アメリカ旅日記 6

 

5・26


 朝、宿の裏手を散歩。Washingtonと書かれた水道塔が立つところまではConstitution通りだがウオルマートで行き止まり。表のWashington通りに比べると名前負けも著しい。野原にはシシウドを黄色くした花が咲いている。昨日のドライブ中にオミナエシかと思った花だ。これは日本には無いと思う。ゴルフ場には、先日楓の実を食べていたリスはいなかったが、白と青のアヤメが咲いていた。6時頃なのに、もうゴルファーが2人いる。今日はメモリアルデーで休日だ。2、3日前から、お墓や記念碑は花と国旗で飾られている。靖国神社の例大祭のようなものだが、戦前の日本では、この日は休日ではなかったと思う。

 道で驚くのは電柱で、高圧鉄塔以外は大小の木柱が使われている。腕木も木の角棒。6段碍子以上の中圧送電は2本柱の鳥居形。低圧は1本柱で、4線くらいを送っているが、支えの柱や鉄線などはないから、かなり傾いているのもある。根もとから下は防腐剤を塗っているようだが、地上部は風雨にさらされて節がごつごつし風格もある。郊外では、住宅がとびとびなので、1軒ごとに小さな変圧器で処理しているから木の1本柱でも大丈夫らしい。

 9:30元が迎えに来て大学に向かうと、ユーリカ市のメインストリートに見物人が集まっている。メモリアルデーのパレードがあるらしい。見ると星条旗を先頭に銃を担いだ在郷軍人会メンバー、市の顔役たち、高校ブラスバンド、ボーイスカウト、クラシックカー、クラシックトラクター、騎馬隊、トラック、消防隊などの行列が通過する。車からは沿道の子供達にキャンディが撒かれる。みんな袋を持って、喜んで拾い集める。元もはじめて見るパレードだという。

 寄宿舎で洗濯や片付けをしてから、賢二君をたずね、近くの地元ピザ屋で昼食。ピザ・ハットより良いかと期待したが、やはり、トマトソースがありきたりで、似たようなものだった。壁には古風なビールの宣伝看板やステンドグラス飾りが掛かっていて雰囲気は良い店だ。夜は居酒屋になるから、そのときの方が面白そうだ。

 ウオルマート、シアーズなどでショッピング。鋏型でない押し切り型の植木ばさみを買う。日本にはあまりない鋏だが、太めの枝を切るには良い道具だ。二人は、加熱用ローソク、マフィン焼き型のほかに電熱ワッフル焼器を買う。メープルシロップを仕入れたので、ワッフル焼きが必要になったというわけ。

 日本にはほとんど無くてアメリカで良く見るものは、芝刈機とバーベキュー機。芝刈機はエンジン付きの手押し機は100ドルくらいからあるが、今の人気はバギーのような乗用型で500ドルから1700ドルくらいする。あまり広くない前庭でもバギー型で刈っているのを見る。エンジン無し手押し機時代から、電動式かエンジン式手押し機にうつり、さらにバギー式になったようだ。

 バーベキュー機は、小型ガスボンベ付きで温度調整できるグリルをゴム車輪で動かせる形式のものが100ドルから200ドルくらいで売られている。バーベキューが盛んで、専用のナイフ・フォーク・フライ返し・刷毛などの高級品も多種ある。木炭を使った時代から、石油加圧燃焼機、ガス加熱機と移ったのだろう。都市では電力による空調・温水化・調理が普通だが、郊外では、ガスも利用されていて、建物から少し離れた庭に小型潜水艇のような形の大きなボンベが置いてある。

 芝刈の運動量は最小化され、手軽にできるようになったバーベキューで高エネルギー食品を摂取すれば、結果は明らかだ。ゴルフ場が1日15ドル前後で利用できるのが救いだ。

 気がつくと、到着直後に見うけたイラク戦争特集雑誌は、いつの頃からか分からないが無くなっている。テレビもほとんど報道しない。もうイラク戦後なのだ。新聞の経済欄は、イラク戦争が終わっても戦後需要は盛り上がらないと嘆いている。

 ピオリアの案内パンフレットに記載されていたクーポンを使って、ベスト・ウエスタンに3人で55ドル+タックスで泊まることにする。

 6:00から、休場さん一家、賢二君とイリノイ河岸の魚料理店で夕食。キャタピラーに勤めるお嬢さんをご両親が訪ねてこられたので、ご一緒する。公文教育研究会に勤務しておられたお父上は、大学からは二人のお嬢さんを自由に任せる方針をとられた。上のお嬢さんは、イギリスでマスター取得後、マイクロソフトの技術職になって家庭を持つ。裕子さんはノルウエーでマスター取得。マリンテクノロジー、特に橋梁工学を専攻して、キャタピラーに就職。国際的活動をする子供たちを育てたご両親だ。

 タラバ蟹・ズワイ蟹・ダンジネスクラブ・ロブスターテイル・鯰などを豊富に楽しむ。8時過ぎても外は明るい。岸辺には後輪の遊覧船が停泊しているが、今日は運休。暗くなると、橋の灯が川面に映って美しい。写真を撮るが、デジカメはFが敏感で、明るく写りすぎてしまう。

店の客でタンクトップ、おへそだしの若い女性がいた。バックの開放部にサイズを合わせたような刺青があるのでビックリした。たしかにアメリカ人は刺青が好きなようで、Tatooの看板をよく見かける。女性の小さい刺青もみるが、今夜ほどのは初めてだ。

 部屋に帰って、最後のナイアガラ白ワインを開ける。
 

 

5・27

 
 朝、散歩。ここのベスト・ウエスタンは、片側2車線のWar Memorial通りに平行に走る片側1車線のBrandy Wine小道からさらに私道を奥に入った静かなところにある。指輪物語にブランディワイン川が出てくるが、トールキンの造語と思っていた。実在するとは!

 珍しくジョギングする人たちに7人会った。4人のグループと単独走。1人を除いて、肥満ではない体形だ。ジョギングとダイエットの流行が、アメリカの過剰富裕化開始の象徴と指摘したのは馬場だが、いまや、ジョギングは衰退しつつあるのではなかろうか。多くのアメリカ人は、肥満との戦いを放棄したようで、過剰富裕化は成熟期に入っているような印象を受ける。フィットネス・クラブや健康機器の需要動向を見てみる必要はあるが。

 住宅地を歩くが、ここは500坪くらいの敷地に大きな平屋が並んでいる。フェンスはなく、前庭とバックヤードは芝生とかなりな樹齢の大木。なかには花木・草花をきれいに植えている家もある。白や赤・紅のシャクヤク、白・青・紫のアイリス、赤・黄色のシャクナゲなど、なかなか美しい。すべての家の前庭の芝生は刈りこまれている。芝刈りバギーが活躍したのだろう。

 道路面にゴミ箱が出ている。小さい車輪が2つ付いたタイプが普通。ひとつの家もあれば、3つくらいの家もある。複数の場合は、Yard Waste OnlyとかLandscape Waste Onlyと書かれたゴミ箱がある。少しは分別するのかもしれないが、基本的には混ぜこぜゴミ出しだ。連休で家庭大工をやったらしく、ドアとか窓枠など大ゴミも捨ててある。古いバーベキュー台を捨てた家は、新式のBBQ装置を買ったにちがいない。どのようなゴミ処理システムか気になるが、回収車には出会わなかった。

 道沿いに浅間石か富士溶岩に似た大きな火成岩を幾つか置いたところがある。水成岩の多い土地だが、どこに行ったら火成岩があるのだろう。

 ホテルの道に雪が降ったようにタンポポの綿毛が積もっている。あたりにタンポポは無いので不思議に思ったら、大木に綿毛の房がぶら下がっている。見たことのない樹木だ。チューリップ・ツリーがあるのだから、これはタンポポ・ツリーというところか。

 朝食には、ソーセージ・グレービーとビスケット・パンが出ていた。細切れソーセージが入っている濃いクリームシチュー状のものをビスケットパンにかけて食べる。初めてのものだが、元は、ここでは良く食べるとのこと。ワッフル焼き器もあるが、甘いドーナッツ、ペストリ系は出ていない。

 今日のUSA Todayの経済面には、去年一番成長した外食産業は、ドーナッツで、Krispy Kremeが38.7%、Tim Hortonsが20%、最大のDunkin' Donutsも8.1%売上を伸ばしたと出ている。朝食の定番であったドーナッツが、午後から深夜の時間帯に売れるようになったという。「不況になるとドーナッツは良く売れる。1ダースで5ドルは家族を養うのに安上がりだ」とは、ダンキンドーナッツの技術者の談話。もちろん、栄養学者の警告ものっている。「アメリカ人は、ヘルスクラブにドーナッツをかじりながら車を走らせる。ドーナッツはアメリカ人のライフスタイルには適しているが、アメリカ人のウエストラインには不適だ」と。

 同じ経済面の真中には、Depressionと大きく書いて、両親や祖父母が話していたことを思いだしてみようと呼びかけ、物価下落・失業率上昇・世界経済後退・金融崩壊の4人の騎士は、まだ来てはいないがヒズメの音は近づいていると警告する記事が載っている。日本は10年続きのDeflationary recessionのなかに在り、ドイツもそれに加わりそうだ、アメリカもそうなる危険性は30%くらいあると書いている。

 チェックアウトのときに訊ねると、タンポポツリーはCottonwood treeという木で、ここらに沢山あるとのこと。たしかにホテル周辺には5・6本ある。しかし散歩した範囲には無かったから、やはり珍しいのではないか。車で通ると、風に綿毛種子が舞って美しく光っていた。

 元の部屋の引越しを手伝う。夏学期の2ヶ月余りを別の学寮で過ごすので、250mくらい離れた部屋に移る。賢二君も手伝ってくれた。こんどは2人部屋だが狭いので窮屈そうだ。

 昼食は近くで唯一の中華料理店のビュッフェ。この国ではバフェと発音している。@5ドルと格安。

 午後も引越し。夏の寄宿舎は、かなり古い3階建で内装も綺麗とはいえない。2階の部屋で、同室者も越してきたが、おもに同級の女友達の部屋で住むとかで、事実上、1人部屋として使えるらしい。同室者が大きなテレビとDVDプレヤーなどを持ちこんで、そのうち冷房器も友人のところから持ってくるというから、住環境としては良さそうだ。寮の前では野ウサギの夫婦が遊び、大きなオダマキの花が咲いている。日本のオダマキの4倍くらいの大きさで、色も濃い。オニアザミにしても大きな花だった。この広大な国では、花も大きく咲くのだろうか。

 帰りの大荷物を積んでホテルに向かう。途中、ホストの家によって、奥さんにお別れの挨拶。Peoria Castle Lodgeに投宿。3人で59ドル。屋根が板葺きで、小さな塔を持つ古城風のロッジ。調度も古風で雰囲気が良い。

 元は空港に車を返しに行く。帰りは賢二君が乗せてきてくれる。レンタカーの追加料金は260ドル。寿司屋に出かける。韓国人の経営で、綺麗なフィリッピン人が働いている。マグロは良いがハマチはダメ。アボカドの握りは意外に美味しい。レインボー巻とは、カリフォルニア巻を逆巻きにして、回りにマグロ・鯛・サーモン・アボカドを巻きつけて小口に切って虹状のアーチ形に盛り付けてある巻き寿司。刺身・てんぷら・抹茶アイス。ビール・日本酒・ソノマの白ワイン。日本酒はイカのような形の青色陶器に入ったアメリカ産で、聞いたことの無い横文字会社の醸造だがまあまあの味。全部でチップ込みで300ドルの豪遊。五輪の恋人よから、藤圭子のヒットまで、懐かしのメロディが流れつづけていた。アメリカ人の客で繁盛している。

 ロッジに戻って内部を見物。がっしりした木製家具や、古いピアノかチェンバロ、ガスの炎が上がる暖炉に、壁の古そうな肖像画など、ドイツ風の内装と自称しているが、ドイツでこの様な内装のホテルは見たことがない。バーの前には、巨大な黒クマの剥製立像がある。ここのオーナーが、1970年にロシアのUelen近くで獲ったクマで、体長9.1フィート、体重1027ポンド。ひぐまサイズで、黒クマとしては最大の部類だろう。
 

 

5・28&29


 4時にコールを頼んだが、3時半に起きてしまい、段ボールの紐掛けをする。4時半にロッジのセキュリティの車が空港まで送ってくれる。荷物検査に備えて開けられるようにしておいたが、回りを白い紙のようなもので外部からなぜただけでOKのハンコ。6:10定時に離陸。元は、7時過ぎに帰国するご両親を送りにくる休場さんを待って、賢二君の家まで乗せてもらう約束になっている。

 ピオリア空港で3ドルでキャリアを借りた。当然返金されると思っていたら、25セントしか返ってこない。ずいぶん高いキャリアだ。

 天気が良く下を眺めながらの飛行。道を走っていたときには気づかなかったが、散水のために円形になっている農地が沢山ある。ピオリア付近はカボチャの産地で、パンプキン・シティとも呼ばれるらしいから、これからカボチャでも栽培するのだろう。いまは、トウモロコシが20cmくらいに育っている季節だ。

 1時間40分ほどでアトランタ空港着。地下のトラムでターミナルを移動。成田行きDL55便は、1時間ほどの待ち合わせで定時にエプロンを離れたが、タキシーウエーに進まず停止。機長アナウンスは、乗客が1名乗っていないので、荷物を下ろすためにエプロンに戻るとのこと。動き出す前に分かりそうなものだ。荷物を下ろしたのか乗客が乗ったのかアナウンスは無いままに再度動き出して、45分遅れで離陸。

 日経・朝日・US Todayをもらって読む。USによると、依然としてアメリカの住宅売買は盛んで、4月は前月比で、新築が1.7%、中古が5.6%増えた。金利が安いので買い替え需要が続いている。たしかに、各地で、ニュー・ホームの看板や、建築中の住宅、開発中の住宅団地を見かけた。Relocation住み替えは、住関係の耐久消費財の需要をともなうから、アメリカの個人消費支出を大きく下支えしているに違いない。 

 有料になったからドライで機内食。ますますもって味気ない。ワインやブランディを楽しみながらの空の旅も、いまは昔の物語。

5・29 1:25、定時に成田空港着。2003年アメリカの旅、無事終了。

                                        (2003年5月アメリカ日記 完)
 

<アメリカ日記>