北京滞在記11月 その5

 

11月21日

 朝は、恵子と双楡樹早市へ買い出しに行く。昨日からの風で、白楊の葉が大量に落ちて道に積もっている。梢の方は枝の間から青空が見えてきた。ジャガイモ、ニンジン、カボチャ、タマネギ、いんげん、ほうれん草、青菜、ミカン、うどんを買う。かなりな重量だが、支払いは20元ほど。

 講義レジュメをつくる。恵子たちは、夜の料理作り。カレーライスで昼食後、センターへ。

 2年生の修士論文中間報告会で、宋・周・呉3先生と1・3年生の前で、15分報告15分質疑。LeYさんは「日本におけるインターンシップについての初期的考察」、WQさんは「新入生の大学への適応についての分析―エリート大学生文化類型の形成を通じて」、Ziさんは「都市初期高齢者の社会的適応についての一考察―パーソナル・ネットワークの再構築をめぐって」、LiYさんは「在日中国人就職者のアイデンティティの再構築についての考察―その社会的適応をめぐって」。社会学関係のテーマだから詳しいコメントはできないが、日本の現状を知る立場からいくつかアドバイスした。日本でアンケート調査やインタビューをするのがこれまでのやり方だから、なかなか大変だ。

 5時過ぎから共同利用室で会食。3年のZWさんとお子さん、WRさんも加わって、冷シャブ(豚)、コロッケ、ポークピカタ、天ぷら、ほうれん草おひたし、インゲンごまよごし、ちらし寿司、カレーライス、みそ汁、白玉団子の手料理と出前のピザでにぎやかに宴会。日本の家庭料理はとても気に入ってくれたようだ。料理ができる男として元の株が上がった。中国で結婚しても大丈夫とか。

 卒業後の進路については、やはり、地方大学へは就職したくはなく、大都市で生活することを望んでいる。平等な社会として社会主義が良いと言ったら、あまり賛同は得られず、能力に応じて所得に差がある社会の方が良いという。アメリカのような民主主義社会が良いとの発言もある。若者たちは、古い中国社会主義が好きでないようだ。エリート達だから、もっともなことではあるが、ノブレス・オブリージも感じて欲しいものだ。

 11時過ぎに散会。 

 

11月22日

 朝寝、朝風呂。元たちは、ビザ変更の申請にでかける。昨日のアルコールがまだ残っていて眠いので、また朝寝。ひとりで、カレーライスの昼食。

 昨日の新聞1面は、アメリカの鉄鋼特別関税問題、スイス大統領訪中、トルコのアルカイダ自爆事件などを報じている。2面には、都市ゴミの話。中国都市の固形ゴミの約半分は、そのまま捨てられて土壌汚染などを引き起こしている。ゴミ処理施設は、1992年の371から2002年には651に増加したが、都市における固定資本形成に占める環境衛生投資の割合は、1999年の3.18%から2002年には2.08%に低下しているとのこと。

 重慶特別市の巫山市では、長江三峡の山の上に自由の女神よりも大きい138mの女神像を建てる計画が問題になっている。巫山市は重慶特別市のなかに12ある国家助成を受ける貧困市で、去年の住民の年間平均所得は1453元と、全国平均の2476元をはるかに下回っているのに、1億元もかけて女神像を建てるのは不見識だとの声が高まり、市当局はあわてて、アイディアだけと弁解している。女神は山中にとどまり、空虚壮大な夢は長江の水に流す方が良いと論評。

 見えないところのインフラ整備が必要なのに、外見が良い装飾的な設備に金をかける傾向はどこにでもあるようだ。北京市にしても汚水処理が十分でないままに公園がきれいに整備されている。天津市の運河船遊び公園にしてもそうだ。日本のハコモノ造りも似たようなものだ。行政担当者は、モニュメントが好きなのだ。

 午後は原稿を書く。結びの一番の時に元たちが帰宅。ビザ申請をしてから、紅橋市場で買い物をしたようだ。店員と顔見知りになり、値切り交渉が早くまとまるようになったとか。賓館のATMで払い出しができなかったので、われわれの資金はショートしそうだ。あり合わせで夕食。

 BSで「地獄の黙示録」を観る。ノーカット版と前宣伝が盛んだっただけあって、見ごたえがあった。ベトナムのフランス人コロンたちが、ここは自分たちの土地だからわれわれは戦ってそれを守るが、アメリカ人はなんのために戦うのかと問いかけ、最大の無意味な戦争だと語るシーンは、上映時間の関係でカットされていた部分で、コッポラ監督の意図が明確になる。

 主演のマーチン・シーンが俳優志望の大学生に語る附録番組では、彼は、政府批判のデモに参加して64回も逮捕されたと話していた。ガンジーを演じた時に知ったタゴールの詩を暗唱してみせた。なかなか骨のある役者だ。

 次の中国映画、「桃源鎮」も観てしまった。権力者の村長に豆腐を贈ってきた豆腐屋が、村長に収賄嫌疑がかかってから右顧左眄する姿を哀歓を交えて描いた作品。権力末端の腐敗ぶりがよく分かって面白い。

 

11月23日

 朝は、双楡樹早市へ。通りの槐並木の樹には下から1mほど白い塗料が塗り直されている。中国では普通に見受けられるが、除虫を目的とした処置らしい。キレイでしょうという人もいたから、装飾のつもりかもしれない。野菜と果物を15元ほど買う。中国産キュウイは大きいものが5つで5.5元。しゃりしゃりした食感が珍しい。成都小吃で定番の包子と餃子。友誼賓館の正面にはクリスマスツリーが立てられている。アパートの門の柱にも金の蝶結び飾り、フロントのガラス扉にはサンタクロースの絵。

 新聞は、台湾の陳首相が汚い手を使おうとしているとの批判記事がトップ。陳首相は200612月までに憲法改正を行い、2008520日に新憲法を施行することを計画しているが、これは、北京オリンピックを人質にして台湾独立を強行しようという陰謀だと批判する研究者の見解を報道している。このタイミングで独立を宣言しても、オリンピックを重視する中国は、武力行使しないだろうとの陳首相の読みは間違っている、主権とオリンピックを秤にかけてオリンピックを選ぶような国はどこにもないとの警告。コルシカやケベックの例を引きながら、一国内では一地方が住民投票によって独立を決定する権能は無いとするのが国際法の解釈で、陳首相の国民投票は無効としている。このところ、台湾への牽制球が多い。

 韓国の元従軍慰安婦が、強制的に働かされていた南京の慰安所跡を訪れて涙した記事。Pakさんが19398月に朝鮮北部から警察に拉致されて南京に連れてこられた時が17歳で、毎日、2030人の相手をさせられ、1943年には雲南省の日本軍の前線基地へ移動、1944年の戦闘の際に中国軍に保護された。当時、妊娠していたPakさんは、堕胎したが子供を産む能力を失い、独身のまま養子を迎えて今日に至った。華東師範大学の研究者は、元慰安婦がかつての慰安所を訪れる勇気を褒めて、中国人が避けていたことを韓国人がおこなったことで、中国の元慰安婦たちにも励ましになると語っている。1面に詳しい記事を載せることは、中日間の未解決な問題として、従軍慰安婦問題を重視している姿勢を示している。毒ガスと慰安婦の問題には、明確に対応すべきだ。

 カレーうどんの昼食。

 原稿を書き続ける。そろそろ制限枚数になるが、まだ終わらない。

 あり合わせの夕食後も、書く。

 

11月24日

 朝は、3環北側の成都小吃と杭州小篭包で包子を買う。3元と2.5元だが、ほとんど同じ質量。価格差は、店構えの違いによるのだろう。

 郵便出しと切符買いに行くが、賓館のATMはまだ使えず、道の向こう側の中国工商銀行へ行っても使えない。回線の故障のようだ。部屋に戻って日本円を持って賓館で両替してから、明日の天津行き切符を買い、郵便局でEMSを発送。

 新聞は、温首相の台湾問題についての発言をトップに掲載。1国2制度の平和統一が唯一の解決法と穏やかに主張している。来月、温首相が公式訪米するようだ。中米間の懸案事項は多いから、重い訪問になるだろう。

 昼食は、恵子のインゲン饅頭。インゲンを細かく輪切りにして挽肉とオリーブで炒めた餡入りで美味しいが、粉の具合がもうひとつ難しいようだ。

ドッジ・ラインの評価を書き始めるが、いくつか難所がある。エンヤを聴きながら考えるが、まだすっきりしてこない。

 センター派遣教員としての引継報告書と木曜日の講義レジュメをつくる。

 夕食は雅園食堂。看板にWestern Restaurantと書いてある上に中国語ではロシア料理店と書いてあるのに気付いたので行く気になった。西式のメニューを初めて見たが、ロシア風なのはボルシチ程度で、それもいささか甘すぎてダメ。他はいつもの中華ディッシュにした。4品とビールで49元。

 

11月25日

  朝、理工大の焼き餅を買う。3環の中国石化のスタンドは、もう開業している。3種類のガソリンと軽油。ここには、可燃物貯蔵のチェック制度があるのだろうかと心配になる。

 9:30のバスでセンターへ。2年生に「15年戦争の帰結」を講義。満州事変以来の経緯を話すが、20世紀資本主義の限界で天皇制ファシズムが国民統合の機能を果たすというところは分かりにくかったようだ。ドイツの国民生活水準の低下とは較べものにならないくらいの生活低下があったのに、日本人は、ただ黙って耐えたのはなぜかを説明した。質問は、天皇の戦争責任。責任があるが、アメリカの対日政策の関係で免責になったと答えて、ここから、戦後日本の戦争責任の曖昧さが生じたことを指摘。さらに、天皇制ファシズムについての質問。ドイツ・イタリーのファシズムとは異なるが、日本的な権威主義的抑圧の体系を天皇制ファシズムと呼ぶのが日本の歴史学者。しかし、政治史研究者は、この呼び方には賛成していないとも話す。

 あの戦争について日本の若者はどう考えていますかの質問には、元が答える。無関心の若者が多いが、これは、大学入試の出題傾向が、近代史止まりで現代史は少ないことにも関係している。重要な問題だから考えている若者もいるが、来年日本に来たときには、中国の現代史教育と日本の歴史教育にギャップがあることを考えて、日本の若者と対話をして欲しいと話す。

 中国の若者にとって、歴史認識問題は、やはり大きな関心事であることがよく分かった。両国の若者の間で、相互理解を深める必要性を、改めて感じた。

 昼食後、北京駅へ。タクシーで西直門、そこで地下鉄というルート。これが一番早そうだ。

 北京駅のプラットホーム増設工事を待合所の窓越しに観察。じつにのんびり働いている。それでも数が多いから、鉄筋の組立はかなりのスピードで進んでいる。オリンピックまでには、見違えるほど変わっているのだろう。

 天津までの沿線風景は、もうすっかり冬、冬枯れ。施設園芸農家だけが、屋根に筵を下ろす作業をしている。タクシーで南開大学正門まで。外部タクシーは構内に入れないから、歩いて日本研究院へ行く。

 楊先生と久しぶりの再会、青山での武先生講演の話をうかがう。実現できて良かった。武先生は、広州の国営企業の再建を成功させた実力者でもある。リストラで管理職を削減するときには、200人の管理職を集めて、残って会社再建に当たるべき人物40人の名前を全員に書き出させて、上位40人を選ぶという手法を取ったそうだ。驚くべき民主主義だ。

 楊先生は先約があるので、宋先生と専家楼食堂で夕食。フナと大根の煮込みスープが美味しかった。フナがあれほどの味を出すとは意外だった。

 愛大会館に投宿。夜、石先生から電話があったので、梁啓超関係論文を取りに来てもらう。研究に参考になるだろうと思って、清水先生から戴いてきた研究論文数点。石先生は喜んでくれた。ご主人の沈先生は、新しく購入したマンションの内装に忙しいようだ。台所や浴室の設備はもちろん、木材や金具にいたるまで自分で選定し購入して大工に渡すというから大仕事だ。大工から不足する部品の電話連絡があると、すぐに調達して持っていく。安全で質のいい材料を使える上に安上がりというメリットがあるとのこと。沈先生が研究時間を失うのがデメリット。

<NEXT>