アメリカ旅日記 4

5・18


 朝の散歩はやめて、ネットで今後の旅のコースを研究。ヤフーの距離検索は良くできていて便利だ。朝食にはドーナッツが出ていた。肥る方向にしか食事は向いていないようだ。

 Clarenceに出発。歴史的町と書いてあったがそれほど古くはない。骨董店が多いとも書いてあったので進んでいくと骨董市があり、広い常設店舗のほかにも青空出店が驚くほどの数だ。ただ古いだけというガラクタが多いが、どこからあれほどの店が集まるのか不思議だ。二人は喜んでめぼしいものを探し始めた。店内で恵子の写真を撮ると、店のおばさんが、写真撮影には許可が必要だという。展示品の写真を撮って他人に売りつけて利鞘を稼ぐ人間が居るからだというので、再生して見せて、家内を撮ったのだと言ったら、それは売れないだろうからOKだと笑っていた。店を全部覗こうという二人には付きあいきれないので早く車に戻る。途中で鋏型爪きりを1ドルで買ってきて、爪を切る。二人はガラス製品などを買って帰ってきた。

 次はArmish Countryを目指す。途中で道を間違えて、バーガーキングで昼食後、進路を修正して#62に戻り、Leon方向に走る。Daytonあたりから馬車に注意の道路標識が出る。馬車のある家が見えた。やがて向こうから馬車が走ってきた。前方にも馬車が走り、追い越す。道には馬糞。電線が入っていない家もあり、建物は古く、薪が積んである。古風な洋服の子供達もいる。アメリカも広いものだ。ここのアーミッシュは、普通人と混住しているらしい。

 #86をSalamancaに向かう。Allegany州立公園北側で、起伏も豊かな道だ。 Seneca族の居留地Seneca Nation Administrative Areaがあって、 Game場つまりカジノがある。 Seneca Iroquois National Museumに入る。@4ドル、シニア3ドル、学生3ドルをセネカ族の若者が徴収。石器、土器、ロングハウスモデルなどが展示されているが、国立博物館と言うにはいささかお粗末。先日見たカナダ・ロンドンの考古学博物館の方が、まだしっかりしている。面白かったのは、1700年代に結ばれたアメリカとの協定書。酋長達の赤い押印(血判?)があり、セネカ達は、拘束力Bindingのある協定と信じていたが、アメリカはやがて協定を侵犯して、居留地の面積を小さくしてしまった。

 いまでは、川沿いの幅の狭い細長いところしか認められていない。居留地に入ると、朽ちはてた家や、新しくてもみすぼらしい家が多く、小さくて粗末な平屋の教会が立っている。病院だけは立派だ。アルコール依存症が多いと聞くが、この家と病院のコントラストは、ネイティブ・アメリカンの現在を象徴しているようだ。博物館の係の若者も、英語が達者とはいえず、聞き取りにくい発音だったし、料金をはじめはただ@4ドル×3の12ドルを請求したりで気が利かない。十分な教育を受ける機会が与えられているのか疑問を感じてしまう。

 お粗末な博物館とカジノ特権を与えた程度で、彼らのテリトリーを巻き上げた罪滅ぼしをしようというなら、それは、アメリカの身勝手というものだ。この国のかたち造りを理解する上で、アメリカの原罪、インディアン殺しの意味は重要だ。国の奥深いところに、原初的な暴力が隠れている。その2次的な姿はデカプリオの「ギャング・オブ・ニューヨーク」にはっきり現れ、ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争と繋がっていく。

 ここにはネイティブ・アメリカン関係の見学スポットが多いかと思って宿泊予定を組んだが、見るべきものが少ないので先を走ることにする。州立公園の南は国立森林地帯で、その東側を南下するドライブはすばらしい。平原の単調なドライブとは違って、起伏を縫うように走ると、信州の道を走っているような感じだ。ペンシルベニアに入り、さらに緩やかな高低差のある道を走る。道には野生動物の交通事故遺体があり、ウサギ、リス、狸?が多いが、コジカも1頭倒れていた。鹿に注意の道路標識のあるところだから、よくある出来事なのかもしれない。
 

 

5・19 

 散歩に出ると隣は小さい空港で、小型機とグライダーが並んでいた。寒いので早々に引き返す。宿の出口の前は、陸軍地雷班の小さいデポで、機関銃の古いのが門前に飾りに置いてある。

 コイン・ランドリーに洗濯物を居れてから朝食。ホリデイインの朝食はシナモンロールが呼び物で、まあ美味しい。

 昨日のアーミッシュが印象的だったので、オハイオの居住区をネットで検索すると、コロンバスへ行く途中にあるので、立ち寄ることにする。

 ここの町にプライム・モールがあることが分かって元は大喜び。まずはショッピング。ハッシュパピーで3足。

 アーミッシュが住むホルムズ・カウンティに向かう。Akronから南に#77を Cantonに走り、迷いながら#62に乗って Berlinへ。Winesburgあたりから馬車のある家が始まり、電線が入っていない古い家には洗濯物が庭に紐で干してある。古風なドレスを着て、頭髪を後ろで白い帽子でまとめた女性が働いている。畑では、2頭立てと4頭立てで馬耕をやっている。4輪の有蓋黒塗りの馬車や2人乗り2輪の無蓋馬車も走る。ここも普通人と共生している場所だ。小型の風車がまわっていたり、電線は無いのにアンテナがたつ家もある。

 Berlinは売店・レストランのある賑やかな町。道端に駐車して、レストランで昼食。ローストビーフ、サンドイッチ2種、スープ。チキンスープは、具沢山のドイツ風。アーミッシュのルーツはオランダあたりらしい。骨董店、キルトや家具・雑貨の店などを覗く。ミニ観光地化して商業主義が過ぎて、アーミッシュらしさが無い。馬車にも乗れるようで、町中心を外れたところで観光客が乗り降りしていた。

 Millersburgは普通の町、Killbuckを過ぎてHolmesカウンティを抜けても馬車に注意の交通標識があり、1台、黒い帽子、黒衣でひげの伸びた老人とやはり黒衣の夫人が乗った馬車とすれ違った。その後は、高低差のある曲がりくねった山道を走る。ここも信州を思いださせる風景だ。やがて平原地帯に入って広々とした平面をひたすら走り、コロンバス近くで#62から高速道路に乗って、#71を西南に進む。鹿の交通事故が3件、ウサギ・狸?などは無数にやられている。タイヤの破裂破片がかなり沢山落ちている。多輪トラックは、バーストすることが多いようだ。道路ゴミは、人力で拾い集めるらしく、ところどころに黒いビニール袋が点在する個所がある。あとで、集める車が来るのだろう。

 ガス給油のために下りたところはDeer Lake州立公園近くなので、ついでに公園を見に行く。9マイルほどのところに広大な公園があり、ロッジ・キャビン・キャンプ場・ゴルフコースが設けられている。散歩する人・自転車に乗る人が2組いた。

 #71に戻ってシンシナティ郊外のMasonで下りて、Best Westernに60ドルで投宿。部屋にマイクロウエーブがあってソーセージを温め、カリフラワーをチンして、昼食に用意したサンドイッチで夕食。ナイアガラの高級ワインをあける。
 

 

5・20 


 雨で散歩はできず。DENSOの山中副社長に電話をするが不在でメッセージを残す。

 シンシナティ郊外のAntique Mallに立ち寄る。巨大な建物の中にガラス扉付き陳列ケースの列が並び小物を展示するコーナー、20uくらいの場所に家具・雑具・食器・装飾品などを展示するコーナー、家具の部品(新品)を売るコーナーなどがある。熊モノを探したが、あるのはテディベア系かプー系のぬいぐるみ。黒熊親子の木登りをモティーフにしたコート掛けがあったが、持ちかえるには大きすぎる。

 クマがラケットでボールを打つ動くおもちゃは愛嬌がある。こんど作ってみよう。

 アメリカ人の特性のひとつにアンティーク好きを挙げて良いだろう。高級品からただの古物にいたるまで、あらゆる市にアンティーク・ショップがあり、ある種のリサイクルが行われている。ガレージ・セール、ヤード・セールが盛んなところからも、古物を再利用することに慣れているようだ。日本でも、清掃工場で大型家具などのリサイクルをやっているが、これは、まず利用者が捨てるところが出発点のリサイクルで、アメリカ流とは違う。大量消費・大量廃棄とはいうが、一部の消費財の廃棄の点では、新品好きの日本人の方がムダをしているようだ。

 雨も止んだのでシンシナティ動物園を訪れる。目当ては白熊。まず世界の鳥のコーナー。建物の中にガラス窓のある小部屋を並べて、珍しい鳥を見せているが、これは鳥たちに与えるストレスが大きそうだ。

 黒熊のつぎはパンダになりそこなったような顔に白模様のある熊、そして白熊。2匹は寝ていたが、つぎの檻の1頭はガラス張りの水槽で泳いでいた。実に巧みに泳ぎ、ターン時には背泳スタイルになる様子が面白い。世界最大の熊、白熊の水泳は、見応え十分だった。

 白ライオンが2頭いたが、白虎のように白くはなく薄茶色だ。水族館では、マナティが2頭、飼育されている。ほかの魚と同じ巨大水槽で泳ぐ様子は圧巻。やはりターンは背泳スタイル。ポーラー・ベアとならぶ、この動物園の目玉だ。

 園内のホットドッグで昼食。3種類頼んだら、パンとソーセージは同じで、トッピングが違うだけだった。ジャーマンドッグはサワークラウトがかかるという仕方。

 ゴリラの親子は、ローランド種で、3頭の子はまだ大きくはない。親ゴリラは、いつ見ても哲学的な顔をしている。ここでは、露天の運動場で見せていた。ニホンザルは、池の中之島での猿山暮らし。ギボンも島に居る。都市型で敷地はさほど広くはないが展示法がなかなか上手な動物園だ。週日なのに子供づれの親子やグループが沢山来ていた。入園料は11ドル、シニアは9ドル。白熊の模型と小さなクマの石彫りを購入。

 雨が降りだしたので、南下してオハイオ河を渡り、ケンタッキーに入る。Historic German villageと呼ばれる Main Strasse Villageに下りたが、すこしドイツを感じさせる家・教会が並ぶ短い通りだった。

 #75を南下するがときどき豪雨で前方が良く見えなくなる。

 雨が止んで途中のアウトレット・モールに寄る。いたるところにファクトリー・アウトレットがあるようだ。これも比較的新しいマーケッティングの方法だ。なかに99Centerがあった。ダラー・ショップなどと同じく、日本の100円ストアの元祖で、いろいろなものを99セント+タックスで売っている。やはり中国製と書いてある商品が多い。

 #75をGeorgetown方向に下りて、トヨタ工場の周りを走るが、さすがに広大な敷地だ。道を戻って、ウオルマートに寄る。巨大な建て屋のなかに多くの商品を並べている。この店はSuper Centerなので生鮮食料品も置いている。食品では、品種が日本より多いこと、甘そうなものが多いことを感じる。

 ベスト・ウエスタンに64ドルで投宿。元は疲れて風邪気味。風雨が強いので、部屋でありあわせの夕食。
 

 

5・21

 
 朝、トヨタの藤沢さんに確認の電話。DENSOの山中さんにも電話してファックスで地図を送っていただく。パンフレットでここがバーボンの産地であることに気づいて、9:00にチェックアウトし、フランクフォートに向かう。狭い道だが、牧場の間を走る快適なドライブ。牧場と道の境は、平たい石を積み重ねた堤や黒い木柵で仕切られている。競馬馬の産地でもあり、サラブレッドらしい馬が放牧されている。

 Frankfortのインフォメーションで訊ねると、近くに大きなバーボン・ディスティラリーがあり、少し離れたところに小さいのがあって昼食もとれるという。時間の関係もあるので、近くのBuffalo Traceに入る。ゲートで許可を得て駐車し、Gift Shopに行くと、年配の男性がツアをガイドしてくれた。ビデオを見たあと、原料・樽・エイジングなどを現物と模型で説明してくれた。原料はトウモロコシ・ライ麦・大麦で全部を粉にして糖化しイーストで発酵させ、ビール状の液を蒸留する。アメリカ・ホワイト・オークの木部の中間部分で樽を作り、内側を燃やして炭化させて蒸留液を詰めて倉庫で寝かせる。9年から21年のエイジングの後、瓶詰めにするが、内容量は、9年で70%に21年で30%に減少する。

 次に、倉庫を見る。樽は静かに寝かせ、漏れはタガを絞めたりして防ぐ。気温が下がりすぎても良くないので、暖房設備がある。倉庫の床は隙間を空けた板張りで、空気の流通を良くしてある。

 樽をあける工場は面白い。倉庫からレール状の道で転がされてくる樽が、小型リフトで1mほど上げられ、台の上の作業員が手でドリルを使って栓を開けて転がすと樽が傾いて、開いた口からバーボン原液が流れ落ちる。下は金属製の濾過メッシュになっていて、樽の内側の炭の破片などが漉しとられて、原液が下の受け皿からパイプでタンクに移される。おおらかな作業を、すぐ近くで撮影もできる。

 ボトリングは自動化されているが、手作業で瓶詰めする工場を見せてくれた。日本のディーラーが、別のブランドで、シングル・バレルをうたったバーボンを作らせている。1樽ごとにナンバーを付けて、処理水で薄めて86プルーフに調整して、手でボトルに入れ、手で栓をし、手でラベルをはって箱詰めしていた。10人くらいの小工場だから生産量は少ないが、高値で出荷できるのだろう。ただし、サニタリーについては全く保証できない感じだ。アルコールだから良いのかもしれないが? ガイドに午後はトヨタを見学すると話したら、トヨタは工場がクリーンだといっていたのと比べると、ここはちょっとクリーンとは言えない。日本のディーラーも、工員がチューインガムを噛みながら手詰めしているこの現場の写真は、あまり顧客に見せたくはないだろう。

 ギフトショップに戻って、バファロートレース・ブランドの9年ものと、バーボン入りチョコレート、樽板を使ったチーズ切り板を購入。樽は1回しか使わず、スコッチやテキーラのディスティラーに売るとのこと。

 バーボンに必要なアンバー色は、オークの糖質が作るもので、1回しか使えないらしい。樽工場は、別に近くにある。140プルーフ近い原酒を86プルーフに薄める水は、裏を流れる川から採り、ライムストーンなどで浄化して使う。今日は昨日の雨で川は茶色ににごっていたが、普段は清流なのだろう。

 1770年代からの生産地で、独立戦争後発展したのだから、ハミルトン財務長官が自ら指揮して鎮圧したウイスキー一揆も経験し、1920年代の禁酒法の辛さも知っている土地だ。

 1時間半くらいのツアと買い物だったので、2軒目の訪問は止めにしてジョージタウンに戻る。本場、ケンタッキー・チキンでビュッフェ昼食。日本ではあまり食べないので良く分からないが、本場ものはけっこう歯ごたえがある。バーベキューチキンよりもフライドチキンのほうがさっぱりしていて美味しかった。

 2:00少し前にトヨタのビジター・センターに行く。藤沢さんが待っていてくださった。一般のツアに混じって、ビデオを見てから、何台も繋がったトラム・カーで工場内を回る。エンジン工場・塗装工程以外のプレス、プラスティック成型、溶接、アッセンブリーの工程をかなり丹念にイヤホーン説明(英語だけ)付きで1時間ほど回った。トラムから下りて、藤沢さんに訊ねるが、人事に12年勤務するベテラン女性なので、工程管理などに付いては不案内とのことで、後日メールで質問させていただくことにする。工場案内のパンフレットを頂いて帰る。

 生産ラインは1988年操業開始当初は1レーンだったが、1994年に増設して現在は2レーンになっている。第1ラインではカムリとアバロン、第2ラインでカムリとシエナを生産する。エンジンの組立工場も備えているから本格的な一貫工場だ。混流生産ではあるが、1車種をかなり大きいロットで連続的に組み立てているので、効率は高そうだ。安全に力を入れていて、各所に標語が掲げてある。工員の着衣は全くまちまちで、半袖のシャツも多い。作業単位ごとに、効率・コストなどの達成数値のグラフが貼ってある。カンバンも使われ、カイゼンやQCサークルもある。空間的には広く、通路も、見学トラムが部品運搬車の邪魔にならずに走れるくらい余裕がある。組み立てラインはたしかにクリーンで、従業員のロッカーや休憩机も片付いた感じだ。多分、UAWには加盟していないのではなかろうか。

 州の平均以上にマイノリティを雇用しているとのことだが、組み立て工程ではアフリカン・アメリカンはあまり見当たらない。

 #74を南下して、レキシントンからノックスビルに向かう。途中、ワッフル・ハウスで休憩して、ワッフルを食べる。ホテルのワッフル・メーカーよりも目の細かい焼き道具で、さすが歯ざわり良く焼き上げていた。アップルパイは、甘すぎ。肥満の素だ。

 Londonを過ぎて、ダニエル・ブーンの名が付いた国立森林あたりからカンバーランド山地に入る。丘を切り通したハイウエーの両側の岩の理目は、ほとんど水平に走っている。パイ状で、平石が採れそうだ。ウイリアムズバーグあたりからは、すこし傾斜した理目も見られるが、しゅう曲は軽度で、地殻変動は極めて少ない感じだ。

 テネシー州に入ったあたりから霧が沸いてきた。アメリカの山水画があるとすると、このような絵柄になるだろう。右側には渓谷が続いている。ハイウエーにはトンネルはないが、枝道にはあるらしく、通行可能な車のサイズが表示されている。標高は腕時計によると450mくらいが最高だ。山地を過ぎると緩やかな起伏の平地で、ノックスビルに至る。さらに南下して空港付近に泊まることにし、MaryvilleのDENSOの場所を確認する。広大な敷地だ。アルコア市に戻ってスーパー8モーテルに71ドルで投宿。歩いて中華ビュッフェからテイクアウトで夕食を買って帰る。ここでは、テイクアウトとというよりもTo goという言い方の方が普通のようだ。ファストフード店では、Here or to go?という質問になる。モーテルの前庭では、ビーバーの夫婦が夕食。
 

<NEXT>