2005年10月 新潟
(新潟政治経済学・経済史学会
会)
・佐渡旅日記2

111日(火)

朝は、港に散歩。イカ釣り船は出漁した様子はなく、他にも水揚げはしていない。釣り人が一人、何かを釣り上げている。のぞくと小アジが20匹くらいと突堤の上に小フグ数匹。サビキ釣りで、明るくなると小フグが食い始めてアジは釣れなくなるとのこと。

朝食も、魚尽くし。マダラがジャガイモと一緒に煮付けてある。昨夜は、メバルが豆腐と白滝と一緒だった。野菜などと一緒に煮付けるのがこの島の漁師風らしい。食べたことのない魚は、シイラとのこと。漁港で水揚げされた、黄色がかかった扁平な大きな魚は知っていたが、このような食味とは思わなかった。

漁師の主人は同年齢であることが、床の間の掛け軸で判明。昭和52年に42の厄年を無事済ませて民宿を増築した祝いの軸。第一次オイルショックから立ち直ったころに、増築した民宿営業は、うまくいったのだろうか。長男夫婦と経営しているようだが、海水浴シーズン以外は、釣り客程度で、昨日も客はわれわれだけ。客室のメンテナンスも良くないから、成功とは見受けられない。やはり、海を渡る費用がかかる分、集客力は本州の民宿より劣るだろう。

昨日見損なった平根崎の波蝕甌穴群まで戻る。柱状節理が隆起によって斜行したところに波が穴をうがった岩層が広がっている。珍しいようで、国の天然記念物に指定されているが、近くの穴には建築廃材が捨てられていて保存状態は良くない。

また相川方向に戻って、相川郷土博物館に。佐渡金山の歴史資料と特産の裂け織が展示されている。三菱鉱業最後の産金5枚(@1kg)・産銀塊が無造作にケース展示されている。レプリカとは書いていなかったが、盗難対策は大丈夫なのかちょっと気になった。揚水装置(アルキメデスのスクリュー)のモデルで揚水体験が出来る。立派な髭を蓄えた部屋頭の写真がある。納屋・飯場制度を佐渡では「部屋」と呼んだようだ。2階には、相川出身の有田八郎記念館がある。遺愛品や写真、文書が展示されている。トイレに入ったら、壁から便器までピンク色で、いささかビックリ。悪い趣味だと感じたが、どうやら、朱鷺の島のカラーイメージらしい。

別館が相川技能伝承展示館。裂け織と陶芸の展示室と教室がある。いざり機の変形簡易機で、島内外の愛好者や見学者に裂け織、つまり、つづれ織を教えている。綿花栽培が出来ない島で、古着のリサイクル技術が発達したとのこと。刺し子や紙布、樹皮布など、リサイクル、代用布も展示され実演もするらしい。

佐渡の陶芸は、人間国宝が二人もいるレベル。特有の陶土を使った、常滑焼に似た赤色の陶器が特徴。隣接した窯の売店でひさご型の徳利を探したが無かった。冷酒全盛時代で、燗徳利は冷遇されているようだ。

佐渡奉行所の脇を通って佐渡金山へ。途中、山を掘り割った道遊割戸が見える。佐渡金山に入場。坑道を下り昇りする間に、動く人形デコレーションがあって、いろいろな採鉱作業が判る仕組みになっている。出口の展示館には、採鉱・選鉱・精錬・小判鋳造の工程模型と坑道立体模型があり、良くできている。坑道高低差は800m程度。地底に長い排水坑道まで掘った。無宿人まで動員した金掘り人足の重労働はさぞやと思われる。

プラスチックの箱に12.5kgの金塊が入っていて、手がようやくはいるほどの穴から、その重さを実感できるコーナーが人気だった。片手の指だけでは少し動かせるくらいで、とても持ち上げることはできない。力持ちがいても、穴は金塊より小さいから持ち帰ることはできないだろう。

大佐渡スカイラインを上る。急カーブの続く2車線道路は、危険だが、車通りが少ないので助かる。楓の紅葉にはまだ少し早いが、はぜ、うるし、つたの紅葉、くぬぎ、こならの黄葉が美しい。

最高点近くの風力発電が1基ある宿泊所売店で、佐渡しゃくなげを一鉢買う。白花だそうで数年後が楽しみだ。佐渡スカシユリの球根をおまけに付けてくれたが、軽井沢に植えれば、サルかカモシカの餌食になることは明白。埼玉で育てるしかない。

そこから下りの道路は、防衛庁の管理と書いてある。近くの金北山山頂にレーダーサイトがあるためだろう。対ロシアの守りということか。

島の中央部に下ってから、トキの森公園に行く。分かりにくいところで迷ってたどり着いたが、鳥インフルエンザのせいで、檻には近づけず、展示館の窓越しに双眼鏡で見るだけだった。日本産が全滅したあと、中国産のつがいから生まれた子孫が、いま80羽になったとのことだが、わずかに、2羽が遠望できたのみ。

展示館の説明によると、トキの表毛は白色で、トキ色は翼の羽の裏側にだけ発色して、陽射しの具合で、表面まで透けてトキ色に見えるとのこと。驚いたことに、トキは、自分で、白髪染めをする。胸のあたりの皮膚が黒色で、その皮膚を嘴で剥いで毛にこすりつけ、頭から背中にかけて、黒毛に染めるのが、繁殖を迎える雌雄の行動だそうだ。毛染めをする動物がいるとは知らなかった。

道の駅「佐渡能楽の里」で昼食。加茂湖の近くで、ここの養殖カキのフライを食べた。少し味が淡泊な感じだ。イクラながも丼なるものは、不思議な味。ナガモというヌメリの強い海草がのっている丼は、海のトロロという食感。売店に、ナガモと昨日食べた海草、ギンバソウの乾物があったので購入。ギンバソウとは、ホンダワラのことだった。ついでに、地酒「菊波」と焼き甘エビも仕入れる。

西に走って、南下、長谷寺に参詣。牡丹が多く、長谷(はせ)寺に似ているが、ここのはチョウコクジが正式名称。訪ねなかったが清水寺も、セイスイジ。都人の流刑地であった佐渡には、みやこを想わせる名称があるらしい。長谷寺には、多宝塔もある。手入れがされないままに、古色がただようたたずまいが良かった。

そのまま南下し、山道を走って紅葉山公園に。楓類を植えた公園の紅葉は美しい。

海岸通りに出て、西に走り、小木港へ。観光案内所で、温泉宿を頼むと、遅いので夕食が準備できないとのこと。それならばと、保健施設「おぎの湯」に投宿(素泊@4500円)。久しぶりに温泉を楽しむ。ここも簡易保険資金が入っている施設だが、規模は小さい。大規模な佐渡のカンポの宿は、今年で廃業だが、ここは維持されるようだ。気泡風呂やジャグジー、露天風呂があって、500円で外来入浴できる施設だから、当今、流行ではある。

風呂上がりの地酒「菊波」は、少し甘口だが美味しい。外に食事にでるのは面倒になったので、食堂で、エビ天丼、ほたてかき揚げ丼で夕食。ホタテ貝柱のかき揚げ丼は珍しい。

 

112日(水)

朝風呂。日の出の時間だが、手前に小島があるので海からの日の出は見られなかった。休業日で食堂は開いていないので、売店のインスタントうどんで朝食。テレビで宣伝の「どんべい」をはじめて食べたが、麺としては落第。なぜ売れるのか不思議だ。

さらに西に走って、宿根木の千石船展示館に。復元した500石積みの和船が、建設した建家のなかに展示されている。記録ビデオによると、完成後、建家から前庭にひきだして帆を張ったようだが、今は、帆柱は倒してある。

竜骨構造を持たない沿岸航路用の和船だが、なかなか頑丈に造ってある。用材を蒸し焼きにして曲げたり、平板を繋ぐ特殊な釘と工具を用いた、高級な造船技術が使われている。

隣接の民俗博物館の旧館は、小学校校舎の再活用。新館には、漁具・農具中心の見事なコレクションが展示されている。

港に下りると、宿根木部落。北前船の重要寄港地であった小木港に近い宿根木部落は、船頭・水夫の村であると同時に、和船建造の拠点で、船大工がたくさん住んでいた。集落は、極端に集中して軒を連ねた構造で、現住のまま、展覧用に整備されている。なかには、三角形の敷地に三角形に建てられた家もある。道なりに板壁が湾曲して建てられ、船大工の技術が活かされているとのこと。バラスト用に瀬戸内から積み込まれた御影石が、水路の橋などに利用されている。

佐渡西端の沢崎鼻を回って東に走る。浜の集落に下りてはまた山道を上るというアップ・ダウンを繰り返す。ここも景色は素晴らしい。途中の入り江を見下ろすと、たらい船でサザエを採る漁師がいる。目を移すと、海中に赤みがかったクラゲの群。越前クラゲが、ここにも集まっている。真野新町から海を離れて内陸を東に。

11時半頃、両津港に着く。佐渡汽船のビルで、すし弁当とおにぎりを購入。カー乗り場に並んで待つ。来る時にのったフェリーが接岸して船首を開き自動車を吐き出す。観光バスが乗客を乗せて出てくるし、郵便小包も車ごと運ばれてくる。コンテナは、待ち受けたフォークリフトが中に入って積んで出てくる。

1240分、定刻出航。カモメと鳶が船を追う。乗客がスナック菓子を投げて餌付けした結果だ。鳶は早めに戻ったが、カモメはいつまでも付いてきた。陸鳥と海鳥の違いだ。キノコうどんと弁当で昼食を済ませてから、船室で昼寝。来る時より、波が穏やかで揺れは少なかった。

3時、新潟港着。少し迷ってから402号線にのり、海岸線を南西に走る。来る時は雨で見えなかった景色を楽しみながら、寺泊で休止。5時近くで、海鮮市場は店じまいしたくを始めていた。ブリを1本、茹でたてのズワイガニ、筋子、ばふんウニ、笹飴などを購入。

暗い道を、直江津へ走り、上越インターから高速道に乗る。柏崎市内を抜けるのに時間がかかり、予定より遅くなった。軽食を取ろうと小布施パーキングに寄るが、食堂は閉店。仕方なく、更埴インターまで走る。一般道でそば屋を探したが、ラーメン店は多いのに日本そば店は少ない。

日本人の嗜好は、昆布・鰹節味から、豚骨味に替わったようだ。アジアにも、アミノ酸系のうま味を好む地域と油脂系のうま味を好む地域とがあるといわれるが、日本人の嗜好は、ますますグローバル化してきている。伝統的な味覚にこだわらないところが、中国人と較べた時の、日本人の特徴だ。中国で食べる外国料理の味の悪さは、料理についての中華思想の現れだと思う。たしかに、中華料理は美味しいが、もうすこし、異国の味に関心を持っても良いと思う。

結局、外食はしそこなって、10時、軽井沢着。寺泊の海鮮で、遅い夕食。ブリ、ズワイガニは美味しかった。ばふんウニは、卵巣が少なく、全く無い粒もあったが、化学処理された市販品よりもはるかに良かった。

順徳上皇から、世阿弥、日蓮など佐渡に流された人々に縁ある場所は訪れなかったが、新潟・佐渡への小さな旅、無事終了。

 

【コメント】

政治経済学・経済史学会秋季学術大会