北京滞在記10月 その3

10月11日

 朝は6時前から明るい。斜面に建つ建物の基盤や樹木に絡んでいるツタが綺麗に紅葉している。司会をする守谷関西大学名誉教授と金東北財経大学教授のレジュメを読む。8時半に朝食。南開大学の国際会議でお目にかかった先生方と再会。

 「中日経済発展過程中的制度変遷与制度文化」国際学術研討会の開会式は、莽日本研究所長の挨拶、遼寧大学長の挨拶、瀋陽総領事館の副領事の挨拶。

 特別講演は、中国銀行の猿(けもの偏を取る)教授の人民元のレート問題。中国政府の公式発表と基本線は同じ。WTO加盟後の国際収支の動向、不良債権の処理問題、あるいは、外貨逃避を指摘されて、元切り下げ要因もあるという興味深い発表だった。中国の国際経済に占める役割の大きさを自覚していただきたいと発言。人民元の安定は大切だが、それがどの水準に設定されるかが問題。猿先生は、徐々に変動幅を拡大するだろうと予測するが、どの水準が適正かが問題。多分、その巾は、小さそうだ。

 午後のセッションでは、守谷先生の発表「日本経済発展過程、制度変遷軌跡と経済改革方向」を司会。制度疲労の後は、制度改革、その後は、制度転換が必要とのお話。共感できる。通訳は南開大学でも一緒だった金仁淑遼寧師範大学の女性教授。

 東北財経大の金鳳徳教授は、共同論文「日本経済制度の経済学分析」を弟子の安博士課程研究生に報告させる。堂々と報告。青木昌彦が基準になっているのは驚き。日本資本主義の革命を唱えた姫岡令人、つまり青木さんが比較制度学派の先端に位置付けられるのは、歴史の皮肉でしょうか?

 休憩を挟んで、特許制度の役割を人民大学の関先生が実証的に解明。続いて、日本大学の石井先生が、「日本式経営と変革型リーダーシップ」を報告。自動車・家電の時代は、品質と価格競争力が決め手だったので管理型リーダーシップが大きな役割を果たしたが、情報化社会では革新的経営者による変革型リーダーシップが求められているとの報告。スキル修得、管理能力修得よりも、第3の能力が重要との指摘は説得力がある。エモーショナルな、資質の重要性とその教育による開発可能性を指摘しておられた。

 夕食は、院生と一緒のテーブル。ひとり日本語が出来る女性が通訳してくれたが、そのうち何人かは英語でも話せることが分かった。泉ピン子に似た羅教授は福祉問題の専門家、希少価値の男の院生も社会保障や年金問題を専攻していた。この国でのホットな問題のようだ。コン・リのファンだというと、羅先生は、彼女は中国女性の悪い面を演じていて好きではないと発言。

 院生達がバスで帰ったあとは、中国銀行の猿教授や莽所長、崔副所長、方教授らと飲む。桃山酒造の白酒は上等だ。方教授は通訳してくれた女性で、長期の日本留学経験はないが、歯切れのいい綺麗な日本語を話す。莽教授と同期、大平学校の4期生。40半ばの年齢だが、東北財経大学の国際商学院副院長。

 シャワールームは、スチームバスであることを発見して、スイッチを入れるとしばらくして蒸気が出て室温も上がった。

 

10月12日

 朝、湖畔を散歩。ところどころに立派な宿泊施設がある。岩はさまざまだが、中に細い筋目が入っている岩層が目立つ。この山を棋盤山というのはこの岩の模様によるのかもしれない。車できて釣りをしている人がいる。吸い込みを8本くらい投げている。少し登り道になって両側には松林がある。入ってみたが茸は生えていなかった。松以外は、アカシアと楢の類の落葉樹が大部分で、黄葉はしているが、紅葉するカエデの類は見あたらない。賓館のツタの紅葉だけが山の紅だ。ダムの堰堤が見えるところまで歩いて引き返す。帰りに見ると釣り人は1匹釣り上げたところだった。昨夜の料理のフナに似たあまり大きくない魚だ。

 朝食に行く頃から雪が降り出した。ツタの紅葉に雪は美しい。

 午前は、2組に分かれての分組討論で、第2討論組に分けられていたが、宋先生のいる第1組に出席。守谷先生が昨日の補足発言。議事進行について発言して提出されているペーパーの中からセイフティネット・不良債権・日本的経営の3テーマを選んで討議することを提案。これによって先ず宋先生が日本の農業者年金について報告。ところが、次からは勝手に発言するかたちになって、社会科学院日本研究所の張季鳳先生が近日公刊の国土開発論の宣伝と日本的経営の変革への疑問。日本の友人がリストラされた後自殺した経験から日本のアメリカ化に反対。

 東北師範大学の宋教授は、現在の小泉改革の不徹底を指摘しながら、制度改革ではなく制度革命が必要と発言。江瑞平外交学院経済系教授は、構造的変化が進んでいることを、@株式所有関係、A政府介入力の低下、B企業グループの組み換え、C企業内の終身雇用制などの制度、D利益配分関係について、綺麗にまとめて説明。これらの変化は、やがて日本経済をふたたび成長軌道に乗せるだろうと予測した。日本企業が高い技術を中国に持ち込んで安い労賃で生産した製品を日本で販売したときに得られる利潤の本質を問題にしたあたりはなかなか鋭い発想だ。国際価値論の問題だが、労働力も資金も自由移動はできない条件下での剰余価値形成は、どう理解すべきか考えものだ。

 馬黎明天津社会科学院日本研究所所長は、地方自治制度の日中比較について発言。古沢賢治大阪市立大学経済研究所教授は、上手な中国語と日本語でIT産業を中心とした新しい日中協力の必要性を主張し、韓国からの留学生に日中韓の半導体産業の研究を発表させ、自分で通訳した。

 江議長がまとめの発言。通訳もした張先生が、参加した阜新市共産党副書記の趙興武氏を紹介して、炭鉱都市が当面する問題に日本の経験を参考にしたいと考えていると説明。あいにく答えられる日本人はいそうにない。

 昼食は莽所長と一緒でビールを飲むが、莽さんは食事途中で退席して忙しがっている。午後は自由学術交流というから大会議場で自由討論をするのかと思っていたら、個別に話し会いをする時間だった。事実上は、休憩。部屋で休む。昼寝からさめると外は青空で陽が射している。芝生の雪も消えた。

 4時半から閉会の宴。中国社会科学院の事務局副主任の黄暁勇さんが挨拶。日本人学者を代表して挨拶。近代の15年の不幸な日中関係が始まったここ瀋陽でのシンポジウムの意義を、グローバリズムに流されることなく東アジア独自の新しい制度を創る第一歩と評価。日本侵略へのお詫びを最初に述べた。今日の初めは雪、のち晴れの天気と同じく、雪の日々のあとの青天が今後の日中関係で長く続くことを祈念。莽所長はじめ皆さんに感謝、宋先生が通訳をしてくれた。

 盛大な宴で、桃山白酒を堪能。新しい中国の研究者と知り合えた2日間だった。人民大学の関先生は一橋大の博士で、近著「近代日本のイノベーション」をくださった。日本の特許制度を高く評価する実証分析で、沢井実さん好みのテーマだ。

 終宴は7時前で、寝るには早い。テレビでニュースを見る。イスラム諸国がアメリカのイラクからの早期撤退を要求したようだ。CCTV2でアイーダを放映している。先月北京で公演した録画だ。大きな屋外運動場、工人体育場での公演は迫力がある。中国雑技や舞踊を取り入れた演出。第2幕の凱旋シーンでは、本物の象やラクダ、馬を登場させ、犬たちや、檻に入れた虎やライオンまで車で行進する。第3幕のアイーダの望郷のアリアは良かった。最後は花火を打ち上げての幕切れ。

 

10月13日

 朝は青空。昨日と反対の方向に散歩。湖を取り囲む山のなかに頂上付近が紅葉の帯になっているところがある。カエデがあるのかもしれない。地図で見ると、輝山と棋盤山の2つが比較的高いようだ。夜は冷え込んだらしく、紅葉したツタに霜が降りて美しい。

 朝食後、遼寧大学のマイクロバスで出発。湖畔を一周してくれた。紅葉はウルシの木らしい。遊園地や遊覧船がある。宿泊施設は、企業や企業集団のものが多く、天保賓館も中国人民保険会社の経営だ。瀋陽商業城集団の宿泊所もある。ダムの堰堤の上を走る。ここは発電はしていない。湖畔をそれると農家があって農家飯の看板が多い。

 高速道路で市内に入り、遼寧大学の新校地に乗り入れるが、昨日の雪で道がぬかるんで途中で引き返す。広大な敷地に沢山の建物を建築中だ。瀋陽北駅で何人かとお別れ。遼寧大学に行く。横長のキャンパスで、日本研究所のある建物と図書館を見学。ここには工学部系だけを残して、他は新キャンパスに引っ越す予定とのこと。緑の多い美しいキャンパスだ。

 バスで市中心へ出て老辺餃子店で昼食。崔副所長が主催しての宴会。お料理と16種類の餃子、マオタイ酒。ウナギの入った餃子やカレー味の餃子などいろいろあって美味しい。3年前に食べた店とは違うところのようだ。あるいは改築したのか。

 食後は故宮見物。3年前と同じく黄色と緑の瓦の色が美しい。瓦の小さなかけらを拾った。上薬がかかった上等な瓦だ。探しても他には落ちていないから、幸運だった。

 古沢先生達とはここで分かれて、孫先生と空港へ向かう。途中の大運動場で、孫先生の小学生の坊やを拾う。運動会の練習があったとのこと。日本で2年間生活したので、綺麗な日本語を話す。

 5時定刻前に飛行機は飛び立つ。渤海湾を遠望しながら、河北省あたりからは山に雪が残るのを見下ろす。1時間足らずで北京着。空港バスで友誼賓館前まで。宋先生にお礼を言って分かれる。

 あり合わせの材料で作った炒飯をたべる。新聞には八達嶺長城に雪が降った写真が載っていた。

 

10月14日

 朝、双楡樹早市に散歩。昨夜の強い風で木の葉や小枝が道に散乱しているが、道路掃除部隊が早くから活動して、街中はだいたい綺麗になっている。ホテルの中では、落ちたギンナンを拾う人が植え込みの間を探っている。今日は青天だ。

 枝豆、カリフラワー、ドジョウインゲン、茸、ニガウリ、うどんを購入(11.3元)。ホテル前で小包子を一篭(3元)。久しぶりにコーヒーを飲んで朝食。

 朝刊は、毒ガスで死亡した青年の遺族が日本の法定に賠償請求の訴訟を起こすという記事。日本の井戸水汚染訴訟と同じ日に提訴するとのこと。留学中国人の帰国が増えているとの記事。1978年から2002年にかけて58万人が海外へ留学したが、2002年末までに16万人が帰国し、現在留学中の20万人のうちの半数が卒業後の帰国を予定しているという。SARS関係では、WHOからの派遣専門家が来中して再発に備え始めた記事。38度以上熱がある場合に監視する体制がとられている。敦煌でも瀋陽でも搭乗待合室に入る持ち物検査のところでセンサーによる体温チェックをしていた。搭乗するところでのチェックは、機内感染防止策だろうが、もし発熱していたら搭乗を拒否して監視下に置く手筈なのだろうか。

 9時半の車でセンターへ。代田先生に国際会議の報告。2年生の授業は江戸時代の再生産の話。領主と農民の再生産の仕組みを話して、江戸がリサイクル社会であったことを紹介する。屎尿処理などあまりキレイな話題ではないが、関心を持って聞いてくれた。中世のロンドン、パリが不衛生だった話はできたが、長安や北京がどうだったのかは知らないのでちょっと困った。ついでに、日本のゴミ分別の煩雑なことを説明して、来年の留学生活の一助とした。だれも、ゴミの分別など経験したことがないらしいから。

 茸ウドンの昼食。2時過ぎ、張先生が明日のレジュメを取りに来てくださった。論文の複製10部もお持ちいただく。ザボンをお土産にくださる。

 17日の講義レジュメを作成してから、買いだし。前に双安商場でヒラメを見つけたので買おうと思ったが、今日は、コチ、タイに似た魚、マナガツオくらいしかないので諦める。ウナギの干物があるのを発見した。どうやって食べるのか?利客隆で、ワイン2本(60元+40元)、缶ビール、豆腐、生ハム、ジャガイモ、タマネギ、キャベツ、長ネギ、牛乳、卵を購入。かなりな重量になった。ワイルドワンでくれたズック袋が役に立つ。歩道橋の上から西北の山並みがよく見える。

 夕食はゴーヤ・チャンプルー、ジャガイモ炒め、カリフラワー、ご飯と海苔。食後、小津の「晩春」を見る。人間関係が伸びやかな時代だ。原節子が美人ではあるが演技派でないことを確認した。なかなかこの両立は難しい。ビビアン・リーにしてもそうだ。バーグマンはやや美人度が落ちての演技派か。

 

10月15日

 朝は理工大学に散歩。壺焼き餅はまだできておらず、皮をこねるのを見物。何度も折り曲げてこねながら、ときどき包丁で縦に切れ目を入れてまたこねる。粉を振りながらの作業で、皮に層ができるようだ。小さく切り分けて饅頭のようになかに挽肉餡を入れて丸めてから麺棒で平らにして壺の内側に貼り付ける。別のところに焼き餅がある。これは丸く伸した皮のうえに挽肉餡を広げてくるくる巻いて5×15cmくらいに伸して鍋で油焼きしたもの。3個3元を朝食用に購入。

 9時に張先生が迎えにきてくれて日本研究所へ。北海公園の北側を走って東四十条あたりでUターンして下車。段祺瑞政権が政庁を構えた場所に、中国人民大学と中国社会科学院の研究所がある。西洋風の三階建てのレンガ建築で大変趣がある。15年戦争中は日本陸軍の憲兵司令部が置かれていたとのこと。その一角が日本研究所で、ほかにロシア東欧研究所、アメリカ研究所など6つか、7つの研究所がある。

 レンガ建築の2階会議室が会場で、中華日本学会・全国日本経済学会・中日経済研究中心共同主催での講演会になった。日本研究所所長の蒋立峰先生の司会で、国家計画委員会マクロ経済研究院の孔凡静教授、日本研究所前所長趙自瑞先生、天津社会科学院の郭先生はじめ諸先生に大学院生を加えて30数名の皆さんに話を聞いてもらう。

 「日本資本主義の特質とその変貌」というのが与えられたテーマ。戦前日本資本主義の特質が戦後改革で再編成された過程、高度成長の中での特質の形成と低成長期におけるその発現(日本的経営・日本的生産方式)、平成不況下での混迷と再編への試みをスケッチして、世界資本主義の新しい段階とそれへの日本資本主義の対応の難しさ、さらに、新しい段階が人類史の破局へ繋がる可能性を語った。質疑では、日本資本主義の民主化のその後、終身雇用制が否定された場合の社会的安定性、不良債権処理の可能性などの論点が出された。高度成長期の所得配分の平等化と平成不況期の不平等化、社会的安定性は損なわれるが新しい社会への理念提起がない現状では革命は起こり得ないこと、小泉政権のパフォーマンス依存性と実体性欠如などを回答とする。

 久しぶりに資本主義批判論を聞いたという感想をのべた先生がおられた。市場経済化への勢いが強い中では、社会科学院でも、経済成長に主要な関心があるのかもしれない。

 お弁当の昼食後、日本研究所の書庫の有沢広巳文庫を見学。有沢先生の日本語関係の蔵書が寄贈されている。少し古い図書が多いから、工業経済研究所に寄贈された隅谷先生の蔵書と合わせると良いコレクションになりそうだ。耐火性にやや問題がある建物であることが気になった。

 講演要旨をペーパーにすることを約束してお別れ。香山近くに宿を取られた郭先生とご一緒に社会科学院の車で送っていただく。郭先生は、社会党左派の高沢寅夫と一高同室だったとのこと。文化大革命期には豚飼いをなさるなど、さまざまなことを経験してこられた先生だ。「権力は腐敗する」との言葉を引用しておられた。天津での再会をお約束。

 夕方、恵子と双安商場に買い物にでる。青天がきれいだが、少し風が強い。夕飯の食材を買ってから、いつものデコレーションケーキ作りを窓越しに見物。この店は、じつに繊細な飾り付けをするし、動物の形作りが上手い。見ていて楽しい職人技だ。植物性油脂のクリームだから食味はダメ。

 先日の生ハムは塩がきつくて大量の野菜で味を薄めることになった。ハム入り野菜のごった煮、スペアリブ、香腸などで夕食。

 今日の小津作品は「宗方姉妹」。田中絹代は演技派で美人でないこと、上原謙はその逆のケースで、山村聡はまあ両立という印象。1950年作品だが、時代の雰囲気はあまり感じさせない映像で、もの足りない。姉妹のコントラストは小津らしくうまく演出している。

 9時過ぎ、元が来た。相談ごとがあるというので、何かと思っていたら、研究環境についてだった。多少は予測した事態だ。ベストな環境はそうあるものではない。

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