アメリカ旅日記 5
5・22 |
ALCOAの工場の前を通る。この町にはALCOA Cityという名前が付いている。なぜここに立地したのだろう。 朝食後、グレート・スモーキイ・マウンテン国立公園に走る。アルコア市から小1時間で、案内所につく。海抜300mくらいではあるが、高原の風情。アパラチア山脈の西端にあたり、谷は深いところもある。公園内をドライブできるが、時間の関係で案内所で引き返す。メリビルのピザハットで、ビュッフェの昼食。いろいろな種類のピザを選べるし、サラダ・バーで野菜を食べられるからなかなか良い。飲みものを入れて@7ドル。 1:00にDENSO訪問。山中副社長と大西コーディネータが社長室兼役員会議室で事業内容を説明してくださる。1985年からの工場で、今年、近接したAthens工場を分社化したが、両工場で正規従業員約3000人を雇用する規模。日本のデンソーが、安城はじめ数工場に分かれて生産する部品を、ここでは1工場内で生産している。新しいAthens工場に日本の生産ラインをそのままの形で設置したので、現地従業員への教育に日本人が必要だし、Maryville工場の場合でも機械類のメンテナンスができる現地人材は少ないので、日本からの出向が多いとのご説明。 道の反対側の電子部品工場へ山中さんが運転する車で移動して、Electronics Plant責任者の高阪副社長に案内していただく。エンジンCEDはじめ各種の電子制御装置を製造している。樹脂基盤に数多くの部品を組みつけていく工程を、細かく見せていただいた。 静電気防止用の上着と靴カバー、防護めがねを着けての見学が終わってから、二人の副社長からお話をうかがう。労働者の質は、このあたりが宗教心の強い地域のせいもあって良いとのこと。ただ、アメリカ人特有のおおまかな気質が、電子装置の取り扱いの際に要求される繊細な気配りと背違する場合もあるらしい。 白人が多いのは、ここの人口構成を反映したもので、マイノリティや性別に配慮した雇用は普通通りに行われている。雇用は、職種ごとに必要が生じたときに随時、新聞広告や社内広報を通して行っている。新規採用の決定は、職場ごとのボスが行い、人事課は大枠で関与するだけだそうだ。雇用されると、職場内の職種ランクアップはあるが、工場・職場間の移動はない。複数のジョブをこなす従業員もいるが、日本のようなジョブ・ローテーションをやるわけではない。高度にロボット化された作業が多いので、機械装置のメンテナンスをやれるほどの多能工はいない。 労働者の時給は、テネシー州平均の水準で、この地方平均よりは上とのこと。農牧業やサービス業からの転職が中心で、アルコアなどとの労働市場での競合は少ないらしい。 労働組合はなく、団体協約もない。会社との話しあいの機会はいろいろと設けていて、関係は良好。QCサークル、カイゼン提案制度も、日本ほどではないが機能している。特別のインセンティブは与えていないが、開業時の従業員が今の指導的労働力となっているように定着率は高く、会社の成長が雇用の安定に繋がるという意識は強いとのこと。 部品に付いては、デンソーの関係メーカーが現地工場をつくるケースは無く、重要部品は日本からの輸入で、金属ケースなどの一般部品を現地調達している。現地調達品は、ジャストインタイムに近いが、輸入部品は1週間程度の在庫を持つことになる。 顧客はほとんど全てのアメリカ自動車会社だが、やはり最大は、トヨタ。デンソーのメキシコ工場の生産品も、ここが物流拠点となって全米に流している。 長時間のご案内、ご説明に深謝を申し上げてお別れする。充実した工場見学だった。 3:30、#75を北上開始。Norrisのアパラチア博物館に寄るが外観だけでパス。元が眠くなったので、久しぶりにハンドルを握る。Londonから#80を経てCumberland PKWYに乗る。車の通りは極めて少なく、見通しの良い長い区間に前方に1台、後方にも1台という程度。有料道路で、90セントと80セントずつ2回払う。開拓時代にダニエル・ブーンらが活躍し、幌馬車隊が進んだ道かもしれない。山地を抜けると、広大な牧場が続く。 Glasgowで運転手交替して、Cave Cityに向かう。宿さがしをするが見当たらないので#65に乗ってみる。高速道路だと出口付近にLodgingやGas、Foodの案内看板があるから便利だ。途中のRest AreaでDiscount Guideを発見したので、引き返してCave Cityで下りてBest Westernに投宿。ガイドブックに掲示された料金、1〜4人で37ドルを適用してくれた。平屋の小さいインだが、部屋はツイン/バスの標準レベル。この価格は安い。 近くのレストランCracker Barrelで夕食。ビールを頼んだら、ここはドライシティでアルコール類は無い。ビーフシチューはボルシチそっくり、バーベキュー・ポークはコンビーフ状でちょっとビックリ。コーン・ブレッドは、戦後のトウモロコシパンを思いださせる味。ここは田舎料理のチェーン店で方々で見かけるが、入ったのは初めて。店内は民具が壁を飾り、大きな暖炉がある。聞くと冬には薪を燃やすそうだ。
閉店時間の10時を過ぎても客が入ってくるので変だと思ったが、部屋に戻ると時計は10時前。おなじケンタッキー州でも、ここは中部タイムゾーンだった。時計を1時間遅らせて、最後のナイアガラ赤ワインを開ける。 |
5・23 |
石のクマたちが沢山いる。小さなのとランプが灯る重いのを購入。小さなのを数種買おうと思ったら、二人が重いほうを推薦するので、帰りの荷物を思いやりながら、あえて購入。化石の程度の良いのも売っていた。 #65をBowling Greenまで下って、William H. Natcher PKHYを北西に走る。有料で40+50+60セント3回に分けて払う。OwenceboroからのAudubon PWも有料で50セント。Tollroadといっても、この値段だから、集金係の給料がまかなえるかどうか疑問だ。Evansville手前で中華ビュッフェの昼食。サービスの中国女性に訊ねると、本土から来て1年とのこと。 オハイオ河を渡ってインディアナ州に入り、#164を北上して#64を西へひたはしり、イリノイ州を通過してミズーリ州セントルイスに着く。6時間あまりの長距離ドライブを、元が一人でこなす。 マリオットは99ドル、ハンプトンは109ドル、ハイアット・リーゼンシーは119ドル。ユニオンステーション内の駐車料金が12ドルかかるが、ハイアットに2泊することにする。ユニオン・ステーションにある古風なホテルで、かつての駅ホテルの増改築。駅自体が、モールに改装されていて、ショップやファストフード店が入り、人工池にはボートが浮かんでいる。 部屋は普通の調度で、窓はモールを見下ろす位置にある。ステーションホテル特有の眺めだ。かつては、列車の乗客の行き来が見えたのだろう。 ホテルに入る直前に街中から黒煙が立ち上るのを見た。近くなので行ってみるとビルの火事。セントルイス消防署のすぐ前だが、応援の消防自動車が次々に駆けつけて来る。パトカーも集まってきて、道路を封鎖した。なにが燃えたのか分からないが、ものすごい黒煙が2本上がっていた。火事見物でチェックインが少し遅れた。
Maggie O'Brien's で、バーベキューのポークとチキン、ベークド・ポテト、フレンチフライをテイクアウト。TakeoutといったらTo go?と聞き返され、請求書にはCarryoutと書いてあった。ソースが甘いが、BBQらしい味で満足。薬を飲むのをサボっていたためか、摂取カロリーが高すぎたせいか、右足の甲が痛い。痛風の前兆だ。靴が履けなくなると困るので、ワインは控えめにする。 |
5・24 |
バドワイザーの工場ツアに向かう。ツアの時間が分からないので、とにかくと思っていくと、老若男女、子供連れがどんどん車でやってくる。フリーの駐車場があり、ツア受付に行くと、次から次へとツアを出している。われわれも、すぐに60人くらいの集団に入った。ギフトショップ、試飲ラウンジのあるツア専用の建物で、赤く塗られた綺麗なビール輸送馬車の前でツアの説明をしてから、馬の厩舎に案内して、Anheuser Busch社の歴史の説明ビデオをみせる。最後に社長のBusch3世がビデオのなかで歓迎の挨拶。かつて輸送馬車を8頭立てで挽いたヒズメの大きい馬が数頭飼育され、立派な馬車、馬具が展示されている。 第2段階の醸造槽が並ぶ工場に行く。第1次発酵後の液を、5×60cmくらいのBeechwoodの木片をいれたステンレス槽で2次発酵させてビールを完成させる。このプロセスははじめて聞いた。 次の建物では、製造工程の説明ビデオをみせてから、モルト・大麦と米の粉の糖化槽、イーストとホップを加えての第1次発酵槽を見学。ツア専用の大きなエレベータで3階に登り、階段を下りながら見る仕組み。最後は、製品の瓶詰め・缶詰め作業工場で、ここには、専用の昇降エスカレータが設けられている。この工場を出たところから、赤いツアバスでもとの建物にもどり、試飲ラウンジで、各種の製品をフリーにいくらでも飲ませてくれる。プレッツェルのおつまみもくれる。5種ほど楽しんだが、新鮮なビールは、どれも美味しい。 レモンスカッシュのような軽いビールも試したが、これは日本にはなさそうだ。子供にはジュースなどのサービスがあり、家族でツアを楽しめる。ラウンジ入り口で、元は身分証明書の提示を求められた。この国では、21歳未満は飲酒禁止だし、アルコール類を買うこともできない。見学にはみな車で来るのだから、出口で検査すれば飲酒運転になる人も居るに違いない。そこらは、セントルイス市警察も心得て、市を代表する目玉産業会社のツアには目をつむっているのだろう。 1890年代に、ドイツ系移民のBuschが義父のAnheuserとはじめた会社で、今では全米シェア50%を越える世界的なビール会社に成長した。ここが本社工場で、ほかに全米に5〜6工場あるようだ。日本ではキリンが依託生産している。見学ツアへの力の入れ方を見ても、PRの巧さでシェアを伸ばしたことがうかがわれる。工場内も、シモツケ・アジサイ・パンジー・バラなど季節の花が咲き乱れて綺麗だ。 フリービールで良い気分になったが、痛風のため元気が出ないので、ホテルに帰って休息。恵子も元もぐっすり昼寝をした。ドライブの長旅で疲れはたまっているようだ。 ユニオン・ステーション駐車場のそばには、かつてのSouthern Pacificの機関車と客車が、低いプラットホームに停車している姿が、現物で残されている。大きなアーチ形ドームの南端には、St.Louis Union Stationと大きな文字が残る。西部開拓の花形、鉄道と駅が、いまはモールと駐車場になっている有様は、歴史の変化をまざまざと示している。 ユニオン・ステーションのなかのLandry's Seafood Houseが案内パンフレットで評判がよいので、夕食。スモークサーモンの杉板焼き、フィッシュ・プレート、ダンジネスクラブの塩茹、魚貝のパスタ。ドライで食べる。量が多くて、さすがの元も食べきれず残りはキャリイアウト。85+13ドル。子供づれの客が多い高級ファミレスという感じだが、パスタを除いては味は良い。すこし塩が強いのは、アメリカの一般的な特徴だと思う。肥満で塩分を採りすぎるのだから健康には良くなかろう。
土曜日でモールを歩く人は多い。屈託無く、楽しそうに見える。豊かな国であることは間違いない。髪を後ろで白い帽子にまとめ、ロングスカートを着たご婦人たちはアーミッシュの人だろう。今朝はファーマーズ・マーケットでも見かけた。駐車場に馬車はなかったが?昨日、インディアナでも、馬車に注意の道路標識を見たから、方々にアーミッシュの人が住んでいるようだ。 |
5・25 |
イリノイ側にはカーギルの穀物サイロがある。鉄道で入ってくる穀物を、ミシシッピー河の輸送船に積み込むコンベヤーが設置されている。一部撤去したサイロ跡があったので操業中かどうかいぶかしく思いながら引き込み線を歩いていたら、カジノの警備車の運転手が危ないと注意してくれたところをみると、まだ現役サイロであるようだ。 メトロリンクは、固定連結された2客車が2両連結で走る紅白ツートンのスマートな電車で、セントルイス空港とイリノイのCollege駅を結んでいる。ユニオン・ステーションから乗るとスタジアムからアーチまでは地下鉄になる。日曜日の6時台は2便しかなく、大分待たされた。乗客はほとんどが黒人で女性が多い。職場に通勤するのだろう。帰りには、Securityの制服を着た大きな黒人女性が検札に来た。往復シニアで1.2ドル。 昨夜の残りで朝食。ここのモールのコーヒー専門店で買ったスプレモをいれたがローストが強すぎる。アメリカン・コーヒーはフレンチ・ローストとミディアムの中間くらいの炒りで、これをやや薄めにいれるようだ。蟹はやはり酢醤油が美味しい。サクランボBing Cherryは、まずい。サクランボとアルプス乙女の中間のような歯ざわりで、日本に来るまでに過熟してこの歯ざわりが無くなるから、サクランボ的になるものと思われる。4個1ドルのネーブルはやや甘味が乏しい。 パンフレットにあった歴史的街というセント・チャールズに向かう。ミズーリ河を渡るとたしかに古風な街で、歴史大通りには、2階のベランダが道の歩道の上に突き出している「ガンギ」風の家がある。日曜日で11時開店の店が多く、客はウィンドウ・ショッピングを楽しんでいた。 セントルイスに戻って美術館を見ようかと思っていたが、元が北に行くとマーク・トウェインの街があることを思いだしたので、このまま北上してHannibalに向かう。ミシシッピー河沿いのミズーリ州の市で、メインストリートは臨時の露店で賑わっていた。これまでには見かけなかった木製・金属製の装飾的小物を売っていた。木目の美しい木をそのままに使った小箱、寄木細工のコースターなど洒落ている。金属薄板やプラスティックで作った亀・蝶・トンボなども愛嬌があって良い。 通りの突き当たりにハックルベリー・フィンとトム・ソーヤーの立像が立っている。ズボンのすりきれている方がハックだろう。通りの左側にはトウェインの生家や父親の法律事務所、トムの稼いだペンキ塗りの板塀とか、トムの初恋の娘の生家とされる家もある。博物館は二つあるがパス。 河に出ると、遊覧船が待っている。乗ろうかと思ったが30分以上の待ち時間なのでパス。河には細長い島がいくつかあって、トムたちの冒険の現場のようだから近くで眺めるのも一興かと思ったまで。たしかに、ここは、河近くなのに起伏のある美しい街で、鍾乳洞もある。トウェインの想像力を培うに適した土地柄だと感じられた。 河を渡ってイリノイ州に入り、クインシーから#24を走る。広々としたなだらかな丘に牧場や畑がつづく。アンガス牛牧場との看板があるファームでは、黒毛牛が飼われていた。黒毛の牛はここでも珍重されるらしい。 小さな街が点在するが、レストランは無い。やむなくハーディズでハンバーガーの昼食。マックより味は良いようだ。カップもポテトも小を注文するが、日本の中か大くらいの分量はある。 極度の肥満の夫婦が食事をしていて、脇には、電動車椅子がある。車椅子といっても、バギーを小ぶりにしたような大型4輪車。ご主人が乗って、ご夫人は4つ足の大型ステッキで席を立つ。車椅子をどうするのかと思ったら、大型セダンの後ろに小型リフト式のキャリアが付いていて、そこに乗せて立ち去った。肥満で歩行が不自由になった結果だろう。過食・肥満・運動不足が悪循環を形成したに違いない。ご主人は帰りがけに、ドリンクをリフィルしていった。ここには紅茶はなく、甘い飲み物だけだから体重はさらに増えつづけることだろう。 途中に簡易家屋の展示場がある。ところどころで見かけるもので、細長い家を縦に半分に切った部分をトレーラー式に移動できるようにして、二つを合体させて一軒家にする仕組み。かなり安いのだろう。建坪はかなりありそうだ。アメリカの大量消費は、住宅の広いことに関係していると思う。電化製品や家具・敷物・装飾品の収容能力は日本よりはるかに大きい。大型耐久消費財の消費量がすごそうだ。衣料品などにはさしてお金をかけているようには見えないし、ブランド品嗜好は弱そうだから、消費の構造が日本と違うのではないか。 5:00頃、ユーリカ大寄宿舎に帰着。4000マイルのドライブは無事終了。出かけたときに比べると緑がすっかり濃くなっている。休暇中でだれもいないのに冷房が効いている寄宿舎のロビーで荷物の整理。元の本なども持ちかえるので、段ボール2箱+旅行鞄+手荷物2つになった。成田から宅急便を使うしかない。
前に泊まったワシントン市のスーパー8モーテルに投宿。キングベッド/バスで@49ドル。近くの中華ビュッフェからのTo goで夕食をと、二人が買い出しにいったが、8:30過ぎで閉店。スーパーの食品で済ます。元は寄宿舎に帰る。 |