲げた住宅と、新しい乗用車が多いこと。旗は9・11以来、特にアフガン・イラク両戦争の結果だろう。星条旗と黄色いリボンは、ICCの事務室の扉にも貼ってあった。ユーリカ大にはなかったが、これは、学生数が少ないので、出征兵がいないためだろう。もともとは、レーガンの母校だけあって、共和党支持者が多いとのことだから。
昔はよく走っていたポンコツに近い乗用車はほとんど見かけなくなり、新車や新しい乗用車が目立つのは、アメリカ・バブルの遺産か。資産効果とゼロ金利の月賦販売が効いたに違いない。 |
5・8 |
9:30に着いて、秋山さん(事務)と北上さん(技術)に説明を聞いてから工場見学。生産ラインは1本で、5車種を混流生産している。1960年代に広島のマツダで見たことがある混流生産だが、仕組みは違う。ロットで一定時間流すのではなく、最終検査工程では各車種・各仕様・各カラーの車が入り混じって流れている。シャシーは同一だが、ある段階から、組み立て工程の作業時間に車種ごとのむらができないように調整して流すらしい。組立工は、すべてに対応できるよう訓練されている。訓練は、モデルチェンジが行われる前から、訓練車をラインの脇において、随時行っている。見学のときにも、新型のギャランの訓練車が置いてあった。人種構成に対応した従業員雇用が義務付けられているが、見学した組み立てと検査工程では、マイノリティの工員は多くはなかった。シフトによって異なるだろうが、ここの人種構成は、この程度なのだろう。 組み立て工程は、ドアレスで作業をやりやすくし、部品も出来るだけモジュール化して組み付けている。一人が約5mのコンベヤーライン作業を担当している。 従業員約3300人は全員が正規雇用者で、パートタイマー・期間工・派遣工はいない。工員はUAW加盟だから、そうなるらしい。10:50に午前の作業は停止して昼食に入る。弁当持参でライン脇の休息テーブルで食べたり、従業員食堂へ行く。工員が終わったあとに職員が昼食を取る順番になっている。従業員食堂でご馳走になる。カフェテリア方式で、キツネうどん・カレーライスの和食はじめ各種のランチが選べる。ビーフ・カレーは、なかなかの味だった クライスラーとの合弁で造った工場だが、クライスラーが手を引いてからは三菱自動車MMCの100%現地法人になり、ダイムラー・クライスラーと提携後は、外国人CEOらが入っている。管理は、数値目標を明確にして個人の責任を問う方式となって、かなり業績は向上したとのこと。 日本式のQCサークル活動や改善運動は、やってはいるが徹底はしていないらしい。品質検査も、基本はスポット検査で、作業ライン上での個別チェック体制までは出来ていない。もともと農業地帯に立地したので、従業員は農家出身が多く、人柄は良いがのんびりしているようだ。金曜日の欠勤も、子供の授業参観日には沢山出るし、ハンティング解禁日以降はレジャーのための欠勤が増える。プレジャーボートを持っている工員も多く、レジャーの話になると日本人は付いて行けなくなるとのこと。 プレス作業は10%程度が内製で、タンデムプレス機よりもトランスファープレス機を活用して効率をあげている。混流生産で、ひんぱんな金型交換が必要だが、10分程度で段取りを換えられるという話。プレス部門の効率では、全米で第1位になったことがある屈指の工場とのこと。生産効率評価でも、2002年には第3位にランクされている。 エンジンは現在のところ日本からの輸入で、港湾ストのときには、1日ほどラインを止めざるを得なくなった。現地調達部品は、日系企業からが多い。 午後は、秋山さんが、近くの部品メーカーVUTEQに連れていってくださる。カナダから転勤したばかりの山田副社長に話を聞いてから工場を見学。中部工業の現地法人で、窓ガラス、ドアの内側などの部品を加工生産し、マフラー、マットなどの部品の中継物流をしている。MMNAの生産計画に合わせてJITで、必要部品をアセンブルしてトラックで搬入する。インジェクションモルダーの新鋭機を備えて、炭素樹脂成型を行い、パーツを接着してドア内側部を部品に仕上げる。旭硝子の現地法人から来るガラスにプラスティックやゴムの部品を留め付ける。生産工場の側面と部品置き場の側面を持つ会社で、生産物流業とでもいうべき業態。 従業員は150人で、派遣工・パートタイマーが多い。MMNA工場に比べると黒人の数の多さが際立っている。部品下請けが、コスト削減の要請に応えた結果がこの従業員構成に現れているのかもしれない。MMNAのSUV生産開始にともなって従業員を増やしていく予定とのことで、日本国内とは違う活気が感じられた。 日本人従業員の悩みはやはり子弟の教育問題で、現地校にかよわせるとともに、土曜日に補習のための日本人学校を開設して対応している。イリノイ州立大学のキャンパス内に施設を借りうけているが、これは、三菱誘致の際にイリノイ州が提供してくれた便益。ピオリアなど周辺地域からも学童が通ってくる。 住宅は借りうけ1戸建てで、転勤者がバトンタッチしている。家主は、日本人は綺麗に住むと評価して歓迎しているとのこと。まわりのアメリカ人家庭とくらべて、ゴミの量が違うとの話。アメリカ人の大量消費・大量放棄には、日本人は驚くようだ。着任そうそうの奥さんが、家庭ゴミに割れたガラスまで入れるのに気がひけて、ガラスに注意と張り紙をしようかと悩んだという話は、日米のゴミ処理感覚の差を象徴している。 帰途、近くのアウトレットモールに寄るが、ナイキのほかはあまり集客力はないようだ。市街地から遠く幹線道路から離れた場所なので、立地が悪かったらしい。ダラーショップも魅力的な品揃えではない。 ユーリカの学寮で一休みして、ネットで宿を予約。Washington市のSuper 8 Motelに投宿。ツイン/バス+朝食で@45ドル。鉄道はなく、静かな宿だ。
元は、9:00からの卒業パーティに行く。夕食は持ち合わせのベーグル・ローストビーフ・チーズとワインで済ませる。元が帰ってきてから、激しい雷雨。 |
5・9 |
朝、あたりを散歩。立ち入り禁止の私道に入ると、深い林で、アライグマのような小動物がいる。ほどほどで引き返して、ショッピングセンターに寄る。空き店舗が目立つのは、不況のためか。クローガーでジュースとネーブルを購入。カードがあれば4個1ドルのネーブルだが、カードを持っていかなかったので3個1ドル。 大学へ行く。恵子は元の散髪と洗濯。ワシントンのタコベルでタコスの昼食。大学へ戻ってから、元は卒業式関連行事へ。 恵子とWildlife
Prairie State Parkへドライブ。 園内を歩くと、野鳥のウオークイン・ケージにワイルドチキンなど。白頭ワシが2羽別のケージにいる。傷ついていて自然には戻せないとの説明。英語名はbald eagle、アメリカの象徴は「はげわし」だ。 アメリカ黒熊の原っぱには2頭がいて、草と楓の種子を食べていた。観察小屋は風が通って気持ちが良いのでベンチで昼寝していると、恵子が「熊がジャンプしている」という。まさかと思って見ると、楓の若葉を取るために、本当に跳びついている。ドスンドスン音がするので恵子が気づいたらしい。1回は成功して若葉を手で取ったが、その後は失敗の連続。熊は立ちあがってから、30cmくらいジャンプできる。珍しい光景だった。よほど若葉を食べたかったのだろう。 熊の隣にはエルクの草原が広がり、遠くにはバイソンが群れる。エルクは角が生え換わる時期で、袋角の状態。鶴とカナダ雁の水場から、古い入植者住居の展示を通って、別の黒熊の谷からクーガーとボブキャトの谷へ出る。クーガーは、盛りのついた猫のようにギャーギャー鳴いていた。 ビジターセンターに戻って、反対側の観察台に出ると、バイソンの群れがよく見える。暑いので水場と木陰に集まっていた。園内にはきれいな野の花が咲いている。スイカズラやウコギに似た潅木もある。 大学に戻ると、卒業礼拝の時間。着替えて、学内の卒業パーティ会場に行く。 指導教授のリスター夫妻、英語などで世話になったICCのウエスト教授(女性)、英語の教授に挨拶。会議場を二つ繋いだ会場にテーブルが並んで、席が指定されている。元が招待したウエスト教授、休場さんに、ハワイに引率してくれたフランス語のフィールド教授(女性)、女子卒業生とその家族が相席。フィールド教授は去年はその女子学生達をセネガルに連れていったが、今年は世界情勢からして国内のハワイに決めたとのこと。 Senior Dinnerは、卒業生の司会、卒業生(元を車で送ってくれる男性で、牧師志望)の祈祷、英語教授の祝辞で始まる。会場外にセットされた食事を銘々が取ってきて席で食べる。アルコールはなし。チキンのハム・チーズ・スタッフとローストビーフがメインディッシュ。食後、リスター教授とナフチガー助教授(女性)がスピーチ。リスター教授は、卒業してからの人生で大切なこととして、良き伴侶を持つことや、貯蓄をすることなど、ジェスチュアを交えながらユーモアたっぷりに語り、なかなかの話し手だった。助教授は、詩を引用しながら、これからの人生を愛を持って生きるようにと話し、最後は、少し涙ぐみながら別れの言葉を告げた。次に卒業生代表の男女2名が謝辞を述べ、学生生活のスライド映写(パワーポイント)があってから、卒業生からの贈り物としてバレーボール・コートを新造する旨が披露された。キャンドルを灯して、3人のリードで校歌をうたう。最後が相席の女性卒業生Ms.Farmの感謝の祈祷。 散会後、Hearne学長に挨拶。ワシントン市に住むウエストさんに、28日からCherry Festivalだそうだが、桜が咲くのかと尋ねると、桜の木はないとの答えで大笑い。 卒業生100人程度で、家族や友人が列席した、じつにファミリアーな、雰囲気の良いパーティだった。大規模な大学では、とても、このようには出来ない。
ドライなので元を寮に残して車で帰る。モーテルのとなりのスーパーで、ワインを仕入れて、部屋で祝杯。 |