2005年10月 新潟
(新潟政治経済学・経済史学会
会)
・佐渡旅日記1

1029日(土)

朝6時、軽井沢出発、18号線から浅間サンラインに入ると、すぐのところに、遮音壁のある住宅がある。これが別荘ならさぞ大変だろうと話しながら走る。

上田市を通って、更埴インターから上信越自動車道に乗る。沿道の山ウルシやクヌギの紅葉を楽しみながらのんびり走る。先月、群馬県警にやられてから、スピードを出しすぎると高く付くことは身にしみている。

黒姫山や妙高山を左に眺めながら、上越インターで降りる。朝の100km以内は料金半額で済むのがETC最大のメリットだ。朝食が取れそうな店を探しながら、8号線を走る。米山の道の駅近くの魚市場で、にぎり鮨。地魚のにぎりは、はたはた、いしもち、くろだい、ほうぼう、ぶり、まとうだい、ひらめ、たいの8種。はたはた、いしもちは珍しかった。

東電の刈羽原発の脇を通るが煙突の一部が見えるだけだ。海岸を走る352号線で日本海を見ながら、出雲崎を通るころから雨が降り出す。寺泊で、魚市場センターを見物。角上魚類の店は大きいが、付け値は高めだ。大きなブリが7000円くらいで売っているのは魅力的だが、今買っても仕方がない。

弥彦山のあたりで雨足は激しくなる。ワイパーを高速で動かすが視界は悪い。新潟市に入って雨は小やみになる。新潟大学の標識を見て、右折し、大学に着いたら、学園祭でにぎわっている。理学部。門で聞くと、もうひとつ先の門が文系というのでそちらに回る。政治経済学・経済史学会秋季学術大会の会場を見つけ、駐車場があることも確認する。個別論題報告がおこなわれている時間だが、今日は不参加。そのまま、外に出て昼食の店をさがす。小料理屋を見つけて、苦労して駐車したが、もう準備中の札。2時を過ぎていたから、昼食営業は終わったようだ。

左右に道が分かれるところで右路線に入ってしまいそのまま右折したが、これは大間違い。南下することになり、大回りをして新潟駅前に着く。東急インの場所を確認してから、昼食に向かうが駐車場のある店はなく、三越に車を入れて、食堂街のレストランで遅い昼食。カキのわっぱ飯とレディスランチ(小ぶりのわっぱ飯と小ざるそば)。

4時になったので、東急インにチェックイン。パーキングはタワーで、駐車料金は高い。駅の真ん前だから仕方がない。

昼寝をしてから、恵子を残して6時半頃出発、ホテル・オークラに歩く。懇親会場は、バイキング・レストランを借り切り。受付で伊藤正直さんに明日のコメント・レジュメを渡して印刷を依頼。水割りで懐かしい皆さんと歓談するうちに、開宴。廣田功さんの歓迎挨拶のあと、長老保志恂さんが乾杯挨拶。ラスト講座派らしく、共通論題をもじって「戦争と再生産」をテーマに巧みなスピーチ。

いろいろな人と話ができたが、傑作は、Nさんとの会話。なんと、浅間サンライン入り口の遮音壁別荘の住人は、Nさんとのこと。これにはビックリもしたし、可笑しくなってしまった。敷地の一部をサンライン用地に売却する羽目になったのだそうだ。

散会後、藤瀬浩司さん伊藤正直さんたちと飲み屋で痛飲快談。11時過ぎ散会、ホテルに戻る。

 

1030日(日)

部屋でパン、オニオン・スープ(一階コンビニで仕入れ)の朝食。コンビニ弁当を持って車で新潟大学へ。駅前からは30分くらいかかるし、駐車場に置いておくと高い料金(400/時)を取られるので車を使った。

共通論題は「20世紀の戦争と社会変動−経済社会秩序と国家介入−」。午前は、斉藤叫さん(アメリカ)、雨宮昭彦さん(ドイツ)、廣田功さん(フランス)の報告。

共通論題関係者と昼食。500円のコンビニ弁当を初めて食べたが、結構、美味しかった。

午後は、森武麿さん(日本)の報告、石原俊時さんのスエーデン中心のコメント。次に、「20世紀を分析する視座」と題しての三和のコメント(後掲レジュメ参照)。

休憩の後、討論。論点は多かったが、三和コメントに関係する部分では、次のような点がだされた。

概念規定についてのコメントで、「国家」は支配・権力構造まで含むかなり複雑な概念だから三和は政策介入の主体としては「政府」を使っていると述べたのに対して、ほぼ皆さん、それを政府・議会・司法・官僚・政党などを含めた歴史概念として使用しているとの回答があった。それはそれで良かろうが、理論概念としての国家との違いもはっきりしておかないと、方法概念としての切れ味が悪くなるだろう。

エコロジカルな点からの資本主義批判についてのコメントに対して、廣田さんが、フランスは、対英米独にたいしての立ち遅れ意識が強いので、成長を重視する傾向が強く、エコロジーに関しては、ヨーロッパの中では一番関心の程度は低いと指摘されたのは興味深かった。

司会者団の権上康男さんは、ヨーロッパの「新自由主義」は、制度の枠組みの中での自由を主張する点で、アメリカ的な市場中心主義とは異なっており、市場経済を前提とせざるを得ないとすれば、「新自由主義」が「マイナス成長」の実現に役立つ可能性があると指摘された。これは、傾聴に値する見解だ。「マイナス成長」への方法論は、今後、深く考えねばならない課題だ。

保志さんから、三和コメントについて、資本主義の成長要因と戦争との関係を問う質問がだされた。コメントのはじめに、旧土地制度史学会の会員でないのは、保志さんのような怖い人がいたからだとしゃべったので反撃された格好だ。所有・社会的剰余・再生産の調整機構の3点から成長要因を略述して、戦争は生産力の発達を促進する点で、成長に関係しているとお答えした。保志さんの全人類的土地所有の考え方を伺いたいと反質問をしたが、これは、言葉足らずだった。

成長要因を裏読みすればマイナス成長の条件になるのだから、所有関係では、私的所有を共同体的所有に再反転させることによってマイナス成長が可能になるはずであり、その時に、全人類的所有概念は有効性を発揮するのではないかというのが、反質問の主旨だった。保志さんは、別れ際に、コメントが良かったと評価の言葉を掛けてくださった。土地制度史学会の発足時には、現状変革への強烈な意思が学問研究の底を流れていたのに較べると、当今の学会では、いささか些末な論点にこだわりすぎる研究が多いことを、保志さんは、苦々しく感じて居られたに違いない。ラスト講座派、健在なり。

司会者団のひとりの柳沢遊さんは、旧土地制度史学会以来、段階論的な発想を重視しない傾向があり、資本主義没落論は論じられても、資本主義高度成長論、その原因論は軽んじられてきたと指摘しておられた。鋭い見方だ。

昨夜、藤瀬さん、伊藤さんたちと、学会活性化の方法を話したとき、酔った勢いで、学会名をマルクス経済学・経済史学会に改めれば良いと言った。半分は本音で、社会主義没落で消沈してしまうようなマルクス経済学ではなく、現代においてこそ必要な、資本主義批判の学としてのマルクス経済学の再生、馬場宏二ならマルクス経済学の「生き方」の再確認がおこなわれなければ、真の意味での学会の活性化はできない。

いろいろ考えることの多い学会参加であった。

夜は、ガイド地図の「うまくて安い」料理屋を駅前で探したが見つからず、横道の寿司屋に入って、刺身盛り合わせと上にぎり、朝日山2合。中味の割には高い支払だった。

 

1031日(月)

ホテルの部屋で、クロワッサンの朝食。電話で、佐渡汽船に乗船可能性を確認してから出発。小雨のなか、カーフェリー乗り場に。乗船待ち車列に並んでから、車検証持参で、切符を買う。4.75mの車長なので、料金は往復で28260円(1人分乗船料込み)、1人分往復料金が4120円。

9時半出航。新潟港に目立ったコンテナ・ヤードがないのを不思議に思いながら日本海へ。12500トンの船だが、結構揺れる。2等船室は床席だけで椅子席はない。後尾のエンターテインメント室でコーヒ−を飲みながら座っていたが、何の催しもなく、退屈。タリンへのフェリーでは、ヘルシンキ工科大学の学生達がカラオケで楽しんでいたのを思いだした。とびきりの北欧美人もいたから、退屈しなかった。2時間半の航海だが、カラオケ設備があれば、日本人も喜んで活用するのではなかろうか。

新聞を買って、2等船室でごろ寝をして読んでいるうちに両津港に着いた。1150分定時。

島の東北方向に走る。日本海を右に見ながらの海岸ドライブ。車が少ないので、道路の狭さはあまり気にならない。昼食を採れる店を探したが無いので、二つ亀まで走る。ホテルの食堂で、遅い昼食。海鮮チラシと刺身定食。チラシは品数が豊富。定食には、海草が3種類付いていて、食べたことのないものが1種ある。たずねると、ギンバソウとのこと。海辺の人は、いろいろな海草を食べているものだ。

窓の外には、かぶと岩と二つ亀が見える。二つ亀は、小山状の2連の岩が突出している。食後、キャンプ場の方に回ると、崖下が海水浴場で、細い砂嘴が二つ亀に伸びて地続きになっている。二つの亀の間がどうなっているかは見えない。亀に寺院でもあれば、佐渡の、モンサンミッシェルだ。

左手遠方には大野亀が見える。大きな小山から、海に向かって先のとがった岩の列が並んでいる。大野亀に走るが、小山の姿しか見えない。二つ亀も大野亀も、海上から見た方が迫力がありそうだ。

二つ亀からは、西に向けての海岸道路。大ザレの滝が落ちている。映像で見る知床の崖から落ちる滝に似ている。佐渡の北岸は、海蝕された岩壁が高く低く続いている。起伏が多く眺望が変化に富む海岸道路は、実に美しい。カナダの赤毛のアンの島プリンス・エドワード島の回遊道路が、世界で一番美しい海岸道路といわれていたので、2001年に走ってみたが、佐渡の方が素晴らしい。

揚島で、尖閣湾遊覧船に乗る。波止場までかなりの下り階段で定刻に遅れたら、出航した船が戻ってきて乗せてくれた。海底が見える仕掛けの小船で、藻や小魚の遊泳が楽しめる。尖閣湾とは、縦の柱状節理のある岩壁が海蝕で奇岩状になった奇景の続く小さな湾で、少し岸から離れると意外に波が高く船が大きく揺れる。船の出入り口の柱につかまりながら写真を撮る。5つの奇岩の説明を聞きながら、湾を一回りして、桟橋に戻る。

水族館もあって、全国でも珍しいというアオリイカの泳ぎを見る。渋谷の活魚割烹で、スルメイカの遊泳は見たことがあるが、身体全体にエンペラを持つアオリイカは、前後左右自由自在で、はるかに泳ぎ達者だ。

相川まで走って、観光案内所で宿の手配を頼む。魚が食べたいといったら、漁師の民宿を紹介してくれた。@7000円を支払ってクーポンをもらい、姫津まで戻って、すだれ荘に投宿。夕日を見たかったので、姫津港の堰堤にかかる姫津大橋にのぼったが、数分遅く、西の海に残照があるのみ。5時が日没だった。

夕食は、刺身、焼いたカレイ、煮たメバルとマダラ、鯖の揚げ物、寄せ鍋と魚尽くしだが、量が多くて食べきれない。もったいないが、大量に残す。夏の海水浴客の食欲を基準にしているのだろう。老齢につき量より質でとあらかじめ頼めば良かった。

久しぶりにパソコンを開いて、日記を書く。

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