北京滞在記1月 その2

1月6日

 10時に賓館正門で2年生と待ち合わせて、3年生のZWさん宅にタクシーで。北京市の東側、朝陽区の5環路の外側、北京第2外国語大学の近くの社区の1階がZWさんの住まい。

 比較的古いアパートで、中央が玄関・台所・手洗いスペース、その両側に部屋がある細長い間取り。ご主人はエンジニアで上海へ出張中、坊やとご主人の母上の3人で住んでいる。

 結婚記念写真が掛かっていて、ZWさんのウエディングドレス姿がとても美しい。

 ヒマワリのタネをかじりながら、2年生の皆さんとおしゃべり。そろそろ春節で、自宅に帰る時期なので、切符の手配をしている。普通料金は学生割引で半額になるが、寝台料金分は割引にならない。福建や山西など遠いから時間が掛かって大変だ。

 沢山の手料理のご馳走になる。蒸し餃子は、木の葉模様に包んであって見事。フナのスープは、以前から作り方を知りたかったもの。フナを一度油で揚げてから大根と煮込むと、乳白色のスープになり、特有の臭みも取れることが判った。食後は、持参の大きなケーキに、坊やの今年の歳、4本のローソクを灯してお祝い。

 ZWさんとお別れしてから、近くの建材市場を覗いてみる。模様を彫り込んだドアサイズのガラス板が、150元前後で売っている。日本に送っても安い値段だ。市場で皆さんと別れて、潘家園古文物市場へ行く。なにも買わずに、バスに乗るが、道路混雑で時間が掛かり、易先生との待ち合わせ時間に遅れてしまった。

 九頭鷹で、易先生、人民大学の院生4人と会食。1年生でこれから文学や言語の修士論文のテーマを決める。敬語を扱いたいという院生がいるが、日本語の敬語はなかなか難しいし、最近はかなり敬語表現が乱れてきていること、日本人の若者で、正しい敬語がつかえる人は多くないことなどを話す。すでに大学教員の院生もいて、やはり教員待遇を受けながら、大学院で勉強できる。日本も学ぶべき良い制度だ。易先生からは立派な花瓶、院生の皆さんからは可愛い焼き物をいただいた。

 帰室してからは、荷物の整理。

 

1月7日

 今朝も散歩は中止。10時ころセンターに行って、机を整理する。持参した書籍を図書室に寄付。『概説日本経済史』と『父と子が語る日本経済』を、文学系院生で、広州の大学で経済・経営関係の日本語を教えることになったOYさんにあげる。南開大学日本研究センター紀要の論文コピーの残りは社会研究室で適当に配布してもらうことにする。パソコンの中も整理するが、元を連れてこなかったので、8/22以前の状態には戻せなかった。

 昼食後、中日友好医院に葉綺先生を訪ねる。立派な病院で、西門から入って行くと、鑑真和尚の座像がある。東門近くの国際病棟までかなりの距離があった。日本語の上手な受付を通して、面会を申し込むと、看護婦が病室へ案内してくれた。昨秋の訪日の際に転んで肩と肋骨を骨折されたために、すぐ帰国されて、ご自分の病院に入院しておられる。

 東北で敗戦を迎えた時、15歳だった葉先生は、ご自分で中国残留を希望され、ご両親と別れて中国革命のなかで医者となり、今日まで中国で医療奉仕を続けてこられた。経営史研究所の河上さんが浅田石二のペンネームで『あじさいの花』と題した本を出版して、葉先生の半生を描いている。

 まだ肩の痛みが残るご様子だが、お元気にいろいろなお話をしてくださった。大躍進が失敗した時代、文化大革命の時代の経験談、一人っ子政策の評価、改革開放後の変化についてのご意見など、実に興味深いお話をうかがえた。文化大革命のなかで武闘が行われた時期に、かつて活躍されて多くの病人を救った地方の人々が、先生を守るために竹槍を持って上京しようとするのを断ったというお話は、あの時代の緊迫感を伝えながら、先生がこの国に深く根を下ろしておられることを示している。

 西門の鑑真像については、日本人が寄贈したものだが、死後を弔う仏僧像は病院にはふさわしくないと建立には反対したのだがと語られた。中日友好のシンボルではあろうが、たしかに病院に建てるのはいささか問題がある。人民大学構内の孔子像のことを申し上げると、儒教批判の共産党ともあろうものがと怒っておられる。80年代から増え始めた幹部腐敗についても、鋭く批判されて、死刑も必要だと語られた。改革開放による市場経済化は、中国の貧しさを救うためには必要な政策だが、金銭崇拝になるようでは行き過ぎと批判される。歯に衣を着せない発言を通してこられた先生らしい反応だ。

 マルクス主義を信念とし、中国共産党を信頼して生きてこられた先生は、中国現代史の証人として貴重な人物だ。まだ現役医師でいらっしゃるが、是非、自叙伝をお書きいただきたいとお願いした。

 次の訪中の折りにもお話を伺わせていただくことにして葉先生とお別れする。

 夕方、張先生が、中日経済研究センターの特別高級研究員の辞令をわざわざ届けてくださった。日本研究所へのエッセイ寄稿をお約束してお別れする。

 最後の夜の夕食は、専家食堂で。隣の卓は、代田先生と清水先生ご一家。部屋に戻って、ワインの最後の1本を空ける。

 

1月8日

 朝、6時、樋口先生の帰国を見送る。7:45に院生の皆さんが見送りに来てくれる。荷物を下に運んでもらって、今後の打ち合わせとお別れの写真撮影。代田、清水、守屋、篠崎先生方も見送ってくださる。東京の引継会での再会を約束してお別れ。頤園公寓のフロントの皆さんとも握手してお別れ。

 畔上さんが付き添ってくれて、アウディ2台で空港へ。4環路を通ったので早めに空港に着いた。運転の周さんと畔上さんに感謝してお別れ。

 中国東方航空の中型ジェット機は定刻離陸、渤海湾、韓国上空を通って島根あたりから入国、雪の少ない富士山を見て、3時に成田到着。6時過ぎ帰宅。

 恵子たちが買い出しに行って、久しぶりのお寿司で夕食。

 140日の中国の旅、無事終了。

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