北京滞在記 8月 その2

8月27日

朝は、双楡樹通りへ散歩。常設市場の双楡早市を発見、野菜果実中心に賑わっている。露店ではマナガツオ、生きエビも売っているが肉類はない。ロバの牽く西瓜屋が4台も来ている。日本で普通の大きさの生ピーナッツを購入。1元買おうと思ったらダメだというので2元買うと2合くらいくれた。

双楡公園では、太極拳の時間で、いくつかのグループがおもいおもいに音楽に合わせながらゆっくり体を動かしている。老人が多いが、若者も混じっている。公園の向かいには鉄製の運動用具が備えられて、足こぎやストレッチ、ぶら下がりを大人がしている。これらは、サーズ効果かもしれない。

愛玩犬を連れた人たちも多い。中国も、スーパーにペットフード・コーナーがあり、テレビコマーシャルもやっている時代になった。

朝食用包子を買おうと思ったら、1蒸籠3元で、持ち金が足りず、見おくり。出がけにみんなが寝ていたので、机の上の小銭を持ったが4.2元しかなかったため。つまり、財布は妻子に握られているわけ。

午前は、買い物。まず、近くの電器屋でCDラジカセ(三洋@529元+イアホーン@29元)。驚くのは店員の数の多さで、ショウケース毎に一人は居る。支払方法が、店員の書いた伝票をレジに持っていって代金を払ってハンコをもらってから現物を店員から受け取るという仕組みだから店員はかなりの数は必要になる。それにしても数が多い。

ラジカセを持ち帰ってから、恵子と人民大学裏のスーパーに行く。ガラスのコーヒーポット、パン皿、硯、墨汁などと食品を買う。硯は円形の本石で18元。瑠璃廠で買おうと思っていたのだが、これで間に合わせる。凧糸が500mで25元であることが分かった。そのうちにタコを飛ばす予定。

2:30に民族飯店で西川さんと会う。中国事情をいろいろ聞いた。天津に出た日本のペットフード会社は、西川さんの口利きとのこと。朝出会う犬たちが、西川さん関係のフードを食べているかと思うと可笑しくなった。彼は、ハミウリの産地を見学する一行を連れて今夜の飛行機で新彊に飛ぶようだ。夜の12時頃着くが、2時間くらい実質時差があるので夜の10時につくような感じだそうだ。

江沢民が来日したとき北海道にだけ行ったのも、西川さんの働きが利いたらしい。堀前北海道知事は、折角中国に招待されそうになったのに断ったそうで、呆れた。北東アジア研究交流センターの看板を書いてもらう手配をしたが、北海の人が頼み損なったと言う話は面白かった。頼みにくいという感覚だったようだが、江さんは書き損なって残念だったに違いない。なにしろ、どこの看板でも書くのが好きな人なのだから。昨日ローヤルゼリーを買った北京同仁堂にも、江さんの軸が掛かっていた。

帰室後、恵子と元が航空券と明日の切符を買いに行った。鉄道切符は買えたが、航空券は英語が通じない係だったので買えずに帰ってきた。これでは、オリンピックが心配になる。

あり合わせで夕食。

夜、雷雨。

 

8月28日

朝は小雨。ホテル向かいの成都小吃で小包子2蓋(@3元、10個)を買って朝食。沈さんに電話して到着時間を告げ、昼食に誘う。

:30出発、混んではいたが北京駅に9:40ころ到着。10:14定時発車、途中は止まらずに天津駅に11:30着。ところが沈さんが見えない。少しプラットホームで待ってから出札口に行くが会えない。恵子がプラットホームまで見に戻った時に、沈さんが駆け足で出札口を通り抜けて行くのが見えた。声が届かなかったので待つが、戻ってこない。元が見に行ったら、沈さんだけが戻ってきたので、いま、二人が先生を探しに言ったというと、沈さんが迎えにいってようやくみなが一緒になれた。市内が混雑して沈さんは1時間かかって駅まで来てくれたようだ。駅から南開大学までも、大混雑。北京より道路建設が遅れている天津に車の数が増えるのだから、当然の帰結だ。

専家楼に投宿。昼食を楊先生、宋、沈、石、臧さんたちと楽しむ。皆さんお元気で祝着至極。臧さんは、日本留学が延期になったとのことで、坊やとご主人にとっては良かった。帰室して昼寝。

4:00、日本研究学院に行く。国際会議の準備中で、皆さん大童。山澤逸平国際大学学長も見えるよし。韓国から早稲田に留学して南開大学博士課程に入る李さんと話す。日本占領と韓国占領の比較研究を土地改革を対象にして試みたとのこと。修士論文を見せてもらうことにする。

趙先生、王振鎖先生、王健宜先生と再会のご挨拶。

6:30、南開愛知大学会館で、皆さんと夕食。愛知大学の学生さんは、サーズで全員が帰国し、王先生の学院から10人ほどの中国語先生が日本に出向いて授業を続けたとのこと。なかなか大変なことだったらしい。

帰室後、大学前の通りを散歩。街灯が映る川面はきれいだが、ドブのような匂いはいただけない。缶ビール、豆菓子、インスタントラーメンを買って帰る。

 

8月29日

朝、西南村に散歩。学内いたるところが再開発建築中ですごい。西南村の売店前は新しい大きな橋で表通りと繋がっている。3月には工事中だったところだ。豆乳、焼餅、中国クレープ、肉挟み餅などを購入。みな1〜2元で、安上がりな朝食だ。

天津社会科学院の郭承敏先生に電話して、部屋で待つ。テレビ塔近くに住む先生は、1927年台湾生まれで、一高時代には安良城盛昭さんや不破哲三と一緒で、中国革命の直後に中国に帰って、建国活動をするうちに文化大革命を体験、下放で豚飼育のあと党重要文献の日文翻訳に従事されてから沖縄大学教授、いまは天津に帰られた。お歳に較べるとお元気なのはおそるべし。日本帝国主義批判、現代中国への懸念などを語り合う。いずれ、社会科学院でセミナーを開くことを約束。著書をくださった。

郭先生を送りがてら元を日本研究学院へ連れて行く。途中の国防工事、つまり防空壕、1970年代の中ソ対立の産物を見せる。学院では宋さんが案内してくれた。図書室には、2月に送り出した社史類も並んでいる。かなりの本が、寄贈者ごとに棚に並んでいるが、ばらして分類別に並べた方が利用者としては便利だと思う。ほどなく、家永三郎さんの蔵書も入るとのこと。

昼食テイクアウトを愛大会館食堂に買いに行くと、昨秋、青山に来ていただいたPang副学長の通訳を頼んだ一橋大学大学院留学生の楊東さんに出会う。9月の国際シンポジウムで報告するために帰国中で、日本からの視察団の案内も仕事だという。

1:00沈さんと楊柳青へ。石家大院を訪問して、3月に撮りそこなった「知足不知足斎」の扁額をカメラに収める。まわりの建築は急ピッチで進められていて、やがて、大院を中心にしたテーマパークが出現しそうだ。一服してから、天津トヨタ自動車工場へ。

楊柳青市街地を抜けて10分ほどで第一汽車工場隣の天津トヨタに着く。加藤人事課長が出迎えてくださって、竹本社長から説明をうかがう。VIOS威馳は順調に生産を拡大し、やがて カローラも生産を始めるが、本格的には臨海工業地帯に第2工場を建設してクラウン生産を行う。2005年の操業予定で、2年足らずの期間で2ラインの大型工場を新設するのが7月に赴任された技術畑出身の竹本新社長の任務。大仕事だが、この国の驚くべき再開発ブームとそのスピードの速さを見ていると、短期間のトヨタ第2工場建設も可能に思える。

加藤課長の案内で工場を見学する。平均年齢22歳の中国若者の手で、今日は約250台のVIOSが造られていく。竹本社長が、ほかのトヨタ工場とは違いますといわれたことが良くわかった。つまり、超自動化されたケンタッキー工場などとは対極的に、労働者の手造りで一台一台が誕生していくような工場だ。ボディ工場では部材も製品も人力台車で流れている。自動溶接もあるが手溶接も多い。組み立て工場でも、部品の供給から組み付けまで手間暇かけた人力作業という感じ。検査工程も外観から機能にいたるまで、実に念入りに行われている。いささかタイムスリップして懐かしい時代の自動車工場に来たような印象だ。

旧天津汽車、現天津一汽夏利工場に取り囲まれるようなかたちの敷地に新設されたので、レイアウトに制約があること(エンジン工場などは別の場所にある)、合弁事業で トヨタ自動車が投資額を極力絞った事などが原因だ。

労働力の質は日本と変わらないほど高いが、新規の若者を採用するので、中堅労働力に育つまでの教育訓練が大きな課題になっているとのこと。日本から短期派遣される熟練工が指導に当たっている。QC活動もおこなわれ、提案制度もスタートしているが、なにしろ昨年10月の創業開始で、まだ定着途上のようだ。

モノづくりの原点に帰って自動車を造っているような天津トヨタには、驚くと同時に、一種独特の感銘を受けた。

夜は沈さん一家と、杭州料理を楽しむ。渓々(シーシー)ちゃんも大きくなって英語も上手になったが、高校受験の勉強に追われて大変だ。中国の教育競争にはすさまじいものがある。一人っ子政策の結果か、子供にかける親の期待と投資は極大化している。学校でも、テストの成績を公開して順位を競わせるらしい。それでも渓々ちゃん、日本漫画が大好きのようで、新しいマンガについての質問で元を困らせていた。

 

8月30日

朝、大学の向かいの通りを直角に歩いて同安市場で中国パン、挟み餅、包子、豆乳を購入。10元以内の買い物。

石さんが車の手配で一苦労。物理学院のサンタナを用意してくれる。楊先生が部屋に見えて今日の長城見学の注意をくれる。寒いから厚着がいいとのこと。上着を持って出発。2時間ほどで長城近くの町まで来る。ここで昼食にする。玉米酒店で、野の野菜、野の鶏、野の茸の料理をとる。茸は、網茸の一種でぬめりがあって美味しい。トウモロコシの麺は初めて食べたが、どうやって繋ぐのか不思議。

1時間足らずで長城、黄崖関長城に着いて城に登る。八達嶺とかなり雰囲気が違う。観光客は少なく、城壁は黒っぽい。一人で高いところまで登る。

帰路、独楽寺の木造十一面観音を見る。高さ16mというから、世界最大の木彫かもしれない。頭部の対面まで登れたようだが、見損なってしまった。乾隆帝の書を集めた壁もある。

サンタナの運転手は人民解放軍出身の偉丈夫で、運転は上手いが、この国並みの反対車線追い越しをするから、ときどきひやひやする。天津に向かう車線には、砕石や石材を満載したトラックが多い。みな過積載のように見える。建設ブームの反映だ。

夜は南開大学の皆さんをご招待しての宴。これまでの店とは違うところをと注文しておいたところ、タクシーが着いたのは「漁夫碼頭」という大きな海鮮料理店。1階中央にいくつものガラスの生け簀があり、チョウザメからウミヘビを含めて、さまざまな魚介類がいる。小型のカートをひく女性と一緒に生け簀を回りながら、係りに指示して食材を網ですくい計量してもらってカートにいれ、調理方法を指示すると、ハンディPCに入力していく。生け簀の周りには肉・野菜などの皿が展示してあって、カートの女性に注文を入力させる。すっぽんや牛蛙はもちろん、鰐肉や生きたサソリもある。陳さんに注文を任せたが、子豚の丸焼きと大きな鱧(海鰻魚)は元の注文。

2階の個室で大きな円卓を17人が囲んでの夕食は、料理も酒も、会話も最高。

ここは4階建てで収容力は4000人、予約でほぼ満席。このような生け簀海鮮店が天津に4店あるというから驚く。中国の人の「食」に注ぐ情熱のすごさが実感できる店だ。

 

8月31日

朝、天津大学村に行こうとしたら、唯一の細い通路が閉鎖されていて通れない。やむなく西南村に向かったが、村と大学の間には鉄の柵ができていて出られない。柵を乗り越える人がいるので、真似して村の市場に入り、挟み餅・パン・豆乳を購入。10元は超えない朝食。恵子と元は昼食用の狗不理包子を買い出しに正門前の店まで出かける。

沈先生、臧さん喬さんが送りに来てくれたので、9月6日からの国際会議出席の段取りを相談する。5日では夜到着になるので、6日朝に来ることに決める。

10:30、南開大学に留学してきたNSさんがご両親を北京空港まで見送るマイクロバスに同乗して出発。楊先生、宋先生も見送りに来てくださった。1週間後の再訪を約してお別れ。

京津高速道路を走る。開発区の大学郷では、かなりの数の校舎が立ち上がっている。1時間半ほどで第3環状線に着き下車、NSさん達とお別れ。タクシーで帰室、包子昼食。

昼寝のあとはメールと提出書類の整理。代田主任教授に南開大学国際会議出席届け、星くんに写真を送付。夕食は専家食堂からの打包、つまりテイクアウトの肉料理2種・チャーハンと自家製のジャガイモ炒め。

久しぶりに宮本武蔵を観る。ここは、衛星第2が入る。

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