北京滞在記 9月 その3

9月11日

 講義のレジュメ作りで散歩はなし。7:30のバスでセンターに。机の上に2通の封筒があるので開くと、1年生と2年生がくれた「教師の日」カード。この国では、9月10日が教師祭になっている。「師恩難忘」「老師、ニーハオマ」と印刷してあるカードに、綺麗な日本字のメッセージが書いてある。教室で感謝の言葉を述べてから、メッセージ文の不自然な箇所を指摘する。講義は、戦前日本社会の特質を、江戸時代から昭和戦前期までを概観しながら話す。バスで帰室。

  李平先生に教わったうどん屋に行く。双楡樹郵便局前通りの半畝園で、炸醤面(12元)と雪菜肉絲面(10元)を注文。炸醤面は、しこしこしたウドンですこぶる美味。雪菜肉絲面は細い麺でスープがいまいち。2000年に上海の静安ホテルで食べて感激した面よりかなり劣る。超市で月餅(稲香村ブランド)と生のランブータンを買って帰室。栗餡月餅は、@7.6元と高値だが、全栗羊羹のような餡で極めて美味。代田先生の話では、稲香村は新興の食品製造企業で、大三元のほうが老舗とのこと。

 1:40のバスでセンターに行って日本学総合講座に出席。単位になるので学生も大勢参加している。講師は郭連友センター副教授で、「私の吉田松陰論―中国との関連で」を講演。東北大学博士で、松蔭全集などからの引用資料を読み上げながら、太平天国の情報を得てから松蔭は海防論を捨てて民生論・民本論を中心主張とするようになったことを実証的に説いた。知らない分野で興味深かった。漢文を読み下したかたちの松蔭の文章を、院生達が理解できるのか訊ねると、どうやら、まるで判らないらしい。現代日本語を勉強してきたのだから無理もない。日本の若者も判らないだろう。

 この時期の松蔭と末期の松蔭の思想変化の理由、郭さんが松蔭をテーマとする研究を続ける理由などを質問。康有為らが松蔭の影響を受けていること、日中戦争中に南京の汪兆銘政府が松蔭伝を刊行したこと、松蔭の尊王論は天皇絶対論ではなく易姓革命論の影響を受けていることなど、新知識を得た。

 講座終了後、徐主任・郭さんら中国教員とともにバスで長城の月見に出発。友誼賓館に寄って家族を乗せて、環状線から八達嶺高速を走って居庸関長城へ。かなり急峻な長城が続いている。最近作られたアミューズメント施設(宿泊・食堂・ホール・会議室・ボーリング・プール・カラオケなど)で会食。はじめてアヒルの頭の唐揚げを食べた。その勢いで、ローストチキンの頭の脳にもトライすると、これが意外に美味。小さなものだが味わいがある。アヒルとニワトリの分だけ頭が良くなったか?はたまた、彼らと同程度の脳になったのか?

 食後、ホールでお茶を飲みながら月の出を待つ。8時すぎ、東から月が昇ってきた。霞がかかって朧月だ。長城は北西に連なるから、長城の上に月というわけにはいかないが、なかなかの風情。西安の月もかくやあらんかと、阿倍仲麻呂を想う。「はるかなる居庸関に出でし月かも」。

 安着されて奥様とご一緒に参加された濱先生、どのような句作をなさったか。

 

9月12日

 理工大学の市場に買いだし。大桃3個2.9元、小桃113元、枝豆1元。小桃は堅かったが、大桃はまあ柔らかくて美味しかった。枝豆も堅いが豆の味がある。おしなべて中国野菜は堅い、水分が少ない土地のせいかとは、恵子の観察。

 「日本人会だより」を送っていただいたので林さんに電話すると、葉先生が電話に出られた。暖かいお声の方で、お礼を申し上げ、改めてのご面会をお願いする。

 昼食にカレーライスを試す。半畝園前の店。固形ルーを使った感じのあまり辛くないカレーだった。客を見ると、やはり、若い人が好んでいるようだ。福神漬も付くが、ライスには問題がある。ビーフカレー17元、マッシュルームカレー16元。

 スーパーに寄ると、もう月餅売場は片付けられていた。外では安売り。黒豚のロース塊を買う。ここでも黒豚は高級格付け品になっているようだ。

 早めにセンターに行き、センター中方に借りた筆と持参の硯・墨汁で、製本の出来た『父と子が語る日本とアメリカ』稿本9冊の表紙にタイトルを墨書する。来週みんなに渡す予定。

 4:30から陶徳民関西大学教授の講演「吉田松陰研究の新知見」を拝聴する。エール大学で新しい資料、松蔭が下田監禁中にアメリカ医師に渡した板に書いた声明文を発見された話。従来は正文が見つからないままに伝聞的な英文・日文が伝えられていたが、陶先生の発見で、一部が修正された。松蔭が、自分を「英雄」としている部分も新発見だが、はたして、それが松蔭の本音かどうか議論を起こしているようだ。佐久間象山書簡で、浪人して困窮していた松蔭が西欧知識を学んで成果を挙げて帰参を可能にするという考えもあって密航を企てたことが分かるとの指摘は面白かった。志士国士イメージを個人的モチベーションの存在を明らかにして薄める効果がある。

 陶先生を囲んで、厳先生、周先生(センター教授)、邵先生(北京外大副教授)、郭先生と清水副主任で会食。外大南の海鮮店「海暢園」。ガチョウの風乾し肉ははじめて。タウナギも久しぶりだった。談論風発、極めて有益かつ楽しかった。

 厳先生は、上海の中国共産党第1回大会開催記念館の正面に巨大な娯楽施設が出来たことを話された。南開大学の周恩来立像が泰達ビルをにらむのと同じ構図だ。

 若者達の開放的な愛情表現のことを話題にすると、ラブホテルのようなものがないので街なかやキャンパスでの二人連れの抱擁が目立つのではないかとのこと。大学生間の婚姻は認められていないが、最近少し変化が見られるようになった。しかし、某大学では、妊娠した女子学生とその相手を退学処分にしたという。学生の両親が不当な退学だと提訴して係争中とのこと。

 

9月13日

 早朝で人通りが少ないホテル前の路上で、客待ちのタクシー運転手達がトランプ博打をしている。1元札と10元札を賭けている。人民大学正門前を通り、附属中学の正門に来ると、自家用車が止まって男の子が降りた。課外活動に来た中学生らしいが、かなり肥満だ。栄養状態が改善した成果か?

 双楡樹早市でキノコ2種、サツマイモ、トマトを買う。全部で5元。ヒラタケを炒めたが、ほぼ日本物と同じ。サツマイモを蒸かしたが、ぜんぜん味がない。見かけは紅赤風だが、甘味はなく、ホクホク感もなくややスジが舌に触る。焼き芋にもならないだろうし、まったくの調理用だ。

 China Dailyの一面トップは毒ガス問題。中国は早急な毒ガス処理を日本に求めている。2007年までに処理するという約束だが、今回のような被害が発生するようでは、対応を急ぐ必要がある。経費は厖大になろうが、人道問題だし、賠償放棄してくれた国への当然の義務的支出だ。

 今回の毒ガス事故では、日本政府は例によって対応が後手後手になったが、中国政府もあまり厳しい姿勢はとらなかったので、対応が遅れたふしがある。対日感情悪化を避けようとする中国政府の姿勢かもしれない。細菌兵器の石井部隊問題でも、現地調査をボランティア的に進めていた松村慶大教授らの活動を、ある時期には、歓迎しない姿勢を現地当局が示したことがあったようだ。人道問題という見地からだけでは処理できない課題だ。

 歩いて大鐘寺に向かう。大きな鐘を本尊にした仏教寺院だったところで、今は博物館になっている。入場料@10元。1970年代後期に河北省で発掘された青銅の楽鐘(大小45個)があって、係の女性が童謡風のメロディを叩いてくれた。石製の大小の板が下がった楽器では第九合唱のメロディ。

 一番奥に巨大な梵鐘が太い柱に支えられた梁に吊り下げてある。表面と内面には経文が鋳られている。階段を登ると上から見ることが出来て、小銭を投げて穴に入れることができれば幸運に恵まれる。小銭は下で2元分を両替してくれる。これはパス。

 伽藍の他の建物には、鐘の歴史的コレクションや鋳造法の説明などが展示されている。売店で絵はがきを購入。

 門前は骨董の店が並ぶ。毛バッジの間に周総理のを見つけて買う。5元を恵子が値切って3元。さっそく、帽子に付ける。板門店バッジと周バッジが並んだ。

 タクシーを拾って燕沙友誼商城に向かったが、地下鉄工事のために3環脇の道は大渋滞。日本に出稼にいったことがある運転手で、片言の日本語で会話。月収は3000元くらいという。こっちが3000元くらいかと聞いたので、そうだと言ったのかもしれない。呉で左官をしたようだ。45歳で、もう日本で左官の仕事は出来ないと言っていた。死別した奥さんと再婚した奥さんの子どもの二人子持ち。この場合は一人っ子政策の対象ではないらしい。

 燕沙友誼商城はルフトハンザが創ったデパートで輸入品が揃っている。紙コーヒーフィルターの中型もあった。ガラス製品を見ると、ボヘミアン・カットが割安。欲しいと思っていたデキャンターとグラス(6個)のセットを1266元で購入(カード支払い)。地下でブランディを見たが日本より高いのでやめて、チーズとオリーブを買って帰室。

 遅い昼飯を、昨日恵子がつくったポークシチューとチーズで。

午睡後、共同利用室で「日本研究論集」の論文をコピー。畔上さんに頼んで抜き刷り風のコピーを作ってもらう予定。

 8:00、そろそろ月が出るかとビアガーデンに。ホテル特製のスタウトと燕京生、串焼き肉、炒面で46元。燕京生追加、エビ団子、小包子で16元。特製スタウトは、クセはないが少し薄い感じでもの足りない。

 待つことしばし。3人組の生演奏。やがて十六夜過ぎの月。眺めながら帰室。

 元から電話、上海は静安ホテル

 

9月14日

 早起きして前門の旅游バスターミナルへ。7:00から8:00の間に雲居寺行きの游10が出るはず。前門のターミナルは何カ所もあって迷った。7:15に着いて10番に乗り込むがなかなか発車しない。30分毎かと思ったが、そうではなく、ようやく8:15ころ発車した。乗客が13人と少なかったので、客待ちしていたのかもしれない。往復@60元。

 京石高速を走る。途中、廬溝橋が見える。琉璃河から降りて韓村河から先は道路が悪い。農村地帯を走って雲居寺に。山腹に伽藍が縦長に配置されていて、ルシャナ仏、阿弥陀仏、薬師如来、千手観音などを祭る拝殿があり、両翼には北塔と南塔址がある。南塔址の地下には石に刻んだ経典が納められた蔵「石経地宮」がある。ここは寺院で僧侶が修行している。拝観の人々のなかには、線香を捧げて熱心に祈る人も多い。成功・健康・知恵など目的毎の願文を書いた細長い赤布を買って名前を書き入れ、堂内のひもに結びつける絵馬風のものもある。

 寺は1942年に戦火に焼かれたと書いてある。日本軍の侵略の跡だ。中国の旅では、思いがけないところで日本の加害証拠に出会う。1時間でバスに戻るが、1人帰ってこないので15分遅れて発車。運転手も客も、遅れた客をそしる様子はなく、当人も悪びれもしない。のんびりした気質の人たちだ。

 十渡に向かう。拒馬河の片側に切り立った絶壁風の山が続く場所に入る。一渡から十渡までの地名が上流に向かって並んでいる。水深は浅い河だが川幅は40mくらいのところがあり、欄干のない水面すれすれの沈水橋が6,7箇所にかかっていて、道は河の左や右を走る。岩の理目は水平で褶曲はほとんどない。長江の三峡にすこし似ている。

 12:00ころ、六渡あたりで仙峰谷に寄って13:15まで留まる。水の涸れた谷川を遡ると、巨岩・奇岩・淵が連なり、両側の切り立つ山が迫ってくる。青龍潭と名付けられた滝壺跡で道は途絶え引き返す。三峡下りだと本流から支流に入る神農潭のような位置づけになる谷だ。なかなか風情があるが、水か枯れているのは残念。またさっきの客が時間に遅れた。今度は皆から批判される。

 十渡に向かう。「十渡拒馬楽園」、レジャーランドだ。対岸の山の中腹までゴンドラ(2人乗りのキャビン)がかかり、渓谷の上には、バンジージャンプ台が2基ある。ロープ伝いに対岸から河の上を滑り降りる人間飛行もある。河には竹船や脚こぎボート、カヤック、モーターボート。乗馬や運動公園、遊具場もある。

 道沿いに並ぶ食堂で昼食。バラ肉炒め、ニガウリと豚肉炒め、ナス炒め、ビールで52元。

 田舎料理だがけっこう美味しく食べた。ゴンドラに5分くらい乗って降りると、つぎはきつい石段の登り。情人台という展望台まで頑張る。妙義山に似た起伏の激しい山なみが連なっているのがよく見える。展望台の下に石仏があるというので行ってみると、人型をした自然石が安置されていたのでガッカリ。バンジージャンプは1基だけが営業していたが、ほぼひっきりなしにジャンパーが飛んでいた。恋人たちが二人で抱き合って飛ぶのも流行っている。きっときずなは強くなることだろう。

 出発は17:30だが、夕方になると人影は少なく、肌寒くもなったので早めにバスに戻る。皆さんも早めに戻って、バスは5時前に発車。途中の韓村河あたりには庭園用奇岩が大量に陳列されているから、岩石の産地らしい。韓村河あたりは、工業団地としての開発が大規模に進められている。道沿いには果物・野菜を売る露店がぽつぽつと並ぶ。柿も売っているが、十渡で見た感じでは熟すと一足飛びに日本の熟柿のように柔らかくなる種類のようだ。ヘタに近い部分にくびれの入る独特の形状だ。

 長椿街でバスを降りて、「郷老坎」で夕食。成都料理だが辛くないものを選んだ。手捌鶏は、味付け蒸し鶏を手で割いた料理で美味しかった。野菜炒めと三鮮湯、坦々面、白飯、ビールで70元。坦々面は緑色の麺でこれも美味だった。口の長い薬缶で遠くから茶碗にお湯を注ぐ方式は成都的だ。

 

9月15日

 人民大学に散歩。正門を入って驚いた。3月に「3つの代表を実践して世界の一流校になろう」と書いた幕がかかっていたロータリーがなくなって、幅広歩道が直通し、大きな照明付き噴水のある円形広場もできている。まだ両側の植え込みは完成しておらず、早朝から芝生を植える労働者が働きはじめていた。かなり費用がかかったと思われる改造だ。日本の大学ならそれだけ予算があるなら研究施設に回せと言う声が出て、この改造は実現しないだろう。各地の大学の新築・改造ラッシュの資金はどこから出るのだろう。南開大学では、銀行からの借金と聞いたが、返済出きるのだろうか心配だ。経済成長が続くうちは良かろうが、低成長になれば不良債権の山ができそうだ。

 3月に驚かされた孔子像を確認に行くと図書館前に無い。開館を待つ学生に話しかけたが英語が通じない。英語テキストを音読している学生も、会話は苦手らしく、結局、筆談にすると場所が判った。思い出したが、学生の閲覧棟の奥に新しい図書館棟があってその前に孔子像がある。像の寄贈者は、香港孔教学院の温院長だ。タイトルには中国の偉大な思想家教育家とある。中国共産党の孔子評価はすっかり変わったらしい。

 新しい西門から出て、杭州包子(102.5元)を買って帰室。

 午前中、恵子はひとりで城郷超市に買い物。美味しかった湯葉・タケノコ・青大豆の煮物などを買ってくる。お総菜風の食品はいろいろあるが、得体が知れないものが多いので、トライアルをしているところ。

 昼食はホットケーキ。天ぷら用などの普通粉の小袋がなく、5kg袋を買ったので、その消化活動の一環。どことなく中国の香りがするパンケーキになった。日本の小麦粉と少し違う感じだ。恵子は、きめが粗いという。

 昨日の遠足疲れでうたた寝を間に挟みながら明日の講義の準備をした。網野さんの『日本社会の歴史』(岩波新書)の上卷を教科書にして日本古代史を1回で話そうという試みだが、なかなか難しい。共同体論として筋を通してみようと思うが、アジア的共同体の内部変化は、そう簡単には理論化できないし、事実関係も不明な部分が多い。公地公民制を、アジア的共同体の存在を前提にした土地法と説明するのは易しいが、その崩壊過程が、アジア的共同体のどのような変質と関係しているかは簡単ではない。石井寛治流に世帯共同体の成長と説くのも一つの考え方だが、世帯共同体を共同体論にどのように位置づけるかという問題が残る。

 夕方、双安商場まえのスーパーにワインを仕入れに行く。ダイナスティ、長城、豊収の3銘柄の赤(いずれもカベルネ・ソービニオン種)を55元から78元で買う。粒あんと白玉粉らしいものも。粉類は、種類が豊富だが、白玉粉とは書いていないから選ぶのが難しい。店員に粘大米粉と書いて見せたら、糯米製品を出してくれた。丘比沙拉醤=キューピーマヨネーズ、燻製肩ロース、アサリらしき貝なども。

 ディキャンター初使いに、最高値の豊収1995年ものを入れる。あっさりし過ぎのカベルネだが、まあまあ。トンカツで夕食。

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