北京滞在記10月 その6

10月26日

 朝、写真をハードディスクに移しているときに操作ミスで行方不明にしてしまった。元に電話するが留守。そのままにして3人で双楡樹早市に買いだしに行く。830分を過ぎていたがまだ店は開いていた。キャベツ、大型サヤエンドウ、ピーナッツ、手打ちウドンなどを買っているうちに、ハンドマイクで「そろそろ(こう聞こえた)」といって回る人がくる。一斉に商品を袋や箱にしまいはじめて、じつに手際よく店じまい。9時前にはもう掃除。道でロバの引く果物屋から梨を買う。

  途中の野外運動用具でストレッチを試みる。いろいろな用具があって、全身の軽い筋肉運動ができる。日本の公園では児童用の遊具が多いが、高齢化社会では、老人の保健用の運動器具を備えることもこれからは必要だ。ゲートボールばかりが運動ではあるまい。半畝園そばの甘栗屋で大粒を500g、10元。

  利客隆スーパーが開いているので2人は買い物。大きな袋を持っているので店前で待つ。歩道に買い物客の自転車が並んでいる。帰るときに係員に2角払っている。係員は2人もいる。15m位の場所に4列、1列に30台くらい駐輪しているから120台くらいは並んでいる。平均30分駐輪として、13時間の営業時間中に20003000台は停まるだろう。1日400600元の収入になる。これはかなりな額だ。どこの収入になるのか分からないが、係員の経費は軽く稼ぎ出せる計算だ。

  もうひとつの観察はタクシー。店の前で乗り降りする客が多いので停車するタクシーのタイヤを見ていると、トレッドがすり減っているものが大多数で、なかにはほとんどトレッドが無いものまである。これでは、雨の日のブレーキは良くは利かないのではないか。雨の日には、タイヤを見てからタクシーに乗った方が無事だ。

  お土産用の乾物などを仕入れて2人が出てきた。干し百合根を探していて遅くなったらしい。どう処理してあるのかは分からないが、干し百合根は、きれいに戻せて味も良いことを先日発見した。日本では見かけないからお土産適品だ。

 遅い朝食をとっていると元から電話。軽井沢に着いたそうで、相談したが、写真の発見はできなかった。敦煌旅行の後の10月の記録だから、無くなると残念だ。ハードディスクのどこかにはあるはずだから、あとで元に探してもらおう。

 昼食替わりに抹茶と羊羹、甘栗。2人は景徳鎮陶器店などを見に前門方面へ出かけた。

 昨日の新聞は、蒋介石夫人宋美齢が、106歳で死去の記事を載せ、宋家3姉妹について紹介している。かつて中国で最も影響力の強かった女性だったが、1975年の蒋介石没後は力が衰え、1991年に渡米してニューヨークに暮らし、1024日に安眠と書いている。特別のコメントは付けていないが、歴史的役割の評価は厳しいのだろう。

 先日の記事の続報もある。河北省の村で男性の葬宴中に会葬者がネコイラズ中毒になって10人が死亡したという事件は、葬られた男性の未亡人が、食事にネコイラズを混入したのが原因。なぜ毒を入れたかとの質問には、息子夫婦との関係を強くしたかったからと答えている。死者が出るとは思わずに、中毒事件になると、その補償問題について息子夫婦が母親に相談するだろうから、自分の発言権が強まると考えての犯行とのこと。中国社会における親子関係の微妙さをうかがわせる事件だ。寡婦になった後に、息子夫婦に疎遠にされることを恐れたのだろう。家族の絆が希薄化する傾向を象徴している事件にちがいない。

 土日曜版には1週間平均の大気汚染度グラフと解説が載っている。先週は汚染度最高値最悪が蘭州の190、太原の186で、上海は155、天津は148、北京は122と大都市は100を越えている。数字の意味は不明だが、進みつつある大気汚染への関心は強いらしい。北京では名物焼き芋が、市内営業を禁止されているとのこと。自転車の荷台の片側にドラム缶利用の釜、反対側に芋の袋をつけて焼き芋を売る光景は郊外では良く見るが、市域では見かけない。銀座に焼き芋屋がいる日本の方がこの点は寛大だ。しかし、焼き芋屋をしめ出したくらいでは空気はきれいにはならないだろう。シャーリーなどの小型タクシーもそのうちにしめ出すらしいが、中型車なら良いという問題でもなかろう。北京青天を取り戻すのは、もはや不可能ではなかろうか?

 午後は陳舜臣「北京の旅」の続きを読み終わる。歴史の回顧はさすがに手慣れた文章だし、1978年初版だから現在の北京の変容以前の姿を描いているところも面白かった。円明園破壊のくだりを読むと、乾隆帝が集めた財宝文物の略奪と石造物破壊の先頭に立ったのはフランス軍で、イギリス軍は一部が参加したにとどまったが、焼き払いはイギリス全権のエルギン卿の指示らしい。大英博物館の円明園関係文物は、フランスから購入したものとイギリスは主張しているようだが、大同小異で、中国に対するヨーロッパ列強の侵略行為は、敦煌文書も含めて、おぞましいの一語に尽きる。出遅れた日本の侵略が文化財略奪の点ではさほどひどくなかったのも当然かもしれない。先進列強が盗るべきものは盗り、破壊すべきは壊したのだから。

 買い物部隊の帰還を待って、夕食へ。広東料理店で、乳豚の丸焼きのパリパリ皮、海鮮煮込み、百合・銀杏・豚ミノ炒め、酢豚、炒面、ビール。176元。帰途、甘栗1.5kgを購入。小松さんのお土産。

 帰室後、中国シャンペンで乾杯。

 

10月27日

 朝、成都小吃で包子4篭購入。2篭は小松さんのお土産用。7:40の空港バスで小松さん出発。風が強く、白楊の葉がざわめく。葉が堅いせいか、大げさな音がする。仙波先生に社会科学院講演の報告葉書。

 新聞トップは、ニュージーランド訪問中の胡主席とクラーク首相との会見の記事。中国の外交活動も活発だ。人民協商会議議長の蒋介石夫人遺族への弔意表明の記事もある。中国近代史で影響力ある女性で、抗日戦争に貢献し、民族の分裂に反対し、平和統一と中国の繁栄を願っていたと評価している。民進党など台湾の独立派への警告記事も載っているから、国民党旧リーダーを評価することには、政治的意味合いがあるのだろう。

 市場経済に立ち遅れている法制度の改正促進記事では、会社法、証券法などが国有企業中心の規制的内容になっているのを改正する必要性を唱えている。経済関係では、中国の4大国営銀行の不良債権が今年前半期に貸出総額の26%から22%に減少したが、これは不動産貸付や自動車ローンが伸びた結果の数字で、健全化とはいえないとの記事とならんで、中国銀行の海外支店・事務所が56027カ国に増え、資産の30%が海外資産となり、税引き前利益の83%が海外業務からのものとなったとの記事がある。中国銀行や中国建設銀行は不良債権を抱えながら積極的な海外業務拡大路線を採っているようだ。

 午前中は、授業のレジュメを2つ作る。昼食にしようとしていたら、インターホーンが鳴る。出ると、小松さん。バスが遅れて、9:50の飛行機に間に合わなかったので、ペナルティを払って明日に変更してもらったとのこと。お気の毒でした。

 うどんの昼食。昼寝。小松さんはプールへ。隣がスポーツクラブになっていて、料金は1回20元。テニスコートは、平日1人1時間60元だ。ゴルフ練習場はクラブ付き30球で40元、追加は3010元。卓球は1人1時間30元、アスレティックジムは1回20元。

 南開大学2回目のレジュメ草案を作る。

 夕食は天外天で。太刀魚揚げ煮、ピラミッド型の豚バラ肉煮、ヘチマと赤唐辛子のフリッター、青梗菜とマッシュルーム炒め、豆花。バラ肉薄切りをどうやってピラミッド型に作れるのか、ヘチマのフリッターが何故あんなにふくらむのか、柔らかい豆花がどうして箸でつまめるのかなど、中国料理には謎が多い。ともかく美味しい。ビールともで149元。

 帰途、双安商場並びの茶芸館思茗斎に入る。細割り竹にメニューを彫り込んだ巻物から龍井茶を注文。可愛い女性が小さな缶に入ったお茶を持ってきて茶芸を披露してくれる。ぐい呑風の細長い茶碗と背の低い茶碗、急須、茶注ぎをお湯で温める。お湯は茶盆の簀の子にこぼす。大型ピンセットで茶碗をつまみながらの操作。木製の細長い匙で急須に茶を入れて湯を注ぐ。1分ほど待ってから金属製の茶漉しを茶注ぎにのせて茶を移す。茶注ぎから細長い茶碗に茶を入れて、上に低い茶碗をかぶせて、手品のようにひっくり返す。上になった細長い茶碗の香りをきき、低い茶碗の茶を味わう。なかなか優雅だ。茶うけに緑豆菓子をもらって、何度もお湯を注いで茶を楽しむ。残った茶は持ち帰る。茶1缶が80元、お湯代が3人分30元、茶うけが15元。小松さんの和菓子注文サンプル用に茶うけをもうひとつ打包。

 韓国の権赫基氏からの英文メールで経歴が判明。韓国語訳を承諾して、東京大学出版会にもメール。

 

10月28日

 7:10の空港バスで小松さん出発。30分早いから、今日は間に合うだろう。

 2年生の授業は明治維新と明治の経済をになった農民・労働者・資本家・官僚について。戊辰戦争は必要な戦争だったのか、権力闘争にすぎないのではないかとの質問。資本主義化のためには封建制打破が行われねばならないし、植民地化の危機を避けるためにも倒幕が必要だったと説明。維新と関連して、中国の改革開放をどう評価するかとの質問には、経済成長を目指す限りは市場経済化は有効だが、貧富格差などマイナスの影響が現れることは避けられないから、今後の政策展開が、改革開放の歴史的評価を決めると回答。さらに、毛沢東時代の評価を訊かれたので、平等な社会か成長する社会かの選択が問題で、その選択によって歴史評価は異なること、また、大躍進・文化大革命の誤りは毛沢東の失敗として認めざるを得ないと答えた。明治官僚が比較的クリーンだったと話したことに関連して、中国の裁判官・弁護士の不公平さを批判して改善の見通しを問う質問には少し驚いた。若い人たちも、法治主義が行き届いていないことを感じているようだ。経済の近代化と政治の民主化にズレが生じている現状を指摘して、民主化には時間がかかるだろうと語った。既得権益を持つ層が存在する限り、政治改革には反発する力が生じることは、西南戦争でも明らかで、内乱の危険まで冒してあえて改革を進めるのは難しそうだと話す。ただし、西欧流の民主主義を採用することにはマイナスの面もあり、共産党指導が適切に市場経済のマイナス面を排除する可能性もあることを指摘した。ここは大きな問題点だ。

 バスの時間に遅れたので歩いて帰室。理工大学のなかの新築事業は基礎工事がかなり進んできたようだ。構内は、湯瓶や弁当箱をもって食堂に行く学生達であふれていた。

 炒めうどんで昼食。樋口先生がくださった北京情報誌をながめる。日本人向けの雑誌が数種類あって、生活・娯楽情報が載っている。

 新聞トップはバグダッドの自爆テロの写真入り記事。その下は、甘粛省の地震被害地と陜西省渭河流域の大雨被害地への救援活動記事。陜西省では大雨で洞窟住居が崩壊して数10万人がホームレスになったという。Cave dwellingとはどんな住居なのか分からないが、ホビット族の家のようなものか?他にも洪水で30万人が避難していて、大災害になっているようだ。

 別の記事では、急速な経済成長による環境悪化が警告されている。砂漠化は、1980年代の年間2100平方キロから、1990年代には3436平方キロに加速し、河川の水利用率は60%から90%にも達して危険値をはるかに超え、森林の質的悪化も進んでいる。これらが、自然災害に対する抵抗力を弱めていると指摘されている。国家発展改革委員会の高官も「持続可能な発展」を目標にすべき時期だと語っているが、これまた難しい問題だ。「社会主義的市場経済」の前半に力点を置けば、「持続可能」にすることはできそうだが、「発展」は難しくなるし、後半に力点を置けば、「発展」はしても「持続可能」にはならないだろう。

 昼寝と講義レジュメ手直しなどで午後をのんびり過ごす。夕食は、ジャガイモ炒め、オムレツ、ご飯とみそ汁で済ます。

 

10月29日

 朝、理工大に散歩。友誼賓館の北門からでると、バスの給油場にあった道沿いの建物が取り壊されている。また新しい風景になるようだ。理工大の北門から構内にはいると、「技術の改革こそ生産力」とか「3つの代表を実行して、貧を扶け、前進しよう」などのスローガンが掲げてある。生産力と書くあたりが、理工大らしい。焼き餅と豆乳を買って帰る。餅屋のおばさんは、顔を覚えてくれたらしい。

 朝刊は、対米貿易黒字問題がトップ。温首相が、訪中したエバンス商務長官との会談で、漸次アメリカからの輸入を拡大させて貿易収支をバランスさせると発言した。別の記事では、最近9ヶ月で輸入が40%増加し、貿易黒字は54%減少しており、このままでは2004年には貿易収支が赤字になる可能性もあるとの報告書を紹介している。輸出企業への税金払い戻し制度を改正してリベート率を引き下げたので、輸出にブレーキがかかると指摘しての結論だ。この戻税制度の実体はよく分からないが、来年1月からリベート率が平均で3%ポイント下がるので、限界的な企業は輸出から手を引く可能性があるとのこと。財政負担の観点からのリベート引き下げだが、実質的には、輸出奨励金の切り下げだ。貿易収支動向が不透明な現状では、人民元のフロート移行は無理だろう。

 1面下には、国土資源大臣の更迭が報じられている。重大な規律違反で現在査問中というが、職掌柄の汚職か?公務員の規律問題は、「権力は腐敗する」法則から見ても、大きな課題だ。

 新しい道路交通安全法が来年5月から施行されるが、これは、自動車の対人事故は、過失がなくとも運転者の責任と認定するという過激な内容。昨年の交通事故は77.3万件発生し、10.9万人の死者、56.2万人の負傷者を出したという。たしかに自動車の運転は乱暴だが、歩いたり自転車に乗っている方も無茶をしているから事故は多発する。これを、自動車の側だけに責任を負わせるのは、現状から見るとすこし気の毒な感じではある。しかし、急速なモータリゼーションの弊害に立ち向かおうという意気込みはうかがえる立法だ。

 雑炊の昼食。恵子は、昨日は北京に来て2回目の1円も遣わなかった日という。結果は、食事に現れる。

 1時過ぎ、李向がん先生が迎えにきてくださって、元土城遺址公園に向かう。農業科学院、中央財経大学の南の学院南路を東に走って西土城路を左折、つまり北に曲がったあたりから、土の長城と堀が北に延びている。北3環状線をくぐって北土城路手前で下車。ここから土城は東に曲がって続いている。堀と土城周辺を公園に改修する作業が今年完成して、彫刻や滝・蓮池などを配した細長い緑地が新しい北京名所になった。公園を歩くと、樹木には名札がついていて、槐にも国槐、洋槐、紅花洋槐があること、松も油松、白皮松があることなど勉強になる。黄色く黄葉しているのは黄櫨、白楊は正しくは毛白楊、サルスベリは紫薇などなど。

 中央部に今年できた大彫刻がある。世祖フビライを中心に諸民族やチーター・象などが巨石彫刻を組み合わせて建ち並び、石彫りの首都大都の地図や、陶タイルの大きな風俗図がある。宴会風景は、敦煌壁画の浄土変のように踊り手と楽士を細かく描いていたり、隊商や雑技も描かれている。

 土城の下部から堀に流れる下水口の遺構も保存されている。大都造りでは、当然ながら都市下水網も重要だったわけだ。馬のブロンズが並ぶあたりが公園のはずれで、その先にも土城は続くが、まだ公園にはなっていない。

 車を拾って民族村方向に行く。目当ては凧揚げ場。少数民族の住居建物がならぶ民族村の東側に南北に巨大な路が走り中央が幅の広い緑地帯になっている。李先生もカナダでも揚げたという愛用の凧を組み立てて、トライ。恵子に持ってもらってかなり長く糸を伸ばして駆け出すが、数10mほどで落下。なにしろ無風状態だから何度やっても失敗。ほかにも凧揚げをやっているが、ひとつだけが揚がっただけでみな敗退。李先生も熱心に試みるが不成功。薄暗くなったので引き上げる。

 車で李先生のマンションへ行く。2022階建てが10数棟建っている新しい団地で、中央部には地下駐車場があり、その上は庭園になっている。2000戸ほどあって駐車スペースは700台ほど。自動車時代に対応した団地だ。20階のお宅にお邪魔して、ご主人にご挨拶してからなかを拝見してビックリ。木材をふんだんに使った内装で、和室まである4LDK。中国では、マンションは、間取りの決まった部屋を購入して、内装は自分で注文して完成させるのが普通だ。うかがうと、天井・壁・床・照明・建具などすべてを、李先生が、イメージを描いて職人につくらせたとのこと。インテリアデザイナーの才能もお持ちで、シックな仕上がりになっている。和室の床の間にはお手描きの松鶴の軸。畳もここで調達できるが、和室が作れる大工はいないので、日本の住宅雑誌などを見せながらの細工で苦労したとのお話。さらに、南の小部屋には21弦の中国琴があって、古典曲を2曲弾いてくださったのが素人ばなれの腕前。李先生の才人ぶりにはすっかり感心してしまった。ココという長毛のネコも飼われている。20階だから窓から出ることはかなわず、一日中部屋住みだから、かなり退屈なことだろう。経営史研究所の末吉さんが描いた李先生像や河上さんが贈った花瓶も飾ってあった。末吉さんが油絵を描くとは初めて知った。世の中、才人は多い。

 団地前の鍋料理の店、良田鶏で会食。国務院勤務のご主人が材料を選んでくださったが、なかなか的確な選定で美味しかった。鶏ガラと人参はじめいろいろな薬種を煮込んだ乳白色のスープで、放し飼いの鶏、羊肉の薄切り、イカボール、高野豆腐、茸、緑豆春雨、油松芽などを煮てゴマだれで食べる。油松の実を発芽させたものは珍しい食材だ。松ヤニ臭は全くなく、歯ごたえがあって美味しい。最後は、短冊型の面を小姐が両手で引き延ばしてくれた大きめのキシメン。ビールも入れて127元は超安値だ。おまけに残ったスープはコーラのポリ容器に入れて打包。

 面を延ばしてくれた小姐は、甘粛省出身の中学卒の少女。エレベーターには付きっきりで運転する田舎出の少女。都市に寄り添う農村。ふたりとも可愛いく、そして、いじらしかった。

 

10月30日

 1・2年生の授業は「ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代」で、日本的経営・日本的生産方式を話すためのイントロ。高度成長が終わった理由からはじめて、資本主義と企業経営・生産方式の世界史的変遷を語る。株式会社のコーポレート・ガバナンスについての質問には、変化しつつある日本の現状を説明。中国でのこの分野の研究者の第一人者として、南開大学の李維安先生を挙名した。ついでに総会屋の話までしてしまった。

 帰宅して一休み。新聞では、中国憲法の改正案の記事、児童の登下校時の危険性の記事、乳業への転換で成功した農村の話などが興味深い。憲法を新しい情勢に対応して改正する提案が来年出されるが、要点は、人権関係と所有関係で、人権保証と私的所有保証を一層明確化するようだ。

 朝のバスでも中国で登下校の送り迎えが盛んな話が出たが、記事では、通学児童の危険性についての意識調査で、交通事故の危険性を児童の57%、親の58%が第1順位に挙げていて、第2順位は通学時に強盗に遭う危険となっている。一人っ子を守るために、登下校時の送迎が盛んなわけだ。3輪車に児童を乗せたおじいさんや、箱形の数人乗りの送迎3輪車をこぐ男性、さらには自家用車で児童を送迎する親の姿をしばしば見受ける。

 内モンゴル自治区で2.67haの痩せた土地を耕していたChenさんは、一家6人を養っていけなかったが、政府の補助を受けて酪農を始め、農地を牧草地に転換して4頭の乳牛を飼うようになってからは年間1万4400元の収入を得られるようななった。あと5頭、乳牛を増やしたいと思っているChenさんは、幸せな生活だと語っている。この地方では、清朝いらい耕地になった牧草地を、ふたたび牧草地にもどす動きが盛んで、黄砂の発生源だった裸の大地が、緑に覆われるようになったという。朝食に豆乳にかわって牛乳を飲む家庭が増えて、オーストラリアからの輸入牛乳もスーパーに並ぶ時代だから、酪農は有望な産業となったようだ。

 ポーク・ビーンズの昼食後、1:40の車で恵子とセンターへ。和栗先生の日本学総合講座「日本語教育における文法教育」を聴講。外国人の日本語教育を長年続けてこられた先生の話は、大変興味深かった。ニュアンスの多い日本語を、正確に教えるのは難しく、その教育法については努力が重ねられていることがよく分かった。

 質問する中国人、とくに、再教育をうけに入学した日本語教師は、さすがに上手な日本語を使う。それでも、ところどころ違和感を感じてしまう。「この本をさしあげましょう」という表現を目上に対して使用するのは不適切と説明する教科書を挙例されたので、私は使うことがあるが不適切ですかと質問。ほかの先生方の発言もあって、結論は「さしあげる」は少し恩着せがましく響くということで、発話のコンテクストによっては不適切でない場合もあるとのこと。日本語は、ほんとうに難しい。

文法的正確さよりもコミュニケーションが出来ることが大切という代田先生の発言をめぐって篠崎先生から反論がでて、代田先生が再発言。社会系教員として、言語のコミュニケーション機能とは別に、社会的支配構造の中の差異化・差別化機能にも注意すべきと発言。恵子にいわせると、一言言わないと気がすまない癖が、つい出てしまう。

バスで帰室。今日も1元も遣わない日になったので、チーズとワイン、昨夜の打包スープと茹で乾麺で夕食。

 

10月31日

 朝、双楡樹早市に散歩して、カリフラワー、インゲン、卵、うどんを買ってから、パン屋で食パンを購入。1斤足らずで7.9元は高い感じだ。コーヒー、チョコレートなど洋風の食品は高い価格設定になっている。輸入品は人民元が安いせいだが、食パンは輸入小麦でも使用しているのだろうか。

 久しぶりのパン食だが、デニッシュ系の食パンでトーストには向かない。まだ、美味しいトースト・ブレッドは発見できていない。

 ユーリカ大のシュワブ学部長にプレゼントを郵送。10日ほどかかるとのこと。

 バスで前門へ出る。バスの二階に座ったが、今日の北京は靄が立ちこめていて視界が悪い。天安門広場も乳色に霞んでる。無風で、名物の凧は揚がっていない。歴史博物館に入る(@30元)。まず、唐代の生活展を見る。陶製の人形から、唐三彩の馬・駱駝・皿、青銅器、瓦、レンガのレリーフ、陶磁器、壁画など、かなりの逸品が展示されている。西安の永泰公主墓の高松塚に似た壁画も実物大写真で見せている。

 3階のペルーのクスコ展はちょっと眺めるだけにして、本館の展示場に行く。避暑山庄特別展示は、現在の河北省の北部の承徳市に清の皇帝が造った夏の離宮のレイアウト、ジオラマ、建物、所蔵品を展示している。清王家は、ラマ教信者だったから、舎利塔や仏像が特殊で、ヒンズー教の影響も受けている。獅子頭の菩薩像や歓喜天ポーズの像もある。乾隆帝による四庫全書7コピーのひとつを収納した文津閣もこの避暑山庄に造られていて、その部分再現が展示されている。木製の棚に、木箱に入れた筆写本が積み重ねて収納されている。

 次は、秘宝展。仰韶文化、三星堆文化から清朝までの名物が並ぶ展示は迫力満点。馬を調教する土人形は、逆らう馬と手綱を引き絞る調教師が対峙して、綱はないからパントマイムのような趣で面白い。唐三彩の大きな馬や駱駝が、56年前に発掘されたものというのも驚き。袖を翻しながら踊る土偶、異民族の衣装を着けた人形など、見飽きることはない。

前門の店で、恵子は長コートを購入。タクシーで琉璃廠へ。小松さんにあげてしまった栄宝斎の便箋、顔真卿・王羲之の書体本などを買って、白石の絵はがきなども仕入れる。和平門の角で、馬蘭拉面の小碗、牛肉面を食べる。小碗は4元、牛肉面は12元で、ともに美味しい。

バスで帰宅。2階建てのバスは、分離帯の槐の枝葉をこすりながら走る。戻ってからしばらくして、インターホンが鳴って元と英ちゃん幸ちゃんが到着。意外に早かった。

歩いて九頭鷹へ。ここは美味しい店だ。食後、双安商場をぶらつく。部屋に戻って、中国シャンパンで乾杯のやり直し。英ちゃんたちを元が部屋まで送る。

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