2006年2・3月
天津・北京滞在記

3月1日(水)

 陽射しが暖かい日だが、風邪気味で散歩は取りやめ。

 10時にカルフール海光寺店に買い出し。車が渋滞して14元かかってしまった。ここの店のほうが広い。薬局がないので、一端外に出て探すが見あたらない。また戻って、3階の電気製品売場でトースターを買う。小さいのが99元と割高だ。あまりパンを焼く習慣がない国だから、高いのだろう。

 食品階でいろいろ買い物。茶売場で、薬屋で買おうとしていた胖大海を発見して購入。田付さんが喉の薬と教えてくださったもの。八宝茶の素材として売っていた。50g5元だ。たしかにここの店の方が品数が多い。ただ、商品管理はずさんで、方々に、商品が台から落ちている。ニンジンは買う気がしないほど品が悪い。高いが「無公害」表示のものを買う。輸入品は高いのは当然だが、日本なら300円くらいのデンマークビスケットが40元で売っている。

 昼過ぎになって道が空き、帰路は8元で済んだ。購入した小篭包と包子で昼食。近くに小篭包を売っている店がないのが不便だ。狗不理が独占権を持っているわけでもあるまいに。

胖大海3粒に熱湯を注いで待つと、雲君からもらったものより大きく膨らんだ。質が違うのか?すこし渋みがある。とにかく飲んで昼寝。

閻さんから電話で、日本商務のテキストへのルビ振りをやっているが、学生に読ませると案外読めないから、先日の分もやり直してくれるとのこと。メールで1章分送る。2年生基準でルビを振る予定だが、かなり煩雑になるかもしれない。内容的にも対象は3年生以上ではある。

 また、胖大海を2粒、薬湯にして飲む。身体が暖かくなる感じがする。日本商務の整理作業をする。

 夜は、煮豚、蟹内子と豆腐炒め、オカラ、湯葉とキュウリのサラダで夕食。中国で中華料理をつくることに、恵子はすこし違和感を感じているが、美味しいものは美味しい。

 食後は、セミナー最終回のレジュメをつくる。2002年から2005年にかけてのGDEの項目別変化率を計算したが、輸出と民間設備投資が主導する景気回復であることが一目瞭然になった。ネットからデータをダウンロードできるから、便利な時代になったものだ。

 寝しなにまた胖大海を2粒飲む。喉の具合は確かに良くなってきた。

 

3月2日(木)

 散歩はサボり。バッゲットで朝食。カルフールのフランスパンは食べられる。

 日本研究院に富山さんと出かけ、陳先生に紹介。10時、3回目のセミナー。安定成長からバブルまでを話す。経済系1年生のRさんが通訳。時々、張さんが助け船。こっちも、トヨタ方式などは、あとで張先生に聞いてくださいと振って時間を節約。歴史系と政治系の院生が多いから、金ドル本位制とか先物取引など、解説が必要な部分があって時間がかかる。

 質問は、今の中国経済はバブルかどうか。住宅価格高騰は、一部にバブル要素はあるが、都市化に伴う実需も強いから、日本のような崩壊現象は、少なくとも、2008年北京オリンピックか2010年上海万博までは起こらないだろうと答える。

 中国ヌードル、たぶん太めのハルサメで昼食。帰室が遅かった分、歯ごたえが無くなったが、美味しい。粉食文化は、いろいろな種類の麺を生み出している。富山さんがもらった梨を食べたが、甘くない。最初は酸っぱく感じたのは、その前に口にした羅漢果水のせいか。富山さんが煮出したノンカロリー甘味料だが、変に甘さが口に残る。ステビアなど、糖でない甘味成分は、昔のサッカリン、ズルチンもそうだが、やはり違和感がある。パルスイートにしてもだ。

 6時過ぎ、宋先生が迎えに来てくださって、トウ先生の招宴へ。タクシーへトウ先生から電話で、会議で少し遅れるとのこと。河西区の友誼海鮮飯店。かつては、高級幹部専用のホテル宴会場とかで、立派な建物だ。

 やや遅れてご夫妻が到着。再会を喜び合って乾杯。中国の大学は、どこでも、採算目的で事業会社を持っているが、ほとんどがうまくいっていない。南開大学の株式会社もそうで、その立て直しに、経済専門のトウ先生に白羽の矢が立った。学問と実業は違うのにとトウ先生は苦笑いしているが、実際には、かなり精力的に取り組んでおられる。はやく、学問に戻るのが目標といわれるが、なかなか簡単ではないだろう。

 食事中の電話で、トウ先生は中座。やはり忙しい。奥様とおしゃべり。胖大海の効能、何回服用しても良いこと、生の果実は見たことがないことなど。忙しいご主人の健康管理の重要性を申し上げる。運動する時間は取れないとのこと、お若いとはいえ、3役をこなすにはケアが必要だ。

 トウ先生は、大学院事務を手伝う劉さんを連れて戻ってこられ、すこし歓談してから、再会を約してお別れ。宋先生が専家楼まで送ってくださり、劉先生の自家用車でお帰り。日本研究院も、いよいよモータリゼーションだ。

 元にメール。湯気出し器が壊れたので、備品なら交換してもらおうと思ったが、200元だして買ったものだそうだ。ちょっと変に扱ったので壊れたのか、明日、分解してみよう。

 

3月3日(金)

 晴天、暖かくなった。また、散歩をサボって、のんびり朝食。これでは、肥る一方だ。

壊れた湯気出し器を解体しようとしたら、特殊なネジ止めなのであきらめる。日本では見たことがないネジで、人の字のように3筋を刻んである。+や−のドライバーでは開けられない。

昼前に、恵子と八里台市場に買い物に行く。閻さんの誕生日祝いのケーキを注文して、6時頃取りに来ることにする。市場は、ちょうど、昼食の時間で大繁盛。この前に買った竹の靴べらを、もうひとつ、富山さん用に購入。卵、野菜を仕入れてから、小篭包と焼売を買う。さらに、陳老頭臭豆腐を買う。臭豆腐を油で揚げて、いろいろな醤をかけた食品。言うならば、厚揚の薄いのに味を付けたもの。

 買ったもので昼食。陳老頭臭豆腐は、それほどの臭みはなく、まあまあの味。紹興の臭豆腐とは違う。陳老頭臭豆腐と印刷したきれいな皿に入れてくれたから、チェーン店かもしれない。中国の食は、やはり奥が深い。

 昼寝をして、王さんの迎えで天津財経大に向かう。ルーツは、南開大学の貿易系学院にあるようで、貿易・経営に特色を持つ。学院長室で休憩してから、会議室で講演。日本語系の学生と、貿易系院生が聴衆で約40名、王さんの通訳で熱心に聴いてくれた。

 戦後日本経済から、現代まで駆け足で話す。質問は、今の中国はバブルか?日本経済の成長と輸出の関係は?中国人民元は、どのくらいまで高くなればいいか?など、なかなか、面白い内容。一部はバブルだが、2010年くらいまでは、持つだろう。今、お金があれば、私も、天津でマンションを買うが、2010年前に売ってしまうだろう。中国の輸出は、今は日本の戦前と同じように低賃金を武器にしているが、これは長くは続かない。中国の独自の技術を開発して、国際競争力を維持しなければならない。元は安すぎるが、急に高くすると日本のドルショックやプラザ合意のような影響を受けるから、徐々に高める方が良い。どこまで高めれば適当かは判断できないが、ゆっくり上げて、少なくとも、2倍くらいにはしなければならないだろう。など答える。

 話の最後は、中国の若者はいま目が輝いている。これは、日本の高度成長期と同じだが、その後の日本は、若者に夢を与えられない国になった。中国が、いつまでも、若者に夢を与え続けられる国になって欲しい。日本が夢を失ったのは、お金がすべてという風潮に流されたためだ。同じような道を、中国が歩まないよう、皆さん、頑張ってください。

 まあ、無理な注文だとは思いながら、やはり、言っておきたかったことだ。すこしは、判ってもらえたかな?

 帰る時に、宋先生からの電話で、Pang副学長が招待してくださるとのこと。恵子に電話して、閻さんの祝宴は、3人でやってもらうことにする。

 久しぶりにお会いしたPang先生は、すこし痩せておられる。お忙しすぎるのだと思ったら、やはり、体調を崩しておられたとのこと。マルクス主義経済学のまとめ役だから、過労気味になる。先生自身が、過労死するかと思ったと冗談。マルクス主義のために身を捧げるのも結構だが、くれぐれご自愛くださいと申し上げる。

 Pang先生の仕事は、マルクス主義全般にわたる標準教科書の編纂。百家放声のなかで、極めて気骨の折れる仕事だ。ストレスの塊のような仕事。これは、興味しんしんだ。今、大まじめにマルクス主義に取り組むのは、中国くらいだから、その公式見解が公刊されることの意味は大きい。

 大いに期待するわけではないが、生きたマルクス主義のいまの姿には、興味がある。刊本を日本語訳することをお薦めすると、日本には興味を持つ人が少ないのではと仰る。翻訳権をいただければ、一財産作れる程度には需要はあるというと笑っておられた。

 経済成長万能の現代資本主義は、やがて破局を迎えるから、それとは異なる道を中国が進むことを期待する旨申し上げる。うなずいておられた。

 仕事が終わったら、日本で温泉に浸かってゆっくりしてくださいと、日本での再会を約してお別れ。明日はまた、北京で面倒な会議とのこと。忙しい合間に、ありがたい。お礼を言うと、古い友人には当然の応対と言ってくださった。感謝。

 部屋にもどるが、恵子はまだ帰っていない。元からのメールに答えがてら、今日のことを知らせる。ほどなく、3人の女性が帰室。水上公園の近くの杭洲料理を楽しんだ由。閻さんに誕生日ケーキを贈ってお別れ。自転車で帰るのは心配だが、天津の治安は良いと、閻さんは平気。それなら良いが。

 

3月4日(土)

朝は、西南村に散歩。美人が黒のコッカースパニエルを連れていた。ここでは、ペキニーズよりステイタスが高いのではないか。そろそろ犬も記号論的消費対象になったか。

 天ぷら挟み餅(2元)、油餅挟み餅(1.5元)、豆乳(0.5元)を購入。蓮の天ぷら3つ、茄子の天ぷら2つ、薄い豚カツ1枚、目玉焼き1つ、酢漬けもやし、酢漬け大根を、3角に切った焼き餅に挟んであるのが天ぷら挟み餅、薄いクレープに生卵を落として潰しながら焼き付け、醤2種、刻みネギで味付けて、4角の油餅を包み込んだのが油餅挟み餅。ともにヴォリューム満点のしろもの。味は、天ぷら挟み餅がはるかに上。コスト的にも割安感がある。

 昨日、王さんに聴いたことを2人に話す。ここの結婚披露宴は、招かれると200元程度の現金を包む。10人1卓で800元くらいだから、実質100元程度が祝い金になる。最近は、派手な婚礼が多くなっていて、日本のプロデュース企業も進出した。結構、祝い金が手元に残るから、実質的なお祝いになるわけだ。日本では、宴会場に儲けられすぎている。

 昼食は、モリうどんと、富山さんの里芋煮付け。中国の乾麺で、まあまあ食べられる。フルーツのヨーグルト和えのデザート。甘くない梨もチンすると美味しい。

 昼寝。電話で、海浜学院の2年生が、火曜日の講義のあと、日本経済の特別授業をして欲しいと言う。先生の授業が好きだからといわれては、断るわけにはいかない。喜んで引き受けると伝えると、歓声をあげている。可愛い学生たちだ。

 夕方、八里台市場に。青梗菜の小型を1把(1元)、クワイのような芋を1斤(1.5元)買う。相変わらずの賑わいだ。ケーキ屋でチョコレートケーキとチーズケーキを買う。2つで25元という高さだ。閻さんにあげたケーキ屋で、天津で一番と評判の店だそうだ。腕前はどうか。高いのに、若いカップルが楽しそうに買っていく。長中期を考えなければ、現代中国の経済成長は、幸せな風景ではある。

 夕食は、椎茸の挽肉詰め、焼き茄子、大根の酢の物、澄まし汁。ここの椎茸は、日本で売っている中国産椎茸より、肉厚でしっかりしていると恵子は言う。輸送への適性の問題か?茄子もアクがなくて良い。野菜は、品数も豊富だ。

 

3月5日(日)

 朝は、西南村へ。周恩来像の後ろにある主楼には、高校生たちが集まってくる。統一試験も近いから、模擬試験でもあるような雰囲気だ。この国の受験戦争は、急速に日本にキャッチアップして、もはや追い抜く勢いで激化の一途を辿っている。小皇帝たちの競争は、確実に、人格形成に歪みをもたらす。この歪み、経済成長には短期的にはプラス要因となるあたりが怖い。他者の痛みを感じる能力を失った主体が、欲望を全開にしてマモン神の信者になれば、資本主義社会では、怖いものなしだ。

 生物科学院新屋の建築現場には、新しい民工が到着したところだ。大きなビニール袋やバッグ、くるくる巻きにした布団などを手にした一団が、手配師?らしき人物に引率されて現場に集合、先輩民工に案内されて宿舎に向かった。基礎から1階骨格あたりができた段階だから、作業員を増強して得意の人海作戦を進めるのだろう。足場には、鉄パイプのほかに竹も使っている。クレーンは、横のアームが長いヨーロッパタイプ。低層ビル建設では、町中でもこれが多い。

 パン屋2軒で菓子パンと食パン、豆乳を買う。ドイツパンのようなサンプルが飾ってあるが、これあるかと訊くと「没有」。パン屋のカンバンなのだろう。

 帰路、ごみ収集車を見た。住居地区の道路右側には鉄製円筒型のゴミ箱が適当に配置されている。収集車は、脇腹の小型リフトのアームをゴミ箱の鉄の取っ手に引っかけて持ち上げ、前方上部の投入口でゴミ箱をひっくりがえして収集する。収集タンクを斜めに持ち上げると中味が後方出口側に動いてスキマができる仕組みだ。南開大学の清掃部が作業を担当している。収集車が来る前に、再生可能な、つまり売れそうなゴミは、だれかが回収するから、ゴミ箱の中身はおおむね焼却ゴミだ。収集車の行方はわからない。

 菓子パンは、大きいが、アンコは少ない。小豆餡はリング状に断続的に入っている。肉デンブを醤にまぶした餡は、輪切り面に微量が塗布されている。クリームパンは、外側にクリーム層を含む生地が付着している。手間のかかる製法だが、味は問題にならない。3個で3.6元と高いから、主食には向かない。食パンは、甘すぎる。パンのレベルは低い。

 10時、山城さんが迎えに来てくれて、まず、洋服屋に行く。紅橋区の繁華街にある服飾ビル。衣料関係の小店が並んでいる。背の高い女性経営者の仕立屋は、日本人顧客が多い店。向かいの生地屋で、替え上着2着、ズボン2着の生地を見立てる。結果としては、みんな日本製だった。値段は、生地代610元、仕立て代860元の合計1470元。極めて安い。日本の毛織物業が、中国で市場を持つとは驚きだ。上級品特化で、したたかに生き残っているのか。

 ネーム入れを頼むと、本格刺繍だと型から新製して180元という。手刺繍なら2着で100元。ここでは、背広にネームを入れる慣習はないという。日本ならサービスの内だが、ここでは高くつく。手刺繍を頼む。

 11時過ぎに、郭先生のお宅に伺う。テレビ塔近くの古い住居地区。建物は古いが、1階のご自宅は、内装も新しくきれいだ。書斎には、日本の新刊書が山積み。

 富山さんとは、学習院・小学館関係者で、共通の話題が弾む。辻氏も知っておられ、担担麺の話をすると大笑い。人脈の広い方だ。Pang先生たちのマルクス主義教程刊行のことはご存じ無かったが、今までに無かった企画だから、読むのが楽しみだと言われる。混乱が続いた歴史を過ぎて、正統の思想がどのようなかたちに表現されるのか、裏の裏までご存じの先生には、特に興味深いのだろう。

 ホームキーパーのオンさんと彼女の娘さんがつくる餃子は絶品。アンは、肉とセロリ、肉と酸白菜の2種。皮は自家製でないが、実に美味しい。黒竜江省出身で、本格的な腕前だ。酸白菜は、以前、楊先生が手製をご馳走してくださったときに、日本では手に入らないので、いまひとつ味が出ないと言っておられた素材だ。保存食で各種料理の素材となる酸白菜入りの餃子は、はじめて食べたが、味が深い。

 帰りは、オンさんの娘さんが、会社から貸与されているジェッタで送ってくれた。上手な運転だ。現代中国娘の代表か。

 昼寝をしてから、昨日買ったケーキでおやつ。チョコレートケーキは、スポンジが少し固いが、クリーム、チョコレートともに本物。焼きチーズケーキも、レモンピールの効かしが良く美味しい。いままで中国で食べた中では最高だ。賓果士Bengonsというケーキ屋。このレベルなら、日本でも、評判にはならないが、商売にはなるだろう。それにしても、2つ25元は、いい値段だ。

 そうめんで夕食。中国産だが、まあいただける。おかずは、煮豚の残り。支度途中でブレーカーが落ちた。電気調理器のひとつが故障して過電流が流れたらしい。元にメールで問い合わせると、ここの調度備品らしいので、交換してもらおう。

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