北京滞在記10月 その5

10月21日

 ホットケーキの朝食。やはり、小麦粉の具合が違って、日本のような出来にはならない。

   7:40のバスでセンターへ。ZRさんに、元が経営関係図書の解説をする約束をしたので早出。図書館で図書を一緒に見るが、経営史・経済史関係図書の集まり方に較べると、経営学・経済学の本は揃っていない。経済用語を「現代用語の基礎知識」で見ようとしても、最新版は入っていない。これから、経済・経営関連の修士論文を書く希望者がいるから、この不備は早く補う必要がある。

  2年生の授業は「鎖国から開港へ」。鎖国の意味、閉鎖経済下での経済的変化、開国・開港の影響を話す。中国との比較についての質問には、国内の商品経済・社会的分業の発展度合いの差が、両国の近代化の差異をもたらしたと説明。打撃をうけた在来綿業が輸入綿糸への原料切替で再編され、近代紡績業の市場基盤となったこと、これに対して、土布生産が打撃を受けずに持続したことがかえって中国の綿業近代化を遅らせたことを話した。日本の場合も、輸入広幅織物の小幅織物に与えた打撃は小さかったという見解があることまでは触れなかった。別の質問は、日本の領主は土地所有者かというもので、領主的土地所有と農民的土地所有の二重性、農民的土地所有の実体性に対しての領主的土地所有の観念性を説明するが、ここらは、中国史と大きく異なるので、理解するのが難しいようだ。領主を行政官僚と見ると分かりやすいと話したが、こんどは、日本の地主の性格が分からなくなる。中国地主制との違いも、中国史を学んだだけでは分かりにくいことは確かだ。

  家に戻って、昼食後、元を機場バスで送り出す。2時近くタクシーで西直門地鉄駅へ出て、地下鉄で北京駅に行く。風が強く、白楊の葉などが路上に舞う。秋が深まっていく様子だ。

  北京駅は跨線橋の工事中で、沢山の工人が働いている。シャベルで少しずつ土石を掘るが、人海作戦だから工事のスピードはかなりのものらしい。

  3:10の列車で天津に。広々とした農地が続くが、雨が多かったせいか、クリークの水は深いようだ。天津北駅に停車。まわりでは古い家並みを壊しての再開発が進んでいる。天津駅で、帰りの切符を買ってからタクシーに乗る。案外、渋滞は少なく、いつもとは違う道を通って南開大学へ。正門で止められて、中には入れない。許可を持つタクシーしか入校できない。正門から歩いて日本研究院へ。3階から宋先生が声を掛けてくれる。時間を見計らって待っていてくれたようだ。

  院生の周さんの案内で愛大会館に投宿。6時過ぎに宋先生が来て、専家楼食堂へ。米先生が院生とお食事中のところに参加して、夕食。インゲンと卵の黄身の炒めは、ウニが入っているかと思った。卵を細かい粒に炒める技術は面白い。揚げ出し豆腐をホタテや茸と炒め煮する料理もなかなか良い。白飯が美味しかった。風が強く、空は晴れて星がよく見える。

  帰室して恵子に電話。

 

10月22日

  朝、正門から出て南門へ散歩。昨夜の強風で吹き落とされた木の葉は、もう掃除されている。正門そばの新築現場では、かなり工事が進んでいる。木立はやや黄色い秋の色に変わってきた。朝日が正門の南開大学という金文字を輝かせている。周りを流れる河では、釣り糸をたれる人、河畔の緑地では体操・ジョギング・ウオーキング。河には遊覧小舟がもやっている。運河周遊ができるように、新築の平橋を太鼓橋に掛け替えたくらいだから、この船遊び事業には力が入れられているのだろう。

  南門前の泰達ビルは朝日に輝いて壮大にそびえる。南門は閉まっているので、人のまねをして橋脇の柵を越えてなかに入る。周総理の立像が泰達ビルに対峙する写真を撮る。昨日は、周総理が泰達を監視している構図だとの話だった。睨み倒そうという構図か、監視の構図か、いずれにしても、市場経済化には驚いているに違いない。

  9時から講義。「資本主義はなぜ速く成長するのか」を2001年の『日本研究論集』の寄稿論文を参考資料として配って話す。資本主義の限界と社会主義の再評価については、特に質問は出なかった。社会主義市場経済の評価にかかわる微妙な論点だからあらたまっての発言はしにくいのかもしれない。資本主義の現在の変化、戦後日本資本主義の現代資本主義的政策などについての質問には、次回以降の講義で詳しく話すことにして簡単に答える。終わってから皆さんを食事に招待。愛大会館の食堂で18名の会食。修士1年生が中心で、男性も半数くらい。なかなかよく飲み、よく話す元気のいい諸君だ。2時からは授業があるので残念ながら終宴。525元。

  日本研究院の貴賓室で郭先生と会う。「概説日本経済史」と論文コピーをさしあげて、いろいろお話を伺う。毛沢東の功罪を検討して居られるとのことで、上層部にも天安門に掲げてある毛沢東の肖像を降ろすべしとの考えがあるという。始皇帝の400人坑儒をはるかに上まわる知識人迫害の責任は、やはり大きいという見方。米中関係では、中国は、臥薪嘗胆、あるいは、韜光養晦の時期という発言が上層部から訪中した不破書記長に洩らされたことがあるという。有人宇宙船の打ち上げは、キャッチアップの一例だろう。

  喬さんに送られてタクシーで駅へ。途中渋滞でギリギリに間にあう。車内販売で、天津名物麻花を一箱買う(15元)。北京駅について囲いの隙間から覗くと、南側を深く掘り下げての大工事中だった。地下鉄で西直門へ出てタクシーで帰室。

  炒飯の夕食後、空港に小松さんを迎えに行く。入国審査が手間取ったようだが無事到着、空港バスで友誼賓館下車、トランクは重かったがタクシーの距離ではないので徒歩で帰室。

  日本酒やお米のお土産には恐縮。

 

10月23日

  寝坊してギリギリにバスに乗ってセンターへ。大衆消費社会をテーマの授業。消費の歴史を概説して、戦前戦後の日本消費社会の特徴を話す。商品の物神化、社会の解体を問題にすると、対策についての質問が出された。竜安寺蹲いの吾知唯足、石家大院の知足知不足斎を紹介して、消費者の理性的な選択の必要性を強調。

  昼食は半畝園で炒醤面、餅4種、砂鍋豆腐。面には涼と熱があったので涼を注文、前回より多い感じで、あまりの葱油餅は打包。小松さんと恵子は北京探検に出かける。利客隆で中国シャンペンとビールを買って帰室。シャワーを浴びてから新聞を読みながら昼寝。

 「独占の解体」記事は、中国の所得格差を拡大させるひとつの原因である独占の解体を主張している。世界銀行の統計では中国のジニ係数は1992年の0.376から1998年に0.4032001年に0.458になった。異系列だが、日本のジニ係数は、19800.34919990.472だから、中国の所得格差の拡大は日本並だ。原因のひとつに、一部の人々が法や制度の穴を利用して国有資産を私物化していることが挙げられている。不正な賄賂を得るようだ。これと並んで我慢できない原因として独占企業関係者の高い給与を挙げて、独占の抑制措置を先進国の経験から学んで法制化することが提案されている。1990年の全産業平均年収は2140元、最高は鉱業の2718元、最低は農業の1541元で格差1.8倍、2002年の最高は金融保険の19135元、最低の農業は6398元で格差は3倍に開いている。

 「声なき民への声」は、貧困地域の少女の日記の話。スメドレーの「中国の赤い星」で紹介されたことのある寧夏回族自治区の寒村を訪問したフランスのジャーナリストに託された14歳の少女Ma Yanの日記がフランスでベストセラーになり、日本語等にも翻訳されて少女はシンデレラガールになったという。この地方では、男尊女卑の風習から義務教育を全うさせずに14歳くらいまでに女性は小学校を退学して労働に従事し16歳くらいで婚資とひき換えに結婚させられる。これに反発して勉強を続けたいと訴える日記をMaは書きつづったようだ。16歳になったMaは、月500元の印税収入で大学進学も可能になったという。中国成人の識字率は、10年前の77.8%から今日では91.3%にまで高まったが、まだ100人に7人は文字が読めず、8500万人が少ししか読み書きができない状態。2005年までに1524歳の若者の識字率を100%にすることが教育部の目標。Maの母親も読み書きの勉強をはじめて、「可愛的我児、ニハオマ」と書けるようになったとのこと。

 昨日の新聞は、中国共産党中央委員会が市場システムの改革計画を発表したことを報じている。公有制を基軸にしながら各種の所有形態を発展させること、都市と農村の格差の是正、統一的な開かれた近代的市場システムの樹立、雇用・所得配分・社会保障の改良、国有企業経営の改善などが列挙されている。問題点は挙げられているが、その解決策はどうなっているのか不明。今日の新聞ではこの計画を市場の信頼を新たにする効果があると評価している。私的所有の対象の拡大を保証することは、中国の市場経済化に対する内外の投資家の信頼感を高めるというわけだ。走り出したらもう止まらない勢いの市場経済化か。

 7時過ぎ、探検隊帰還。古玩城ではひやかしだけで、紅橋市場でいろいろ買い物したらしい。九頭鷹で夕食。写真入りのメニューから、魚の味噌カツ、豚フライの甘酢絡め、牛肉スープなどを注文。ビールを頼んだら変な飲み物が来たので「ピジョー」というのだが通じない。「シジョー」に近い発音をすると分かるらしい。87元は安い。双安商場のスーパーでザボンなどを買って帰る。

 

10月24日

 朝、双楡樹早市に散歩。かなり寒くなってきた。栗、カリフラワー、インゲン、豆乳を購入(9.2元)。サヤエンドウを大型化したような新しい豆も登場した。成都小吃で包子と餃子(6元)も。

 午前は来週のレジュメ作り。昼食後、円明園に出かける。世界最大の庭園で、19世紀の遺跡公園。明・清代に造られた庭園を、第2次阿片戦争のときに、英仏軍が破壊した。18601018日の焼き払いで、建造物は全滅し、青銅の一二支像などは散逸した。園内の展示場では、1018日から青銅像などを特別展示。大きな横断幕には、国辱の1018を忘れるなと書かれて、大勢の訪問者がサインをしている。復元計画はあるようだが、厖大な年月と予算がかかるだろう。

 池のほとりを歩いていくと、渡船場があり、10元で遺跡までのせてくれる。1人の船頭が2本櫂を漕いで、西洋建築の遺跡が残るところまで池を渡る。平底舟で、安定は良くない。乗り込むときはかなり揺れる。小舟に7人も乗せるので喫水も下がって、小松さんと恵子は怖がっている。救命胴衣などないのだから転覆したらおしまいだ。池の上は風が涼しい。池から水路、また池と漕いで、20分ほどで終点。西洋遺跡入園は15元の追加料金だが、時間もないので外から見るだけにする。大きな石の建材が転がっている遺跡。どうやって破壊したのだろう。

 東門へ歩くと、大きな涸れ池がある。1人が凧を揚げようとしていたので、当方も持参の凧を組み立てる。風が弱いので少し手こずったが、ほどなく成功。数百米は揚がって、龍の字が読めなくなった。北京で初めての凧揚げは爽快だ。降ろすときリールに巻き取るのは案外大変で、小松さんの手袋を借りて引っ張り降ろした。

 園内には楓の木もあるが、まだ紅葉していない。葉裏が白い楓は珍しい。ススキの穂も風になびいて、スズメの宿になっている。東門近くにも石の門の破壊された残骸が無造作に転がっている。積まれた石柱の隙間から落日が輝く図柄をカメラに収める。廃墟の美というところだが、列強の中国侵略の産物だから、鑑賞するにはあまりに生々しすぎる。

 東門からバスで西直門、地下鉄で東四十条へ。保利プラザから北に100mほどの天地劇場に向かう。7:15の開演には少し早かったが入場。新風雑技舞台劇、如夢Reverieを観る。幼い少女が雑技を見て憧れ、やがて、自分も演者になるという筋。各種の雑技の技が展開される。輪乗り、傘回し、アクロバット、鏡で裏も見せる1人アクロバット、自転車乗り、皿回し、輪くぐり、独楽使い、柱登り、合間のピエロと観客のアドリブなど。音楽と光、煙やシャボン玉の使い方が効果的で、普通の雑技とは違った魅力的な舞台になっている。観客は団体客が多く、入りは60%くらい。日本人は少ない。9時前に終演。

 タクシーで王府井に出て、美食夜市を見物して粥店で夕食。三絲蛋巻(豚肉・野菜を糸切りにして薄焼き卵で巻いて揚げたもの)、粥三種、ビールで54元。もう一皿注文したのだが忘れたようで、満腹にはならなかったが、タクシーで帰宅。

 

10月25日

 朝は理工大学へ散歩して、焼き餅・揚げ餅を購入。香山公園に行くことにしてバスで頤和園まで乗り、香山行きに乗り換えようとしたが、来るバスすべて超満員。タクシーも行きたがらない。やはり週末は人出が多すぎるようだ。予定を市内見物に変えて、バスで前門へ行く。道路混雑で1時間20分くらいかかったが、初めての街路も走ったので面白かった。地下鉄13号線をくぐったあたりではショッピングセンター建設の大工事が進んでいる。北京師範大学は大きなキャンパスだ。西単は人出がすごい。

 前門を歩いて全聚徳天安門店で昼食。北京ダック1匹、水かきの辛し酢味噌、レバーの炒めを賞味。さすがに、皮のパリパリ感は上等だ。スープは少し薄目の感じで、感心しない。区画整理でなくなってしまった北京大学前店の方が上手だった。

 タクシーで北海公園に行く。入園していくつか階段を登って白塔の上まで行く。故宮や中海などのながめが素晴らしい。ラマ教の寺院だから、仏像は少し変わっている。インドの影響を受けたらしく、歓喜天も置かれている。文革期に破壊されなかったのはちょっと不思議だ。清朝は、モンゴル族にラマ教を奨励した。遊牧の民の攻撃的性格を和らげるためと人口抑制の意図といわれる。ラマ教では長男以外の男児を出家させて一生独身を通させる慣習があるから、モンゴル族が増えるのを抑えるのにラマ教が用いられたとか。

 白塔の北には洞窟があって仏像などを飾っている。ここ瓊華島は、金代に石を積み重ねて造られた人工島だから、この洞窟も人工。出たところには乙姫や布袋さまの作り物があって一緒に写真を撮ると1元を箱に入れる仕組み。

 島の北側に出て、大型渡船で対岸、北海の北岸に渡る。北門に行く途中に九龍壁がある。故宮にもあるが、ここのは両面に合計18匹の龍がタイルでレリーフされた見事なもの。寺の中にあった照壁だが、寺の建築は壊れて、壁だけが残っている。

 北門を出てタクシーで鼓楼へ。もう入門時間は過ぎているので外側からの見物。前海の方へ胡同の路地を歩く。古道具店で、小松さんが乾隆代制と銘のある銅製の茶器セットを購入。本物なら超安値。前海から胡同小路を抜ける。鳩の夕方の運動時間で、笛の音をひびかせながら群が胡同の上を飛ぶ。楼鼓大街駅から地下鉄で西直門へ乗って、タクシーで帰室。

 炒飯などで夕食。小松さんはマッサージへ。あまり上手ではなかった由。

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