北京滞在記11月 その1

11月1日

 元が持ってきてくれた紀伊国屋のイギリスパンで朝食。久しぶりの味を満喫。皆は市中見物に出かける。今日も靄が立ちこめている。フロントの日本語ができる人に訊くと、秋から冬への換わり目には、霧の日が続くとのこと。ネットの予報では、月曜日ころから最低気温が零下になるようだ。いよいよ寒さの季節にはいるらしい。

 新聞に、西安の日本人留学生弾劾事件が短く報道されている。西北大学の学園祭で、留学生と日本人教師が、卑わいな寸劇をやったのにたいして、学生が憤激して、留学生寮へ押し掛けて、公開謝罪を要求し、日本人が殴られたという事件だ。日本人の集団買春ツアーが批判されたばかりだから、性的な表現が学生の怒りを誘ったらしい。中国の性に関する許容度は、日本よりもはるかに厳しいことを知らないようでは、留学の甲斐はない。教師までがそれではなにをか言わんやだ。しかし、単なる性表現だけの問題ではないかもしれない。ネットニュースでは、中国人を侮辱したとも伝えられているから、寸劇の内容がひどかったのだろう。いずれにせよ、相互理解を進めるどころか、相互誤解を深めるような人的交流は有害無益だ。

 昨日の朝刊トップは、EUとガリレオ(民間航行衛星)協力協定調印の記事、今日のトップは、ベルルスコーニ伊首相と温首相の会談の記事。このところ、欧州との外交関係強化の動きが目立つ。イタリアは、北京の大気汚染対策として、無公害車購入、交通制御システム構築などのために1640万ユーロを提供したらしい。欧州勢の中国外交も極めて積極的だ。政府レベルは靖国参拝・毒ガス処理などでもたつき、民間レベルはセックスで顰蹙を買う日本外交は、無様なだけでなく、機会喪失につながるだろう。

 主楼に置いてあったBeijing Todayには、中国の億万長者番付の記事があった。フォーブスの2003年番付では、インターネットのポータルサイトNetEaseの創設者Ding Leiが、総資産10.76億ドルでトップ、第2位は9.34億ドルのRong ZhijangCITICパシフィック・グループの所有者)、第3位は8億ドルのXu Rongmaoと続く。2003年の世界1はビル・ゲーツの407億ドル、日本1はサントリー佐治信忠の71億ドルだから、まだ中国の億万長者は小粒だが、急速にタイクーンが育っている。ところが、長者番付に名前が乗ることは「不幸のタネ」だという。かつての長者で、名前が出たために税務当局や検察当局にマークされて、脱税で逮捕されたり、追徴課税されたり、先物取引を規制された例が沢山あるそうだ。

 冷やしうどんの昼食。少し風があるので、樋口先生の坊やを凧揚げに誘おうと電話したがお留守。飲み手が増えたので、利客隆スーパーへビールとワインの買いだし。帰ってテレビを付けると無名塾の「セールスマンの死」の幕切れ、あとで山川アナウンサーが仲代達也にインタビュー。仲代のウイリーは見られなかったが、滝沢修とは異なる解釈で演じたようだ。滝沢ウイリーは今でも思い出せる名演だったから、仲代のも見てみたかった。

 誰もいないので、久しぶりに習字の練習。王羲之の「楽」を書く。なかなか楽しそうな字にはならない。

 夜は易先生と一緒に天外天で会食。北京ダックをメインに海鮮寄せ鍋、焼き羊肉、豚肉ピラミッド、あひるの水かきなどを楽しむ。字を書くよりも食べる方が楽に楽しめる。易先生の教え子の話をする。修士課程が3年から2年になった最初の修士も出る年なので、就職は競争が激しいとのこと。

 

11月2日

 今日は遠足。センターの社会系の先生・院生と北京北部の田舎の見学にバスで出かける。8:15に宿舎前にバス。元がお土産を渡して、1人で参加する。周先生・宋先生、事務方と院生10名で、十三陵の北の農村に向けて出発。八達嶺高速を西関で降りて十三陵の脇を通って北へ。道路脇の植栽のハゼウルシが紅葉して美しい。

 山路を登っていくと集落があり農家菜の看板が並ぶ。さらに登ると碓臼峪の駐車場に着く。団体で入場して渓谷の岩の道を歩くこと1時間。吊り橋あり、丸木橋あり、石の渡河場ありの路を、虎の頭、将軍など名付けられた奇岩を眺めながら登る。最終の潭から引き返す。周先生と話しながら、西安の日本人学生・教師の事件について意見をうかがう。西安では少数民族差別問題などで、市民を巻き込んでの運動が起こったことがあり、今回も、学生以外の市民が反発したらしいとのこと。底流としての反日感情はあるらしい。

 門まで帰ると、すでに12時近くなっている。最後尾が帰ってくるまでの間、駐車場で凧を揚げる。宋先生が上手に揚げて、皆が喝采。

 少し戻って農家で昼食。農家リゾートで、ベッドとトイレが付いた部屋が10数室あるなかの1室で、野菜を中心とした料理を楽しむ。白酒も1瓶。食後は、柿採り。川向こうの斜面に柿が実っている。フックの付いた木の棒で中国柿を落としてビニールの布で受ける。採りたてを食べるが、ゼリー状になっていて、好みではない。庭の次郎柿の歯触りをここで求めるのは無理のようだ。

 農家リゾートを経営する青年は、年収6万元ほどという。かなりな収入だ。昔は、柿やリンゴを売って、細々と生活していたが、最近の自然ブームで、部屋を新増設して高収入になったらしい。都市近郊の農村は、新しい収入源を見つけることができる。しかし、すべての農村でこうはいかないだろう。農村・農民問題は、深刻さを増すに違いない。

 バスで帰路につく。宋先生に、毛沢東の夢まで捨ててはいけないとカランだ。ちょっと迷惑だったかもしれないが、市場経済の問題点を強調する気持ちは判ってもらえただろう。中国のインテリゲンチアは、資本主義のもたらすマイナスは感じているが、まだ、文化大革命的社会主義が与えたショックからは自由になってはいない。あの傷から癒えるにはしばらく時間がかかりそうだが、それでは、遅すぎるだろう。現状から近未来を見通す醒めた目を持って欲しいと思う。

 バスのなかでは、みんなの中国語を聞く。日本語を話しているときは幼い少女のようだが、中国語の発話を聞いていると、成熟した女性のように感じられるのは面白い。22歳は過ぎた大学院生だから当然ではある。言葉の魔術か?

 6時から、来週お帰りになる和栗先生の送別会。ホテル向かいの料理店で皆さんと会食。濱先生の美しいお嬢様も。濱先生がタンまで料理なさるとは驚いた。志摩観光ホテルのシェフとお知り合いの腕前とは。

 元たちは、老舎茶館の京劇・雑技アラカルトを楽しんで帰ってきた。紅橋市場での値引き買い物の話は、いつもながら、駆け引きの可笑しさで笑える。

 

11月3日

 元たちは7時半に、易先生にお願いした人民大学のサンタナで長城・明十三陵に出かける。予報ほど寒くはなく、晴天で気持ちがいい。われわれも紫竹院公園へ出かける。西太后が頤和園に出かけるときにここから舟に乗った波止場がある公園。先日、頤和園から舟に乗った時もこの船着き場で降りて、小舟に乗り換えた。園内は3つの池とそれをつなぐ水路、青蓮島などがあって、夏は舟遊びの名所らしい。竹林が多く、柳の黄葉、楓の紅黄葉が美しい。紫竹black bambooは見つからなかった。

 北側には釣り堀があって、糸を垂れる人たちがいる。池の方でも釣る人がいるが、看板には禁止と書いてある。釣れた様子はない。凧を持っていったが、風は吹いているのに揚げる場所はなかった。

 バスで人民大学まで乗って、六合人家で昼食。六合とは全世界を意味するから、この店は、中国各地の料理、刺身まで出すファミレスだ。炒醤面(5元)、担担面(3元)、六合面(8元)を食べる。炒醤面は、隣の半畝園の三分の一の価格だけあって、麺が良くない。担担面はさすがに辛い。六合面は五目麺でまあまあの味。

 利客隆の前で宝くじを売っている。福利採票、招財進宝で、1枚2元、1等は9998元、2等500元、3等400元、4等10元、5等2元の賞金。勧進元は海淀区で、還元率は50%と書いてある。福利施設の財源のために行政区が発行しているようだ。買っている人は見かけない。

 甘栗、蒸し餃子を買って帰室。2人でバス代4元、入園料4元の清遊。

 案外早く元たちが帰ってきた。劉さんの運転で効率よく回ったようだ。4:15から1階の共同利用室で意見交流会。図書購入、引継報告書、修士論文答弁会などについての連絡、皆の意見交換。途中で李先生が迎えにきてくださったので、一足お先に失礼する。

 北海公園の瓊華島にある宮廷料理の店、○【人偏に方】膳飯荘で李先生夫妻と会食。東門から入って水辺の半円形の建物に歩くと、ローソク提灯を持って宮廷衣装を着た女性が案内してくれる。太い歯の1本足下駄のような履き物を履いている。正面に金ぴかの龍をあしらった玉座、天井・柱が華麗な大部屋の円卓のひとつを囲む。大根やニンジンで細工した3匹の鶴の飾りを中に置いて、名物の豆羹も含めた前菜、タコの卵入りスープ、鶏とカシューナッツの炒め、鹿肉煮込み、あわびのうえにすり身をのせた蒸しもの、大エビ炒め、挽肉のパイ皮包み、草魚の菊花風揚げ物、茸とセロリ炒め、牛肉そぼろをパンに挟む餅、数種類の点心、西瓜とハミ瓜。すべてあっさりした味付けの料理なので感心した。皇帝たちは、油こくなく塩分も薄めの料理を食べていたらしい。甘い点心も、優美な味。紹興酒の10年ものは上等で、酒瓶ももらって帰る。芸術学院の学生に琵琶の演奏を頼む。日本の歌謡曲や中国古曲などを4弦の中国琵琶で5本の指に爪を付けて巧みに弾いてくれた。6曲で200元。1500元ほどの領収書の籤を削ったら20元の当たり。李夫妻も店の人も珍しがっている。あまり当たらないものらしい。ビールかお菓子、20元分というので、お菓子にする。珍しい形の小さいお菓子をたくさん箱に詰めてくれた。

 後海の夜景を見に行って、バーの並ぶ胡同を歩く。なかなかの風情だ。

 みなで帰室すると、元が共同利用室から、ケーキと花束を持ってきた。昨日、院生に頼んで用意してもらったようだ。院生の皆さんからの切り絵と祝賀メッセージも。望外の結婚記念日になった。

 

11月4日

 6時半に英ちゃんたち出発、元が見送り。双楡樹早市へ散歩。公園の売店に体育彩票の看板がある。トトカルチョのようなものか?カリフラワー、ドジョウインゲン、青梗菜、菜の花、ウドンを買い、成都小吃で包子と餃子。元が帰ってきて、一緒にセンターへ。ケーキのおすそわけを院生研究室へ届ける。

 2年生に明治期の工業化の授業。上からの資本主義化ではないのかとの質問には、紡績業・製糸業ともに初発は政府主導だったが、本格的展開は民間企業に依ることを説明。原始的蓄積が暴力によって進められたイギリスとの比較の質問には、江戸時代の農民層分解、開港後の世界資本主義による分解の促進、初期政府による政策結果としての分解の3段階を説明。中国の国有企業の民営化については、株式会社化しても、株式の国家所有部分が多い場合には実体としては民間企業とは言えないと答える。憲法改正にしても所有関係がこれからの問題点だ。

 バスで在職修士課程の皆さんと帰って、帰国する和栗先生をお見送り。

 打包スープうどんの昼食、昼寝、昼風呂でのんびりする。新聞は、訪中したパキスタン大統領と胡主席との会談がトップ。別の記事では、アメリカに中国外交をアジアを囲い込もうとするモンロー主義と批判する空気があるのにたいして反論。中国の対アジア積極外交は、アジアを中国の庭にする意図からではなく、新しい国際主義を理念とする対等互恵の関係作りと説明している。アメリカの警戒は、自国の歴史経験からのカングリではあるが、中国の新国際主義も、アメリカを強く意識しての対アジア・対EU外交ではある。

 菜の花のおひたし、インゲンのゴマ和えなどに日本酒で和風の夕食。

 

11月5日

 朝は、理工大に散歩して、焼き餅、豆乳などを購入。豆乳は0.8元で、双楡樹早市の0.5元より少ないから、濃いだろうと想定。沸かしてニガリを入れると上等な豆腐ができた。水分がたくさん残ったから、まだ薄いのだろう。

 池田氏から送られた上田論文を読む。新しい観点が出されていて面白い。しかし、現代資本主義とグローバリズムの差異、日本資本主義とグローバリズムの関係あたりが、やや手薄だ。池田氏経由で、修正コメントを発送。吉川弘文館の「日本歴史」に寄稿した山本義彦著書の書評を校正。これは、一時帰国される守屋先生に投函をお願いしよう。

 昼前に、西単に出かける。王府井が銀座なら、西単は新宿の雰囲気。民族大世界は、大通りに面してはブランド物の店だが、裏は、秀水市場のような小店の行列。服飾品を中心の安売りで大にぎわい。ウイークデイなのに、たくさんの人出だ。

 デパート8階の美食街で、餃子、雲南炒飯、炒め麺の昼食。餃子は、餡を選んで作ってもらう。10個5元。雲南炒飯は、モヤシが入っていて辛目。タクシーで前門へ。裏道へ入ると浅草・秋葉原の雰囲気。セーター、毛帽子などを購入。元がかなり強腰で値引き交渉して言い値の四分の一から三分の一くらいで買う。

 大柵欄という変な名前のショッピング街もある。なかなか面白いところだ。路地の店が道路にはみだして商品を並べているところに、パトロール隊がやってきて、かなり手荒に卓を整理する。取り上げた卓は、一時、事務所に保管してしまうらしい。

 天安門広場では、風が強すぎるせいか、凧は少ない。杭州で見たような踊る人形が不思議なので5元で買ったが、種明かしは細糸で吊っているだけのこと。買った連中が、なんだと言う顔になるが、クレームをつける人はいない。引っ掛かった方が悪いので、今さら、文句は言えないのだ。

 バスでカルフールへ。ワイン6種、エビ・シシャモ、ヒレ肉・挽肉・腸詰め、チーズ、フランスパン、豆腐などを購入。VISAカードを出すと、別のカウンターへ連れて行かれる。中国カードなら普通のカウンターでも受け付けるようだが、国際カードは、まだ別扱いだ。ここらは、今後の問題点だろう。

 タクシーで帰室。ワイン、揚げ出し豆腐、エビフライ、ヒレカツ、ポテトフライで夕食。腹部の脂肪蓄積が気になり始めた。

 李先生が、電話で、明日は雪が降りそうだから気を付けてと言ってくださった。冬近しか。

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