北京滞在記 9月 その2

9月6日

 朝食は、愛大会館食堂でカードで登録して取る方式。相変わらずの簡単なビュフェ。

 8:30の開会式に行くと、日本研究院まえの楊先生ご自慢の庭園には滝に水が流れている。かなり大量に流すので元気はいいが、日本風とはいえない。沈先生にこの前の写真を入れたフロッピーを渡す。

 開会式は、まず范曹さんの筆になる「南開大学日本研究院」の額の除幕ではじまり、Pang副学長、山崎国際交流基金北京事務所長、薛教育部国際協力交流局長、楊先生の挨拶。山崎所長は、昨日は日本語だったが今日は中国語の挨拶。上手に聞こえた。後で聞くと、昨日は日本学研究センターだったので日本語を使ったとのこと。

 皮中国共産党天津市委員会常務委員が特別講演をして、天津浜海新区の発展可能性を語る。立派な体格と風貌の人物だ。

 記念写真撮影で研究院正面に集合。Pang先生に再会のご挨拶。昨日韓国から戻られたそうで相変わらずお忙しい。楊先生の説明で、南開大学女子バレーチームを率いてユニバシアードに行かれたことが分かる。見事に優勝したとのことで、お祝いを申し上げる。

 10:00から午前の基調報告。山澤逸平国際大学長、巫寧耕北京大学教授の司会で関(カン)志雄産業経済研究所主任研究員(中国から出向中)の報告「アジアのなかの日本とその役割」、コメントは木下俊彦早稲田大学教授、張毅君元中国カナダ大使、巫教授。山澤さんは、冒頭、東アジア地域の経済システムとしては英米モデルを選ぶか別のモデルを選ぶのか検討するべきであるとの問題を提起した。

 大西京都大学教授が、アジアにおいて中国はリーダーシップをとるつもりはないとの張コメントに関連して、中国は虎が猫のふりをしているように感じられるが、むしろ、理念を明確にしてリーダーシップを取るべきだと大胆な発言。沈さん、喬さんも発言。山澤さんに促されたので、信頼関係が大切との張コメントに関連して、アウシュビッツの清掃に出かけるドイツの中高生の話をひきながら日中の信頼関係を築くために日本のやるべきことは多いと発言。ソウルの西大門刑務所博物館に自由行動で見学に行った日本の女子中学生の話は時間の関係で紹介しなかった。

 昼は専家楼食堂で歓迎レセプション。いろいろな人と名刺の交換。楊東さんの指導教授の一橋大学専門大学院教授布井さんと相席。中国の判例のデータベース化に協力されている由。中国では判例がすべて公開されているわけではないとのお話には驚いた。

 赤い顔で午後のセッション。金明善遼寧大学教授、郭洋春立教大学教授の司会で、金元韓国産業資源部長「東アジアにおける経済統合の新しい枠組みとルール」、平川名古屋大学教授「東アジアFTAの展開と課題」の報告。金報告に2重構造論があったので、国内の2重構造と国際間の発展不均等の関係を理論的にどのように捉えることが出来るかを、山澤さんに質問した。答えは後ほどと言うことになった。

 ティーブレイクの後は、岡武蔵大学教授、宋東北師範大学教授の司会で、徐商務部国際貿易経済協力研究院研究員の「東アジア地域協力を推進する中・日・韓相互提携」、薛南開大学経済学院教授の「東アジア経済貿易協力パターンの比較研究」の報告。

 今日の報告では、中国脅威論と人民元の切り上げがしばしば問題になった。脅威論は虚構との見解が多数。人民元は切り上げ賛成論と反対論があるが、20-30%の大幅切り上げは皆反対で、年3-4%の切り上げなら良いというのが若手の意見。新華社の李長久高級編集員は海外の研究を引用しながら絶対反対論だった。

 同時通訳は、王健宜先生が抜群に上手で、許岩さんはすこし舌足らずの可愛い声。金さんの韓国語は中国語を経由して日本語に訳されていた。

 夜は愛大会館でパーティ。一階は結婚披露宴の貸切で、2階の大広間で食事。入り口に爆竹が並べてあったから派手に鳴らすのだろう。東北財経大学の金教授と相席で、大連やハルビンの話をする。スープのなかの野菜について、東北の酸菜だと教えていただいた。白菜を熱湯にくぐらせてから、塩を加えるか無塩でカメに貯蔵して発酵させたもの。酸味があって美味しい。楊先生が餃子に入れるといっていたものらしい。天津付近で採れる「小站大米」が美味しいらしい。

 楊先生と今後の予定を打ち合わせ、月1回くらいセミナーを持つことにした。

 8:00過ぎ解散。沈さんと東北財経大学劉教授と立ち話。教授で年間10万元ほど収入があっても、手当部分が多いので、定年後は、基本給のみ保証で年間3万元程度の年金になるとのこと。退職金はゼロ。

 1階のベンダーのビールが売り切れで、外に散歩に出る。大学を取り巻く河に映る街灯を撮影。テレビ塔のうえには半月。市中心部方向に花火が上がっている。単純な大玉だが、綺麗だ。肩を組む若い二人連れもファインダーに。清涼飲料を売る露店の脇の路上では中国将棋をする若者もいる。自転車、三輪車、自動車入り混じっての夜の街路は活気がある。

 名曲喫茶や上島珈琲もあるので、上島に入るとグランドピアノの生演奏中の高級感ある店。客はほとんどいない。メニューを見てあわてる。コーヒー28元。ポケットにはベンダーで買う予定で持ってきた小銭が20数元しか入っていない。メイヨーと言って小銭を見せたら、黒いスーツの上級ウエイトレスが、20元を取ってOKという。ガテマラを注文。カウンターの向こうではバーテンダー風の男性が、ミルから直接サイホンに粉を受けて淹れてくれる。今の金銭感覚では20元のコーヒーはすこぶる高価だ。たいした味ではないが、ゆっくり啜りながら聴くともなくピアノを聴いていると、中島みゆき!しかし、1曲だけでほかのポピュラーに移っていった。天津で、みゆきを聴こうとは!

 残金4.5元でコンビニに入りビール@3.6元を1缶買う。手を取り合う二人連れたちが歩く傍らには、道に座る肢体不自由な中年男性。わずかな釣銭を手渡してポケットを空にする。若い二人は何を未来に期待しているのだろう。この国はどこに行こうとしているのだろう。

 

9月7日

 朝は分厚い報告集のペーパーを読んでから食堂へ行く。奇妙な卵料理、プリン風の厚焼き玉子。

 8:30から分科会で、楊東君の報告がある第2分科会に出席。巫先生(北京大学)の「東アジア地域協力と中国」、大西さん(京都大学)の「今後における中国の国際的影響力について」、金先生(遼寧師範大学)の「要素流動の中日経済構造への影響」、楊君(一橋大学院生)の「中国における外資M&Aの現状と問題点」、布井先生(一橋大学)の「東アジアにおける経済統合と法制調和」、久保さん(早稲田大学)の「経営者インセンティブの日英比較:エージェンシー仮説と共同決定仮説」が午前中の報告。

 愛大会館での昼食後、午後は、樋口先生(愛知大学)の「日系独資小企業中国進出先工場の分析」、宋先生(東北師範大学)の「東アジア経済協力と日本文化の根底」、沈さんの「東アジアにおける労働力協力の可能性について」、徐先生(雲南大学)の「雲南省と東南アジア地域の経済協力」、張先生(南開大学)の「環黄海経済圏における天津と東アジアの相互作用」と盛り沢山。

 それぞれ興味深い報告だが、質疑時間が少ないのが残念。大西報告で、自動車産業が2000年から輸出超過になっているというので驚いた。同報告のWTO加盟の影響分析(5年後)では、自動車産業は大きく輸入超過となり生産額も減少する。生産額が伸びるのは紡績・アパレル・化学繊維・建築で、軽工業中心型になってしまう。ひとつの推計だが、果たして、中国政府はこうなる事態も予測した上で加盟したのだろうか?

 樋口報告は、上海に進出した日本企業の職種別従業者約50人の年齢・学歴・勤続年数・給与の個人別データを紹介していてすこぶる興味深かった。工員で高卒新入男子20歳月給550元、営業員で高卒新入女子20歳月給650元、営業員で大卒新入男子21歳月給2000元。守衛、男子41歳から63歳月給500元。営業マネジャー、高卒5年勤務28歳月給5000元、業務部大卒女子6年勤務27歳月給4000元。中国人副総理は55歳で年収13万元。なかなか考えさせられる数字だ。

 昼休みに、前庭の桜についたアメリカシロヒトリの大群を、受付のおばさんから鋏とビニール袋を借りて退治した。陳さんに駆除した方がいいと話したのだが、忙しそうだから、やってしまった。おしなべて、中国の植木屋は、手入れが下手だ。虫の駆除はともかくとして、松も枝は伸び放題、ミドリ摘みも葉落しもしないから、折角の老松も見ていられないくらいぶざまだ。ヒバ類も刈り込んであるのなどお目にかかったことがない。

 夕食も愛大会館で会食。重複メニューは出てこないあたりはさすがだ。コーポレートガバナンスをテーマにする久保さんを李維安国際商学院長に紹介したいと思って楊先生に頼んでおいたが、李先生は北京での重要会議出席中で不在だった。

 食後、コーヒーを飲みに出る途中、許さんと会ったので一緒に「名曲珈琲」に入る。ここもピアノの生演奏。中国の若者事情を聞く。やはり、日本よりもアメリカに惹かれるようだ。西洋菓子を頼むと、ベルギーワッフルにピーナッツクリームがのったのが来た。マンデリンをお代わりして、95元の支払い。樋口報告の月収額からすると、高いコーヒーだ。店内は広く、日本では見たことがないようなブランコ席もあって、新しい洋風空間ではあるが。

 ご両親の待つ家に自転車で帰る許さんと校門で別れて、夜業の続く校舎建築現場の脇を歩く。建築作業員は、どの位の収入だろう。上海の守衛給までいくのだろうか?大西推計のように、WTO加盟後、建設業が拡大しても、たいして消費財需要が伸びるわけではなかろう。

 

9月8日

 朝は散歩をやめて、コメントの原稿を書く。同時通訳にはしないで、逐次の通訳と聞いたので、原稿を作った。

 8:30から午前の3報告を聞く。喬君が「日本シンガポール新時代経済連携協定と東アジア統合」を報告、なかなかの出来。休憩後、大会コメントと閉会式。大西さんは、中国に残留したご両親が新中国建設に力を貸したことを語り、その努力を息子として引き継いで現代中国の新しい局面についての助言したいとして、中国は、バンドン精神を新しくした理念を掲げるよう発言した。江瑞平外交学院国際経済系教授の次に、後掲のコメントをする。

 昼食会の後、浜海開発区の見学にバスで出かける。1時間ほど走ると、新築アパートや工場が立ち並ぶ開発区に着き、ヤマハの工場を見学。ポータブル・キーボードの製造工場で、ヤマハが60%を出資した合弁企業。プラスティック成形、基盤の組み付け、組立を見る。次に、この開発区を管理する泰達TEDAの事務所で副責任者の任炎女史(共産党副書記)の説明を聞く。TEDAとはTianjin Economic-Technological Development Areaの略で、1984年から開発を管理している。ここは天日製塩の塩田地帯だったので、盛り土をして敷地を造成した。モトローラの主力工場があるほか、多種類の製造工場が集積し、やがてトヨタ工場も造られる。 

 任女史にトヨタ進出の評価を質問すると、関連工場を含めて大きな経済効果を期待するとのこと。

 夕食に向かう楊先生達とお別れして、大西さんの友人蒋南開大学経済学院教授のフィアットに便乗して天津の長距離バスターミナルに向かう。南開大学脇で周恩来像の前の高級マンションの話をすると、蒋教授は、あれは泰達のビルだと教えてくださった。全国46箇所の開発区の中で一番の規模に成長したTEDAに対峙する周首相の心中や如何にだ。

 渋滞で遅れて8:00ころ到着したターミナルでは、最終バスは発車していた。タクシーを使うことにしたら、料金300元を蒋教授が払ってしまってくださる。恐縮しながら大西さんと北京に向かう。

 車中で、大西さんが中国のかなりの省、アメリカのかなりの州を旅した話、アメリカ・インディアンに共感して研究論文を書いた話などを聞く。近代経済学者には珍しいタイプの情熱的な若手学者だ。北京商貿大学で大西さんと別れて11:00ころ帰宅。

【国際シンポジウムコメント】

 国際経済学、国際関係論、世界経済論、各国経済論、国際法学などの専門家の報告はみな素晴らしかった。

 第2日目は第2分科会に出席したので、第1分科会の報告を聞くことは出来なかったのは残念だった。

 8時半から5時半までの予定時間には収まらないほどの充実した報告プログラムで、質疑・討論の時間が少ないのが惜しい感じだった。

 68歳の私には、すこしきついスケジュールではあったが、疲れを感じないほど、知的な興奮を与えてくれる報告が続いた。

 「東アジアの地域経済協力」というテーマは、近代日本経済史を研究してきた私にとっては、専門分野ではないので、すべての報告が新しい勉強であった。

 まず、報告者の皆様に、深くお礼を申し上げたい。

 専門外のテーマであるので、的確なコメントをすることは出来ないが、日本経済史研究の立場から、二つの論点についての感想を申し上げたい。

@      まず、山澤先生が提起された、東アジアでは、どのような経済システムが最適であるかという問題を取り上げたい。
山澤先生は、アングロアメリカン型経済システムは、皆さん、あまり好きではないでしょうと言われたが、私も同感だ。
いま、グローバル・スタンダードとして、アメリカ的経済システムが強い影響力を発揮しているが、ヨーロッパ諸国はこれに反発して、ドイツは「社会的市場経済」を目指している。
アメリカ型システムは、政府の介入を極力避けて、経済の問題は、すべてを市場にゆだねるのが良いとの理念を基礎にしている。
ドイツは、市場経済には不完全な部分があるから、それを政府の経済政策・社会政策で補う必要があるとの考え方に立っている。
歴史を振り返ってみよう。
20世紀にはいると、労働運動と社会主義思想の高まりの中で、ロシア革命が起こった。資本主義諸国は、社会主義に対抗するために、社会保障を充実させ、景気調整政策を取って、福祉国家への道を進んだ。
ところが、1980年前後、マーガレット・サッチャーが英首相に、ロナルド・レーガンが米大統領になったころから資本主義には新しい傾向が現れた。経済への政府介入を縮小して、経済は市場の働きにまかせるという方向だ。つまり、福祉国家からの退却が始まった。
そして、
1980年代からソ連社会主義が崩壊し始め、アメリカが「冷戦」の勝利者となると、この資本主義の新しい傾向は、ますます強まり、いわゆる「市場原理主義、マーケット・ファンダメンタリズム」が猛威をふるうようになった。
つまり、社会主義が後退したので、資本主義も福祉国家を目指す必要がなくなったことになる。労働者と資本家の貧富の格差が大きくなったので社会主義が登場したが、その社会主義が後退したので、資本主義は、遠慮なく、貧富の格差を拡大できるようになったわけだ。
これが、今の、アメリカ型経済システムが登場した歴史的な事情だ。
福祉国家を捨てて、経済格差を拡大させるようなアメリカ型システムは、人々を幸福にするとは思えない。
「市場原理主義」という言葉は、ヘッジファンドで大もうけをしたジョージ・ソロスが最初に使った。ソロスは、まさに「市場」のおかげで大金持ちになったのだが、その彼ですら「市場原理主義」は良くないと言ったのだから面白い。
東アジアでは、山澤先生が示唆されたように、アメリカ型ではない経済システムを築いたほうがいい。それがどのようなシステムになるべきか、研究することが現在の大きな課題である。

A      つぎに、「地域経済協力」の問題点を取り上げたい。
すべての報告は「地域経済協力」を促進することが必要であると主張していて、私も同感だ。
しかし、なにを目的にして「地域経済協力」をおこなうかを明確にする必要がある。
日本史研究者としては、ここで、かつて日本帝国主義が、「大東亜共栄圏」構想を掲げてアジア諸国に多大の迷惑をかけたことを思い起こして、お詫びを申し上げておきたい。
「大東亜共栄圏」は、欧米に対抗して、アジアに共に繁栄する経済地域を建設しようという理想を掲げた、ある種の「地域経済協力」構想であった。しかし、それは、現実には、共栄を目的にしたのではなく、日本の利益、つまり「国益」を実現しようという目的のものであった。
国々が協力しあおうとするとき、一番の問題点は、このようなそれぞれの国の利益、「国益」の追求と、地域内の人々の共通の利益の追求が、相対立する場合があるのを、どのように調整するかということだ。
大西京都大学教授は、地域協力には、理念を明確にしたリーダーシップが必要だと言われたが、まったく同感だ。
ある理念のもとに各国が協力する必要がある。
私は、その理念、地域経済協力の大目的は、アメリカ型経済システムが追求するような「経済的価値」「経済的利益」では駄目だと思う。もちろん、経済的価値を大きくすることは、悪いことではない。しかし、それだけを求めると、どうしても、自国の取り分をより大きくしようという、醜い競争になってしまう。
「経済的利益」よりももっと大きな目的、理念を追求するべきである。その理念を明確にすることが、現在のもうひとつの大きな課題である。
すべてのアジアの知識人が研究すべき課題であるが、私にも小さなアイディアがある。
それは、「持続可能な経済成長、サステイナブル・グロウス」を目的に地域協力を進めるということだ。
地球資源を無駄使いせず、地球環境を破壊しないという大きな枠のなかで、人々の生活を豊かにすることを目的にするのが良い。
もし、アジアの人々全員が、今のアメリカ並みの消費生活を、今ただちに楽しむと仮定すると、資源は枯渇し、環境は大破壊されてしまうだろう。
大量生産・大量消費そして廃棄物大量投棄のアメリカ型システムではない、新しい経済システムを築く必要がある。
結論は、第1の論点に戻ったが、「持続可能な経済成長」を理念として、地域経済協力が進むことを期待したい。
アメリカ型システム、あるいは資本主義の悪口を言いましたが、詳しいことは、
2001年の「日本研究論集」に論文を載せてありますのでご覧ください。
日本文は、私のホームぺージに載せています。
URLは、私の名刺にありますし、ヤフーなどで検索していただけばすぐ分かります。

 最後に、このような素晴らしい国際シンポジウムを開催された南開大学日本研究院に深く感謝し、それに参加できた喜びを表明させていただきたい。

 本当にありがとうございました。

 

9月9日

 朝は、寝坊。授業に行く。快晴で気持ちがいい。青空だが、薄霞がかかっているようで、噂に聞いた北京青天のイメージとは違う。バスで篠崎先生に聞くと、これが最近の北京の青天で、むしろ良い方だとのこと。車が増えて排気ガスの爲か、抜けるような青天にはならなくなったようだ。

 2年生の講義。日本 人の起源を、国立科学博物館のHPからの資料コピーで話す。HPをカラーで見せようと、教室でランに繋ごうとしたが、まだ、接続されていない。立派な建物だが、IT関連装置・器具の設置が遅れている。院生研究室もまだラン接続が出来ていないので、宿舎から電話線で繋いでいるとのこと。

 昼食に帰ってから、社会研究室の研究会に出る。清華大学研究員で名古屋大学博士の顧林生さんが危機管理を報告。日本の危機管理体制を紹介しながら、中国での危機管理体制整備の必要を語る。院生と宋先生にわれわれが出席で、ほかの社会研究室の先生は欠席だった。市場経済化して個人の責任領域が拡大するのに対応した保険制度の整備が必要などの点をコメント。元は、デパートなど公共の場で水雑巾掃除をして滑りやすいことを例に上げながら、まだ管理責任意識が低いことを指摘。

 研究会終了後、タクシーに分乗して公寓の共同利用室へ。元と3人が専家食堂に打包に行く。皆で机・椅子を並べて準備。恵子の手料理(春雨の酢の物、マカロニサラダ、春菊ゴマ和え、鶏筑前煮、肉じゃが、豚カツ、クレープケーキ)と打包6種で夕食。和食は気に入ってもらえたようだ。1年生4名、2年生4名の自己紹介。いろいろな話をする。かなり、国のためになることを意識して勉強している。しばらく前までは、修士終了後、教育研究職以外の一般民間企業に就職する場合には、2万元ほどの違約金支払いが必要だったらしい。11時ころ散会。8人をタクシーで帰す。

 

9月10日

 朝は双楡樹早市へ買い物。トマト・カリフラワー・3尺ささげを仕入れて、賓館前の成都小吃で肉挟み餅と小包子を買う。3尺ささげは美味しく、ゴマ和えにして朝食。

 社会経済史学の書評の校正をして郵便局から発送。航空便で12.2元。

 水を頼んで置いたら、ペットボトルを持ってきてくれたので、大きいタンクの水が欲しいと説明。やがて持ってきてくれた。20リットルが15元。前任者が置いていった卓上型給水器があって、冷水装置はついてないが熱水は出る。

 China Dailyには、田舎の民宿がブームになりつつあるとの記事。宿泊して野草料理などを楽しむようだ。楊先生は、天津郊外で蟹釣りをしてシンポジウムのご苦労さん会をやると話していた。川蟹を肉片で釣って農家で料理してもらって楽しむとのこと。田舎暮らしがレジャーになるほど都市化が進んだようだ。

 1匹10万元のコオロギの話も載っている。強そうなコオロギのオスを育てれば、高く売れる。路上で1匹5元程度で売っているのを見ながら、自分は1匹200元以下のは扱わないと語る男性の話では、辛い唐辛子畑で捕まえるコオロギが最高級品で、うまく飼うと1500元くらいで売れる。昔は上海周辺でも採集できたが、住宅団地建設ブームでコオロギは住めなくなり、かなり郊外でないと採れなくなった。ナンヤン地方の農家は、コオロギ採りで1シーズンに1万元も稼ぐそうだ。1999年には「虫王」と名付けられて10万元で取り引きされたコオロギもいた。コオロギを戦わせる賭事は、唐時代から盛んだったようで、いまも、行われている。もちろん非合法だが、数千元から数万元、さらにもっと巨額の賭け金賭博も極秘裡に開催されるという。この国、なかなかしたたかで面白い。

 ザルうどんで昼食。1時の空港バスで元は上海に向かった。バス停にある航空券売場で敦煌便のスケジュールを聞いて帰室。これからしばらく二人暮らし。

 4時からセンターで打合会。代田主任から秋学期行事日程などの説明がある。18期生の修士論文課題決定への参与、17期生の修士論文審査、図書館予算(日本語文献分400万円)による選書など。9/29には、国家専家局主催の民族舞踊鑑賞会がある由。終了後、屋上で写真を撮ろうと思ったらドアが閉まっていた。バスで帰室。今日の青天は、昨日より霞が多い。

 和食の残り物で夕食。

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