北京滞在記11月 その4

11月16日

 朝、双楡樹早市へ散歩。もう銀杏はほとんど葉を落とし、白楊も葉を丸めてきた。白楊は、緑色のままで落葉する。槐の葉も黄ばんできた。人々はダウンジャケットを着始め、犬も防寒服を着せてもらっている。狆のセーター姿はいかにも珍妙だ。

 早市のまわりには、馬車が4台停まって、梨、柿、芽だしニンニクを売っている。路上では、トロ箱ひとつに入れてきた鯉や冷凍魚を売る人、四隅にひもを付けた布に衣料品や雑貨を並べる人など。キルトのズボン下は人気のようだ。キュウリ(3本2.2元)とウドンを買う。

 写真館を探して双安商場のあたりを東に歩くが見あたらない。「青山経済論集」記念号に載る写真を、凄腕の中国写真屋に撮ってもらおうと思っているのだが。遠回りして成都小吃で包子と餃子を買う。

 本のことで東大出版会と日経評論社にメール。来年度の購入図書の在庫確認。

 恵子の炸醤面で昼食。なかなか上手になった。元を残してイケヤに。膝掛けを39元で買って、入口で李先生と待ち合わせ。ほどなく先生が来て、隣の花卉市場へ案内してくださる。あふれるばかりの切り花、鉢物、細工花。花台や花生けも売っている。竹細工のボタンをあしらった筆立てを購入(35元)。前から筆立ては買いたかったから丁度良かった。

 タクシーで潘家園旧貨市場へ。常設売店と屋根がけ売店と露店がところ狭しと立ち並ぶ壮観。ピンからキリまでの、布帛、陶磁器、木竹紙製品、金属鋳物などを売っている。熊の木彫りを見つけて、150元まで値切って購入。親子2頭の彫りが素晴らしい。

 茶碗もあるが、使い物になりそうな碗は少ない。カボチャ形の急須を購入(50元)。いろいろ魅力的な品物が多い。また来ることになるだろう。

 李先生のご自宅にまた伺う。超現代的なマンション団地のすぐ裏に、昔風の巨大な生鮮市場と焼き栗などの店、そして近代的スーパーがある。近々、アメリカのスーパーも近くに店を開くとのこと。李先生は挽肉、白菜などを購入。

 ご自宅では、ご主人が餃子を作る準備をしてくださっていた。お嬢様の結婚記念ワインをいただく。ご主人には、感謝の言葉がない。李先生から中国茶の作法も教えていただく。

 今度は、私たちの部屋にお招きすることを約束してお別れ。

 

11月17日

  朝は理工大へ散歩。検問がおこなわれているかもしれないので、工作証(身分証明書)を持参したが、なんなく構内に入れた。大学によって管理方式がちがうようだ。

 食堂の前の包子を買おうとしたが、授業にいそぐ学生がわれ先にお金を突きだして買うので、なかなか難しい。ようやく1篭買ったら、10個で2.5元だった。焼き餅も買う。

 裏門を出ると、道路にかぶさるように傾いて生えていた槐の大木が切り倒されている。雪で傾きが増したためなのか、前から邪魔にされていたのか、まあ思い切りのよすぎる樹木管理だ。

 新聞は、女子バレ−優勝写真記事がトップ。並んで、交通事故死が急増しているとの記事。3月の運転手調査によると、高速道路の運転中に居眠り運転をした経験者は10%もあり、24%が激しい疲労感を持ちながら運転していたと答えている。タクシー運転手は、14時間就労が普通のようで、この間2時間は睡魔に襲われての運転という。交通問題専門家は、先進国でも自動車急増とともに交通事故は増えるものだと語っているが、この国特有の問題点があるように思われる。昨日も、双楡樹の交差点で、赤信号を無視して通り抜けるトラックを見かけた。人が信号無視するのは当たり前になっているし、常時右折可で曲がってくる車は、歩行者優先などとは全く考えていない。

 朝食後、明日のレジュメをつくる。

 スパゲッティで昼食。昼寝をしながら、竹中憲一「北京歴史散歩」(徳間書店)を読む。1978年から1986年の間に北京で教鞭をとりながら、足で歩いて書いた文章はとても面白い。乏しい見聞の限りでも、その後の変化の激しさが判るところもある。

 斉白石故居探訪の章では、彼が、日本軍の将校が強要しても絵は描かなかったし、日本支配下の北京芸術専門学校から贈られた石炭を突き返して蟹の絵を描き、年々数が減るという賛を書いて敗色濃い日本軍を皮肉ったということを教えられた。彼の絵は素晴らしいという話をしたとき、院生のひとりが、あの墨絵の川エビはとても美味しそうと言ったので、皆で大笑いしたことを思い出した。たしかに、唐揚げにしたい川エビだ。

 夕食は、酢豚とジャガイモ炒め。脂身のない肉だったので味はいまいち。スターチも片栗粉とちがってとろみがつかず、酢豚離れしてしまった。本格的な中華料理を食べに行こうという話になり、恵子はさっそく調査に入る。

 

11月18日

 少し早く散歩に出る。6時半だがまだ薄明りで、通行量も少ない。双楡樹公園は、グループをつくったり、おもいおもいに体操をする老人たちでにぎわっている。早市で、椎茸と卵(24個で7.9元)、焼き餅を買う。永安大王では父親と中学生の男児が麺を食べ、マクドナルドでは小学校の女児と両親がなにかを食べている。朝食を家でとらない家庭も多いらしい。李先生も朝の送迎車で役所にでかけて食堂で朝食をとるようだ。

 2年生の授業は、資本主義の発展段階を略述したうえで井上・高橋財政を20世紀資本主義の経済政策として位置づける話。福祉国家のイメージは判ってくれたようだ。市場経済化しつつある現代中国が目標とする小康社会は、福祉国家の一種ではないかという点について議論できた。1970年代を境に、福祉国家からの旋回がはじまると言う話に関連して、日本の年金改革が話題になり、さらに少子高齢化から中国の一人っ子政策見直し問題に話が及んだ。

 そこで、皆さんの時代には何人でも子供を持てるようになるかもしれないが、それを望むかと質問すると、そうですとは答えが返らない。教育のことを考えると多くの子供は持たない方が良いとの答えもある。中国に限らず、現代の若者は、少子を望むという共通したところがあるようだ。江戸時代にも、都市上層には、少子化傾向が現れたという指摘もあるから、生活水準の上昇と教育文化関連支出の拡大は、少ない数の子供への集中的な育児費投入を好む傾向を生むのだろう。

 タクシーで帰って豚しゃぶの昼食。李先生が、ビザ延長のことで電話をくださる。公安局出入境管理処へ電話するが話し中が長くてかからない。ZSさんに電話して、授業のない3年生のZWさんを探してもらって友誼賓館へ来てもらう。ZWさんとYMさんが来てくれて一緒に管理処へ行ってくれる。パスポートとビザを管理する大きな役所で、どの窓口かちょっと判らない。二人が担当係を見つけてくれてビザ延長の手続き方法を訊いてくれた。

 一回の滞在期間が30日に限定されている数次ビザを、一回の滞在期間制限のない数次ビザに切り替えられることが判明した。ビザ取得時からそのような数次ビザが取れれば良いのに、それはできないらしいから、入国後に滞在期間制限のないものに切り替えればいいわけだ。お二人のお陰で、ややこしい話がスムースに処理できた。

 専家食堂で夕食。牛肉の黒胡椒煮など4品、ビールで44元。

 10時からBSで元ちとせのリサイタルを観る。定番曲中心の構成で、なかなか良かった。テレビのスピーカー性能が良くないのが残念。アルバムの写真より可愛い南島娘だ。

 

11月19日

 雨が降っているので散歩には出られない。オートミールで朝食。7:40の車でセンターに。ビザ変更に北京外国語大学の外事処のハンコが必要なので、必要な書類の作成をお願いする。10:10の送迎車まで、ネットや図書館の日経新聞、エコノミストで最新情報を収集。北京郊外の野生動物園で、近道をしようと柵を乗り越えて園内に入った建設労働者が、虎に殺された話にはビックリした。一度行きたいと思っているサファリパークでの事故だ。同僚は、飼われている虎だから生き物は襲わないだろうと思ったと話している。ハルビンの東北虎公園では、入園者が生きた鶏や子牛を買って虎に生き餌をやるショーがあるくらいだから、サファリの猛獣も、人間に遠慮はしないだろう。近道をしたいほど草臥れていた出稼ぎ農民だろうから気の毒だ。

 大阪市立大学経済研究所の編成替えの裏話がエコノミストに出ている。伝統有る研究所だったが、実質的には解体したようだ。内部の人間関係の複雑さから、解体阻止の内発的エネルギーが出なかったらしい。共同研究重視の運営方針が、研究者の自発的研究意欲を削いだとも書かれている。元研究所教員の文章だから、説得力がある。東大社研はどうだろうか?

 帰宅して正午のNHKニュースを11時に観る。ザルウドンの昼食。新聞のトップには、台湾独立への動きを強めている陳政権に対して、台湾問題担当副大臣が独立は戦争を引き起こすと警告した記事。台湾独立の動きに関する記事が一面に出る割合はかなり多いが、戦争とまで明示した発言は珍しい。台湾問題はこれから一層重大性を増しそうだ。

 文化欄は、全面が海外へ流出した文化財の里帰りの記事。第2次阿片戦争での英仏軍による円明園略奪から、義和団事件の際の8カ国による故宮略奪、敦煌文書の持ち出しなどなど、先進国による文化財略奪の事例を列挙しながら、最近、中国系コレクターによる買い戻しや寄贈で里帰りするものも増えているとのこと。

 1920年代に洛陽の竜門石窟から切り出されて世界を転々とした仏頭2つが、中国系コレクターの手に渡り、中国文化財修復基金の竜門石窟復元計画によって買い取られて、頭部を失ったまま残されていた仏像にふたたび接合される話が、写真入りで出ている。頭部を失った仏像は方々で見かけるが、このように元に戻れる仏像は稀だろう。中国仏像は、文化大革命でも破壊されているから、長い受難の歴史だ。

 古文物への関心が高まることは良いことだが、各地の博物館が、良品を購入しようとして競争的に価格を引き上げているのは税金の無駄遣いだという指摘もある。文化財へ目が向くことは経済成長の成果のひとつではあろう。同時に、値上がり期待での投機的古文物売買も盛んなようで、これも、市場経済化の成果!

 夕方、雨もあがったので双安商場に買いだしに行く。ヒラメを1匹(44元)、牛乳、粽、冷凍餃子など。鮮度も良いので、刺身にできるかと元がおろしたが、身は柔らかくしまりがない。昆布〆ならいけそうだが昆布がない。刺身はあきらめて、バター焼きにする。

 夜は原稿書き。ドッジの330円レート提起の意味が少し見えてきた。

 

11月20日

 粽で朝食。送迎バスでセンターへ。1・2年生の授業。バブルの時代をモノ作りとカネ作りの2面から捉えて、カネ作り上手・モノ作り下手のアメリカとモノ作り上手・カネ作り下手の日本の対照を話した。まくらは、商品・貨幣・資本の本性論。アメリカについては、生まれながらの資本主義、その民主性と暴力性、投機性と効率性を説明。日本については前近代からのタテ社会・ムラ社会の伝承、明治維新・敗戦後の後進性意識、日本株式会社を説明。護送船団方式、投機のゼロサム・ゲーム性についての質問に答えた。

 10:10の車で帰宅。新聞トップは、アメリカが中国繊維品に輸入数量割当制を適用しようとしていることを伝える記事。WTO加盟後に撤回された割当制を復活させることは、両国の経済関係に悪影響をおよぼすと主張。小泉再選の記事は、イラク派兵などの大きな問題を抱えていることを客観的に書いている。

 社会記事では、中国の自殺率が高いこととそれへの対応を伝えている。国際的には10万分の15程度の自殺率が、中国では10万分の18と高く、とくに若い女性の自殺率の高さが目立つという。年間30万人の自殺者のうちで、80%は農民が占め、殺虫剤によるケースが大多数。不幸な結婚、家庭内の軋轢、経済苦から、若い農婦が自殺に走る。対策としては、電話相談のホットラインの開設、避難施設の設置、殺虫剤の規制などが取られている。

 日本の場合は、1990年代前半は10万分の16程度だったが、後半に急増して世界一の高さになり2000年には10万分の25ラインに達している。中高年の男性の自殺率が高いのが日本の特徴だ。バブルで躓いた資本主義にしての世界一はいたしかたないとしても、中国の数値の高さには考えさせられる。市場経済化は、自殺率にどのような影響を及ぼしているのか、知りたいところだ。

 お好み焼きの昼食後、センターへ。清水先生の日本学総合講座「明治日本と清末中国のメディア文化交流」を聴講。戊戌変法失敗後、日本に亡命した梁啓超が、「新文体」を創り出すに際して、明治期の「帝国漢文」とそれを用いた演説会や新聞が大きな影響を与えたという内容。漢文読み下し体、漢文訓読体は、江戸時代ではなく明治期に入って広く使われるようになったもので、それには自由民権運動の用語法と教育勅語の用語法という内容的には相対立するがエクリチュールとしては同一の流れが作用した。江戸期の漢文と民間口語という二層言語構造は、明治の大新聞と小新聞の2カテゴリーの用語法に引き継がれるが、明治20年代に入って読売新聞や国民新聞が中新聞として登場し、ふりがなを付けた漢文読み下し体を普及させ、二層言語構造の中間に介在する中性的エクリチュールを開発した。これが、梁啓超の中国語新文体に影響を与えた。

 極めて興味深い論旨で勉強になった。例の質問癖から、「帝国漢文」は二層言語構造を解消させたのか、また「帝国漢文」の支配機能を考えると「国民漢文」というよりも「臣民漢文」ではなかったのかを質問、あわせて、貨幣と言語の類似性をコメントした。清水先生も、あえて「帝国漢文」と命名したのはその帝国的支配機能を意識してのことで、それによって二層構造が解消したとは考えておられないとのこと。また、東京大学博士論文は、イプセン「人形の家」の日中両国での受容比較で、副題には「恋愛・貨幣・国民国家」という言葉をつかわれたそうだ。読んでみたい論考だ。

 帰宅後、カルフールへ出かける。隣の上海料理の店で夕食。黄色い鶏の冷菜、川エビの唐揚げ梅干菜(高菜漬風のもの)まぶし、アスパラガス清炒、炒飯、ビール。180元はやや高いが、味は良かった。

 カルフールで明日の食材・スパークリングワイン・ビールなどを仕入れて帰宅。

 BSでコン・リーの主演映画を見る。昨夜の「菊豆」は、眠くて見なかったが、今夜の「秋菊…」は最後まで観た。夫を蹴った村長の謝罪を求めて、巡査、郡・県・市の和解調停を受け入れず、下級裁判所から2級裁判所にまで提訴する農婦秋菊の話。出産時に村長の協力で母子ともに救われたことで、秋菊は村長に感謝して誕生祝いに招待するが、その日、裁判所の判決で村長が拘留されてしまうという幕切れ。妊娠した農婦の役は、よごれ役だが、彼女は上手く演じていた。1990年代初期の中国の農村・司法の姿も面白かった。行政的調停か司法的裁判かは、社会のあり方の一面を示すリトマス試験紙だ。秋菊の選択は、中国では例外的なのではなかろうか。これも研究に値する問題だ。

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