日本経済史 シラバス12 8 日清・日露戦争と日本経済 |
1 日清戦争前後 i 1890年恐慌 1890年1月 株価暴落 企業倒産 綿糸過剰( 紡績操業短縮 25日) 株式追加払込み資金需要増大 1889年産米凶作→国内市場縮小 ii 日清戦争 1894年7月 豊島沖で交戦 8月 宣戦布告 95年3月遼東半島制圧・ 下関講和会議 日清講和条約調印 @清国による朝鮮独立の承認 A遼東半島・台湾・ぼう湖島の割譲 B賠償金2億両(約3億円)支払い 遼東半島報酬金3000万両(4500 万円) C沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港 通商特権 工場建設など iii 戦後経営 a 軍備拡張 陸軍 平時7万戦時21万→平時15万戦時60万 海軍 6万d→25万d b 産業振興 八幡製鉄所設立 海運・造船奨励 電信・電話の拡張 鉄道の改良 c 金本位制 1895年貨幣制度調査会報告書 (改正不必要7名 必要8名うち金本位制6名) 1896年松方正義内閣 金本位制採用決定 物価安定←輸入価格安定 1897年3月貨幣法公布(10月施行)1円金2分(0.75g) ←1871年4分 d 特殊銀行 日本勧業銀行・各府県に農工銀行・北海道拓殖銀行・日本興業銀行 e 台湾経営 1895年5月日本軍上陸 5か月で抗日運動鎮圧 地租改正事業 1899年 台湾銀行設立 1902年〜台湾製糖・明治製糖・東洋製糖・大日本製糖設立 2 日露戦争 i 日露戦争 1904年2月 旅順口奇襲(8日) 宣戦布告(10日) 1905年1月 旅順占領 5月 日本海海戦 8月 ポーツマス講和会議 9月 日露講和条約調印 @韓国を日本の勢力範囲として承認 A満州の清国への返還 B遼東半島ロシア租借地・東清鉄道ハルビン支線の権利継承 C樺太南半分の割譲 ii 戦後経営 a 軍備拡張 陸軍 13師団→25師団 平時15万人戦時60万人→ 平時25万人戦時200万 海軍 戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻の8・8 艦隊 25万d→58万d b 産業振興 鉄道国有化 八幡製鉄所拡張 電話事業拡張 治水事業 c 朝鮮経営 1906年韓国統監府設置 1910年韓国合併 1911年朝鮮銀行法公布 d 満州経営 1906年南満州鉄道設立(半額政府現物出資) 鉱山( 撫順) 製鉄( 鞍山) 経営 3 財閥と地主制 i 独占の形成 綿紡績業の企業集中 1900年 79社 →1911年 34社 大日本紡績連合会中心の操業短縮 銀行業の集中 1901年1867行→1911年1613行 5大銀行シェア 1900年17.8% →10年21.5% ii 財閥の形成 コンツエルン化 a 三井 11家で三井同族会 3事業を合名会社として管理→1909年三井合名会社設立 ( 三井鉱山合名会社の社名変更) 三井銀行・三井物産株式会社に改組 1911年合名鉱山部 株式会社化 b 三菱 1893年 三菱合資会社設立 岩崎2家出資 事業直轄 1908年〜12年 事業部独立採算制 1917年〜19年 事業部の株式会社化 c 住友 1921年 住友合資会社設立 大正後期・昭和初期に傘下事業株式会社化 d 安田 1912年 合名会社安田保善社設立 iii 地主制 資本制的大規模農業経営・豪農( 地主手作) 経営は発展せず 小農制 中農標準化傾向 地主制の特質 半封建的土地所有か近代的土地貸借関係か 半封建的土地所有 封建社会いらいの身分的支配関係の残存 絶対王政下の経済 外的強制 小作権<所有権 明治民法(1896年公布98年施行) 小作権=債権 not 物権 近代的土地貸借関係 高率小作料←競争←小作地需要大←土地喪失農民の農村滞留←都市工業の成年男子労働力需要小←後発資本主義の特性 @労働節約的技術の導入A軽工業中心 参考文献 高村直助『日本資本主義史論』 ミネルヴァ書房 |
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