中国旅日記2 

3・17


楊先生からいただいたイチゴとりんごで朝食。9:00から3回のセミナー。知足人を、竜安寺と石家大院で締めた話は好評。楊先生は資本主義の段階区分についてコメント。許さんは社会と個人の関係、喬さんは後発国の立場について質問。最後に、楊先生の挨拶でセミナーは終了。院生との会食を提案して解散。部屋に戻ってから、学内の料理店で博士後期9人修士9人で昼食。女性は4人。やはり外国語系と違って、歴史・経済系は男性が多い。すでに大学で講師になっている人が、博士号取得のために入学している場合が多い。綺麗な許さんは日本語教師で、さすがに上手。まだ独身だったが、博士後期の男性はみな既婚者。張くんは自家用車を持っているとのことで驚いた。日本を研究することの意味をたずねると、やはり、現代日本の経済成長への関心からという答えが多かった。成長の陰の部分については、皆さん承知はしているようだが、人類史的危機という意識はあまり持っていない。会食の支払いは464元。

センターのパソコンで写真をプリントしようとしたが、画像ソフトが無い。Adobeをダウンロードしようとしたがうまくいかないうちに時間切れ。

学内に「国防工事」の杭。中ソ関係が悪化した1960年代に、防空壕を掘った跡。今も、トンネルがそのままらしい。そして、夜の宴会へ。

楊・王・米・沈・陳・喬の夫妻とセンターの女性を招待して、前に行った料理店で食事。新しい建物だが内装を古風にして、古い家具・調度品で飾っている。席は、男と女に分かれる。かなり高いレベルの料理。値段も2350元。

 

3.18


朝食は果物。センターでメールを送り、画像ソフトのダウンロードを試みたが、また失敗。ここでの写真プリントはあきらめる。部屋に戻ると、トイレの水が溢れる騒ぎ。メイドを呼んでも驚かなかったから、よくあるらしい。ウオッシュレットと漏水???

李維安先生のご招待で、楊先生と南門向かいの高級ホテルで昼食。大理石をふんだんに使った豪華な内装で驚く。泰達企業集団の経営する天津泰達国際会館(ホテル、レジデンス)で、22階建て。上層の185.02平方米の部屋は月45000元、5515ドル、下層の146.55平方米でも32000元、3950ドルの家賃。個室で広東料理、美味。泰達ビールはライトタイプ。外に出ると周恩来像が正面に見える。周総理は、このビルをどんな気持ちで眺めているのか?楊さんは、あまり良い気持ちではなかろうといっていた。李先生からもらった近作は、国家第1等賞を受賞したとのこと。お返しに「父と子」を進呈。中国のCOEに指定された国際商学院は新しい建物を建設中で、大発展の様子。

部屋に帰って3:00の出発まで休憩。センターの事務の女性の自家用車で天津駅へ。沈さんと喬さんが送ってくれる。楊さんと臧さんとは専家楼でお別れ。日本租界のわきを通り、各国租界を抜けて駅到着。4:04発、上海行き夜行の軟臥の上下、458元、440元。中国男性2人と同室。刺繍が綺麗なカバーの毛布が一枚。枕2つ。お湯のポットが2つ。

列車は紅橋区を通るが、古い家並み。屋根をシートで覆ってレンガで重しにしている家も目立つ。天津郊外の農村ではビニールハウスが立ち並ぶ。夕方で、ビニールの上にむしろをかける作業をしている。済南の手前で食堂車に行って夕食。3品とスープ・米飯で62元、缶ビール@3.5元。太刀魚揚げ煮、ビーフシチュー風煮込み、豚肉いため。あまり美味しくはない。戻って就寝。

 

3.19

 南京を過ぎたあたりで目を覚ます。窓外は、かなり緑が濃い。溜池やクリークが多く、常緑樹もある。土地は起伏があり、山も遠望できる。すこしはビニールハウスもあるが、野菜は露地で栽培できる。8時を過ぎたころ車掌が、昨夜預けた切符を返しにきた。預かり証の金属カードと交換する。無錫あたりからは平坦な土地、道路建設を早朝からやっている。市街ではレンガを崩したところ、新築の建物でもう働いている。勤勉な国民だ。畑は緑で菜の花も咲いている。

9:41定時上海着。駅に荷物を預けてから、杭州行きの列車の切符を買おうとしたがすでに満席。駅前で牛肉面と小包子の朝食(@7元)をとってから、やむなく高速バスと思ってタクシーを拾う。改装が終わった上海駅のタクシー乗り場は地下で、出入りには2元余分に取られる。高速バス乗り場で時間表を見るともうない。困っていると客引きがきて11:20があるというので別の乗り場に行ったが結局ない。12:30のに乗ることにして、しばらく待つ。ターミナルの2階の本・雑誌売場には、ヌード写真集も売っていて、さすが、上海と思う。売店に関東煮つまり「おでん」があるのでひとつ買う。3元で、えび団子3つの串、結構美味しい。甘い梅干は6元。マフィン2個は5元。乗車のときに水を1本くれる。指定席で@55元。

上海環状線から高速に入る。近郊はマンション団地と1戸建ての住宅団地が並ぶ。ハウス栽培も盛ん。桑もたくさん栽培されている。高速道路は2車線で、ところどころで修理中で1車線になって少し渋滞。3:00ころ杭州着。望湖賓館に行くと、780元で高いが、前回も泊まったのでここに決める。7階の部屋で西湖は見えるが、手前の湖畔が現在西湖周回道路工事中で、杭うち機やクレーンが建っていて、見晴らしよくない。

ホテルで明日のタクシーを頼んで外出。もくれんと白もくれんが咲いている。湖畔には近づけないので、にぎやかな街を歩く。甘栗、ドリアン、ランブータンなどを売る。角にタコ焼き屋があるのにビックリ。「日の船」屋号で結構流行っている。衣料品店が立ち並ぶ。小百貨店では、アクセサリーとネイル・アート、ボディー・ペインティングの小店がたくさんある。オシャレに中国女性は夢中らしい。歩道橋の上で不思議なおもちゃを見る。細い竹管でできた犬が、ひとりで踊ったりお座りや伏せをする。動力は不明。

建物の6階にある小吃街で食事。小麦粉をピザ風に手で回してのばし、四角にして卵で溶いた香腸などをかけて焼く、中国風ピザ。竹筒に入ったもち米と鶏肉の蒸し物。ビールと老酒。合計45元。帰りにあの不思議なおもちゃを買おうとしたが、もういなかった。あれは何だったのだろう?

大きな本屋に入って良渚など長江古代文明の本を探すが見当たらない。西洋哲学の棚にはカントが多く、マルクスは1・2冊しかない。経済学の棚は見なかったが、多分同じだろう。南開大学院生たちも、マルクスを原文ではもちろん、翻訳でもあまり読んでいないらしい。

ビジネスの棚を見ると、ハイアールの成功物語の本がずらり。

甘栗を0.5斤、5元で買って帰室。サービスのりんごとオレンジがあった。珍しくナイトガウンも。

 

3・20


朝、メール接続をこころみるが失敗。ネットには繋げるのに!ここはNHKのBSが2チャンネル観られる。アメリカのイラク攻撃準備を伝える。朝食は中華を選んで、満腹。日本人も多い。チェックアウトして780元とチャーター代680元を支払う。

9:00頼んだ車が来る。アウディでゆっくり乗れる。まずシルク博物館へ。養蚕から機織りまでの工程のレリーフのある円形の台の上に高機の大きいのが飾ってある。展示室には、古代からの絹の布が展示されている。ほかにはあまりめぼしいものは無く、1階の売店での絹製品販売のほうに力を入れているようだ。@10元は少し高い感じ。

次は、茶博物館。やはり@10元だが、展示は豊富。茶の種類、製造法、形成法、飲み方などがよく分かる。日本には最澄が最初に種をもたらし、空海が次に種と製造用具をもたらしたとのこと。団茶と聞いていたが、茶の形成法は箱型、球形、かぼちゃ型、円盤型などさまざまあって、現物が展示されている。茶道具も各種、窯変もの、耀変もの、黄色い釉薬もの、急須、などで興味深い。庭にでるともくれん、白もくれん、かいどう、さざんかなどが美しい。庭には茶房・茶売店もあったがパス。ここは訪問する価値が大きい。

11:00頃、良渚遺跡に向かう。市内の並木には桜が植えてあり、小さな花が咲いている。昼頃到着。運転手と昼食。選んでもらうとなかなか良い選択で、筍の煮物、日本豆腐の揚げ煮、野菜のゴマ和え、蒸した魚、葉っぱを敷いてそれごと食べる包子、蓮根のもち米詰め、ビールで78元。

良渚遺跡博物館は、立派な建物。玉器と黒陶器が中心の展示で見応えがある。三星堆の顔と似た神の顔が玉器にレリーフされている。亀・鹿・魚などの形の玉器もある。京セラの稲盛氏が驚くだけのことはある見事な細工。黒陶器は、金属的な光沢があり、古代字らしき模様、動物の模様が刻んであるものも有る。発掘された祭壇らしい土盛りは、パノラマ模型は有るが、あまり社会人類学的な説明はない。土盛りは博物館の中にはない。入場料@10元。新婚カップルが前庭で記念写真を撮っていた。パンフレット(50元)、絵はがき(@15元)と玉器まがいの神面(220元)を購入。

2:00頃杭州東バス・センターへ出発。3:00到着。テレビがイラク攻撃開始のニュースを流している。デモクラシーの帝国の現実化だ。3:15発の高速バスで紹興へ。@18.3元。高速道路から郊外の普通道へ下りるとひどい舗装、市街が近くなると幅広い道になり、両側は工場が並ぶ。繊維・食品が多い。建設途中の工場もたくさんある。沿岸部開発の波は北上して、寧波から上海のあたりが新しい開発ブームと聞いていたが、なるほどと思う。

バス・センターでホテルを手配してもらうと結構混んでいて3軒目で空室があり、係りの明るい女性がタクシーに同乗してホテルまで来てくれた。高校卒で、まあまあの英語を話せる。紹興南苑大酒店、小さいホテルで英語は通じない。カードもダメで500元のデポジット、朝食無しで@220元。

街に出て夜市通りを散歩。日用雑貨、衣料品、本、果物、甘栗、串揚げなどの屋台が出ている。清朝革命運動で刑死した詩人秋瑾女史記念碑がある通りに出ると百貨店、スーパーがあり、ちょっと覗く。漢方薬、酒類、化粧品など豊富。魚を並べている店で夕食。青蟹蒸し、そら豆と白菜の炒め、焼売、牛肉面、ビール、紹興酒で152元。青蟹は1斤50元だったが、大味でがっかり。面は透明の幅広で、葛切りに似ている。

夜市で、イチゴ5元、魯迅作品集(@定価 28元の6割)を買って帰室。日本語放送は無いので、CCTVの英語版を見る。各国での戦争反対デモの画面が多い。

 

3・21

 
 朝は、魯迅旧居へ散歩。大修復中であとかたも無い感じ。前を流れるクリークには、かごで屋根をかけた船がもやっている。一人乗りの小船が川ゴミの清掃をしている。三味書屋のまわりも修築中。まだ残っている旧い家並みの間の路地を歩いて、魯迅を想うと感慨ひとしお。クリークに沿ってすこし東に歩くと、朝日が登って川面に映り、芽吹いた柳と溶けあってなかなかの風情。

川沿いの小店で肉まん、野菜まん、豆乳を買う。各@0.5元。昨夜のイチゴとで朝食。

タクシーで汽車(バス)東駅へ行き、8:40発の余姚行きの高速バスに乗る。@13・4元。ところどころにある低い山は、たいていは、レンガ用の土取りか、砕石用の岩取りで崩されて、岩・土は住宅や工場に変わっている。墓のある山も多いが、墓のすぐ下まで崩されている。遠からず、中国は、ますますひらべったくなるだろう。

10:20頃、余姚市内に入って北駅を通過してから車掌がどこで下りるか聞くので、火車(鉄道)駅というと、少し先で下りて102系統バスに乗り換えろという。火車駅でたずねると、河姆渡博物館の看板を教えてくれた。汽車東駅からバスが出ていると書いてあるので、タクシーで東駅にいくと、11:30発のがあったのでしばらく待って乗車。蜀江行きのバスのうち、1時間に1本が河姆渡博物館まで行くらしいが、はっきりと掲示があるわけではない。はじめに聞いて乗りこんだバスは行かないというので、別の車両に移ったりの騒ぎ。バスで行く人はあまり居ないのかもしれないが、いささか不親切。

5分ほど早く発車。昔風の道路を走り、舗装中の道では土煙をあげて小型バスは進む。耕運機のエンジンに車体を付けたような小型トラックや人力三輪車がのろのろ走るのをクラクションを鳴らして追い越し、自転車や人が飛び出すのを巧みに避けながら、かなりのスピードで走る。水郷地帯で、クリークが四通し、濁った水際では洗濯をしている。田んぼでは、ひこばえの緑のなかで、女性が働く。膝まで田に浸かっての作業。かなりな湿田だ。12:05到着、入場料@25元。

7000年前から4500年前の遺跡が 4層にわたって発見されたのが、1973年。発掘していくうちに、高床式住居の柱などが出土した。湿田を耕す人々、高い柱の上の住居、さもあったであろうと想う。多種の獣骨とともに、稲の籾や茎が大量に出土した。稲は大部分がインディカ種だがジャポニカ種も混じってる。良渚などとともに、古代長江文明の存在を明確に示した遺跡だ。1993年に博物館が建設された。ジオラマ、現物、レプリカなどを展示しているが、レべルは普通。象牙の彫刻飾り板がここのシンボルになっている。2羽の鳳凰が向かい合う図柄。玉器もあるがレベルは低い。土器もシンプルな形と図柄。別の場所に古代住居の再建などがあるらしいが、帰りのバスの都合で省略し、パンフレット(@35元)と絵はがき(@4元)を買って、13:00のバスで東駅へ。

東駅から201系統に乗って102系統に乗り換えて火車駅へ。16時の列車を訊くと座席は売り切れ。少ない運行なのですぐに満席になるようだ。高速バスを利用することにして南駅に行ったが、ここには高速バスは無い。あわてていると親切な人が居て、火車駅から出ていると教えてくれてので引き返すと、大宇系の上海直行便があった。15:45発、@80元。火車駅から高速バスが出ているとは気づかなかったので、いささか無駄な骨折りをしてしまった。時間までに、粽とパンの昼食。ハム入りのパンと書いてあったが、入っていたのは小さなかけらだけで大笑い。

高速を走って、20時ころ上海着。列車より速い。タクシーで静安賓館に。小蒋に電話すると15分ほどで部屋に来てくれた。上海駅に付き合ってもらって荷物を受け取ってくる。立雛のお土産と「父と子」をあげる。2年ぶりの再会で、すこし大人っぽくなった。街の小食堂まで案内してもらって、明日の予定を決めて分かれる。小包子、雪菜肉糸面、ねぎ油面、ビール、@16元。11:00帰室、電話が鳴るが通じない。

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