2006年2・3月
天津・北京滞在記

2月19日(日) 

 12時半に、石塚さんに送ってもらってふじみ野駅へ。池袋東武デパ地下の野田岩で昼食をとって成田に向かう。別送して置いた荷物を受け取ってチェックイン。少し時間があったので、共同カード・ラウンジで缶ビールを飲んで休憩。あんなに混んでいるラウンジは初めてだ。

 全日空NK955便は、バスでの搭乗。前便は予約が取れなかったが、この便は空席が目立った。17:30定刻出発。藤沢周平原作の「蝉しぐれ」を視る。機内食は、ビーフ・ストロガノフ。アメリカ会社でないから、ワインはフリー。4時間で北京国際空港到着。現地時間20:30

 入国審査が長い列で、1時間近くかかった。これも初めてだ。検査官はまあ手際よくこなすのだが、外人客が多くなったからだろう。窓口を増やすなどの対応ができないと、オリンピック年が思いやられる。

 張さんが出迎えてくれた。去年博士号を取って南開大学日本研究院の専任講師になっている。車中、皆さんの近況を訊く。楊夫人も、名古屋から天津直行便で、今日、帰国されたとのこと。春節の休暇が終わって、明日から、後期日程が始まるわけだ。

 11時に専家楼に到着。富山さんと元が出迎えてくれて、1階105号室に入る。2階の元の部屋でビールとワインで乾杯。富山さんも、生活用品を買い整えて、隣室での生活体制ができたようだ。デスク付書斎と寝室の2間に台所、浴室がついて部屋で、暖房が良く効いている。熟睡。

 

2月20日(月)

 8時起床。早起きして西南村に朝食を買い出しに行くつもりだったが、寝坊した。元の部屋で、日本人パン屋の食パンで朝食。甘いのが特徴の中国パンに比べると、かなり良い出来だ。富山さんは、もう初授業に出かけた。

 10時、日本研究院で宋副院長、趙先生、劉先生に挨拶。楊院長の留守を守る宋先生は忙しそうだ。最近、政府はマルクス主義研究に力を入れて、社会科学院のマルクス主義研究所を大拡張して、200人くらいの研究者を集めつつあるとのこと。Pang副学長も、マルクス主義経済学のリーダーとして、学外での活動が忙しくなられたそうだ。

 宋先生も、最近は雑誌やネットの内容が、俗悪化して、ポルノまで登場するようになったことを嘆いておられる。やはり、市場経済化に、節度を求めるとすると、マルクス主義を改めて研究する必要があるということのようだ。マルクスから毛沢東、江択民までを、ただ反復研究するだけでは、権威主義の強化にしかならないだろう。人類史的観点からの再検討ができれば、新しい力になる可能性はあるが。

 経済学院の沈先生と再会、明日の夕食を約束。2年前の活き魚レストランにしようとしたら、役員が持ち逃げしたので、倒産したとのこと。いまだに、公金横領は後を絶たないらしい。

 昼食は、天津財経大の王湧さんと一緒に、学内の嘉園で取る。嘉園はこれまで来たことのないレストランだ。正面入り口は正門、つまり周恩来像のある側にあり、専家楼からは、裏口が近い。王さんは外国語学院の副学部長になって多忙の身。今年から出る日本語科の卒業生を、日系企業に就職させる世話までするのだから大変だ。大小1000社近くが天津に出ているから、就職は好調のようだ。3月3日に講演をする約束をした。

 元は授業に出かけ、われわれは部屋で昼寝。パソコンを開くが、ネットにうまく繋がらないのが問題だ。日記を書き始める。

 6時半、日本研究院の皆さんと、専家楼で夕食。外国語学院長王先生も来てくださる。談論風発、語って日本の少子化原因論に到る。日本人は数も減るし、質も落ちる傾向にあることを話すと、中国でも同じようだとか。人口数からは、日本より10分の1の遅さで劣化するのだろう。

外国語学院で、「日本の会社の光と陰」講演を約束。日系企業への就職希望者が多いとのことで、このテーマにする。

料理は、学長の宴席と同じようなメニューを、宋先生が頼んでくださって豪華。湖水産魚の土鍋蒸しは、ニンニクがゴロゴロしているが、臭わず、美味。餃子も耳付の焼き餃子。毎回、新しい料理に出会えるあたりは、中国料理の奥の深さだ。

 外国語学院と天津財経大の講演のレジュメを作って、早寝。 

 

2月21日(火)

 朝、恵子と八里台の市場に買い物にいく。東門から7分くらいのところ。焼き餅の引き屋台もあるが、常設の売店が並ぶ。八百屋はまだ開店準備中で、品数は少ない。

 豆乳、卵、生うどん、長ねぎ、インゲン、キャベツ、塩ピーナッツに春巻き風揚げ餅を購入。小さいキャベツ2個で3.6元だから、2003年の北京よりも、すこし値段が上がっている感じだ。ピーナッツも1元買ったが、期待したよりも量が少ない。

 朝食後は、セミナーの日程表と初回のレジュメを作る。講義時間を日本研究院に電話で問い合わせると、周さんがいて、部屋のラン接続を見てくれるとのこと。すぐに、自転車で来てくれたが、なかなかうまく繋がらない。悪戦苦闘を重ねている周さんを眺めながら、長椅子でうたたね。部屋の暖房がよく効いているので、つい眠くなる。結局、接続ケーブルの問題と言うことで、日本研究院に戻って、午後、出直しと言うことになる。日程表とレジュメをフラッシュメモリーに入れて、持っていってもらう。ランに繋がればメールで送るところだが、ここは半アナログ。

 昼食は、元の作った掛けミソで担担麺と卵うどん。元の部屋でランに繋いでメールを読む。辻康吾氏からのメールは、5年間の研究の結果完成した担担麺を、横浜の美食同源フェアで披露するとのこと。2000年の中国同行のときから、本場の担担麺を日本に紹介するという話をしていたから、ついに実現したようだ。祝メールを送り、中国訪問中でフェアに伺えない旨を伝える。返事メールでは、彼も明日から数日間北京で、面白い人に紹介するから北京に来られるかという。あいにく、セミナーで天津を離れられないと返事。彼の人間関係では、実に興味深い人たちに会えるから、いささか残念だ。

 午後、恵子と富山さんはカルフールに買い物。レジュメの続きを作ったり、また来てくれた周さんの仕事を眺めて午後を過ごす。結局、壁の中のラン配線に問題がありそうと言う結論で、この部屋での接続はあきらめる。周さんには一日無駄骨を折らせてしまった。

 買い出しの2人は、無事帰ってきた。今夜のブドー酒など、いろいろ買ってきた。

 夜は、沈先生ご夫妻、閻さん、留学中の才媛Wさんと海鮮レストランで会食。まずWさん持参のワイン、次にカルフールで買い込んだワインを飲みながら談笑。ほとんどのレストランが、酒類の持ち込み可となっている。酒はもうかるが、持ち込み不可とすると客が来ないので、店としては痛し痒しだ。Wさんは流暢に中国語を話せる。万葉集と中国の古謡の比較研究が修士論文のテーマとのこと。歌垣のルーツ研究にもなるのだろ。

 

2月22日(水)

 朝食を仕入に西南村に行くが、肉挟餅の売店がなくなった。衛生上の問題でも起こったのか。包丁の刻み目で凹んだまな板で煮ブタを叩いての料理だから、いささか不衛生な感じではあった。鉄板焼き風の焼き餅は、トッピングを注文する仕方が判らないので敬遠。 

天津大学の村へ歩く。前回は踏み台で乗り越えた鉄柵は、鉄棒を1本切り取った狭いくぐり穴が空いていた。工事中だった学生寮のあたりはすっかりキレイになっている。2000年は、学内いたるところ建設工事中だったが、今年は、ほぼ完成していて、日本研究院の裏の運動場に体育館を建てる工事など、2,3カ所が継続中だ。

大学院生寮を通り抜けようとしたら回りが高い塀でかこまれていて出られなかった。天津大への抜け道は遠回りになるので、あきらめて、帰室。カルフールのプチ・パンで朝食。

喬さんが来て、馬乳酒をくださった。臧さんに託してくれたブランドとは違うもの。坊やは3月から幼稚園。お手伝いさんは春節から郷里に帰して、母君に来てもらっているとのこと。120平方メートルの新居、いまや2倍近くに値上がりしている。無理して買って大丈夫かと心配だったが、先見の明だ。もっとも、給料はそんなに上がっていないから、返済は大変であることに変わりはない。

 昼前、日本研究院へ行く。周さんに昨日のお礼を言って、レジュメの参考図表用に「概説」のコピーをしてもらう。2003年の遼寧大学国際コンファレンスでお世話になった莽先生と挨拶。経済系院生を受け入れることになって、一昨年から、南開大学日本研究院に赴任してこられた。

 図書室で研究中の郭承敏先生にご挨拶、喬さん、博士課程に入学した山城さんも一緒に昼食。授業を終わって富山さんも参加。喬さんの馬乳酒を空ける。乳の香りが残るやや甘めの酒で、大手のメーカー品。前回のは地方の酒蔵のものだったそうで、あれのほうが地酒のうま味があったと思われる。

日中双方の共産党情報に詳しい郭先生のお話は興味深い。是非、ご経験を記録に残してくださいとお願いする。少しずつ書いておられる様子で、公刊は差し障りがあるにしても、貴重な記録になる。北京一高会というのがあるそうだ。朱紹文先生とも交流をお持ちで、『経友』に寄稿された朱先生の大河内一男先生追憶文のコピーをくださった。

 天津に、北朝鮮の国営焼肉店があって、金バッジを付けた、かの美女たちがサービスしてくれると言う話。こんど、連れていってくださるようお願いした。

 午後は、レジュメの準備。恵子は元と歩いて買い物。

 夕食は、閻さんと大学の向かい側の店で天津ダックを食べる。北京ダックより脂が少ない感じだ。元の話だと、南下するにつれて痩せて野生に近いアヒルになるというが本当かどうか。閻さんは、4月から早稲田で博士論文の指導を受ける。国費留学生で4年間は費用が支給されることになっている。

 

2月23日(木)

 10時から、第1回セミナー。新しい院生と経済系2年生、劉・張さんも聴いてくれる。新開池の前に新しくできた講義棟の4階の小教室を使った。なかなか立派な6階建ての建物だが、手近にはエレベーターが無い。

 資本主義の類型論と発展段階論を話す。1年生のRさんが通訳してくれるが、少し頼りない。複雑な部分は避けて、単純化した話にしたから、理解してもらえたろう。

 質問では、経済系の院生から中国は資本主義と思うかと問われた。所有の形態が、国有・共有から私有に変化しつつあること、計画経済から政府規制の強い市場経済へ移行していること、基本理念が平等から私利目当ての競争に変化したことを挙げて、政府主導型資本主義だろうと答えた。

 毛沢東思想のなかの平等主義の再認識が必要だと思うがどうかと尋ねると、皆、否定的な顔つきになった。やはり、毛沢東のイメージは文化大革命と結びついて、肯定はできないようだ。ここらが、政府が社会科学院のマルクス主義研究所の拡張を急ぐ一因だ。資本主義的価値意識の浸透は避けがたいから、どこかで、社会主義市場経済の価値理念を再編しないと、巨大な人口を抱えた「ただの資本主義国」になってしまう。

 昼食は、部屋で海鮮パスタ。楊先生からメールをいただく。ここの様子を返信。元と進路を相談する。

 午後、宋先生にあう予定だったが、急な学内会議のため中止。楊先生の留守役は忙しい。

 3人で八里台市場に出かける。朝よりも開いている店が多く、相変わらず面白い。中古の腕時計やテレビ、衣料品、雑貨、そして各種の食品が、雑多に売られている。活魚は、フナ、鯉、雷魚、田ウナギ、背中の盛り上がった珍魚など川魚。海魚は冷凍もののイカ、太刀魚程度。肉は、羊と豚が主で、鶏と牛肉は少ない。狭い通路に焼き芋の引き売り自転車が入ってくる。チョコレートの量り売りは、500gで4元だ。きわめて庶民的な市場。ピーナッツ、ジャガイモ、人参、ペティ・トマト、夏みかんを購入。

 帰室して、レジュメ作り。パソコンで中島みゆきを聴くが、音質は最低。ヘッドホンを使ってもダメ。新しい機種は、CD対応能力を備えているのだろうか。

 夕方、楊夫人が張さん同道ご来室。お変わりなく、むしろお若くなられたような印象。果物を沢山いただいた。星君は、もう1年、頑張るとのこと。

 元の部屋で、レジュメ資料をプリントして、空白にコピー表を切り貼り。元のクラスは、3年生の後半になって、履修生がゼロで閉講が続出した。卒業要件単位は、前半でほぼ取りきり、追加単位には課金される制度になったために起こった現象らしい。王先生は、閉講分は、卒論指導を増やすことで処理する方針とのこと。授業をやる気だったので、拍子抜けしているのが可笑しい。負担軽減は歓迎すべき事態だ。

 ポーク・シチューで夕食。元は、帰国留学生の送別会に、ブドー酒を抱えて出かけた。中華は飽きて、タイ料理とか。富山さんは、教材の出来が悪いのを指摘。やはり、教材開発に、もっと力を入れる必要がある。創価大の守屋先生のような仕事が大事だ。元が制作中のテキスト「日本商務」は役立つ。喬さんに「日本政治」の良いテキストはあるのか尋ねたが、無いようだ。「日本経済」も遼寧大の金先生の編著があるが、中国語研究書でテキスト向きではない。日本語教育用語学テキストは多いが、ここらは、ニッチ市場だ。

 後かたづけは2人にまかせて、帰室。ワインの酔いにさそわれて早寝。

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